4・3「揺らめく世界」
公式には、各国政府は‘月の王国’――ツミとその配下〈月の子〉の一派を総称してこういう――による侵略などない物としている。そのための情報操作も万全を期されている。が、先にも述べたとおり、ここ一月でツミはその攻勢を一気に激化させ、もはや誰の目にも、誰かが世界を変えようとしているのは明らかだった。
だがいくら一般人が騒ごうとも、〈漆黒の守護者〉の活動は隠密が基本。夜の闇に紛れ現に徒なす〈月の子〉達を、さらなる黒い深淵に葬る。それが守護者の在り方。
――そのはずだった。
私達が今回招集されたのは、月の王国の侵略によって荒廃した街でも、夢の降着によって占領された土地でもなく、ごく平和そうに活気づく夜の街だった。天上に昇る月が蒼くなかったら、私達は何の為にここに来たのか想像もできなかっただろう。
今、ビルの上に私達は待機している。夏の熱帯夜の風が運ぶにおいは、排ガスや、腐った食べ物や、はたまた芳しい化学香料のもの。見下ろす往来の人々は小さく、喧噪の音だけが大きく聞こえる。
「この服……暑いな」
鷲累がぼやき、糸鶴がそれに肯いた。気温は二十五度だった。
「私は平気だけどね」
「さすがは炎の女だな」
おもしろくなかったので拳を飛ばした。
「――で、どういうことなの、姫鴇? もしかして、これ全部が抹殺対象ってわけ?」
私達三人の他に、この場にいるもう一人の人間に尋ねる。名を四村・姫鴇というこの若い男は、私達担当の伝令係兼情報収集係で、守護者ではなかった。
小柄な彼は、生真面目に背筋を伸ばして私達に告げる。
「その御質問には、場合によってはその様になる可能性があると答えます。
今回の任務とは、サジタリウスと名乗る月の子の排除。
目標の言動とは、その月の子はこの街の人々を扇動し、しかしその言動に実はなく、ただ我々を挑発するものだろうということ。
任務の備考とは、月神の思想に染まった者は、もはや現の民として不相応ということなので抹殺の必要性があるということです」
「封鎖はできないのか、姫鴇? いくら月神の思想に感化されたとはいえ、問答無用に殺すのは乱暴だと私は思うぞ」
鷲累が仕事用の固い口調で姫鴇に言った。――彼がくだけた口調になるのは、私と糸鶴に話しかけるときのみだ。
「〈漆黒部隊〉の行動の結果とは、封鎖も妨害も敵の攻撃によって敵わなかったということ。
ターゲット、サジタリウスとは、〈月の子〉の中でも黄道十二宮の名を持つハイレベルな敵です」
はぁ、と愁いを含ませて糸鶴が溜息した。
「では、その者の下に殴り込んで、その場の人々を全滅させるということじゃな」
「任務の備考其の弐とは、その場の者の抹殺の判断は担当者にまかせるというものです」
「――上はかなり混乱していると見た」
私も糸鶴と同意見だった。
ともあれ、私達は任務の為に目標のいる場所を確認する。どうやらそのサジタリウスという月の子は、近くのデパートを占領しそこで大々的に講演をやっているようだ。
デパートには念のため隠形の符を使って入った。
サジタリウスは吹き抜けの三階にいた。吹き抜けは十階まで貫く大きなもの。白い壁に、茶金石のような壁がハイカラなダンスホールのようで美麗だ。
私達は四階部に立ってその月の子を観察することにした。
〈月の子〉は例によって銀のマントを纏いフードをかぶっているので、性別を判断することができない。背丈は、中肉中背といった感じだが。
「人が多いな……。いったい何人いるんだ?」
「ざっと七千人じゃな。まだまだ来るぞ」
人の入りは絶え間ない。それでいて、人が転んだりぶつかったりして混乱が起きる様子はない。統率されているのだ、月の魔力に。
「あやつらは、己の意志で月の思想を受け入れようとしているわけではないのじゃな。……あやつらを皆殺しにするのは、全くの無意味じゃ」
「そうだな。だが、あの月の子を殺しても影響が消えるかどうかわからんぞ」
三人が、それぞれ思案に耽りはじめた。
と、卒然に電気の照明が消えた。そして、電灯に劣らないくらいの明るさをもって蒼白い月光が降りてきた。
サジタリウスが話をはじめる。
「ようこそ皆さん。今日この場にいる人々に、月神の祝福のあらんことを!」
女の声だった。割と柔らかい感じ。
続く歓声。だがすぐ止む。不自然だ。
