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your earth  作者: 白亜迩舞
19/37

5・1「月に宛てられた手紙」

 ***


 拝啓、月の神様

 残暑厳しい候となりました。私の住んでいる町は毎日暑く、すっかり参ってしまいます。月の神様の国はいつも夜に包まれているそうですね。きっと涼しいのだろうなぁと、羨ましく思う今日この頃です。

 今日は私の話を、身の上話? みたいのを聞いて欲しくてお手紙しました。くだらないことです。きっとお忙しいでしょうから、読みたくなかったらここで手紙は捨てて下さい。

 さようなら。



 ***


 その手紙は、一枚目の便せんにそこまで書かれ途切れていた。


 差出人の名前は‘相川あいかわ千風ちかぜ’。かつて、キズオトと名乗っていた女の子だ。


 今、ボクらは目的地であるキズオトの学校から、峠一つ隔てた村の小さな民宿にいる。時間は朝の九時くらい。昇った太陽が南東の空から、朝だけにあるキラキラした輝きを放っている。

「チヨ、お茶をいただいて来ましたわ。お飲みなさい」

 部屋の襖障子を開けて、サキがお盆に湯飲みと急須を乗せて入ってきた。ボクはもう普段着に着替えたのに、彼はまだ寝間着である浴衣をだぼっと着ている。でも、そのだらしない感じは彼にあっていた。

 どうぞ、と正座したサキがお茶を入れて勧めてくれた。ボクは手紙をちゃぶ台に置き、湯飲みに口を付けた。

「あ、おいしい。おいしいね、サキ」

「えぇ、新茶だとおっしゃってましたわ」

 サキもお茶を啜る。そして、ボクが置いたキズオトの手紙を取り上げた。

「あら……可愛らしい字。あの子、毛筆ではそれは酷い字を書いていたものですが、上達したのですね」

 半ば感嘆しつつ、サキはキズオトの文面を見る。

 手紙は端に蔦の模様が描かれた、萌黄の和紙のかわいい便せんに書かれていた。そしてサキの言うとおり、その上に書かれたキズオトの字はもっとかわいかった。

 ボクらはこの手紙を、ここに来るまでの山道で拾った。まるで隠されるように、道から外れた藪の中に、瓶に詰めて埋められていた手紙。ボクが大地と繋がりのある者ではなかったら、きっと見つけられなかっただろう。

「――? 何でサキは昔のキズオトの字を知ってるの」

 サキはつい最近になるまで目が見えなかったはずなのに。

「それはですね、私がネガイのmemoryの一部を引き継いでいるからですわ」

 三つの瞳を同時に瞬かせ、サキはこともなげに答えた。

 そこでサキが手紙を差し出してきたので、ボクは湯飲みを置いて手紙の続きを読むことにした。

 二枚目の便せん。そこから何枚にもわたってびっしりと書き込まれた文面を、ボクは声に出して読み始めた。



 ***


 ありがとう。

 ここを読んでいるということは、二枚目にも目を通してくれているということですね。


 ――まず、私の学校の話をします。


 私の通っている学校、県立諏訪高校は、全校生徒三百人くらいのあまり大きくない学校です。学校自体は広くてピカピカしていて、後ろには大山山系の立派な山並みがたたずんでいます。学校の生徒はいつでも山に入って、木々や草花、動物や昆虫たち、そして澄み切った風や水と好きなだけ触れあうことができるのです。

 学校の雰囲気はのんびりしていて、けれど活気もあります。まるでじっと風を待つ川辺の葦のように、みんな生き生きとしています。

 私は学校にいるすべての人が好きです。でも、その中でも特別に好きな友達を四人紹介します。


 一人目は詩之崎しのざき三都みやと。三都と私は呼んでいます。とっても勉強ができて、スポーツも上手で、その上ピアノやチェロまでできちゃうすごい男の子です。お金持ちの家のせいかちょっと偉そうですが、勉強の解らないところとか聞くと親切に教えてくれます。

 三都には、七音なおっていうかわいい妹もいるんです。


 二人目は勘解由小路かでのこうじ津辻つつじ。三都につづき、津辻の家も立派です。剣道の道場で、彼女も剣道の師範代をやっているそうです。加えて、彼女は茶道もやっています。勉強もスポーツももちろん完璧です。なんていうか、女として憧れちゃうような、そんな友達です。


 三人目は天使あまつか水月みつき。ちょっと変わった名前の女の子、でもとっても良い子なんです。料理とか、お裁縫とか、ほかにも何でもできちゃって、学校の成績も抜群。もはや神の傑作と言うべきこのスーパーガールは、三都の勧めで、後に紹介する友達の家でメイドさんをやっています。水月のメイドさん姿はすっごくかわいいですよ。


 そう……私の友達の内、四人中三人は何だか学校中でも尊敬されてしまう非凡な人です。そんな有名人がどうして私の友達かというと、それは私の一番の友達のおかげなんです。


 平島ひらしまとおるは私の幼なじみみたいな男の子です。透とは、小学校ではじめて同じクラスになったときから、ずっと同じ学校、同じクラスです。透は前の三人に比べてしまえば学校の成績も良いわけではないけど、とても友達想いで、また友達からも好かれる男の子なんです。どれだけ友達想いかって言うと、お父さんとお母さんが遠くへ行ってしまっても、友達の為に一人家に残ることを決めちゃったくらいです。

