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月ヶ瀬さんは貪欲 <公園編>

公園で牛丼を食べます。

ちょっとエロくなってきたのでよくないかな、とは思います。

<1>

「彩音さん。ここです!」

 パーティドレスに身を包んだ月ヶ瀬さんが手を振った。白いドレスが街灯の光を浴びて光る。

 ドライブスルーの牛丼チェーン店の前であることを無視すれば、それは幻想世界のような光景だった。

「本当に会えるなんて、信じられない」

 羽織った白のボレロをはためかせながら、月ヶ瀬さんは僕の腕の中に飛び込んできた。香水の匂いと彼女自身の甘い匂い。そして、かすかにアルコールの匂いがした。

「あの……昨日から仕事で着替えてなくて……」

「本当だ。ちょっと臭い」

「だから、離れてください」

「嫌です」

 月ヶ瀬さんは僕の胸に顔を埋めた。大きく息を吸い込む。

「彩音さんの匂いだ」

 そのままクスクスと笑う。……今日はテンションが高い。彼女の体がかすかに震えているのに気付いた。

 彼女の背に手を当てる。

「食事でもどうですか?」

 腕の中、月ヶ瀬さんは無言で頷いた。


<2>

 月ヶ瀬さんからメールが来たのは、ほんの5分前だ。

 僕は夕食を買い出しに夜道を歩いていた。

 役場の横にできた市営のコンサートホール。海外からオペラ歌手を招いて公演を行うことになり、その準備のために数ヶ月慌ただしい日々が続いていた。こういう時、なぜか仕事は僕の上に降ってくる。臨時職員なんだけどな、と文句も言いたくなるが、結局、公演に向けた広報活動のほとんどすることになった。

 今日は公演当日。運営スタッフに任せて、伝票の整理をして帰るつもりでいた。だが、今日になって急にオペラ歌手のコンディションが悪化し、開演が遅れることになった。

 役場中が大騒ぎになり、僕は帰るタイミングを失った。残業代も出ないし、広報担当ができることもないのだが、ここで残ってしまうのは悪い癖だ。結局、一時間半ほど遅れて開催される見通しがつき、その間に買い出しに行くことにした。

 メールが来たのは、そのタイミングだった。

「今、コンサートホールにいるんです。彩音さんはどこにいますか」、と。


<3>

「役場にお勤めと聞いていましたが、この時間までお仕事をされているとは思いませんでした」

 買い物を済ませた後、僕らは役場の方へと歩いていた。ワンピース型のドレスの裾と肩から下げた空色のポシェットが歩くたびに揺れる。

「月ヶ瀬さんはオペラを見に来られたのですか?」

「ええ。母に言われたんです」

「一人で?」

「いえ、母も一緒です。それと母の知り合いの方も」

 今日は4人で早めに夕食を食べた後でオペラを見る予定だったんですが、オペラの開演が遅れることになって、待っている間に抜け出してきたんです、と彼女は付け加えた。

「4人?」

「母の知人と、その息子さんです」

 ……それ、お見合いなんじゃないだろうか、と思ったが黙っておいた。

「だったら、戻らないと」

「いいんです。あの人たちと一緒にいると息が詰まります」

 特に息子さんの方は私をいやらしい目で見るんですよ、と月ヶ瀬さんは珍しく明確に不快感を露わにした。

 彼女のドレスは襟元までをフリルで覆ってはいたが、ノースリーブなので華奢な肩が丸見えだった。おまけに胸元は透ける生地なので、豊かな胸の谷間がむしろ強調されている。

「月ヶ瀬さんは綺麗だから見とれてしまうんですよ」

「いえ、あれはもっといやらしい目でした」

「男ってのは、そういう生き物なんですよ」

「彩音さんも?」

 月ヶ瀬さんは僕の腕に自分の手を回した。彼女の顔と胸が腕に触れた。どちらも熱かった。

「そう……ですね」

 月ヶ瀬さんはぎゅっと僕の腕を抱きしめた。信じられないほど柔らかな感触が腕に伝わってくる。まるで夜のデートをしているカップルみたいだな、と呑気な妄想が頭に浮かぶ。

「くっつかれると僕も……」

 月ヶ瀬さんは無言で首を横に振った。今日は反論はやめておこう。しかし、女性に腕を抱かれるのは、こんなにも気持ちが良いものだったんだな。27歳にして、世の中の心理を知った気がした。

 僕らは役場前の小さな公園に着いた。


「ここがいいです」、と月ヶ瀬さんは言った。

 

<4>

「本当に牛丼でいいんですか? それに食べてきたんでしょう」

「あんなの食べたうちに入りません。もったいぶってペースが遅いから、かえってお腹が空いたくらいです。おかげでワインばかり飲んでました」

 公園のベンチに座りながら、月ヶ瀬さんはぼやいた。幅20m程度の街区公園に人影はなかった。もともと役場の周辺は人通りが少ない区域だ。ベンチと動物の形を模した遊具が街灯の光を浴びている。奥にあるベンチに二人で腰掛けた。道路の逆側、家庭裁判所の向こうにコンサートホールの灯が見えた。

