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望郷星241

この陽神を出す時も両足の湧泉の坪から出ているのに、右足と左足から片方づつ出ている感じが同時多発的にもどかしくもする。

卑近なところで、予言成就を回避し僕の家族や僕自身の生活を護る為には、完成された瞑想装置に成るしか道はなく、僕は己の部屋に篭り瞑想を開始した。





ヨガとは違い仙道瞑想には格式張ったけっかふざ等いたずらに体力を消耗させる姿勢は必要無い。





自分が一番リラックス出来る形で、尚且つ気が滞る事なく周天するように調整すればそれで良いわけだ。




僕はベッドに横たわり、足の湧泉という坪から陽神を出すべく周天導引を開始した。





逆説だが、この宇宙には厳密に言って人間存在というのは仙道的に見ればいないと言い切れる。





気が集まり凝縮したのが人間存在の肉体ならば、陽神も全く同じ形の存在となり、そこに差異は全く無いと言い切れるわけだ。





だから僕は人間存在としての肉体を持った陽神なのだ。





つまり陽神は人間存在の肉体と同一に己の陽神を飛ばす事が可能なわけだ。




これは気が集まり凝固した幽霊とて同じ理屈で捉らえられるわけだ。





ただ仙道的に言えば幽霊は気を練る度合いが僅少な分、陰神と呼称しているのだが、人間存在の肉体と幽霊の肉体には大差が無いと仙道的には理論帰結出来るわけだ。





僕は太陽神経叢に手を当てて気を導引し、下方移動させ湧泉から陽神を出した。





この陽神を出す時も両足の湧泉の坪から出ているのに、右足と左足から片方づつ出ている感じが同時多発的にもどかしくもする。





そして陽神は強化ガラスを容易く抜け虚空を舞うように飛んで行くのだが、この時僕は陽神が飛んでいるのと同時多発的に、それを飛ばしている自分の肉体を心眼で凝視し、そこに村瀬の存在が介入していないかどうかを水の中にいるような映像イメージで確かめた。




村瀬はいない。





そう感じ、僕はイメージ制御で陽神をとりあえず地上に降ろした。

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