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お弁当編(2/3)

実はこの話は最初に短編として投稿したのですが、少し長いかと思って分割したために運営の方から注意を受けてしまった経過があります。確かに短編を分割しても仕方がないですね。


ヌードシーンがあるので、年齢制限に引っかからないかとヒヤヒヤしていましたが、そちらは大丈夫だったようです。よかった。

<4>

 駅からバスで数駅行くと山越えの道に入る。

 山といっても住宅地を切り開いた時に残った場所だ。道を少し行けばニュータウンに出る。名前は新しいが、高齢化の進む区域だ。付近の住民からも通り過ぎるだけの場所と思われているだろうし、そこに寂れたハイキングロードがあるのを知っている人も少ないだろう。

 僕がこの道を知っているのは幼い頃に母と歩いたことがあるからだ。

 昔はもっと長くて、山に沿って市を一周できた。開発工事があったのでなくなったと思っていたが、最近、役場の調査に同行した時に一部残っていることを知った。 

 バス停で降りたのは僕たち二人だけだった。そこから草に覆われた道に入り、枕木の置かれた階段を上る。途中で鉄製のゲートがあるが、ここの鍵は壊れている。


 5月後半とはいえ少し汗ばんだ。月ヶ瀬さんは意外と身軽に道を歩いていた。

 今日はハイキングをするという話だったのに、ローファーを履いている。学校の指定品でありそうなデザインだ。普段から使っているものを、そのまま履いてきたのだろうか。なんにせよ、山道には合わない靴だ。

 食事をする時、月ヶ瀬さんはリクエストをする。今日のリクエストは「ハイキングでお弁当を食べたい」だった。些細なリクエストだが、彼女はハイキングというもの自体をしたことがなさそうな気がした。5分ほど歩くと小さな草原に出た。もとは公園だったらしく、朽ちかけたベンチがあったので、そこに座った。

「疲れました」

 月ヶ瀬さんはベンチに座りながら背を伸ばした。背もたれの部分が湾曲したデザインなので、彼女の体も弓反りになった。胸を強調するポーズになっているのに気づいているだろうか。ノースリーブなので、真っ白な脇の下があらわになった。うっすらと汗で濡れている。

 

 無防備すぎる。


 いつも思っていることだが、今日は特にそう思った。まったく人気のない場所に男と二人きりなのだ。もう少し警戒してもいいのではないだろうか。それだけ信用されているということか。それとも男として見られていないのか。

「お腹が空きました」

「まだ早いんじゃないかな」

 時計を見ると10時半過ぎだった。朝にバーガーセット2人分を食べたとは思えない発言だが、彼女の食欲はいつもこんな感じだ。彼女は明らかに不満そうな表情で周囲を見回した。

「じゃあ、運動しましょう」

 月ヶ瀬さんは草原の端を指差した。草に埋もれて気付かなかったが、木製のアスレチックがあった。そういえば昔、遊んだ気がする。僕が感傷に浸った間に、月ヶ瀬さんは駆け出していた。

「古いから危ないですよ」

 追いついた時にはすでに彼女はアスレチックに登ってしまっていた。

 物見櫓のような塔を中心として、木の橋や柱が立ち、ロープや階段で上がっていく構造だ。

「大丈夫です」

 見上げた先でフレアスカートが揺れた。見るとハシゴに掴まって登っている。スカート丈は短くはないが、ほぼ真上にいるので、スカートの中が見えそうだ。


 ……無防備すぎる。


 そう思ったが、一人で行かせるのは危ないので僕もハシゴを上ることにした。

「見てください!」

 ……いや、上を見るわけには……と思ったが、彼女は既に塔の上に到達したようだった。僕も少し遅れて物見櫓の頂上に着いた。最初に見えたのはローファーを履いた足首だった。それと黒のソックス。引き締まったふくらはぎと、膝の後ろのくぼみ。そして白い太もも。

「あの……そこに立っていると」

「見てください」

 彼女の足の間から町が見えた。規則正しく並んだニュータウンの街並みが春の日差しを浴びて輝いている。

「すごい眺めですね」

 塔の上で仁王立ちしながら月ヶ瀬さんは言った。敵地を制した騎士のような凛々しい姿だった。


「今日はここで食べたいです」

「……わかりました」

 

<5>

 クーラーボックスなどの荷物を塔の上まで運ぶのはそれほど難しくはなかった。角度的に見えていなかったが、ハシゴのほかにも階段で上がれたからだ。

 塔の上は2畳程のスペースがあった。そこにレジャーシートを広げ、荷物を置く。

「こっちへどうぞ」

 月ヶ瀬さんは端に腰掛け、町の風景を眺めていた。

 後ろ姿なので、どんな表情で見ていたのかはわからない。

「水分補給しましたか?」

 水の入ったペットボトルを差し出す。

「そういえば、喉が乾きました」

「よくないですよ。喉が乾く前に飲まないと」

「飲ませてください」

 月ヶ瀬さんは座ったまま、体を僕の方に向けると口を開けた。軽く舌を突き出す。

「水分補給は自分で……」

 彼女は無言で首を降った。物欲しげに舌が差し出される。

 こうなると彼女はテコでも自分の手を使わない。

「わかりました」

 僕はペットボトルの蓋を開け、彼女の口の中に水を注ぎいれた。彼女は口を開けたまま、喉を動かす。一瞬、全て飲み干しそうな気がして判断が遅れた。口から水があふれ、苦しげに咳き込む。

