5・2「護りたい場所」
戦場となってしまったキズオトの学校まで、ボクはサキをおんぶして走った。
走るときは重力を調整しながら、なるべく速度を上げていく。途中に森があったり川があったり、山を越えるので地形の変化もさまざまだったけど、大地が道案内してくれるのでそれはたいした問題ではなかった。それよりも、背中に負ったサキがボクの胸をつかんだり、猫耳に息を吹きかけたり毛を抜いたりするのには困った。――振り落としていこうかなと、何度本気で考えたことだろう。
とはいえ、出発してから三十分くらいで、ボクらは目的地の見える山の斜面まで来た。
なぜか、月は昇っていない。空は夜の黒ではなく、厚い雲の向こうから日の光が透けて、全体に白くなっていた。
学校はすっぽりと竜巻に覆われ、空と同じ白い風の壁で見えなくなっている。ここから先には簡単に進めなさそうだった。
「あれ……キズオトのかな、やっぱり」
ボクが言うと、背中から降りたサキが服を直しながら答える。
「まぁ、そうですわね。――しかし、記憶の不完全なあの子があんなに大きな力を使って大丈夫でしょうか? えぇ――よくないことが起きるはずですわ」
それを聞いて、行かなくちゃと心が急いた。けれど行く手をさえぎるのは竜巻だけじゃない。風の壁の前には、学校に入れないで手をこまねいている異形の集団がいる。日の光の下で見る異形の集団は、また気味が悪い。
「なかなか沢山いますわね。ここから見ている限り、壮観、と言うべき感じですわ」
サキは気楽に言う。でも、ボクの心はずしんと重かった。
「ねぇ、サキ。……あの中には、妖化している人もいるんだよね? ボク、人間を殺すのは嫌だよ」
異形とはどこからともなく生まれる怪物のことで、それらに命や心は無い。けれど、夢から現に来た人の中で異形みたいに人間の姿を失ってしまう人がいて、それを‘妖化’とボクらは言う。妖化している人は自我と人間の姿を失っているけど、命はあるし、心だって人の姿だって、方法さえあれば元に戻る。――だから、ボクは妖化している人とはできれば戦いたくなかった。
「相変わらずのお人好しですわ」
サキが言った。でも、そこには蔑むような皮肉な感じはなかった。
「いいでしょう。今回はチヨに合わせてあげることにしますわ。――もっとも、あなたは異形と妖化した人の区別がつかないでしょうから、私に任せてもらうことになりますけど」
「うん……信じてるよ、サキ」
ボクらは山肌を蹴り、敵の中に突撃を開始した。
*
「killing star ! 」
やや上方に銃口を向け、サキがトリガーを引く。
一回、二回、三回、四回。毒々しい緑の光の塊が次々と銃口から吐き出され、それらは各々小さな弾丸に分かれて敵へ飛ぶ。銃弾の描く軌道は曲線。その無数の曲線一つ一つが、異形の頭を貫通して消滅させる。
ひとしきりサキの攻撃が行われると、目の前の軍勢は少しまばらになっていた。残ったのは妖化している人、のはず。彼らは攻撃が止んだのを知るや、気味の悪い声をあげてこちらに向かってきた。
「サキ! 乗って!」
ボクはサキを急いで背中に乗せる。
立ち上がると、地面を靴の裏で擦り大地に呼びかけた。
「ボクの足踏みに合わせて、踊って、大地。そして、前に振り上げる足に力を込めて、ボクの前に立ちふさがる全てのものを吹き飛ばして!」
言い終えたとき、敵との距離は十メートルを切っていた。だけど、ボクはあわてず、息を深く吸い込みながら右足を持ち上げ、その場に落とした。
「――えい!」
ドン、と地を踏む音が跳ね、そして大地が跳ねた。
