3・3「光と水の懐古」
ササヤキとナゲキが現れたことで、戦いは新たな局面へと移行した。
まず糸鶴が撤退。サキの応急処置を受けた彼女は、二人の〈月の子〉を前に口惜しそうに退いていった。
そしてアカがササヤキ・ネガイを標的に定め襲いかかると、ナゲキがこれに応戦。アカがナゲキに狙いを絞ると、ナゲキはチヨを巻き込んだ攻撃を開始し、三者入り乱れて戦闘を始めた。
残るはサキとササヤキ。両者は激突を繰り返す三名から距離を取り、静かな路地裏に立って無言で向かい合った。
闇の濃い路地裏の上には、蒼い月がかかっている。
サキは攻撃されない。何故なら先視を持つ彼はどんな攻撃も回避し、そこから反撃を可能としているからだ。そして同時にササヤキもまた攻撃されない。ササヤキはサキのような先視はできないが、彼を上回る術能力を持つため油断ができない。
その状態を膠着という。そんな中、サキがおもむろに口を開いた。
「相変わらずお美しいですわ、ササヤキさん」
「ありがとう、サキ。あなたもまだまだ可愛くて女の子らしいわよ」
ササヤキの作る表情は意外に軽く明るいもの。儚い雪の頬笑み、そうサキはぼんやり思った。
「――それで、どうなんですの? ツミさんのお側にいられるというのは?」
突然の問い掛け。単刀直入の問い方は、思わせぶりな態度を好むサキには珍しいものだった。
ササヤキは少し考え、おもむろに答え始める。
「そうね……まぁ、だいたいはあなたの想像通りだと思うわ。私とナゲキはツミの側近として蘇らせられ、彼の傍にいることを常とし、時には夜伽をすることもある」
それを聞いたサキはなおも問う。
「……かつて〈天戸の宅〉に暮らしていた頃、‘家族’と言いつつも何かと色事の多かった私達の中で、ササヤキ、あなたは一番ツミさんと潔癖でありましたわね。そのあなたが、今や私やアカをさしおいてツミさんの間近にいる。その気分とはどういうものですの?」
この問いに、ササヤキはやや不快そうに柳眉を逆立てた。
しばしの黙考の後、彼女は、
「――それに答える前に、私からも一つ聞いても良いかしら?」
「何ですの?」
ササヤキは一息吸い、問う。
「今こうして私達は集っている。私達は生まれもその時代すら違うけど、同じ夢に集められ、そして散らばった仲。――ねぇ、何故私達なのかしら? たった一つの夢に住んでいた私達は、それぞれが強力な力を持ち、今や私達七人で世界を回していると言っても過ぎた表現じゃないわ。――サキ、あの私達の住んでいた夢は何だったの? 私達がこの世界の‘特別’になってしまったのは、きっとあの夢に住んでいたせい。教えて、あの夢について」
二人は視線を合わせ、互いの思いを探り合うように見つめ合った。はじめ感情の乏しかったササヤキの瞳は今は雄弁で、対するサキの双眸は何も映しておらず、第三眼も冷えきった光を湛えていた。
「ツミさんは何か仰ってまして?」
「いいえ。あなたに聞けと、ツミは言ったわ」
ふ、とサキは吐息を一つ漏らした。しばし視線を虚空に投げやったあと、彼はゆっくりとした口調で答え始めた。
「確かに、あなたの言うとおりあの夢は特異でした。〈天戸の宅〉とは、日神〈ひのかみ〉を隠しその前に神々の集う天岩戸の事。そこにイザナミの名を持つ妖が住んでいて、彼女は天之常立神の宿る刀を持っていた。そして、家を取り巻くそれぞれの地形にも神の名が与えられていた。その他の事象も含め、あの夢は疑いようもなく何かの運命的なものに仕組まれた特殊な力の場でした。
しかし、私達がそこに集ったのは、結局は偶然といえるでしょう。特に、ツミさんとチヨ以外の私達は、ただ単に二人と共にいただけ。そして私達は一度散逸し、こうして各々違う立場と想いを持って集っているのです」
言葉をそこそこに打ち切って、彼はネガイの遺した散弾銃を構える。その動きの意味するところは一つ。ササヤキもそれを感じて術の準備を始めた。
戦いは唐突に再開される。
「phantom star !」
立て続けに三度トリガーが引かれ、光の散弾が大量に撃ち出される。一帯を埋めつくす散弾は、すべてが同時に射線を曲げ全方位からササヤキに襲いかかった。