「そう……よろしいです。月の王国とは静寂の国。むやみに大声を上げて喜びを表すことは、もう忘れ去られるべき習慣なのです」
また短い歓声。
そしてサジタリウスは話す。月の王国がどんなに素晴らしいものか、月神ツミがどれだけ慈悲深い神であるか。実のない言葉を、繰り返し連ねて。
「茶番ね」
「あぁ、まったくだ」
鷲累は白のクロスボウを取り上げ、サジタリウスに向かって構えた。
撃つ。無音の術をかけられた矢が、一直線に放たれる。
しかし、矢はサジタリウスの手に握られて止まった。
「――っ! くそ、いくぞお前ら!」
私達はそれぞれ跳躍し、階下の吹き抜けに、サジタリウスに向かって鷲累を先頭に、糸鶴、私と並んで着地した。
驚いた人々の輪が、僅かに広げられた。
「やっと来たか、現の守護者。どう? この人々の集いようは。この者達は皆、月の王国の誕生を、安らかなる新しい時代を望んでいる。月光が誘わなくとも、人々は自ずから集ったでしょう。――なのに、何故あなた達は抗う?」
サジタリウスと五メートルの距離を置いて対峙する鷲累が剣を抜いた。背後から彼がどんな表情をしているのか見ることはできないが、彼の大きな闘気は感じられる。
「そうだな。確かに、お前達の王国は素晴らしいものとなろう。それは認めてやる。――だが、欠点がないわけではない。同じ欠点がある世界なら、私は慣れた今の世界の存続を望む。それが私の動機だ」
鷲累の答え。私の動機とは異なるが、その揺ぎ無い言い切りに私は羨望に似たものを感じた。
「不変が現の意志ということか……。よろしい、では決闘を」
サジタリウスがマントの中から手を出す。その両手には銀の拳銃があった。
鷲累が腰の剣の柄に手を掛けつつ、こちらを見た。
「決闘、だそうだ。お前ら手出し無用だ。――紅烏、周りに火の境界を作ってくれ」
私はそのとおりにした。火は周囲の群衆を退け、戦いの場を守るリングとなる。
「――参る!」
一喝の気迫と共に、鷲累が初撃を放つ。
一メートル以上ある白の長剣を一息に引き抜き、豪快に上から打ちすえる。
対するサジタリウスは、剣撃をかわしてから両手の銃を射撃した。
その銃弾は遅れてきた剣風に弾かれた。
「!」
流れるように足を滑らせると、鷲累は光のような突きを出す。
かわされる。だが、突きは無数に続いていた。
「この……!」
一瞬を捉え、サジタリウスは銀のマントを翻して鷲累の剣の腹を蹴った。彼の攻撃が乱れるや、サジタリウスは射撃しながら後方に跳躍した。
サジタリウスの顔が暴かれる。中国系の女の顔だった。
だが、相手が女であろうと鷲累の剣が揺らぐことはない。
鷲累は剣を下段に構えたまま、じりじりと相手ににじり寄る。
サジタリウスは両手を軽く広げやや下に向けると、腕を角度を小さくしながら五回、左右十発の弾丸を床に向かって放った。
「――鷲累、下じゃ!」
「わかっている」
床にぶつかった銃弾は、そのままめり込まず、不自然な角度に跳弾した。左右の下方からの攻撃だった。
鷲累は慌てることなく、前進しながら二回、左右の下段からすくい上げるようにして剣を振った。
つくられる二つ銀弧。それが十発の弾丸を切断した。
「――!」
――サジタリウスはあの攻撃が防がれたことはなかったのだろうか?
動揺も露わに双銃で射撃するが、ただ撃つだけの攻撃が鷲累に通用するはずがない。
床面にほとんど擦り寄るようにして、敵の懐に飛び込む鷲累。先程の二回の剣撃からの動きで、真下から真上に銀弧を描いた。
それで勝敗が決した。
サジタリウスの銃撃が止まったと思うと、その身体が赤い大輪を咲かせ二つに割れた。
「虎牙一刀流奥義、惨烈」
技名を呟き、凍てつく雰囲気をまとわせたまま剣を収め戦いの終了を告げた。
「……帰ろうかや」
糸鶴が言い出した。
任務ではこの場にいる人間すべてを全滅させなければならない。だが、結局私達の誰もが、非力な者を殺したいとは思えなかった。――その必要があれば、私達でなくとも、ミサイルでも撃ち込めばいい話だ。
しかし、私達が無関心にこの場を離れようとすると、その非力な人間達が私達を阻んだ。
「この人殺し! 虐殺者! 我らの未来を破壊しやがるのか!」
――どうして、あいつの思想になびく者は大袈裟な口調になるのだろう?
