5・3「子供たち」
風の壁を抜けると、そこは夜だった。
学校の白い外壁が蒼い月光に照らされ、妖しく光っている。敵の気配は希薄だけど、周囲の空気にはどことなくなじめない感じがする。――純粋な悪意。押し隠した悲しみ。そんなものが、どんよりと漂っていた。
「胸糞悪くなる空気……。こんなところはさっさとおさらばしたいものね」
アカが口汚く言った。
「……キズオトはたぶん校舎の中にいるよ。気配を隠しているみたいだけど、もう少し近くに寄れたらわかるはずだよ」
「なら、もたもたしてないで行くわよ」
ボクとアカは一緒に玄関に急いだ。
校舎内の空気もどんよりしていた。
電灯類は点けられていない。生徒も先生も大勢いるみたいだけど、みんなこの異変を怖れて息を潜めている。明かりも自分たちで消したのだろう。校舎に入った異形は一・二体。今のところは誰も傷ついていないみたいだけど、
「夢が降りてきたら、みんな……大変なことになっちゃうんだね」
ボクが言うと、アカが答える。
「ま、皆殺しね。運が良いと生き残るかもしれないけど」
惨劇を前にした、重苦しい静寂。ただ蒼い月光だけが冷淡に漏れ入っていた。
それはそうと、ボクはアカを伴ってキズオトを探す。探す、といっても校舎を造ってる建築材に聞けば彼女の場所を教えてくれるので、ボクは導かれるままに歩くだけだった。
どうやら、体育館の前まで来たよう。
体育館の大きな鉄の扉の前に、非常灯の緑のランプ照らされて二人の人影が見えた。
二人とも学生服らしい服を着ている。服の形から男の子と女の子だ。まるで門番のようにこちらを待ち受けている。
――背後に殺気。
「アカ! ――っ!」
とっさに横ステップすると、そこに鋭い風が落ちた。鉄の刃、日本刀だった。
「曲者め、覚悟!」
それはちょっと低めの女の子の声だった。
月光の無い闇の中、銀の線が一直線に虚空を走る。
ボクは慌てて後ろに避ける。けど――しまった! 背中が壁に付いてしまい、そこに矢のような突きが来た。
――もうだめだ!
死を覚悟したとき、刀を持つ女の子が横に飛んだ。……アカが彼女の脇腹にミドルキックを入れたんだ。
飛ばされた女の子は、しかし受け身を取ってすぐさまこちらに飛びかかろうとする。けど――
「動くな!」
炎が女の子を包囲した。女の子はやむなく動きを止める。
「ふん……まるでガーディアン気取りね。だけど、客に殺意を向けたときの覚悟はできているのかしら?」
炎が勢いを増す。アカは女の子を焼くつもりだ。
「やめて!」 「――やめてください!」
ボクの声に男の子の声が重なった。
声の主は扉の前に立っていた男の子。振り返って見ると、炎に彼の姿が照らし出されている。
「もしかして……透?」
前に夢で見た男の子。あの時も、彼はキズオトといた。
「どうして、俺の名前を知っているんです……?」
特徴的な琥珀の目を丸くして、平島・透はボクに言った。
そのようすに親しみを感じる。ボクは透に、ちょっとね、とだけ答え、アカに言う。
「アカ、その子を許してあげて。ここにいる子達は、みんなキズオトの友達だよ」
友達、と微かに呟き、アカは火を消す。解放された刀を持つ女の子に、透がすかさず走り寄り、両肩を掴んで動きを封じた。
「はなせ平島……! あいつらを信用するのか」
唸るように女の子は言う。
「落ち着いて、勘解由小路。あの人達はきっと悪い人じゃない。俺が請けあうから」
透の諭しに、勘解由小路・津辻はしぶしぶ刀を納め立ち上がる。けど、疑いのまなざしはまだ納められていない。
ともあれ、場が静まったところでボクは自己紹介をする。
「えっと……はじめまして、だね。ボクの名前はチヨ。こっちはアカ。ボクらは……特にアカはキズオトと、その……相川・千風と、縁があって、それでここに来たんだ。あやしいのは認めるけど、君たちには敵意はないよ……」
尻つぼみになってしまった。
津辻はそんなボクの、自信なく揺れる尻尾を容赦なく見ている。横でも、もう一人の女の子(たぶん水月)が半信半疑にボクを観察している。
透だけが、ボクらを信じてくれているみたい。
「相川のこと、何か知ってるんですか……? あの、学校がこんなになってから、相川はずっと体育館に閉じこもっているんです。俺達が体育館に入ろうとしても、なんか開かなくて。中からはボウボウって風の音ばかりするし」
透の言うとおり、少し離れていても扉の向こうから風の音が聞こえる。きっと、あの風が扉を中から圧迫して開かなくしているのだろう。
ボクは、ボクを囲む三人の子達に意識を戻す。
三人とも想いはちょっとずつ違うけれど、みんなキズオトのことを心から思っているんだと、何か胸に迫るものを感じた。
