4・2「絶えない炎」
〈漆黒の守護者〉日本支部は、東京のさる高層ビルの上階三つを占領している事務所だった。
〈漆黒の守護者〉とは、現の人間が一般に知っている‘科学’の範囲外にある神秘現象を処理する国際組織〈SEME〉の下位組織。現在世界を騒がせているツミとその配下である〈月の子〉に対処する為に、四年前に〈漆黒部隊〉は組織され、その中の戦闘部員が〈漆黒の守護者〉と呼ばれていた。
守護者は世界に百人前後いる。月の子が八十八人のはずだから、頭数としては足りている。しかしツミは月の子の他に‘異形’を無数に従えているので、守護者は手が足りていない状態である。
日本には私を含めて七人の守護者が常駐している。しかし、今私がいる広い事務所には、私、糸鶴、鷲累、の三人しかいない。他の四人は滅多にここに立ち寄らない。
そんなわけで、屋上にある模擬戦場は使いたい放題。私と鷲累は現代魔術学の粋を集めて作られた黒の制服に着替え、結界に覆われた緑の空の下で向かい合った。
「剣、か。――手合わせというより稽古になるな、これは」
鷲累が私の手にある物を見て一言。
私は武器として剣を持っていた。全長八百ミリメートルの反りがない片刃で、重さを一キロクラムに抑えた軽い剣。実戦にはあまり向かないだろうが、剣技の経験値が低い私にはこれくらいしか持てない。
「……たまにはね。接近戦闘をやろうと思ったの」
時々訓練していたものの、私は近接戦闘はからきし駄目だった。炎を操る力があるので、それに頼りすぎていたせいもある。
鷲累が構える。無感情な視線が私を捉える。
彼の獲物は刃渡りだけで一メートルある直刃の剣。
「行くぞ……!」
一の太刀の動作は日本剣道にある正眼の面打。小細工はない。
風を切る斬撃を、私は身体を右にずらしてかわす。その動作のまま、右の袈裟切りを放つ。
鷲累の剣が私の剣戟を迎え撃つ。速い。まだ振り下ろしの半分も私は行っていない。
剣と剣がぶつかった瞬間、手首に強烈な衝撃が走った。
剣を落としそうになるのを堪え、私は後退した。腰を落とし、横一文字の斬撃を放とうとする。
だが、剣を右に溜めたときには、目の前に剣を突きつけられていた。
勝敗が決した。
「未熟者。俺の剣を受ける腕力がないくせに、動作が遅くては話にならん。これ以上続けたいのなら、竹刀を持ってこい」
見下しの一言。だが、今の私に反駁する余地はない。
名塚・鷲累は、私を除いて、〈漆黒の守護者〉の中で最高の戦士だ。殊に、武器を使うことでは私が敵うはずもなく、模擬戦にしろ術を使わないことには、彼の言うとおり話にならなかった。
目の前から剣が下げられる。私は苦い思いを噛みしめながら剣を鞘に収めた。
「負けを認めるのか? ――負けたままでいいのか、〈火巫女〉殿?」
挑発されていた。普段なら炎を呼び出して鷲累を吹っ飛ばしているところだったが、今の私はせいぜい睨み付けるだけだった。
「……次まで憶えていなさいよ」
「そうさせてもらうよ」
こちらの精一杯の強がりに、彼は飄々と答えた。
私は鷲累の視線の下を通って、模擬戦場を後にした。
*
事務所の中をあてもなく歩いていると、どこからともなくギターの奏でが耳に入ってきた。クラシックの曲。
旋律が流れ来る元は、広い事務所の中の糸鶴の私有スペースにある音楽室。糸を操る糸鶴は、己の能力に合わせてか数多くの弦楽器をたしなんでいる。
現代に言われるクラシック・ギターよりも弦長の短い古風なギターを使って奏でられるのは、十九世紀のスペインの作曲家ディオニシオ・アグアトの難度の高い曲。
高度な技巧で演奏される軽やかな旋律に耳を傾けつつ、私はドアの影に座って考え事をすることにした。
――例えば、糸鶴との出会い。
ツミと離別し現に来た私は、当然のことながら、変わりきった日本と世界に困惑した。
困惑した、と言っても、別に訳もわからずあちこちで暴れ回ったわけではない。私にも分別という物はある。食い扶持がないのでそこらの柄の悪そうなのを脅して金を巻き上げたり、古い服を着ている私をなめて釣り銭をごまかした店員を殴ったり……そんなところ。
現状として、ツミが夢を降着させ占領した土地は現全体で二割ほど。それもここ一月で急に増えたので、巷ではもはや‘異世界’からの侵略を各国政府は隠しきれないでいる。
