お弁当編(3/3)
女の子に「食べさせる」話。三分割した最後の部分です。
「食べさせる」のか「食べられる」のか。「愛情」なのか「欲望」なのか。
そんな話です。
最初は短編のつもりでしたが、連載形式となったので、次のエピソードを書きます。
たぶん。
<7>
「しまったな。もっと入れればよかった」
僕はミートボールを包んでいたビニールを持ち上げた。随分と用意したのだが、月ヶ瀬さんが瞬く間に食べてしまってソースしか残っていない。
「ください」
月ヶ瀬さんはラップを口に含んだ。
「顔につくよ」
そういったが彼女は口を動かすのをやめなかった。ビニール越しに彼女の舌が踊る。
初めて会った時も「ください」と言われた。
あの後、月ヶ瀬さんは台所でコンソメを飲んだ。
「…………美味しい」
彼女は呟いた。
「もっとください」
「わかった」
コンソメをカップに注いだ。この状況が奇妙だとは思わなかった。
裸の女の子に台所でスープを飲ませている状況を不自然に思わなかった。
この子は僕の料理を必要としている。だから、それを与えることが、この時の全てだった。
二杯目を飲み終えた時、彼女のお腹がなった。止まっていた体が動き出したかのように。
「うわ、恥ずかしいです」
お腹を押さえて彼女は言った。
裸でいるのだから、それくらいは大したことではないと思うが、本当に恥ずかしそうな表情をしていた。
まるで体を支えていた糸が切れたように彼女の体がふらついた。僕は彼女を受け止め、支えた。
「部屋に戻りましょう」
ひどく男前なことを言った気がする。後から考えると信じがたいが、彼女の体を抱え上げて部屋に運び、体を拭いて布団に寝かせた。
「何か料理を持ってきます」
布団に寝た彼女に僕は言った。彼女はボンヤリと僕を見上げ、頷いた。
その日は土曜日で一晩経った日曜日の夕方に迎えが来た。
細い道が一杯になりそうな黒塗りの高級車だった。彼女はごく自然に車に乗り、迎えに来た黒服の男女は僕を完全に無視して車を発進させた。
家に戻ると布団にメモ書きが置いてあり、メールアドレスが書いてあった。
「月ヶ瀬 睡夢」という名前もそこに書いてあった。
それから、僕は彼女と食事をすることになった。
僕が作った料理を彼女が食べる。
内容は僕が考える時もあるし、彼女がリクエストする時もある。
今日のリクエストの弁当はすでに重箱の方が空になっていた。
「もう終わり……」
「まだ、ありますよ」
筒状の弁当箱を叩いた。三段になっていて保温のできる最新型のものだ。
「市販のミートボールがあんなに気にいると思ってなかったから、こっちを出すのが気がひけるんだけど」
僕は蓋を開けた。1段目には昨日作った肉団子の餡掛けが入っている。シンプルにお弁当メニューだった重箱と違って、僕のオリジナルレシピだ。
「いい匂い」
「生姜とハーブが入ってます。割とすっきりと食べられると思いますよ」
重箱のほうの量が多かったから、食べやすいほうがよかったかと思ったが、月ヶ瀬さんを見ると、それは杞憂だとわかった。
「食べますか?」
僕が尋ねるより早く、彼女は口を開けた。
「お願いします」
「食べ過ぎはよくないですよ」
「お願いします!」
彼女は四つん這いになって僕に顔を近づけた。腰を振れといったら躊躇なく振りそうだ。スカートの下から白い足の指が見えた。小指の先まで綺麗な子だ。
「じゃあ、まず一個」
指で肉団子をつまんで差し出す。あっという間に彼女の口の中に入った。
「ん~~~~っ」
彼女はバタバタと足を動かした。
「だ、大丈夫?」
「すっごく美味しいです!」
彼女は顔を輝かせた。
「表面がパリッとしているのに中は柔らくて、噛めば噛むほど美味しいし、なによりタレがすごいです。濃いのに後味がスッキリです!」
「気にってもらえてよかった。香辛料とハーブの組み合わせを前から色々と試してたんだけど……
「もっとください!」
彼女は目を閉じて口を開けた。彼女の肌は汗にまみれていた。山道を歩いてもアスレチックを登っても平気な顔をしていたのに、食べ始めてから汗が出始めて、ここにきて更に吹き出ている。まるで全身で消化にかかっているかのようだ。四つん這いになっているので、背筋の方のブラウスが濡れて肌に張り付いているのがわかる。
