幕前
この小説は「my moon」の続編です。初めての方の為にあらすじを付けましたので、どうぞ。尾ひれ付けてありますが、そこは読み飛ばして結構です。
ここは自立夢囃子学園。幼稚園から大学院まで何でもありの学園の中の、共通図書棟の第七小閲覧室。
がらがらと木の戸が開かれ、詰め襟の黒学生服に巨躯を包んだ少年、高等部所属コランド・クーフナーが入ってくる。
「――あ、いた。瀬理、何か面白い本教えてくれ」
不躾にコランドが呼びつけた、瀬理という女性は簡素なカウンターに身を収めて本を読んでいた。茶のブラウスに灰のロングスカート、そんな私服が三瓶瀬理が大学部の学生であることを主張していた。
「年上には敬語が基本だと思うけど……まぁいいでしょう。――コランド君が読みそうな物は……」
カウンターから出た瀬理が書棚から一冊の本を選択した。
「『your earth』……。って、何だこの本。B5裏表刷りの紙に二つ穴明けて紐で結んであるだけじゃねえか」
「自費出版……というより、人の思念だけで蔵書が増えるこの図書館ならではの物ね。どう? 十五禁なシーンがなくて、戦闘の多めなコランドの好きそうな内容だけど、読まない?」
コランドはとりあえずはじめの数ページを読んだ。
「――現への侵攻は、さながら星を落とすこと、或いは種を蒔き芽吹かせることに似ている。――――なぁ、この本前作があるんじゃないのか?」
「そう言えば……前作の題名は、確か『my moon』。あら、棚にないわね」
その時、扉が開き新たな人物が入室してきた。
「その本はね――この間クーフナー先生が借りてたよ」
高等部の制服を着用した虹彩異色の少女、彼女の名は立浪・架夜。チェック柄のスカートを指定よりも短くしているのが目立つ。
コランドが言う 「クーフナー先生が? あの人、本読むんか?」
瀬理「二月に一冊読みます、クーフナー先生は。でも、その間は期限が過ぎようと絶対に返却されません」
「まじかよ。なら違う本を……」
「私、前に読んだ。だから、あらすじ教えてあげる」と架夜。
「いや、別の本読むし」
「それなら私が」
「おい!」
**
その宇宙には、一つの大きな世界と無数の小さな世界と、二種類の世界が存在した。大きな方を〈現〉、小さな方を〈夢〉、人々は謂われも知らず二つをそう読んでいた。
現の世界では、一般に人々は魔術等の神秘的事象を扱うことを知らなかった。鉄の兵器と科学の炎、人々はそれで生活を豊かにすると同時に争いを続けていた。終わりのない無為な戦争をしている者達がいれば、飽食と怠惰の平和に腐れる者がいた。
無数にある夢の世界、そこはせいぜい一つの街程度の広さしか持たない世界だった。泡沫のように生成と消滅を繰り返す世界。そこに住む人間はすべて現から来た者達だった。彼らの中には、精神の深部に秘められた特殊な能力に目覚める者もいた。
夢は通常互いに孤立して、行き来することができない。しかし、時折接触すると、夢同士は戦争をしなければならない。勝った方のみが存続を許される、それが宇宙の節理の一つだった。
物語の舞台は、そんな夢の一つ。〈天戸の宅〉と名を持つ一軒の家がある夢だった。五人の女性が暮らしていた日々に、現から一人の少年が入り込んだときから始まる物語。
その男、物語の主人公となる者はツミと名乗った。夢で暮らす多くの者がそうであるように、彼は現での名前を忘れた。
小説『my moon』は全六幕にまとめられていた。
第一幕。夢に来たツミが初めて会った女性は、炎を使う赫い髪の若い女だった。戦いを知らなかったツミは『戦わねば世界もろとも死ぬ』という現実を受け入れ、アカの能力を解放し、同時に月の魔力を行使するという自分の能力も覚醒させ、彼にとっての初陣を見事勝利に運んだ。また、風を従える少女キズオトと、水の術を行使する女ササヤキと知り合う。
第二幕。予知能力を使う娘サキと、彼女に献身する女ネガイは、七日の間ツミから姿を隠していた。ネガイから古刀〈天乃常立〉を得たツミは、それに秘められた強大な力を操る術を学び始める。また、自分を含め六人の人間を家族と見なして生活していこうと決める。
第三幕。ツミとキズオトが秋の森へ狩りに行く。そこで〈淡島〉の存在を知る。
第四幕。ササヤキの中に隠されていたもう一つの人格、ナゲキと接触する。ササヤキの上位人格だというナゲキは、アカを凌ぐ術力とそれを使いこなす知性を持っていた。
第五幕。ツミとキズオトは他の夢から侵入してきた少年ヨミと出会う。ヨミはツミ達の夢を歪めさせる存在だった。現実に苦悩するツミを前に、アカはヨミを殺害した。
第六幕。冒頭でササヤキ・ナゲキが死亡し、キズオトも姿を消した。意識を目覚めさせた天乃常立はツミを主と呼び、彼に宇宙を変えるための神となることを勧める。ヨミをはじめとし、二人の家族を失ったのはこの宇宙の節理のせいだと結論したツミは、三年住んだ家を去り現へと下ることを決断した。アカは彼を引き留めるもかなわず、彼の計画を妨害する為に現へ行く。サキとネガイは‘最後の一人’を待って二人きりで残ることにした。