この場、このデパートの中と外、この街の人間すべてが私達を罵り、物を投じはじめた。
飛来物はひとまず糸鶴に落としてもらうことにした。
そういえば、蒼の月光はまだ降り注ぎ続けている。月の子を倒してもなお、ツミの魔力は途切れていない。この場の想いに呼ばれ続けているのだ。
「やれやれ、帰れないぞ、これでは」
鷲累がぼやいた。
鳴りやまない怒号。狂ったカーテンコールは、少しずつ私の心を揺らしはじめる。それは苛立ち。多くの者達があいつを讃えていることに対するものではない。この苛立ちのわけは――。
「この野郎ぉぉお!」
――この苛立ちのわけ、それは私の進行を止める者がいるという事に対する怒り。
一人の男が、拳を振り上げながら私に向かって突進してきた。
私はその拳を右手で掴んで止める。膠着の状態で男を睨めつけると、私の金の瞳を見た男がその表情を恐怖に歪めた。
「退きなさい、――陽弓覇」
私は怒りを力に変えた。
力は炎熱の波動となり、私の右手から一直線に男を貫きその背後まで駆け抜ける。そして、波動を浴びた者は自然発火をはじめた。
怒号のカーテンコールに、悲鳴のパートが加わった。
「別に、あいつを讃えたければそれでもいい。でも、私の邪魔は誰にもさせない。私の行く手を遮るのなら覚悟しなさい。――私は、行く手にあるすべての邪魔者を焼き払うわ」
――私の想いは誰にも負けない、邪魔させない。
そう確信したとき、私の中で何かが弾けるのを感じた。鍵を掛けてしまい続けてきた物が、封印を破壊して出てくるような感覚。そして、解き放たれた物は暴れることなく私の手の中に収まった。
「『私の名は‘アカ’。天照大神の力を持つ者』」
言葉が口から滑り出る。
吹き抜けの天上が砕けた。
そこから降りてくる太陽の光。力強い波動の光が私を包み、貫き、そして天へと導く。
高みから見下ろした街では、月の光が無くなってもなお月の王国の到来を叫ぶ者達がいた。まるで、見知らぬ父親を呼ぶ孤児のように。一部の者達は自己を見失い、手当たりしだい身の回りの物を破壊していた。
「――鎮圧の浄炎」
私が望みを唱えると、街のあちこちで金色の炎柱が立った。それを目にした人々は動きを止め、やがて己の手や隣人の顔を見て自らの行いを省みはじめた。
「太陽の霊力……やっと操れるようになったのかしら…………」
これまで、私が太陽の力を使うときは、いつも私は我を失った状態だった。けれど今初めて、私は自らの意志で太陽の霊力を行使した。
ふふ、と独笑が漏れた。
「これで、やっとあんたに勝てる見込みができたみたいね。ツミ――」
力を得ることができたのは、私が己の想いを定めることができただろうか。
そして、勝利の可能性を口にできたのは力を得たからだろうか。
いずれにせよ、私はもう迷う必要はない。あとは、いつかの決着の時に全力をもってぶつかるだけだ。
「……帰ろう」
もうここに私の邪魔をするものはない。ここは私の戦場ではない。
とまどいの街を眼下に、私は炎の翼をはためかせて事務所まで飛んで帰った。
サジタリウス(Sagittarius)は射手座のことで、十二星座の一つです。ツミの下僕たる星の子達にも順列があり、特に十二人は高位だというのが裏設定です。――十二人すべて登場することはないでしょう。
もう一つ解説。
天照大神は(あまてらすのおおみかみ)が一般的な呼び方ですかね。ここでは音の関係で(あまてらすのおおかみ)にしてもらってます。
要するに月神・月読命の名を持つツミに対抗するための名です。
一応解説しますと、太陽神で偉い神様だということです。天皇の守り神みたいなものらしく、この物語では現の守り神、みたいな意味もあったりします。
そんな感じで少しずつ盛り上がってきました。第四幕は次で終わりです。