「汗がすごいよ」
タオルで彼女の顔の汗を拭おうとしたが、その前に彼女の手が僕の肩を掴んだ。
「ください」
「わ、わかった、わかったから落ち着いて」
あえぐように耳元で囁かれては、逆らうことなどできない。彼女からは甘い匂いがした。雨の中で花畑に伏せれば、こんな匂いに包まれるのではないだろうか。
僕は彼女の肩を押し返した。彼女も興奮しすぎたと反省しているようで、目を反らせている。
頬が赤いのは恥じらいのせいか、興奮のせいか判別はできないが。
「行きますよ。気分が悪くなったら……」
彼女は黙って口を開けた。僕は肉団子を次々と彼女に差し出した。彼女の食べっぷりはここにきて更に加速した。驚異的な速度で咀嚼し、飲み込み、口を開く。
そのたびに僕は料理を差し入れ続けた。
最後に残ったタレを指ですくう。
彼女は躊躇なく指を口に含んだ。人差し指と中指が根元まで彼女の口内に入る。
「離して……ください」
僕の懇願を無視し、彼女は舌を伸ばし、指の間を舐めた。
親指を口に含み、手のひらを舐める。食べ物を運んだ時に手についたものは全て舐め取られた。
それでも彼女は止めなかった。
彼女の発汗はさらにすごいことになっていて、ブラウスは雨に濡れたようになっていた。胸も布地が張り付き、その曲線が露わになってしまっている。レース生地の下着もすけて見えた。上品なデザインが逆に淫らだ。
この状況に自分の体が反応できないことを感謝しつつ、恨めしかった。
「下の段は何が入っているんですか?」
彼女がお弁当の次の段に目を向けた。惚けたような視線だが、食べ物は見逃さない。この段は保温機能が一番高い構造になっている。
「その……」
「なに?」
「あったかい方がいいかなと思って……」
最新の弁当の密閉機能は大したものだ。中に入ったコンソメスープは朝に入れたのと同じ温度で湯気を立てていた。でも、今は冷めていてほしいと思った。
「彩音さんのスープだ」
「その……暑いからやめておこうか」
「熱いの好きです」
汗に濡れた顔で彼女は微笑んだ。
「彩音さんのください。お願いします」
「はい」
さすがにスプーンを使って彼女の口に運んだ。僕が息を吹きかけてから彼女に差し出す。彼女も息を吹いてからスプーンを口に入れる。でも、後半は彼女が我慢しきれなくなって、容器から直接飲みはじめた。
静かな草原の中、彼女が飲む音だけが響いた。
<8>
「見ないでくださいね」
「……はい」
月ヶ瀬さんが体を拭く音が聞こえる。僕のタオルで汗を拭っている。
目隠しをされているので、それを見ることはできない。いや、もちろん、見ないと約束している。でも、彼女が吐息を漏らすたびに、反射的に目が動いてしまう。
弁当箱の三段目に入っていたデザートの果物を平らげた後、月ヶ瀬さんは髪を束ねていた白いリボンで僕の目を覆った。僕は座り、すぐそばに彼女がいる。
「背中、拭いてくれますか」
手の上にすこし湿ったタオルが置かれた。
「いや、でも……」
「自分じゃ届かなくて」
手を掴まれ、導かれる。直接肌に触れないようにしながら、彼女の背を拭いた。厚手のタオル越しにも彼女の肌の滑らかさと、柔らかさが伝わってきた。
「彩音さんに拭いてもらうと、始めて会った時のことを思い出しますね」
あの時も体を拭いてもらいました、と彼女は言った。
「よく覚えてなくて……その……必死で」
「すごく気持ちよかったです」
唐突に彼女は僕に倒れかかった。僕の手をすり抜け、彼女の頭が膝の上に乗っかった。
「しばらく……このままでいさせてください」
あぐらをかく形で座っていたので、彼女の頭は僕の右太ももの上に収まっていた。耳の形がジーンズの布地越しに感じとれた。
「手、握らせてもらっていいですか」
右手を差し出すと、彼女の両手がそれを包んだ。押してられた柔らかなものは、彼女の唇だろうか。
「彩音さんの手、好きです」
彼女の声が指にかかった。
「暖かくて大きくて、安心します。それに美味しい料理を作ってくれます」
