5・4「大地と風」
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「じゃあ、またあとで」
気安い言葉を残し、チヨは走っていく。その足取りに迷いは無く、小さく揺れるチヨの黒い短髪を見てアカは密かに思った。
――うらやましいものね。
今は、自分も彼女と同じ短髪だ。風に揺られる後ろ髪はもう無い。にも拘らず、どうして心はいまだに揺れ続けるのだろうか。
いつかは彼女のようになれるかしら、と彼女は微かな憧憬を覚えつつ自問する。もちろん答えは無い。――だが、良い。私は私なのだから。そこまで考えて、彼女は物思いを止めた。
「ササヤキ――――戦うわよ」
姿無きものへの呼びかけ。
否、応えはあった。漆黒の空の下、蒼い月光を受けてきらめく二本の水槍が、アカの背後に音も無く投じられた。
水槍は目標に届く前に音を立て水蒸気となって霧散した。――アカを守る高熱の結界だった。
「蓮華紅塵!」
振り向きざまにアカは力を放つ。
力の顕現は、彼女の正面全てを範囲とした大規模な爆発。
闇を退ける炎。
だが赫い海の中、湯気を立てながら一直線にアカに接近する影があった。
『――――』
空気のように澄みきった、不可視の刃がアカに振り下ろされる。そのわずかな気配と直感でアカは攻撃をかわし、すかさず眼前を爆破しつつ後ろに跳躍した。
「姿も見せないで攻撃してくるなんて、ずいぶん良い性格になったじゃない、ササヤキ。それとも……余裕が無いの?」
数秒前にアカが立っていた位置に、ササヤキが忽然と姿を現した。
「あなたを退屈させないように、趣向をこらしてみたのよ、アカ。あなたには、ここで私と踊ってもらわなくちゃ行けないから」
ササヤキは顔に微笑を浮かべてアカを見る。その微笑は、何の感情も込められていないただの笑みだった。
「ふん、心配しなくても私はチヨの後なんて追わないわよ。キズオトのことはチヨに任せた。チヨがキズオトをどうしようと、私は関わらないと決めたの。――だから、あんたが望むなら世間話だってしてやるわよ。退屈しのぎにね」
アカの言葉には一片の嘘もなかった。
そもそも、アカがここに来たのは夢の降着を防ぎ、ツミの邪魔をするのが目的だった。アカにとって、キズオトに会うことはついでに過ぎなかった。
だが、今のアカはその一番の目的すらチヨにゆだねていた。そのわけは――
「……チヨを認めたのね、アカ?」
深い洞察を持って、ササヤキは言った。
さすがの長姉役ね、とアカは思った。
そしてアカは答える。普段の天邪鬼さは一切見せず、いっそ清々しいまでに微笑を浮かべて。
「そうよ。チヨは確かにツミと対等に渡り合える唯一の存在だもの。力を持っていることでは私達はみな同じ。でも、彼女は想いを制している。想いを背負い、その上を歩いていける。想いにただ流されていた、私達は違うから」
憎しみの想いで炎を絶やさなかった女、アカが言う。
一方、ササヤキもまたチヨについて述べる。
「チヨがそうできるのは、彼女が大地と契りを結び、大地に立つ者故かしらね。彼女は想いを知り、想いを背負う。
キズオト……キズオトはどうなのかしらね。あの子は想いを知ることはできるけど、それを背負うことはできない。そこがチヨと違う。おまけに、彼女は脆いわ。昔は、私達が彼女の心を守ってきた。けど、今はもう私達は離れてしまった。――これから、あの子はどうなるのかしら?」
愛しき者の下僕となることで想いを封じた女、ササヤキが言った。
炎に照らし出される二つの女の顔。だが、その表情はまるで違う。アカの顔にはやや悟ったような諦観の色があるが、ササヤキの顔にはまだ迷いがあった。
「ま、キズオトのことはチヨがどうにかするでしょ。キズオトが挫けても、チヨは彼女の想いも背負っていくだろうから。……それより、今は私達がさしあたってすることを決めない?」
ふっ、と炎が消される。
辺りには再び闇が訪れ、二人の姿は蒼の月光が音もなく照らし出す。だがアカの顔は、彼女の手に揺れる火が赤く照らしていた。
二人は睨み合う。そこに張りつめた息づかいと並々ならぬ闘志はあるが、殺意はない。
ササヤキが背中を見せた。
「あら、帰るの?」
一切の含みのない戦闘放棄の動作に、半ば呆れたように、気抜けしたようにアカは言った。
一方、ササヤキの返答はこれまでにない微笑混じりのものだった。
「何かね……あなたがいつもの――私の知っているあなたらしくないから、調子が狂っちゃったの。興ざめっていうのかしら? ……私は帰るから、あなたはそこにいてね。いい? お願いよ?」
「……本当に良い性格になったみたいね」
まぁね、とササヤキは振り返り笑って、そのまま姿を消した。
アカはチヨの消えた方向を見やった。その彼方では、神秘霊力の騒ぐ気配がある。
空を仰ぐ。
天の中心には月、それを囲んで星。澄み切った星月夜は、その背景にあるものを識らずに見れば美しさ限りないものである。
――なかなか良いじゃない。
月光は深く、星の散らばりは果てしない。人間の、私の心とは大違いだと、アカは思う。
そしてこの美しいものは、彼女が愛する者が支配するものだ。
だけど、あんたは私の物。そう、アカは想った。
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体育館は校舎に後付けされた形だったから、壊れても校舎にダメージは少なかった。
その扉の前に千風の友達を待たせていたけど、彼らはボクの残した防御の術で守られたみたいだった。
よかった、とボクは思う。けれど、キズオト自体の問題はまだ解決してない。
今、千風は校舎の屋上にいる。空に一番近い場所で、彼女はひとりぼっちで泣いている。
――止めなくちゃ!