しかし今より五年前、私が現に来た五年前は、まだ現が降着するといった大規模な事件はなく、時々異形を連れた〈月の子〉がテロまがいの破壊行動をするだけだった。
現に来て三週間ほど経ったとき、私は偶然月の子と遭遇、戦闘し殺害した。正気のまま人の形をした人間を殺すのは久しぶりだったけど、特に心乱されることはなかった。
残った異形を片手間に潰していると、突如として異形が見えない何かに切断され、絶命した。次いで私を守る炎が反応したかと思うと、私の周囲に焼き切られた鋼線が落ちていた。
蒼の月下で、銀色の糸を舞わす女、それが糸鶴だった。
「――紅烏!? 具合でも悪いのかや?」
我に返ると、長座していた私の左に糸鶴がしゃがみ込んで、驚きを露わにこちらの顔色を窺っていた。
「あ………別に。ちょっと考え事していただけよ」
言葉を濁し、気遣う視線から逃げるように私は立ち上がった。
糸鶴も立ち上がる。私より一回り背の高い彼女が、私を見おろす。彼女はフレアの付いた黒いドレスを身にまとい、普段三つ編みにしている長い髪は解いて下ろしていた。その髪のウェーブを眼にしたとき、私は今更ながら自分の髪が短くなっていることに気が付いた。
――別に良いけど。
彼女が何か言うだろうと思い――彼女が何か言うのを期待して――私はあさっての方向を見て、彼女の言葉を待った。
「……たまには二重奏でもするかや、紅烏?」
「そうね……」
彼女の誘いのまま、私は音楽室に入る。
音楽室には本当に沢山の、弦の付く物ならあらゆるものがある。チェンバロ、二故、馬頭琴、ウード……。それらはガラスケースに収めて整頓され、いつでも取り出せるようになっている。しかし、私の演奏できるのはただ一つだった。
朱塗りの箏を取り上げ、青海波模様の絹布を床の上に敷いてから、置く。
箏に対し四十五度の角度に正座し、深呼吸。昔よく着ていた狩衣を懐かしく思いつつ、姿勢を調整する。そして丸爪を三つ、右手の親指、人差し指、中指に付ける。
調子は平調子の壱越。壱の弦をニの音に合わせ、十三弦まで調律する。
箏のことはサキに教わった。彼女と友と呼び合うほど親しかった一時期、雨の日の遊びは箏を奏で合うことと決まっていた。――サキは、何故か私の前でのみ箏を奏でた。
糸鶴がギターを弾きはじめる。バロック音楽を彼女なりに編曲した、哀愁のある旋律。私はそれに合わせて箏を爪弾く。
和と洋の楽器が協奏する、不思議な音楽。それは私を、ゆるゆると回想へと導いた。
*
「く……届け! 妾の糸よ!」
不規則な動きで、美しく舞う銀の糸。糸は速く私には見切れないが、私を守る炎が糸を焼き続ける。
「――紅帝炎舞」
イメージは蓮花。花開くように広がる真紅の火炎は、周囲の糸を完全に焼き尽くし爆風で糸鶴を吹き飛ばした。
「ぐっ……お、おのれ……!」
並々ならぬ闘志を発揮し、全身を灼かれてもなお立ち上がろうとする糸鶴。
だが、火になめられた手指はもう糸を操ることができなかった。
「……あなた、自分が何者なのか言ってみなさい」
私が訊く。糸鶴は私を、敵意を込めて睨み付けた。
「聞いてどうするのじゃ、異邦の破壊者よ」
「私が質問しているのよ。……さっさと答えないのなら、その大事にしている指の先から焼くわよ」
彼女は唾を吐き捨てた。唾は、火に当たって音を立てた。
「妾は〈漆黒の守護者〉が一人、糸繰りの糸鶴。〈月の子〉と名乗る不埒な破壊者を狩り、人の姿を捨てた異形どもを駆逐する、誇り高き現の守護者じゃ! 狂信者め、妾の怒り、思い知るが良い!」
糸鶴は腰から匕首を抜き出し、私に突進してきた。けれども、灼かれた身体の動きは鈍く遅い。
私は匕首をかわし、足払いを喰らわせる。匕首を取り上げ、彼女の白い喉元に突きつけた。
「殺すならはやく殺せ」、とは言われなかった。
彼女は私を睨む。その視線には、抗いと悔しさがあった。死への覚悟なんてものはない。隙あらば逆転を狙う、不屈の闘志。
「あなた……面白いわね」
私が匕首を投げ捨てるや、予想通り彼女は私を組み伏せた。底知れない憎悪を瞳に込め、私の喉を締め付ける。
彼女は面白い、そう心から思った。何の為に戦うのだろうか? その瞳の憎しみはどこから来るのか?