「それに私、お店の牛丼は食べたことがないんです」

 一度、食べてみたくて、と言いながら月ヶ瀬さんは口を開けた。

 牛丼チェーン店で持ち帰り用の牛丼を6個買った。さすがに買いすぎだと思ったが、月ヶ瀬さんが楽しそうにあれもこれも、と指差すので、つい買ってしまった。

 箸で牛丼を彼女の口に運ぶ。


「美味しい!」


 月ヶ瀬さんの表情がパッと明るくなった。

「美味しいじゃないですか。アバランチの料理より、美味しいです」

「そうかなあ」

 彼女が口にしたのは市内にある最高級のレストランの名前だ。彼女によると形式ばかりで味はイマイチ、とのことだが、それでも一度は行ってみたい。

 たちまち、彼女は牛丼(汁多め、大)を1パック食べてしまった。パックの中には、こびりついたご飯しか残っていない。

「でも、丼物は食べさせてもらうのが難しいですね」

「全部食べようとしなくていいですよ。残った分は僕が食べます」

「いえ、それはいけません」

 そうだ、と言うなり月ヶ瀬さんは立ち上がった。くるりとお尻を向けると僕の膝の上に座る。

「この体勢ならどうでしょう?」

「いや、これは」

 彼女の後頭部と首筋が目の前に迫り、背中が押し付けられた。もちろん、お尻も。豊かな胸にいつも目がいってしまうが、お尻もかなりのボリュームだと改めて気づかされる。柔らかく熱い。まるで熱で溶けた液体がドレスに包まれているようだ。それなのに姿勢を変えるときは引き締まる。

「……重いですか?」

「いえ、重くはないです」

 確かに重たくはなかった。逆に驚くくらいに軽い。女の子って何でできているんだろうか。

「このまま口につけてかきこんでください」

 確かにこの体勢なら宴会芸の「二人羽織」の要領で口元に容器を近付けることができる。こぼれやすい丼物でも食べさせやすいかもしれない。

 だからといって気安くしてよい体勢ではない。

「これは……やめておいた方がいいです」

「嫌ですか?」

 月ヶ瀬さんは呟いた。

「私は嫌じゃないです」 

 彼女の顔は見えなかったが、声は明るかった。

「私、小さい頃から誰かの膝の上で食べさせてほしかったんです。だから、お願いします」

「……だからって、男の膝に軽々しく座っちゃいけませんよ」

「彩音さんの膝の上です。誰でもいいって訳じゃないです」

 月ヶ瀬さんの声はあくまで明るかった。

 時折、この子が全くの裏表なしに無邪気に話しているのか、僕をからかっているのか判断に迷うことがある。確かにファーストフードの牛丼を食べたことがないほどに世間知らずだし、超高級レストランを日常的に利用できるほどの家に生まれたようだ。だが、賢い子だ。自分の行動が男にどんな感情をもたらすかはわかるはずだ。僕のことを信用しているのか。からかっているのか。

 それとも愛しているのか。

 ……最後のは違う気がした。

「わかりました」

 僕は牛丼(キムチ載せ牛丼)のパックを開け、彼女の口元に近づけた。迷ったときは目の前の仕事に集中すべし。母が作った我が家の家訓だ。僕もそう生きてきた。もっとも、その結果が正規職につけない現状なのだが。

「こぼれそうになったら言ってください」

「はい」

 この姿勢は牛丼を食べさせるのには適していた。勿論、僕ら二人の息が合っていたのも大きいだろう。二人羽織の大会があれば僕らは優勝できるだろうな、と思った。まるで自分の口に食べ物を運ぶように、彼女の口の位置が感じ取れた。

 彼女の髪の中に顔を埋める。彼女の耳が見えた。桜色の耳たぶに月の形をしたイヤリングが揺れている。

 彼女の髪の匂いが僕を酔わせた。


 流石に牛丼6パックは多いし、残ったら自分の夕食と同僚への差し入れに持って帰ろう、と思っていたが、月ヶ瀬さんは楽々と5パックを食べてしまった。一緒に買ったビールも飲み干す。アルミ缶2本。

「プハッ。ビールはお肉に合いますね」

「ビール飲めるんですね」

「ワインの方が好きですけど、今日はもういいです」

 彩音さんも飲まれますか、と尋ねられたが断った。アルコールは苦手だし、一応は勤務中だ。

 彼女についてわかったことがもう一つ。アルコールに強いということだ。彼女の年齢はわからないが、食事中に酒を飲むのには慣れているようだ。海外とかじゃ昼食からワイン飲むらしいが、彼女もそんな文化で育った印象を受けた。


「それでね、プレゼントってのがひどいんですよ」

 一息ついて、月ヶ瀬さんは今日同席した男のプレゼントについて話してくれた。彼女のお尻は僕の足の間に収まっていた。柔らかな球体が僕の股間に押し付けられている。

 そして僕の手は彼女のお腹の上にあった。食べ過ぎたから、少し撫でてほしいと強引に頼まれた。さすがにあれだけの量を食べたせいか、ドレスはきつそうだった。彼女が喋るたびに、お腹も上下した。