それぞれの幕の間では、‘最後の一人’、猫人のチヨがサキから昔話を聞き、またチヨが夢を見る様子を垣間見せた。終幕でチヨはツミを追い旅に出る。‘すべての想いを知る為に’、チヨは旅立ち、またサキとネガイも旅立った。
**
「ずいぶん細かく教えてくれたな」
眠そうな顔でコランドが言った。
瀬理「そう? まぁ、サービスよ。細かいところは『my moon』本編を読まないとわかりませんよ」
架夜が言った「あらすじは出来事だけ。この小説は、大部分がツミの主観で描かれ、彼の心情が多くつづられているよ。作者の白亜迩舞は、ツミの独白を記しただけ、とも言ってる。とにかくそんな感じで、テーマが自分たちが生きる為に他の存在を滅ぼす事への苦悩だったり、一緒に住む女の人達との交流だったりするよ」
「この物語には、古事記や日本書紀などに記された伝承の要素が含まれているわ。知らなくてもいいし、知っているとちょっと楽しくなるかな」
一息。これまで三者は書棚を前にずっと立っていたので、四人用のテーブルへと移動した。
そうそう、と瀬理が言う。
「この物語の人達はみんな一つずつ属性を持って術を使うけど、基本的にこれらは系統化された魔術・呪術の類とは違うの。特に、アカとキズオトは術というより超能力みたいな感じね。日常生活では呪いを使っているような描写がある。他に、ササヤキ・ナゲキは微声詠唱魔術、通称‘囁き’を使うことがあるわ」
コランドの瞼が半開きになっている。彼は別に人の話を聞くと眠くなる類の人間ではない。まるで、催眠魔術でもかけられたかのようであった。
架夜はそれに構わず話す。
「そういえば、あのお話の中で‘封印術’を使ってたよね」
静かに扉が開かれ、四人目の人物が現れた。
架夜と同じ制服の少女、名を紫部・陽子という。身こなしが落ち着いた、しかし目が生き生きと輝いている少女だ。
「あ、クーフナー先輩、立浪先輩、三瓶さん。皆さんおそろいで何を話されているんですか?」
「陽子、良いところに来たわ。さぁ、そこに座って封印術について話して下さい〈封魔士〉」と瀬理。
陽子は空いていたコランドの横に座った。その気配に、コランドの目が少し開かれた。
「『your earth』ですか。私『my moon』から両方とも読みました。そう言えば、みんないきなり封印術使うときがありましたね」
*
封印術、封術とは平易に言うならば対象の力(主に術力)を抑制し、それを使用不能まで持ち込む術である。魔術・呪術・法術などのように系統化されてはいるが、特に不自由がないので混同して使われている場合も多い。
封術は大きく十の系統に分けられる。それぞれ、一から十の番号で呼称される。
『my moon』作中に出てきたのは、二(荷)式と九(吸)式の二つ。どちらも、ネガイが力を暴走させた者に対し使った。
キズオトに対し使われた二(荷)式。力を抑制する能を持つ道具の効果を発現・強化する。
天乃常立を鎮めた九(吸)式。術者が自身の体内に、もしくは術者が開いた‘穴’に、対象の力を吸収させるもの。
封術は攻撃としても使える一方で、保護や援護の術としても使える。そのため他の術と併用して習得しておくのも良いが、封術単体で習熟させることで攻防一体の戦闘が可能となる。
*
「私は十(凍)式をよく使います。自分を中心に神秘霊力の流れを凍らせる結界を張る術だけど、二と九と違って自分も術が使えなくなります」
瀬理「まぁ、そんなにややこしいものではないはずです。よっぽど気になったのなら作者に御一報を。きっと反省して何とかするでしょう」
「そう言えば、この小説そこここに誤字脱字がありますよね」
陽子の言葉に架夜が答える。
「そういうときも、作者にメールしてあげたらいいかな。きっと喜ぶよ。感想欄に書くのもありだね」
そして三人の女性が立ち上がる。コランドは机に突っ伏して静かな寝息を立てている。
「さて、少し長く話しすぎたかな。私、家に帰ろうかしら」
「三瓶先輩、クーフナー先輩はどうするんですか?」
「そっとして置きましょう。ここの鍵は開けたままでよいですから」
瀬理はコランドの耳元に囁く。
「――良い夢を」
あれ、と架夜が首を捻った。
「そう言えば、『my moon』の中で、‘夢’と書いて‘まぼろし’と呼んでいたけど、あれにはやっぱり意味があるんだよね」
「それはそうでしょう。現から発せられる負のエナジーが形成する世界・夢、言うなれば世界の悪夢でしょう。ツミが現に夢を送り込むことは、世界に悪夢を返すことに等しい。それにどういう意味があるのか、というのが『your earth』の核心の一つね」
「闇の中に沈む想いもある」
「そうよ、陽子。『your earth』のテーマは‘すべての想いを知ること’。主人公となったチヨが、一体悪夢に沈む世界でどんな想いを見付けたのか?」
「それは読んだ人だけが知っているのね」
三人が去る。
残されたコランドは、夢の中で一つの寝物語を聞いていた。