二百四十二話 スタートダッシュ
視線が痛すぎた。
ラビがゲストで現れた。
落ち着いた。
ガシャン!
「ったあ! おもいっきり翼ぶつけた!」
「騎士さま耳元で叫んだら耳がいたい」
「すまんすまん」
パドックから係員に誘導されて移動をした俺たちは今、一畳程度の広さがある空間に押し込められている。
ここはスタートゲートや発馬機と呼ばれるところだ。
それなりの広さと高さがあるのはハンデとしての重りとなる武器を持つ事を考慮しての事だろうが。
それでも俺には狭かった。
「翼が窮屈でイライラする」
「も、もうちょっとで始まるから……」
「そりゃそうだが……。ん? どうした?」
また震えているじゃないか。余計なことは考えなくて良いんだぞ?
いや、これは……。
「もしかしてトイレか? 朝からあんなにたくさん食べるから……」
「違っがーう! これは武者震い! まーはやる気マンマンなの!」
「そうかい」
そりゃ結構な事だが、からだが強ばっているので怪我をしそうで怖い。
と、リラックスを図ってか。
グッ、クググ……。
ユンが頭を下げて尻を突き上げ猫がストレッチするときの姿勢をとる。
いや、これはリラックスじゃあなくて、確かスタートダッシュの姿勢だったか──。
このゲートってのは下から上に開く。
左右に開くなんて複雑な機構は作れず、上から下に開く場合、足を掛けての事故が起きるから必然的にそうなった。
そしてそれは同時にスタートダッシュに工夫が必要にもなった。
低い姿勢でゲートが上がりきる前にスタートすることでより早くスタートする事が可能だからだ。
コンマ数秒のレベルだが、往々にしてこれだけで勝負が決まることも珍しくはない。
そして、残念なことに、このスタートの型は俺にとって不利に働く。
姿勢を低くしても翼が、かさ張ってしまうからだ。
しかし、ユンはスタートダッシュが必須の馬なのでそれでもどうにかしなければならない。
──故に俺は、左腕をユンの首に絡めて体を密着させることで少しでも体制を低く保つ。
ゲートが開けばひたすらユンの尻を叩かなくてはいけないので右腕はムチを握ってユンの尻の上。
肌の密着した部分が焼けるんじゃないかってぐらい熱い。
なるほど、言葉に偽りなくやる気に満ちているようだ。
じわりじわりと、二人の汗が、珠となって浮かび上がっては混ざりあう。
息苦しい。
この緊張は耐え難い。
一秒一秒がとても長く感じる。
まだか? まだ始まらないのか?
「騎士さま、もう開くよ」
「ああ……。おっと、忘れるところだった。見える……!」
俺は【風見鶏】を発動させた。
カシャッ!
直後にゲートが開く。
「今だ!」
通り抜けられるギリギリのところで、俺はムチを振り上げた。
スパーン!
グンッと瞬時に加速して、土を巻き上げ飛び出すユン。
最高のスタートだ。
しかし、ゲートを抜けてみれば馬は横並び。
これじゃあだめだ。
突き抜けないと。
「いっけええええ!」
俺は叫びながらユンの尻をムチで叩き続けた。
ドドドドドドドド……!
『さあ、始まりました三歳牝馬未勝利の最終戦。一斉に横並び。と、思いきや、集団から飛び出しました。八番、セカンドポエル。やはり、速い!』
よしっ!
「前に出られたぞユン!」
「うん! 一番に前に出られた!」
落ち着いたところで姿勢を正し、手綱を手繰り直す。
まずまずの出足だ。
「でも、張り付かれているな。えーっと、あの馬は……」
『それを追うようにして五番、ニンジンスキー。2馬身に差を抑えます』
「ニンジンスキーか。なるほど、最初から最後までフルスロットルで走れるんだったか」
「そうだね。でも、ニンジンスキーは先行だから、しばらくは少しうしろのところで大人しくしてるハズだよ!」
ほーん。
そう言うもんなのかね。
『その後ろは二番、足取り軽く、軽快に上がっていきますトーサンダンサー。少し距離を置いて安全地帯にいるのはナンニスルーラ。ちゃっかりしています』
実況ってのは有り難いな。
前を走る馬には特に後の状況が分かるのは大きい。
『更に4馬身ほど離れたところに一番ホニュービンと、四番ケリタマガールが並びました。最後尾は七番ブラックベール。ホニュービンとケリタマガールに抑え込まれる形となります。どちらの馬も男性騎士キラー。果たして抜け出す事が出来るでしょうか』
やはり、ケリタマガールはブラックベールに張り付いたか、ここまでは予想どおりだ。
ホニュービンまで一緒になってマークするのは予想外だったが、勝手にやりあってくれるならありがたい。
『もう一度先頭から見ていきましょう……。おっと!? これはどうしたことか! ニンジンスキーがここで加速してセカンドポエルに迫っている!』
司会の言葉で後へ振り返ってみればニンジンスキーが確かに近づいていた。
「うっそーう!? ダメ! 騎士さま叩いて! まーのお尻叩いて!」
「そんなに飛ばして大丈夫かよ?」
「良いから早く叩いてー!」
そうまで言うなら仕方あるまい。
ヒュン、スパーン!
俺は今日一番の強さでユンの尻をムチで打った。