敵の足取りが乱れる。あるものは躓き、あるものはその場でひっくり返った。そうして、バラバラと敵の隊伍が乱れた。
次に、ボクは地面を蹴り上げる。表面の土を抉り、蹴り飛ばすように。
それで飛んでいくのは少しの砂と、重力の塊。目の前にいる敵が、見えない力にぶつかって木っ端のように吹っ飛んだ。
道が開く。
「いっくよ――!」
ダン、と右足による初歩の踏み込み。地が跳ねる。
二歩目の為に左足を振り上げ、土を踏む。眼前の敵が飛び、また地が跳ねる。
繰り返す。足を交互に前に出し、身体を支えながら進むのは歩みという動作。速めれば走りとなる。ボクは大地を踏み、震わせ、敵を蹴散らしながら走る。
風の壁までだいたい四百メートル。こっちの速さが秒速十メートルくらいだから、四十秒走り続けられたらボクの勝ちだ。
だけど敵は幾千といる。その形状は色々だ。
八十メートルくらい走ったところで、地震に対処できる身体を持った人が追いすがってきた。
まずは翼のある人。竜巻の影響で飛びにくそうだけど、とりわけ頑丈そうなのが十五人くらい、ボクの後ろについた。
「サキ、お願い!」
「……人使いが荒いですわね」
ボクにしがみついたまま、サキは後ろを向く。両手は放せないので銃は使えない。額の紫苑の瞳で敵を捕らえ、彼は言う。
「ネガイ、力を貸してください。――blade shade 」
飛ぶ人の影から黒い刃が飛び出した。影の刃は、あるじの翼を下から切り裂く。
甲高い叫び、絹を裂くような絶叫が次々と聞こえはじめる。
が、敵はそれだけじゃない。今度は地面を走って追跡してくる人がいる。手足四本に加え、二本の足を脇腹から生やして地面を走る人。おぞましい姿、狂ったように笑う顔に、人間らしさは微塵もない。
そして六本足は速かった。ボクの前に回れば蹴散らされるけど、左右と後ろには何の攻撃もないので、特に斜め後の辺りからしつこく突進攻撃を仕掛けてくる。
ボクはそれをジグザクに走って必死に避ける。そして、
「――えい!」
跳んだ。
一際大きく大地を蹴ったことに合わせ、地面が大きく揺れた。さしもの六本足もひっくり返り、さらにボクの着地の衝撃で何人かが跳ね散らされた。
そうですわ、と背中のサキが何やら弾んだ声で言った。
おさまらない敵の進撃をかわしつつ、ボクは何事かと彼に尋ねる。
「良いことを思いつきましたわ。……チヨ、三つ声に出して数えて、それから思いっきり跳んでください。なるべく身体はまっすぐにして、前のめりに」
何か嫌な予感がした。けどボクが何か言う前に、サキは「三」と言ったのでボクもカウントダウンをはじめてしまった。
「、二、一、ジャンプ!」
「brilliant jet!」
地を離れた直後、未知の推進力が足の下に生まれたのを感じた。
視線を軽く下にやると、そこに目も眩む光があった。光はボクの身体を上に押し上げている。――これは跳躍ではなく、飛翔。
「な、なになに!?」
「チヨ! 落ち着きなさい。ちゃんと姿勢が保てれば、ここまま百メートルくらい稼げますわよ」
そんなこと言われても……
「ボク、飛ぶのは苦手……って、何か背の高いのがいる――!」
手を伸ばしてくる。
反射的に身を捻ってしまい、バランスを崩した。ボクらは右前に、敵の固まっている真っ直中に墜落した。
不時着の瞬間、ボクは何も言わなかったけど、地面がまた大きく跳ねて敵を遠ざけてくれた。けれど、敵はすぐさま寄ってくる。
「来るな!!」
大地のエネルギーを爆発させ、敵を吹っ飛ばす。でも命を奪わないように力を抑えているから、向こうの復活も早い。その上、次から次へとこの場に敵が殺到しているからきりがない。
「――サキ、手伝って…………サキ?」