「チョーカーなんですよ。初対面でチョーカー! デザインもひどいし」

 月ヶ瀬さんは腰のポシェットから小さな箱を出した。中のものを取り出す。黒い革製のチョーカーで、留め金は大きなピンク色のハート。確かにひどいデザインだが、ハート部分は小さなダイヤがちりばめられていた。本物のダイヤだろう。

「貴女は首が綺麗だから、きっと似合うと思うんです、って言うんですよ。これには母も困った顔をしていました。あの人が困った顔するなんて滅多にないですよ」

「……初対面でチョーカーはちょっとね」

 僕も同意した。

「プレゼントって何をもらうかより、誰からもらうかですよね。それと心がこもっているか」

 月ヶ瀬さんは僕に身を預けた。再び、僕の顔は彼女の髪に埋もれた。

「私は彩音さんからはもらってばかりです」

「何もプレゼントしていないよ」

「いいえ。彩音さんはいつも私を満たしてくれます」

 月ヶ瀬さんは身をひねり、顔をこちらに向けた。彼女の両手が肩を掴み、ものすごく近い場所に彼女の瞳があった。

「私にお返しをさせてください」

 彼女からはアルコールの匂いがした。まるで砂糖を溶かしたワインのような。きっと酔っているんだろう。そう思った。

「それは必要ありません。僕も貴女と食事できるだけで幸せです」

 月ヶ瀬さんは僕を見つめた。


「いいんですか?」


「え?」

「私は……もっと欲しいです」

 月ヶ瀬さんの唇が僕に近づいた。薄く開いた唇の隙間から、鋭い犬歯が覗く。

 ポシェットの中の彼女の携帯が鳴ったのは、その時だった。


<5>

「時間ぎれですね。結崎さんにばれました」

 月ヶ瀬さんは僕から身を離した。

「あのボディガードの女の人?」

「おそらく10分以内にはここに来るでしょう。残念ですが、今日はここまでです」

 彩音さんのことは黙認してくれているけど、二人でいるところを見られたら、流石に不味いです、と彼女は付け加えた。

 月ヶ瀬さんは立ち上がり、服装を整えた。

「今日はありがとうございました。……牛丼、おいしかったです」

「いえ」

 夜の公園、ぽつりと立った月ヶ瀬さんの姿はひどく寂しげに見えた。

「さあ、行ってください。私はホールに……」

 言葉が止まった。彼女は僕の喉に歯を立てた。


「やっぱり、ダメだ」

 

 彼女は僕の首を舐め、吸い、噛みついた。激しく求める。

 僕の体が正常に発情できたら、どんなにいいだろう。激しく求める彼女が愛おしかった。

 彼女を抱きしめ、耳元で囁いた。

「……我慢しなくていいですよ」

 耳に唇を当てると、彼女の体が震え、崩れた。

「だ、大丈夫ですか?」

「うううううううう」

「大丈夫?」

「反則です!」

 地面に座り込んだまま、月ヶ瀬さんは僕を睨んだ。

「え?」

「耳は反則です! そんなの耳元で囁かれたら、私……」

 息を荒げながら、彼女は腰元に手を当てた。

「どうしましょう!」

「ど、どうしました」

「お手洗い……どこですか?」

 顔を真っ赤にしながら月ヶ瀬さんは僕にいった。


<6>

 牛丼1パックを持って、役場に戻った。

 役場の中は慌ただしかった。どうやら、無事、オペラは始まったらしい。コンサートホールから戻ってきた同僚がそう伝えてくれた。腹が減ったと言ったので、牛丼を差し出すと非常に喜ばれた。

「それより、ホールの入り口で凄え可愛い子を見たぜ」

 牛丼(チーズトッピング、大盛り)をがっつきながら同僚は言った。

「多分、VIP席の客だな。いかにもって黒服の集団が周りを取り囲んでいるんだぜ。あんなの初めてみた」

 ……随分と大事になったみたいだな、と僕は思った。名前を知りたいからVIP席の名簿を見せろと言われたが、適等にあしらった。それに名簿に「月ヶ瀬」の名前はなかった。ただ、予約はされているが名前が載っていない席がいくつかあったのも思い出した。


 1時間後、月ヶ瀬さんからメールがきた。隠れて送っているようだ。

 結局、ワインに酔ったので夜風に当たりたくてホールの外に出たら道に迷った、ということでごまかせたらしい。あのチョーカーをつけていったら、向こうの男もえらく喜んでいたそうだ。

 結崎さんが駆けつけてくるまでの数分間は本当に焦ったが、なんとかなったようで何よりだった。ワイン4本とビール2本は流石に飲みすぎだと思う。


『オペラって、なかなかいいですね』


 ……そう思ってくれるなら、準備をしたスタッフの一人としても嬉しかった。


『それと貸してもらってありがとうございます』


 さすがに履かずに行かせるわけにはいかないよな。

 僕は人に見られないようにズボンを押さえた。パンツを履いてないのは、どうも落ち着かなかった。



 <おわり>


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