『波打つ護り、美しく、光を散らして』
囁く声に応じ、彼女を水の膜が包む。無作為に反射された弾丸は、狭い路地裏の壁を削り欠片を飛ばした。
ばん、と小気味よい音を立てササヤキを包むものが弾ける。その音とは対照的に無音で動く彼女は、サキに正面から肉薄し水の刃を叩き付けた。
「――今のツミと一緒にいることが、よもや楽しいことだと思ってないわよね」
斬撃に付加された問い掛け。サキは敢えて避けずに銃身で受け、それから身を回して逃げたあとの銃撃で答える。
「そうですの? あの人の行動に賛同できないのならば、あなたが諫めてさし上げれば宜しいことではありませんの?」
水圧の弾丸が光を弾いてサキへ直進する。
「私は戒めを受けているのよ。ツミとナゲキから、彼に逆らわないように」
サキは水の弾丸を紙一重でかわす。コッキングで銃身の文字色を青に変え、極太の青の光砲を放った。
「そしてあなたもそれに甘んじている――そうでしょう? 別に恥じることではありませんわ。あなたはツミさんをほとんど弟のように考えていたのでしょう? 姉として、弟のわがままを許したくなるのは間違ったことではありませんもの」
ギチ、と奥歯をならすササヤキに苛立ちの表情。跳躍一つで十メートルを飛び彼の光砲をかわすと、落下せずにそこに留まった。
「知ったふうに言わないで。私も、ツミも、みんな苦しんでいるのよ。あなただって、そうじゃないの?」
見上げるサキは、拒絶の意思を露に言葉を返す。
「苦しんでいる、ですって? 私は苦しんでなんかいませんわよ。たとえ苦しんでいたとしても、それに甘んずる事はしません。ましてや、それに乗じて偽悪を行うなど、笑止千万ですわ」
二度目の光砲。表情を殺したササヤキが、それをよけずに受けた。
貫かれる身体。しかし、飛沫するのは血ではない。
「まさかとは思いましたが……あなたも人であることを捨ててしまうとは」
「私は人を捨てたわけじゃないわ。蘇らせられたとき、更なる力を得るために仕方なくやったのよ」
ササヤキの身体は水の塊だった。その肉体も服も、水を固着させたもの。形をなくし水となった彼女は、嵩を増やしながらサキの頭上に降り注いだ。
路地裏に洪水が発生する。大海のような滄の水は、重さで敵を圧し量で窒息させようとする。
「brilliance jet...... let’s fly ! 」
地面に向かって光砲を撃ち、その反動でサキは飛ぶ。
彼を見上げた水面が、追って無数の水の棘を射出する。
サキは散弾銃の推力を巧みに使い、鮮やかに宙を舞い攻撃をかわした。
「ところでササヤキ。あなたはチヨについてどこまでご存知ですか?」
形なき水が答える。
「ツミの飼い猫ということしか……。ああして今、人の姿でいるということは、彼女も妖なんでしょう?」
渦巻く水を見下ろして、サキは十三階ほどのビルの上に立つ。術陣を展開させ高出力の術に備えつつ、サキは言う。
「まあ、妖と言えば妖ですわ。でも同じ妖だったネガイと比べ、チヨは非常に豊かな心を持っています。笑い、泣く、私達人間と寸分変わらぬ心。その上で、彼女は何かを信じ続ける心を、絶望せず、向き会い続ける強さを持っている。――そう、遙か天にある月の魔力を司り所詮絶望するしかないツミさんと違って、チヨは大地と語り未来を切り開く力を持っているのですよ」
滄い水面が驚愕に揺らめいた。
「まさか……あなたはツミを否定しているの……? そして、チヨをぶつけて、ツミを……!」
「チヨをツミにぶつけたところで、血が流されることは絶対にありませんわ。――そう、でも確かに私はツミさんを否定しています。けれど、それは私が彼を愛しているからこそです。わかりますよね?」
しかしササヤキにはサキの姿勢が不可解であるようだった。否、理解を拒んでいるのだろうか。とにかく、彼女はその拒絶の意を、姿を禍々しい大魚に変えることで示した。
「意外と、あなたも蒙昧な女性なのですね。――その盲目さ、その身をもって償いなさい」
迫り来る大魚を眼前に、サキは銃口を天に掲げ術を完成させる。輝く術陣は空に巨砲を形為す。