彼は不時着の衝撃から立ち直れず、座り込んだままぼうっとしていた。
絶体絶命だった。ボク一人なら力尽くで逃げられそうなものだけど、サキがいてはどうしようもない。
とにかく地震を起こして敵を近づけなくする。だけど、手前の敵を飛ばしても、すぐ後ろの敵がやってくる。ボクはただ、敵の群れをかき混ぜているだけだった。
知らず識らず、ボクは叫びだしていた。何も考えれず、危機的な状況に心だけでも抗うように、空しく叫び続けていた。
*
「――炎よ!」
*
赫い風が吹き抜けた。
視界が一度遮られ、晴れたときには眼前に迫っていた敵がすべて消えていた。……遠くで、何かが叩き付けられる衝撃が、僅かに伝わってきた。
「これ……、何が……?」
世界は一変していた。
まず、厚い雲に覆い隠されていた太陽が顔を出していた。そして、周囲の地面が一定方向に――ちょうど太陽のある方向から――抉り飛ばされていた。それはよほど大きな力だったに違いない。けど、ボクはそんな力を一切感じなかった。
何故だろうと思い呆然と後ろを顧みると、サキが座ったまま自分の影に手をついていた。ボクが見ている間に、彼は悠然と立ち上がり太陽を仰ぎ見た。
「――やっと来ましたわね。遅いですわよ、アカ」
サキはいない人の名を呼んで話しかける。――いや、そこには確かにアカがいた。太陽を背にして、金色の炎をまとい彼女は飛んでいた。
珊瑚色の目でボクらを見下ろすアカ。その雰囲気は不思議と落ち着いている。この前会ったときとは、全然違う。
「ふん……。先視して私がいつ来るか知っていたあんたが、‘やっと’なんて言うんじゃないわよ、サキ。おまけに、結界張って私の攻撃を無力化したでしょ」
口調もまた平静だった。
たん、と軽く音を立て、少し離れた場所にアカが舞い降りる。ややおくれて、彼女の背後に二つの影も現れた。糸鶴と鷲累だ。
「そっか……。ここら辺が夜になってなかったのは、アカが来てたからなんだね。ありがとう、アカ、助けてくれて。――でも、ここにいた人達、みんな殺しちゃったんだね……」
ボクの言葉にアカは答えない。彼女は足音も静かにこちらに歩み寄り、
「――馬鹿じゃないの?」
ボクの左頬を叩いた。
「別にあんたを助けに来たわけじゃない。私は〈漆黒の守護者〉として、ここにいる連中を焼いてまわってるだけ。――それを何? あんたは異形どもに囲まれてただ喚いていて。一体何しに来たのよ? 私が来なかったら、あんた、今頃土に還ってたんじゃないの?」
怒声ではない、けどボクの心に重く響く声と言葉。
「中途半端な優しさじゃ、ツミには勝てない。――失せなさい、この戦場から」
それだけ言って、アカはボクに背を向ける。
彼女の言うこと、はじめからわかっていた。ボクの戦う相手は、みんな手加減なしで力を振るう。ボクが手加減して敵うはずもない。でも――
「――ボクはここで戦いたいんだ。力が足りなくても、覚悟が足りなくても、ボクは戦いたいんだ……戦わなくちゃいけないんだ!」
振り向きざまに、アカはまた右手を振るう。
けど、今度はその手を受け止めた。
腕を掴んだまま、ボクはアカと向き合う。睨み合う。互いの想いを見せつけ合うみたいに。
「そうやって、あんたはサキの身まで危うくしたのよ? その言い訳はしてくれるのかしら?」
「言い訳はしないよ。でも、次からはもっとちゃんとしてみせる!」
「――甘ったれるんじゃないわよ!」
アカの膝がお腹にめり込んだ。
痛みと衝撃で身体を屈しそうになる。でもこらえて、一層強い力を込めてぐっとアカを睨み付けた。
「――今の手加減されてましたわよね、糸鶴さん?」