 透は本当にみんなから好かれる不思議な魅力を持っています。別にムードーメーカーというわけでも、何か特別なことをしているわけではない。透は平凡な男の子、でも誰からも好かれます。三都も、津辻も、水月も、私も、そんな透に惹かれて一緒にいます。




 次に、私自身の話をしようと思います。


 私の名前、相川あいかわ千風ちかぜと言います。でも何故自分がこんな名前なのか、私にはわかりません。

 何故なら、私には両親の記憶がないから。私には十歳より前の記憶がないのです。

 ふと気が付くと、私は孤児院にいました。そこから、今の私の記憶ははじまっています。記憶のはじまりはぼんやりとしたもの、まるで水の中にあったものが少しずつ顔を出すような感じで、私を驚かせません。でも記憶がない事への不安がないわけではありません。

 身の回りの人は、私の九歳より前のことも知っています。だから、私が記憶を持っていないのはみんなにとってはありえないことなのです。だから、私は記憶を失くしていることを隠しています。


 私は誰なんでしょう?


 こうして私は、自分のことも、周りの人のこともわからなくなって、どうしようもなくなってしまうときがあります。

 けれど、そんな時でも私はある存在だけは心の底から感じることができるのです。

 それは風。

 私は昔から、風というものをすごく身近に感じています。風は私の心を不思議と慰めてくれ、私が想うと流れを変えて一緒に遊んでくれたりもします。風は私の家族のような気がします。――風は世界中にあるものですから、世界中に私の家族がいる、そんなふうに風は私を力づけてくれます。


 しかし、時々(ゆめ)に見ます。血はつながっていないのに、互いを‘家族’と近しく認め合う五人の人たちと、私が暮らしている夢を。夢の中で私は十歳に満たない小さな女の子で、和風な家に住んで和風な装いをしているのです。

 夢の家族の話をします。

 その家族には、まずお母さんのような姉のような、そんな年上の女の人が二人います。名前はわかりません。夢の中の事なので細かくは表現できませんが、一人は色で言えば黒く、とても物静かです。もう一人は青く、とても優しい人。けど、その人は心の奥に氷のように冷たいものを押し隠している、そんな水のような二面性を持つ人です。

 さらに、確実に姉と呼べる女の子が二人います。とはいっても、私はその二人の事は姉と呼んでいるわけではありませんが。

 一人は色で言えば白い人。白い人はとても私を可愛がってくれます。けど、その人の優しさは上辺だけのもので、その人の心は雪のように無感動な気が私にはするのです。

 もう一人の赫い人は、白い人と対照的に本当に直情的な人で、すぐに怒ったり泣いたりします。私に限らずみんなのことを、時に好いたり、時に嫌ったり、でも心の中では好いている、そんな炎みたいに揺らめくアンバランスな心を持っている人です。

 そして、最後の人は家族の中で唯一の男の子、私はその人のことを兄と慕っています。彼はいつでも誰に対しても誠実で、優しく穏やかな心を持った人。そして……その………すごくセクシーなんです。夢の中で私は小さな女の子なのに、彼に対しすごくドキドキしてしまうのです。私は、その人に恋をしているのです。でも、彼の思いはたった一人だけに向けられているのです。


 私は思います。夢の中にいる私の兄、それは月の神様、あなたではないのかと。あなたに会ったことも、顔を見たこともないのにそう思うのです。



 ***


 手紙はここで一区切りされていた。残る便せんは一枚。


「ネガイはキズオトちゃんをうつつに送るとき、彼女が願ってはいないことでしたが、彼女の記憶を封印しました。つまり、私達と暮らした長い間の思い出を。彼女はすべての記憶を背負った上で、只人として生きていく覚悟をしていましたが、ネガイの温情がそれを止めさせたのです」


 音読を中断すると、急に喉の渇きを覚えた。お茶を飲もうと思ったけど、もう急須に入れるお湯さえなかった。最後の一杯はサキが悠々と飲んでいた。

 ボクは固い唾を飲み下し、渇きを我慢して尋ねた。

「キズオトは……それで少しは幸せになったのかな?」

 さぁ、とサキ。また一口お茶を飲み、言う。

「今の生活を彼女がどう思っているか、それは手紙の残された箇所に記されてるはずですわ。――だから、続きを読んでくださいまし」

 ことん、と音を立てて、サキはボクの目の前に湯飲みを置いた。まだ半分くらいお茶が残されている。

 彼が笑う。飲んで良い、ということだろう。ボクはありがたく一気飲みした。

「――間接キスですわ」



 ***


 すっかり、お伝えしたかったことと話がずれてしまいました。

 ですが、月の神様にはおわかりいただけたでしょうか? 私がどれだけ友達を、平和な今の毎日を大切に思っているかが。

 夢の家族のことも気にはなります。でも、あれが本当に私の過去だとしても、私はあの生活を欲することはしません。なぜなら、あの生活がなくなってしまったのは、何か重大な出来事があったせいで、しかし私は誰かの思いやりでその出来事を忘れさせられている……そんな気がするからです。

 私はあの生活に戻ることを望まれていない。また同時に、私も戻ることを望んでいません。付け加えて言うなら、私は月の神様に会いたいということも全くありません。たとえ月の神様が、私の恋した‘お兄ちゃん’であったとしても。

 なので、お願いします。私達のところには来ないでください。世界がどうなってしまったとしても、私は今の日常を失くしたくないんです。


 私は他のみんなには無い力を持っています。そして、みんなはそのことを知りません。ですが、隠し事をしている私は、力を持つ私は、この平和の中にいてはいけないのでしょうか?