私は締められた喉から声を絞り出して彼女に話しかけた。
「わたしを……なかまに……しなさ、い」
糸鶴は驚き、一瞬締め付けが弱まった。だがすぐに力は込め直され、彼女は呪うように私に言う。
「命乞いかや、月の子め。銀のマントはどうした? 貴様は、主君を裏切るつもりかや?」
腹の底から笑いがせりあがってきた。首を締め付けられて笑うことはできなかったが、笑顔を作ることはできた。
「笑うな……! 気色悪い……」
「わた、しは、つきのこ……じゃないわ。………わたしも……ツミをにくむ…………わたしは…ツミに……すてられたおん、な……!」
視界がいい加減白くなってきた。このまま死ぬ気はなかったので、爆風を作って糸鶴を吹き飛ばした。
地面に頭から激突し、朦朧としている糸鶴。周囲に燻る炎が彼女の服や髪を焦がしていたので鎮め、私は彼女を見下しながら告げた。
「私の名前はアカ。かつてツミを愛し、しかし今は彼を憎む女。――〈漆黒の守護者〉糸鶴、私を連れて行きなさい。あの蒼い月を、血と炎の赤で染め上げる為に」
糸鶴は半信半疑といった様子だった。言葉を無くし、抉るように私を見ていた。
私の望んだ答えは別のところからあった。
「良いだろう、炎の色を自称する女よ。守護者の長たる私が、お前を招いてやろう」
糸鶴の背後から現れた、長剣を佩した黒ずくめの男。
「私の名は鷲累。女よ、守護者になるにはその夢の名を捨ててもらう必要があるが、その覚悟はあるか?」
長身をいかして、私を睥睨する鷲累。無論、私は怖じ気づかず見返す。
「いいわ。よろしく、鷲累」
*
回想から帰ると、すでに演奏は終わっていた。もちろん、私が一人奏で続けていたわけではないが。
「紅烏……、お主は割と沈み込むたちなんじゃな」
私が回想に浸りきっていたのは、やはり端から見ていてもわかるらしい。――それ以前に、今日の私に普段の覇気がないことなど、特に深い観察が無くともわかることなのだろうが。
感情の起伏が大きいのよ、と一人結論づけて、糸鶴に言う。
「あんたと初めてあったときのことを考えていたのよ」
あぁ、と複雑な顔になる彼女。矜恃の高い彼女は、負けたことに正の感情を持たない。――それは私も同じだが。
「あれからもう五年、早いものね。あの頃はひたすらお互いを無視しようとしていた私達が、今はこうして二重奏なんてしている」
そうじゃな、と糸鶴は苦笑した。
「じゃが……じゃが、妾はお主のことを友だとか、そんな風に考えているわけじゃないぞよ。お主と仲間としているのも、お主の力が欲しいだけじゃ。お主がいつまでもくよくよしているようなら――」
「――もういいわ」
私は遮った。
「……素直じゃないのね」
「な……! お主が言う台詞ではないぞ、それは」
そのとおりだった。
そうして、私達は笑いあっていた。旧知の友であるかのように、静かに、談笑していた。
箏を持ち上げ、ガラスケースにしまう。そのまま立ち去ろうとすると、声を掛けられた。
「お主……何の為に戦うのじゃ」
私は振り返らずに答える。
「もちろん、あいつをぶん殴るためよ」
「その想いが届かないものと思い知らされても、かや?」
ふ、と思わず笑いがこぼれた。
「届かないのなら、届かせてみせるわ。何が理由であろうと、どんな形であろうと、この想いは本物だもの。――ねぇ、あんたと同じじゃない?」
糸鶴もまた、敵わぬ相手に戦いを挑み続ける者なのだから。
「……そのとおりじゃな」
その時招集の放送があった。〈月の子〉出現、と。
身体の奥に、また湧き上がってくる激情を感じた。
――そうだ、この思いがある限り私は戦い続けるのだ。
「さぁ、行くわよ。私の想いは、まだ燃え続けているから」
一度は破れたが、私は未だ戦場にあった。
アカが和琴を弾くところの‘二の音’というのは、ニ長調の二、学校で教える音階で言うところの‘レ’の音です。アルファベットなら‘D’の音ですよ。
どうも説明っぽくなってしまいますね。これまで全然、世界状況の説明もなかったのでここいらで入れないわけにはいかないのです、書いている立場としては。
しかしそれによってアカが必要以上に落ち込んでます。まだ、人に謝らないだけましですけど。
次回も、戦闘はありますが、だいたいこんな感じです。すみません、お付き合い下さい。