風で校舎が壊れそうなのも、夢の降りる気配が強まっていることも、戦いが長引いていてみんなが不安がっていることも、――千風が泣いていることも、みんな止めないと。
再び入った校舎はさっきよりも増して、不安の空気でどよんとしていた。でもこの不安の原因が、同じ学校に通う女の子が引き起こしていることをみんな知らない。知っちゃいけない。
ボクは全力で階段を駆けのぼり屋上を目指す。蹴った床が、階段がくずれてしまってもボクは構わなかった。
階段の終わりにあったドアを鍵ごと壊し、屋上に転がり出た。
その瞬間、女の人の絶叫がボクに向かって飛んできた。
同時に目の前を跳ねて飛んでいく拳大の氷の塊。――ナゲキだ。ひどいダメージを負って人の形を取れなくなったんだ。
とにかく風が強い。風上に向かっては目を開けてられないくらいだ。ボクはとりあえず、風下に転がっている、氷の塊になってしまったナゲキを拾った。
「ナゲキ? 何があったの?」
答えは頭の中に流れ込んできた。
『ふふ……ちょっとね。あの子の中の思い出を呼び覚ましてあげたの。あの子ったら、自分が私を殺したことを思い出したら。またぞろ私を殺そうとしたわ。まったく……可愛いわね。色々からかってあげたから、今あの子の心は破れた風車よりもひどい回転をしているわよ。――さ、これでいいでしょう? 私は帰りたいから放して頂戴』
悪びれもせず、心から愉快そうにナゲキは言った。
「ナゲキ……!」
悔しさを込めて彼女を放ると、高笑いを残して彼女は消えた。
後ろを見る。叩きつけるような暴風がボクの顔に衝突する。さすがのボクも立ってられない。
「う……千風…………!」
両手を床に付いて絞り出した声に、意外にも反応があった。
風が変わった。地を這うような冷たい風が流れてきて、ボクの両手を舐めた。
屋上の縁に、夜空を、月を背にして千風が立っている。空色の瞳は、微笑に細められながらボクを見下ろしている。
「千風、力を――」
「あたしはキズオトだよ、チヨ。――相川・千風というあたしは、もういないよ」
そう言って、彼女はあどけなく破顔する。小首をかしげるしぐさなんて、とても子供っぽい。
「あたしね、記憶が戻ったらどんな感じになるんだろうって考えてた。すごく、不安だった。けど、戻ってみるとなんてことはなかった。無くなるかもしれないと思った居場所も、ちゃんと今とは違う場所だけど、あたしにはあった。――あたしは、ツミと、お兄ちゃんと一緒にいればいいんだね」
「――それが何を意味するのか、わかってるの? 千風!?」
彼女がここを守らなければ、ここは夢に潰される。
それは、彼女が大切にした友達が――彼女を大切にしている友達が、死んでしまうということ。例えボクらがここを守っても、千風にとってはもうここは終わった場所になるんだ。
「わかってるよ」
こともなげに彼女は言い捨てた。
「でも、この学校なんてあたしの仮の居場所みたいなものでしょ? あたしは記憶が無くて、どこいればいいか判らなかったからここにいた。だから、いまさらここがどうなろうと、あたしには関係ない」
「嘘だ! ここには千風が好きなみんながいるんだよ。手紙にもそう書いてた。千風の友達、透やみんながいるからここを守りたいって、キミは叫んでいた!」
「うるさい! あたしが捨てた手紙なんか関係ないでしょ!」
否定の叫び。
そして続くのは、絞り出すような郷愁の言葉。
「あたしは力を使ったからもうここにはいられない。もうどうせここには戻れないのなら、無くなってしまえばいいんだ! みんなみんな、あたしの世界から消えちゃえばいいんだ!」
その顔に、さっきまでの薄っぺらな微笑は無い。今彼女の顔にあるのは、涙をにじませたありきたりな女の子の表情だ。
いつしか、静かに吹いていた風は再び荒れ始めていた。それも、まるで吼えたけるような声を轟かせて。
そこまで彼女が友達を無くしたくなかったのかと、ボクは深く同情した。そして、何もかも壊してしまいたくなるほどに友達を大切に思った彼女に、ボクは大きく同感した。
「千風はもどれるよ! みんな千風を受け入れてくれる。信じてあげてよ、友達を!」
だけど不安のあまり自分の殻の中に眼を瞑って閉じこもってしまった者に、声は届かない。
「戻れない――戻れるわけがない! だって風が、世界があたしに戦いを望むんだもん!」
「違う! キミは本当に風の想いがわかってるの? 風は、千風の力となることを、千風と共にある事だけを望んでいるんだよ!」
風もまた、彼女のためにどうしたらいいかわからない。だから、こんなにも荒れ狂っている。
彼女は確かに力と記憶を取り戻した。でも彼女の本当の力、風の声を聞き世界を知る素質を取り戻してはいないんだ。
「わからない、わからないよ……。あたしには聞こえない。あたしは力を使って戦うことしかできないよ………」
「……なら――なら、戦おう、千風。そして教えてあげる。千風の本当の力と、風の想いを!」
彼女が絶叫する。
風が爆発する。
戸惑いが洪水となり、濁っていた想いが溢れ出した。
そして彼女から放たれる必殺の気配。それは強く、恐ろしい。だけど、この向こうには彼女自身が失ってしまった本当の想いがある。
その想いを教えるために、その想いを知るために、
――戦闘を開始する!