下方を向く巨砲に宿るのは、水蒸気すら残さず分子レベルまで破壊する超出力レーザーの光。水そのものであるササヤキに効果的な痛手を与える為には、分子まで破壊する必要があるのだ。
サキはためらいなく散弾銃のトリガーを引く。
巨大な光柱が天地を貫いた。
**
ドォォォオォン。
轟く音はボクらから少し離れた場所からだった。振り返れば、眩い光の中ビルが一つ崩壊している。あそこにはサキとササヤキがいたはずだ。
「まったく、離れるとすぐこれね。そろそろ、遊びも終わりかしら」
そう言うのはナゲキ。彼女の言うのはササヤキのことだろうか。
意識を澄ませて大地の情報網を使い周囲の状況を確かめると、ササヤキの気配がすごく希薄になっている。大きなダメージを負ったのだろうか。ナゲキもそれを感じているみたいだけど、その割に彼女は落ち着き払って、口元には冷たい笑いを浮かべていた。
「なに余裕かましているのよ! 爆砕弾!」
ボールを投げる動作で、低空飛行するアカがナゲキに火球を放つ。あれは半径十メートルは吹き飛ばすやつだ。
「――燃えるなー!!」
突然、ナゲキが大声で叫んだ。
その瞬間、アカの投じた炎、及び周りに燻っていた火がすべて消えた。
ボクらの戦場に限定して、炎のエナジーが凍結させられていた。一つ属性を完全封印する術はそう長くは続かないだろうけど、その短時間でもアカは無防備になってしまう。
「――っ!」
ナゲキがアカに躍りかかる。
突進するような動きをアカはすれ違ってかわす。交差の瞬間にナゲキの後頭部に拳を入れようとするが――
それはフェイントだった。
「……かは」
ナゲキの左肩から生えた氷が、アカの胸を深々と突き刺して背中まで貫通していた。
貫かれたのは心臓、それともその近くの大動脈だろうか。一撃で意識を飛ばされたアカは、指先で空を掻いたあと力なく崩れ落ちた。
「アカ――……っ!」
彼女に駆け寄ろうとするや、氷の檻が行く手を遮った。
冷たい格子の向こうで、ナゲキがボクを嘲笑っていた。
「ねぇ、チヨちゃん。あなたにとってツミとは何なの?」
「――ボクのご主人様だよ」 即答した。
「では、何故あの人に逆らうの? 矛盾しているじゃない。――私達と共に来なさい。きっと、ツミは喜んであなたを受け入れてくれるわよ」
誘惑するような言葉。でも、ボクの想いはもう定められている。
「ご主人様は間違ったことをしている。そして、自分のしていることを誰かに止めてもらいたがっている。――ボクのするべき事は、馬鹿みたいに彼に従うことはなくて、一緒に新しい道を探していくことだと思うんだ。だから、ボクはナゲキ達とは一緒に行けない。ボクは、ボクの力でいつかご主人様に会いに行く」
「――猫風情が、生意気な!」
彼女の言葉と同時に、氷の檻が棘を作り始めた。ボクを穴だらけにするつもりだ。
ボクは足の裏全体を使って、地面を踏みならした。ドン、と大地が応えて大きく弾んだ。
地震で檻が崩れたあと、ナゲキの姿はもう無かった。
場が鎮まった。
戦いが一段落すると、一帯に死んだような静寂が詰めかけていた。月は相変わらず蒼い光を、黒い天の中で皓々と放っていた。風は無表情に、眠気をはらんで流れはじめる。
アカは目を見開いたまま仰向けに倒れている。胸からはまだ血が流れていて、黒いスーツを重くしていた。
「アカ…………大丈夫?」
大丈夫なわけはない。ただ、まだ彼女の命はあった。ボクは彼女の身体をそっと腕に抱き上げ、大地の力を呼び出して治療をはじめようとした。
その時、聞き親しんだ声が警告してきた。
「彼女から離れなさい、チヨ!」
「何で……――っ!」
ぼ、と腕の中の身体が発火した。
おどろいてアカを腕から落とし立ち上がったところで、熱い風がボクを突き飛ばした。
炎が風となる。力の抜けたアカの身体が浮かび上がると、炎風は空に駈けのぼり、そして――
夜を砕いた。
突然の太陽。灼け付く白い光の中で、人の声が獣じみた咆吼をあげていた。
なんだかサキばっかり戦っている気がする……。
言い忘れてましたが――わざわざ言う必要もないかもしれませんが――サキとナゲキの〈月の子〉の名前はそれぞれ魚座と水瓶座のことです。
あと二話にします。暴走したアカをどうチヨが止めるのか、ご期待下さい。