サキが言った。
「そのとおりじゃな、サキ。実を言うと、ここまでも 『妖化性の異形は殺さないで。一人殺したら、あんたの指を一本焼く』 とあやつが言うもんじゃから、ここに来るまで異形以外は殺さないようにしてきたんじゃ。だから時間が掛かったんじゃ。――のう、鷲累?」
糸鶴が言った。
「まったくだ。今日のあいつは変だ。しかし、最近のあいつはますますおっかなくなったからな。逆らうとマジで火葬にされる」
鷲累も言った。
ボクの目も前で、アカの顔がみるみる朱に染まっていった。鮮やかなものだった。
「う、うるさいわよっ! 外野は黙ってなさい!」
そう大声で言いながら、アカはパンとボクにつかまれていた腕を振りほどいた。朱くなった顔を隠すようにそっぽを向き、腕組みして言った。
「ここに来てやったのはね、あの竜巻を突破するのにあんたの力を使うのが一番らくだと思ったからなのよ! 別に、あんたのためとかじゃないわけ。それに、あんたがその調子だったら、頼まれたって願い下げだっていうこと!」
炎の属性のアカは、風とは相性が悪い。ボクの、‘揺ぎない’という大地の属性なら、あの竜巻もある程度楽に越えられる。
けど、アカの本当の属性は‘太陽’だ。本当なら竜巻だってなんでもないはずだ。それでも来てくれたのは、アカの――優しさ、なのかなぁと思う。
「うん――アカ、ボクに力を貸させて。一緒に、キズオトに会いに行こう」
「……足引っ張るんじゃないわよ」
周りを見ると、削られていた軍勢が数を取り戻し、こちらに波となって迫っていた。もうおしゃべりしている時間は無い。
アカが言う。
「じゃあ、そういう事で私は行くから。あとは逃げるなり戦うなり好きにしなさい。――妖化性異形は……できれば殺さないで」
「わかった、と言いたいところじゃが……わかっていると思うが妾と鷲累には、お主のような魔物を見分ける‘火眼金睛’の瞳は無いのじゃぞ。お主の頼みは聞けそうに無い」
糸鶴が苦々しく言った。どうやら糸鶴はアカに好意的なんだなぁ、とボクは思う。もちろん、その方がボクもうれしいけど。
そこで、サキが答えた。彼は銃を構え意気揚々としている。
「なら、およばずながら私が。アカの眼ほどではありませんが、ある程度は見分けられるので。――ここは共闘ということで、よろしいですわねお二方?」
「――いいだろう」
糸鶴と鷲累とならんだサキに、ボクは声かける。すると、彼はうれしそうに笑って言う。
「あなたの願いをかなえるために、私はここに残ります。ですから、あなたもがんばりなさいまし」
「……うん。行って来るよ、サキ」
――サキと離れることに鋭く胸が痛んだ。どうして?
しかし今はその疑問を黙殺する。ボクはすでに戦場を選んでいるから。キズオトが守りたいものを守るという戦場を、ボクは選んでいるから。
「――行くよ!」
ずっと言い忘れていたことを。
アカのコードネーム、‘紅烏’の由来。彼女のシンボルカラーのあか(紅)に、太陽の鳥であるカラスを組み合わせた名です。あんまり‘コオウ’という音は良くないですね。
‘火眼金睛’は中国の伝奇によく出てくる、妖怪を見抜く特殊能力です。『西遊記』とかにあったはずです。アカの瞳は普段は珊瑚色ですが、この術が発動すると金色になる設定です。
ところで、皆さん『天使な小生意気』という漫画・アニメを御存知ですか? 私は子供の頃にちょっとだけ見たぐらいです。全然記憶になかったはずなのですが……
やられました。‘天使’の姓を持つ者がすでにいようとは。
無意識だったんです。本当に、パロディとかということはないんです。