「……今日のお弁当はどうでしたか?」
「素晴らしかったです。外で食べるお弁当って本当に美味しいんですね」
「そう言ってもらえれば何よりです」
「また……作ってもらえますか」
「喜んで」
月ヶ瀬さんは僕の手を握りしめた。
「本当にお腹一杯です。それに」
月ヶ瀬さんは長く息を吐いた。
「服を脱いで、風に当たっているのって、気持ちいいですね」
「誰かに見られたら」
「大丈夫ですよ。ここにいるのは、私達だけです」
さっきから彼女の頭がちょうど僕の股間に当たっているのに気づいているのだろうか。もっとも、僕のそこは機能しないのだが。
裸なんだろうか。確信に近い想像が頭に浮かんだ。日を浴びて輝く彼女の白い裸体が。
彼女の手が僕の頬に触れた。
「見ないでくださいね。私、今、すごくはしたない格好なんです」
「だったら服を」
「嫌です」
彼女は僕の体の上でクスクスと笑った。しばらくすると彼女の呼吸音が寝息に変わった。
無防備ってものじゃない。
身体中から汗が噴き出し、震える。
彼女の口元が僕の股間の付近に触れている。体が正常に機能すれば、きっと僕は勃起しているだろう。
勃起不全は、母が死んだ頃から続いている。まるでそこだけ神経が通っていないように感触がなく、刺激しても勃たないのだ。医者にはかかっていない。理由は3つ。病院に行くのが恥ずかしいのと、保険の対象外で治療費が高くなるだろうこと。高い医療費が払える経済状況ではない。それと生活において、勃起させる必要も機会も皆無だったからだ。勃起不全と同時に性欲も減退していた。
だから、それでいいと思っていた。
彼女に会うまでは。
彼女がこんなにも僕を信用してくれているのに、僕は彼女の体のことばかり考えている。彼女を欲望の対象にしてはいけない。そう自分に言い聞かせる。
それでも僕は清楚で豊かで淫らな彼女の体を欲望の目で見てしまう。
左手をきつく握りしめる。
右手に彼女の唇を感じる。
指を中にいれる。
小さく硬い歯。
濡れたビロードのような舌。
蛇腹のような口蓋。
その奥に指を入れる。
彼女の体が痙攣するが、かまわず喉を指でかき分ける。
奥へ。
彼女の体に噛みつく。
白い肌は太陽の味がした。
舐めまわし、食いちぎり、味わう。
彼女の唇を、喉を、胸を、そして内臓を。
彼女の体を内側から食い尽くす。
彼女が泣いている。
でも、止まらない。
彼女の声が欲望を掻き立てる。
引き裂き、飲み干し、噛み砕く。
貪欲に食い続ける。
餓えを満たすために。
「大丈夫ですか?」
月ヶ瀬さんの声で我に返った。いつの間にか目隠しが外されていた。太陽は西に傾きかけていたが、周囲はまだ明るい。
きっちりと服を着た月ヶ瀬さんが僕の顔を覗き込んでいた。
「……寝てた?」
「寝てました」
月ヶ瀬さんは笑った。
「彩音さんの寝顔、始めて見ました」
「見ないでくれ」
「もう見ました。少しうなされていたようでしたが、大丈夫でしたか?」
もしかして、私が重かったですか? と尋ねられた。
「いや、ちょっと嫌な夢を見たんだ」
……夢か。
僕は心の底から安堵した。あんな夢見るなんてどうかしている。でも、その一方でわかってもいた。あの夢は素直に僕の願望そのものだと。
浅ましいな。
「泣いているんですか?」
「え?」
気がつくと確かに僕の目から涙が溢れていた。誰かがスイッチを入れたかのように涙が流れ続けた。
小さい頃、母に言われたことを思い出した。泣いても何も解決しない、と。確かにその通りだ。泣いた所で僕の浅ましさが消えるわけじゃない。むしろ、情けなさが増えるだけだ。
でも、そう考えたって涙が止まるわけじゃないんだ、母さん。
「ごめん、なんか涙が……」
涙を拭こうとした僕の手を月ヶ瀬さんが止めた。
彼女は僕の顔を両手で包んだ。僕の顔をじっと覗き込む。
「月ヶ瀬さん。……僕は……君のこと……」
涙が流れ続ける。
彼女は微笑んだ……気がした。次の瞬間、彼女は口を開けると僕の左頰の涙を舌で舐めた。舌は頰を這い上がり、唇が目を覆った。彼女の舌が瞼を舐め、涙を吸い取る。
「……美味しい」
月ヶ瀬さんはそう言った。




