開幕
真っ黒なビロードの上に、金剛石の欠片が散りばめられている。それらの中心には、丸い銀の鏡が一つ。音のない、比類なき光を放つそれは、
――僕の月。
自己紹介を――否、『そなたら愚民に我という存在を教えよう』、と言うべきだろうか。
僕の名前はツミ。月の神、夢の王、現に仇為す侵略者、暴虐にして冷淡な夜闇君主。それらが、僕に与えられた称号。
そう、僕という存在は今、数多の夢を指先だけで操り、無知な人々が住む現を侵略するものとなったのだ。そして僕の為したことによって、現は、今やどこであろうと等しく妖化した人間や異形によって戦火が絶えない大地となった。
現への侵攻は、さながら星を落とすこと、種を蒔くことに似ている。小さな世界・夢を現に降ろすのだ。現に降ろされた夢は、その神秘な性質を周囲にひろげ現を夢化させる。そうして、現は侵略される――世界は一つになるのだ。
宇宙は僕の思うがままの姿になる。だけれども――否、だからこそか――僕はもはや物語の主役ではない。僕は悪なる敵役であり、惨めな裏方でしかない。
*
街に火の手が上がる。炎は、僕がもたらせた夜の闇を照らし出す強い光を放つ。そして、あれに呑み込まれて無力な人々が幾人も死んでいく。
火は赫い。流される人の血、焼かれて爛れる人の肉も赤い。
そういえば、かつて僕がツミという‘人間’だった頃、僕は一人の女性の所有物となっていた。
燃えさかる火炎の色、‘アカ’が彼女の名前だった。
別れる日の少し前に、彼女から愛の告白を聞いた。
僕は彼女を愛していなかった。好きだったが――人として生きている間に会ったすべての人間より好きだったが――愛してはいなかった。
アカは、とても心の強い、気丈な女性だった。紅珊瑚色の瞳にまっすぐな光を宿している。しかし、その心の芯には脆さを隠していた。初めて出会ったときなどは、自らの火炎に恐怖を抱いてさえいた。
そういったところが、僕は好きだった、気に入っていた。決して成熟した精神など持っていない、青い彼女が僕は好きだった。
断っておくが、僕はアカを蔑んで憐れんでいたわけではない。
そしてここで思う。彼女は僕のどこが好きだったのだろうかと。
普通の恋人同士なら、二人でそんなことを語り合うのだろう。だが、僕らにその様な会話はなかった。アカは恥じらって話そうとしなかったし、僕は彼女が側にいてくれるだけで不足はなかったから敢えて聞こうとも思わなかった。
しかし、最終的に僕はアカを好いてはいたが愛することはなかった。そして、僕の心がそこから動くことはもう無い。なぜなら、僕は神となり人としては死んだからだ。
かつての人間二十年、僕が唯一愛した存在は一匹の猫だった。彼女の名前、僕がつけた名前は‘チヨ’という。
人として生まれて十四年目の頃、僕は母を失った。朧げな悲壮感と大きな喪失感から立ち直るまでの間、心を閉ざしていた僕とチヨは共にいてくれた。彼女が傍にいれば、僕の心は自然と安らいだ。離れていても、彼女のことを思うだけで不思議と胸が温かくなった。
夢にいた頃、僕は彼女の名前を忘れていた。思い出せないでいた。だからこそ、僕はアカを――いや、止めておこう。これを言うのは卑怯というものだ。
そして今、どういう運命の巡りか、チヨは人間の姿を得、僕の住んでいた夢を訪れたあと僕を追って現に戻ってきた。
飼い猫に僕は追われ、またかつての恋人のアカも僕を追っている。
この他にも僕を追う縁のある二人がいる。未来視をする盲目の女性――今は男性になった――サキという人間と、いかなる契約に因るのかは謎だがサキに仕える黒い女性ネガイ。
この四人こそが、これからはじまる物語の主役だ。
*
「おつとめ御苦労さまでした、月の御方」
「ごくろうさま、我が主様」
現にも僅かながら非科学の事象に通じ、夢の侵攻に気付いて抗してくる勢力がある。
今もそうした一群を殺戮したところだ。僕自身と比較すれば赤子のような者達を、〈天乃常立〉の一振りで蹴散らした。僕の周りは、半径四百メートルが円状に真っ平らになっている。
「降着の準備を」
「「わかりました」」
僕の共をしている二人の女性。二人は鏡に映ったように同じ姿をしている。背丈は僕より少し高く、起伏は控えめ。滄い髪は短めで、ややたれた眼の虹彩は藍色。面長だが、各部品の調和は取れている整った顔。
二人は水と氷を使う。黒い大地の上に、銀色の水が‘降着’――夢を現に降ろす儀式――のための法陣を描き、紅い氷が必要な神秘霊力を蓄え始める。
準備が終わると、頭上に大きな‘星’が出現する。現に顕在化した極彩色の光を放つ夢が、ゆっくりと僕の立つ場所に降りてくる。こうして夢が一つ降りれば、現の混迷はまた一つ色濃いものとなり多くの命が奪われる。
――僕の大罪。
「来ると良い、我が民よ。地上を追われし悪夢の一欠よ。我が汝らの罪を背負う、故に、汝ら躊躇うことなく現へ帰り来るが良い」
しかし、僕は王だ。民の為に罪を背負うのは当然。そして、世界を変えようと思ったのは他ならぬ僕自身なのだから。
――声が、聞こえた。
「また夢が現に混ざった……! ツミ、いつまでもあんたの思い通りにはさせない」
憎悪の炎の向こうから、アカの声。
「相変わらず、躊躇うことの少ないお方ですわね。すべてが終わるまでには辿り着きませんと」
惑わしの閃光の中から、サキの声。
「ご主人様、どこにいるの? ボクは、どこにいるの?」
地上の迷宮から、チヨの声。
**
さて、皆さんにはここでお暇申しあげることにしましょう。今後、僕が物語ることはない。ここからは、彼女たちが物語っていくことでしょう。
さようなら、皆さん。そして――――
開幕の刻です。
こんにちは、白亜迩舞です。
いよいよはじまりました、『your earth』。基本的に、前作でできなかったことを詰め込みつつ前に進んでいこうというのが目的です。
前作を呼んでいない方。あらすじを読んで解らなかったら読んで下さい。前作は生温く十五禁だったりします。
今回はそう言ったシーンも断ち切って、戦闘場面を多くしていこうと思っています。早速、次回から戦闘を入れるつもりです。……とは言っても、大して格好いい物になるとも思えませんが。
未熟者ですが、最後までお付き合い下されば光栄です。