「ありがとう、みんな。キズオトと――千風と仲良くしてくれて。……て、ボクが言ってもしょうがないだろうけど、千風も、そう想ってるから。
説明するのは難しいけど、今、千風はみんなを守るために戦ってるんだ。でも、本当は千風だって戦うべき人ではないんだ……少なくとも、ボクはそう思う。だからボクはここに来た。彼女の戦いを代わるために。
ボクらはあのドアの向こうに行こうと思う。千風をみんなの元に帰すために。それまでここで待ってて欲しいんだ。――いいかな?」
「――はい、どうかよろしくおねがいします」
答えたのは水月だった。手紙にあったとおり、本当に可愛らしい女の子だと、彼女を見た瞬間に思った。
次いで透も頷く。津辻も、しかめっ面だったけど納得してくれたようだった。
ボクは扉の前に立った。
扉は壊すしかない――壊したときの衝撃を考えて、ボクはまず後ろの子達を守るための壁をつくった。
「――アカ、お願い」
「蓮華紅塵!」
ドン、という爆砕の後、なだれ出る風がボクらの顔面を叩いた。
*
一切の光、蒼い月光さえない、無明の闇。漆を流したような闇の中、風だけが縦横無尽に吹き荒れていた。まるで黒い風がここを満たしているような、そんな錯覚さえする。
「キズオトぉー!」
ボクは彼女の名を呼ぶ。けれど答えはない。そもそも風の音が激しすぎて何も聞こえない。自分の声さえ聞こえないのだから。
床にしっかり足をつけ大地の引力を頼りながら、ボクはアカの手を引いて風の中心へ向かう。そこにキズオトはいるはず。
はたして、そこにキズオトはいた。自らに閉じこもるように身体を丸めて耳を塞いで、渦巻く風の中心に浮いていた。その姿は周囲の猛威に比べてあまりにひっそりしていて、暗闇でも見える猫の瞳にも、彼女の姿は朧に見えた。
――怖いんだね。
サキの言ったとおり、彼女は力の制御を失っているみたいだった。暴走する力が怖いのか、それとも力を使う自分が怖いのかもしれない。――みんなに嫌われてしまうことが怖くて、ここに閉じこもっているのかもしれない。
「キズオト、もう大丈夫だよ。ボクらがここに来たから。ボクらがここを守るから」
返事はない。もう十分な距離に近づいたから、声は届くはずなのに。
と、そこではっと思い当たった。――目の前にいる女の子は、もうキズオトではないのかもしれない。
「――千風。相川・千風、ボクの声が聞こえる?」
彼女は反応した。
やはり彼女はもう‘キズオト’ではないのだ。身にまとうのは和服ではなく、ブレザーとスカートの黒い学生服。セミロングの髪は黒。瞳の色は昔の名残かスカイ・ブルーだけど、それを除けば彼女は普通の現の少女と変わりない。
「千風、落ち着いて聞いて。
この学校は今、悪意をもった存在に脅かされている。けど、安心して。ボクらがここを守るから。千風はもう戦っちゃいけない。向こうで友達が待っている。みんな千風のことを心配している。だから、さぁ、戻ってあげて」
ボクは風に浮かぶ千風の両肩に左右の手を置き、静かに‘力’を込めて地に下ろした。
千風の身体が重力化に置かれたとき、体育館の闇を騒がせていた風も治まった。
「やれやれ、やっと治まったわね。……灯りをつけてもいいかしら?」
今まで風で身動きできなかったアカが、ほっとしたように言った。黒いスーツの彼女は、暗闇の中で金の瞳だけを爛と輝かせている。――まるで猫のようだ。人のことは言えないけど。
「ちょっと待って。――千風? 灯りをつけてもいいかな?」
目の前の少女は弱々しく頷く。
座りこんでいるボクと千風の上に、アカが火の玉を浮かべた。月の明かりとはまったく違う、赤みを帯びたそれがあたたかくボクらを照らし始めた。
と、千風が眼を丸くして頭上に浮かぶ火を見あげていた。どうやら驚かせてしまったようだ。
「あ、あのね? 恐いことは無いから大丈夫だよ。――――もしかして、見覚えあったりする?」
ボクの問いかけに、あっさり千風は首を振った。
「あの……あなた方はどなたなんですか? あたしのこと知ってるみたいだし……それに、風も鎮めてくれたみたいですし……、――手品師ってわけではなさそうですけど……」
おずおずと千風が尋ねてくる。いじらしいその表情にほほえましさを感じつつ、ボクは答える。
「ボクは、名前をチヨっていうよ。でこっちは――」
「――あんた、私のこと憶えてないの?」
急にアカが口を開いた。
――そういえば、アカはキズオトが記憶を無くしたことを知らないんだっけ。
サキが言っていた。ネガイはキズオトの記憶を消したことをアカに言っていないと。その理由は色々だろうけど、とにかくアカ知らないんだ。
背後に立つアカを振り返ると、その顔が不快そうに顰められていた。