*
彼女の呼ぶ風は、大気の運ぶ純粋なエネルギーとしてボクにぶつかる。
ボクに風を切り裂き避ける術はない。目の前に壁状の防御結界を張りながら、しゃにむにこの身体を前に押し出していくしかない。
「うっ……ぬぬ……!」
足を踏み込むたびに、コンクリートの床は砕ける。
靴はとうに破けてしまった。足を猫のものに変え、爪を立てて前に進む。
前進は加速させる。重力の制御、身体中の筋肉、持てる限りの力を発揮し、ボクは――走る。
「ち、かぜぇー!」
拳を構える。彼女の力を砕くために、彼女を打ち倒すための攻撃を行う。
拳の速度は野球選手の投球くらい。当たればひとたまりもないだろうけど、ボクは迷いを込めずに撃ち出す。
彼女は避けなかった。
けど、まともに食らったわけでもなかった。
「……軽いね」
彼女は、風に木の葉のように身体を微妙に動かし、攻撃を殺した。
戦いに溺れた、うつろな表情で嗤う彼女。
彼女の指鉄砲が、ボクの額に当てられる。
「――バン」
彼女の人差し指から、すさまじい衝撃が放たれた。
とっさに防御の力を額に集中させたので、頭に風穴が開くことはなかった。けど防ぎきれなかった衝撃と吹き続けてる風の力で、ボクは仰向けに押し飛ばされた。
「パンツァーファウスト!」
彼女がパントマイムで肩に何かを担ぐ動作をした瞬間、ボクは慌てて逃げ出した。
「――!」
爆風。圧縮された風の球だったみたいだけど、とても受けきれるものじゃない。
圧縮空気弾による爆発に火気は一切無い。だけど‘破砕する’という目的においてこれほど効果のある攻撃法を、ボクは他に知らない。
彼女は次々と空気弾を撃っているようだった。爆発と同じくらいの間隔で、見えない何かを支える手が上下している。
――そうか、ロケットランチャーだ。
彼女は自分の力を、実在の兵器に例えて具象化させているんだ。
瞬く間に屋上にあったものが破砕されていく。屋上の入り口とか、ベンチとか。
やっぱり力では勝てない。そう悟り、ボクは術を使うことにした。
「大地、ボクに力を貸して。――――『六(陸)式封印術、起動!』」
少しでも彼女の力を弱める術。
だけど、術が発動し一帯の重力が少し増えた瞬間、校舎が負荷に耐えきれず悲鳴を上げはじめてしまった。
「まず――」
「ねぇ、これはどうかな? ラティ・サロランタ!」
風の機関銃。
ボクは身を小さくし、無数にばらまかれる風の弾丸を防御する。
身動きができない。むやみに戦えば、蜂巣にされてしまう。
――やっぱりあれを使うしかない。
問題は場所とタイミング。
「千風ぇー!」
時間限定で防御結界を限界まで強化し、ボクは雄叫びを上げ風の弾幕を突っ切る。
拳を前に出す。
彼女はまたカウンターを狙って避けようとはしない。けど、ボクの動きはフェイントだ。
彼女の目の前でボクは両腕を広げる。
タックル。
屋上の縁に立っていた彼女を巻き込んで、ボクは屋上を飛び出した。
千風はミリタリーマニア、というのが影の設定です。彼女にとって近代兵器というのは力の象徴です。
言っている名前の武器自体はてきとうです。
……後書きって難しいです。というか、最近になって苦手になりました。
文章を書いていると、あれこれ書こうと思うのですが、いざ後書きを書く段になると何を書きたかったのか思い出せなくなります。
メモしていると良いんでしょうけど……さすがに後書きのネタをメモする気もありません。




