望郷星63
それが僕の宿命ならば、傀儡たる滅び行く現実としてのこの世界で母親と愛を交換し、見合いをして、その分永遠なる桃源郷に近寄れる事を僕は期待し期して、身体の外側に円の広がりとしての波状的に向けた気の広がりを収縮し、丹田に収めて瞑想を終えた。
僕は自分の部屋に篭り順次瞑想をする。
仙道瞑想は気を導引しながら、各項目を心の眼、言わば心眼であらゆる事象を凝視する形をとる。
僕は陽神体だ。
仙道的に言うと陽神は育て上げると、肉体と全く同じになる。
気が集合凝縮したのが生命体であり、それが散り散りになったものが死と言う仙道的な概念見解がここでは当てはまるわけだ。
その陽神としての肉体が全多次元宇宙にどれだけ同時多発的に蔓延しているのか、その意識野を瞑想して全て統合心眼で見れるかどうかが完成された瞑想装置になっているかどうかの分岐点となるのだが、僕は瞑想装置もどきなので、まだ一つの世界を単一的にしか感知感得出来ない。
その狭い感覚域で僕は何処まで自分が永遠なる母親のいるユートピア所謂桃源郷に近寄っているのかを念じるが、まだまだ近付いていないとしか感知感得出来ない。
それが僕の宿命ならば、傀儡たる滅び行く現実としてのこの世界で母親と愛を交換し、見合いをして、その分永遠なる桃源郷に近寄れる事を僕は期待し期して、身体の外側に円の広がりとしての波状的に向けた気の広がりを収縮し、丹田に収めて瞑想を終えた。