「さっきから――あの子供達が話していたときから変だとは思っていたのよね。あの子供達があんたの力を知らないのはわかる。チヨがあんたを戦わせたくないのは、いつものお人好しだと思ってた。けど、今のあんたは確実に変。――私のこと、忘れたとは言わせないわよ、キズオト……!」
忘れた名を呼ばれた少女が、びくりと身を震わせる。
それを見たアカは、いよいよ言葉に力を込めはじめる。
「そう、傷をつくる風の音、それがあんたの名前。攻撃することに誰よりも長けた女。今は私も太陽の霊力を使えるようになったけど、あんたも現に来て、広いこの世界に吹くすべての風を支配下に置いて力を増しているはず。あんたはね、比類なき殺戮者なのよ、キズオト」
「――いや!」
千風が耳を覆った。
彼女はやはり、自分の力が攻撃することに傾いていることに気付いていたんだ。自分の持っている力が、守るためのものではなく、傷つけるための力であることに。だから……彼女は力を恐れたんだ。
「聞きなさい! ここはね、今、二つの勢力が互いに等量の命を賭けて対峙している。どちらかが勝てば、守られた数と同じだけの命が滅びるようになっている。あんたはもうその戦いに関わった。いまさらあとには――」
「アカ! ……もういいでしょ? やめてあげなよ」
ボクはアカの言葉を遮った。
だけど、そこで黙る彼女でもなかった。
「はん! お人好しの猫が! キズオトはこれまでに何万もの敵を屠ったのよ。いまさら、普通の人間として生きていけると思うわけ?」
「アカ、何むきになってるんだよ。……キズオトはね、ネガイが記憶を消しちゃったから何もわからないんだよ。だから、もっと優しくしてあげてもいいんじゃないの?」
アカは耳を貸さない。ほとんど怒鳴るようにしてアカは言葉を重ねる。
「ふざけるんじゃないわよ! 元はといえば、キズオトとツミがやったことのおかげでこんな状況になったんじゃない! それを忘れたで済ますわけ? 責任を取りなさいよ。私の日々を壊した――罪を償いなさい、キズオト!」
「い、いや………あぁぁああぁぁあぁ!」
突きつけられた言葉に、激しい拒絶を示したキズオト。彼女の想いに呼応して、静まっていた風の気配が一気に爆発した。
「ち、ちか……!」
豪烈の風に名を呼ぶこともできない。
泣き叫ぶ風に、体育館も歯ぎしりした。
そして体育館が破裂したとき、ボクの意識は途絶えた。
*
気がつくと、体育館から百メートルほど離れた、グラウンドの真ん中にボクは倒れていた。
――世界が軋んでいる。
統制を失いはじめた竜巻が、大気圧を不規則に変化させている。校舎には大きな負担が掛かっている。このままでは、千風が守りたいと望んだ学校自体が壊れかねない。
「千風………」
吹き飛ばされたことによるダメージ自体は小さかった。これも大地のおかげかなと、立ち上がりながら思った。
と、横にアカが倒れていることに気がついた。怪我はない。気絶しているだけ。
『私の日々を壊した、罪を償いなさい!』
ふいに、アカの言葉が甦る。
口調は強かった。けど、込められた想い自体はあやふやだったような気が、ボクにはした。だってアカが本当にキズオトを恨んでいたとしたら、この言葉は真っ先に出されるはずだから。――彼女の本心は、まったく掴みづらい。
う、と声を出してアカが目覚めた。
全身を確かめながらアカは立ち上がる。
そこでボクの顔を、瞳を覗き込む。まるで、ボクの瞳を鏡にして自分の瞳を見るように。
「私……言いすぎたかしら………」
ぞんざいな言葉。けど、声には悔やみの気持ちがはっきりと表れていた。
「大丈夫だよ、アカ。今度会ったときはちゃんと話せばいいから。キズオトだってわかってくれる。だって、二人は家族なんだから」
ボクがこう答えると、アカははにかんだように笑った。そこには言葉はないけど、ボクは確かに‘ありがとう’の想いを受け取った。――これだけでいいと思う。誰もが素直である必要はない。それにアカにだって自覚はあるのだから、ボクが必要以上に口出しすることもない。
「私、疲れたわ。あとはあんたに任せさせてもらう。……それでいい?」
「うん。じゃあ、またあとでね」
アカを残して、ボクは駆けだした。
強い風の中、目指すのは一人で泣いている女の子。
いまさら言うことではありませんが、私は一話ごとの長さを一定限度以上にしないようにしています。
データサイズで言えば12kB くらい、文字数では六千をおおよその上限としています。
その理由は、長いと書きづらいし、読みづらいかなと思うからです。
しかし話が進む事にそれも難しくなってきました。リアルにもっと時間があればじっくり書いてもいいんですけどね。
というわけで、生煮えの文章ですが読んで下さると幸いです。