 私はそうは思いません。独りよがりかもしれないけど、私は次に言うことを守っていればみんなといて良い気がするんです。

 それは、力を使わないこと。一切の目的の為にも力を使わなければ、私はみんなと変わらないと思うんです。――間違っていますか?

 私はここにいることを望みました。‘千風’という私は、他の誰でもない、私の親しい人達と共に在る風であろうと決めました。

 来ないでください。月の神様が来れば、私は全力を持ってみんなを守ります。でなければ、あなたはみんなを傷つけてしまうだろうから。

 でも、守る為にはこの風の力を使わなければいけない。そして、力を使えば、私はみんなともう一緒にはいられない。

 だから、どうかお願いします。来ないでください。私を、友達を一緒にいさせてください。


 さようなら。

                 相川・千風.



 ***


 それで全てだった。キズオトは手紙の末尾を、‘敬具’の言葉を抜かして、震えるくらいの思いを込めて締めくくっていた。

「風とは万物を結ぶ絆。――あの子は、とても情の篤い子になったのですね」

「きっと、サキ達と一緒に住んでいたときからそうだったんだよ。でも、キズオトはそれを口には出さなかった。出す必要もなかった。……あの頃は、そんな毎日が無くなるだなんて、きっと思いもしなくて良いくらい幸せだったんだよ」

 戦争と隣り合わせの毎日。でも、彼女にとっては最高の日々だったんだろう。

 だけど、彼女にとっての終わりは唐突に来てしまった。もしかしたらその時、彼女はその終わりを理解できなかったのかもしれない。終わりを受け入れはしたけれど、理解はしていなかったんじゃないだろうか。そして……


「怖いんだろうね、この上なく。――終わってしまうことが」


「記憶は無くとも、想いはあるのかもしれません。そしてあの時の無理解は、根拠の無い恐れとして彼女の中に刻み込まれているのかもしれません。――だとしたら、今の彼女は傷を負った獣と大差ありませんわよ」


 キズを負った、風音かざオトの中にいる獣――キズオト。それが、彼女の名の意味なのだろうか?

 だとしたら悲しすぎる。彼女は必死に、牙も爪も、そして傷さえも隠そうとしているのに、戦いが彼女を暴こうとしている。

 キズオトは手紙を書いても、それを風に託すことをしなかった。もうすでに抉られ始めた彼女の傷が、彼女の心を失望で覆ってしまったのだろうか。



 外に出て地面の上に立つと、大地が世界中の情報をボクに伝えてくれる。

 ……もう、戦いは始まっていた。彼女が恐れ、拒んだ戦いが。

「早かったですわね――私の先視のとおりでしたが。……ひどい通信内容。現の守り手達は混乱しきっていますわね」

 電磁波も扱えるサキは、無線を傍受しながら独り言するみたいに言った。

 遠望した遠くの景色。夜が侵す戦場は、遠くからは黒いカーテンに覆われているように見える。


「間に合うよね……? キズオトの大切にしている日々、ボクらが守れるよね?」


 ボクの問いに、サキは薄く笑った。

「それはあなた次第ですわ、チヨ。彼女はもう自分の後先を決めてしまっている。だとすれば、あなたが彼女を説得して彼女の決意を変えるだけですわ」

 自分は関わらない、彼の態度は言下にそう物語っていた。

 ――試されているんだ。

 サキはボクの価値を推し量っているのだろう。この先、ボクと彼、どちらがツミと戦う上で前に立つべきだろうかと。

 ボクは、声に迷いを込めず言った。


「ボクは、キズオトは友達と一緒にいるべきだと思う。キズオトはもう生臭い戦いなんかに関わっちゃいけないんだ。だから、ボクは彼女のところへ行って、代わりに戦いたい。――そのために、力を貸して、サキ」


「――上等」

 言葉は少なく、サキは満足げに笑みだけを浮かべた。そして黒い銃を手に取り、山の向こうを指し示した。

 戦場はすぐそこだった。


拝啓〜と書くと『京四郎と永遠の空』を思い出します。


‘諏訪’の名は‘諏訪神社’からもらいました。諏訪神社は建御名方神 (タケミナカタノカミ)を奉る神社で、その建御名方神は風の神であるらしいのでこの名前です。

今回の手紙。キズオトが漠然とながらまぼろしの家族を描写するところは要チェックです。いずれ何かに使えないかな、と思ってます。


次はやっと戦闘が入ります。

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