「ご、ごめん」

「いえ、大丈夫です」

 月ヶ瀬さんはニッコリと笑った。

「少し濡れましたが、気持ちいいくらいです」

「そんな気遣いはいいから」

 手にしたタオルで彼女の口元をぬぐった。

「服も少し濡れました」

「そうだね」

 スカートに飛んだ水滴を拭いた。

「ブラウスも拭いてくれますか?」

「え?」

 月ヶ瀬さんはブラウスの胸元を指差した。少し濡れているのは、汗で濡れているように見えた。

 透けて肌に張り付いている。

「そ、それは自分で拭いてください」

「え〜〜」

「そういわないでください」

 月ヶ瀬さんは不満そうな表情でタオルで拭きながら、襟元のボタンを外した。

 襟元を掴んでパタパタと空気を送り込む。

「脱いじゃえば楽かもしれませんね」

「それは……」

「冗談ですよ」

 月ヶ瀬さんは立ち上がった。

「さあ、食べましょう」


 月ヶ瀬さんは靴とソックスを脱いで、シートの上に座った。別に靴下は脱がなくても、と思ったが、彼女が脱いだので僕も靴下を脱いだ。

「彩音さんの足の指って初めて見ました」

 月ヶ瀬さんは僕の足を見た。そう言われると、妙に恥ずかしくなった。彼女の足はスカートの下に隠れて見えないのが、ひどく残念な気がした。


「お願いします」


 月ヶ瀬さんが両手を差し出した。その手には白いシュシュとリボンが握られている。僕はシュシュを彼女の両手首に巻くと、その上からリボンで縛った。

「きつめにお願いします」

 朝のバーガーの時は人目を気にして軽く結んだだけだった。

 彼女の口調はそれを咎めているような気がした。

「いいんですか」

「いいんです」

「わかりました」

 きつめに結んだ。

 それからシートの上に置いた弁当箱の蓋を開けた。


 今回、用意した弁当箱は二段になった木製の「重箱」タイプのものと、三段で保温ができるものだ。重箱は一辺が30センチ程ある大型のもので、これだけでも二人分の量としても多いくらいだろう。

 ハイキングのお弁当というリクエストだったので、内容はお弁当の定番のメニューにした。玉子焼き、唐揚げ、ウィンナーに野菜炒め、そしてミートボール。これを重箱の上段に詰め込んだ。


 月ヶ瀬さんはミートボールを食べたことがないという話だったので、まずは市販のものを買って入れた。

 この手のレトルト食品のクオリティの高さは素晴らしいものだ。ただ、最初に彼女の関心を引いたのは赤いウィンナーだった。切り込みを入れて、タコの形にしてあるウィンナーだ。

「タコさんウィンナー!」

 私、タコさんウィンナーって初めてです、と月ヶ瀬さんは言った。

「じゃあ、これから」

 僕は箸でウィンナーを掴むと彼女の方へ差し出した。

 彼女は縛られた両手を床につけて、口を大きく広げた。

 その姿はご褒美をねだって尻尾をふる犬のように見えた。いや、尻は振ってはいない……と思う。

 二の腕に挟まれて、豊かな胸が強調されていたが、僕の視線は彼女の口に集中していた。

 ウィンナーを彼女の口に入れる。

「結構、皮が固いんですね」

 彼女は口に入れたウィンナーを舌で弄る。目を閉じて、舌の感触だけで形を楽しもうとするかのように。そして、噛む。口の中でウィンナーが弾ける光景が脳裏に浮かんだ。

「美味しい」

「まだ、ありますよ」

「お願いします」

 月ヶ瀬さんはうっすらと目を開けて、僕を見た。

「お箸は使わなくていいです」

「でも」

「お弁当は手づかみで。そう仰っていたじゃないですか」

「……でも」

「お願いします」

「…………わかりました」

 衛生面で不安もあったが、水とウエットティッシュで手を拭いてはいた。

 

 彼女のリクエストだ。


 そう自分に言い聞かせる。自分でも流されやすいと思う。

 僕はウィンナーを指でつまみ、彼女の口腔に差し入れた。

 彼女の唇が僕の指ごとウィンナーを食べる。すこし油っぽい粘膜の感触。タコは瞬く間に絶滅した。


「……玉子焼きもどうですか」

「すごい、中がトロトロ!」

「甘くなくてよかったですよね」

「甘い玉子焼きってあるんですか」

「……それは、また今度で」

 僕は重箱の上段を外した。重箱の下段には、おにぎりを敷き詰めてある。全て一口サイズ。

 大きさがポイントだ。

「おにぎりもありますよ」

「中はなんですか?」

「食べてみてのお楽しみです」

「……梅干しは入ってないですよね」

「どうかな」

「意地悪!」

 そう言いつつも彼女はおにぎりにむしゃぶりついた。

 彼女の口のサイズを考慮しているとはいえ、本当に一口で食べてしまったのには驚いた。

「シャケだ!」

 驚異的な速度でおにぎりを咀嚼し終わると、満足げな声を出した。

「ご飯にもシャケのフレークを混ぜてます」

「すごく美味しいです」

「他の具もありますよ」

「いただきます」

 彼女は軽く一礼した後、口を広げた。

 その後、おにぎり(昆布、焼き明太子、野沢菜など)を半ダースほど平らげた後、ミートボールに取り掛かった。タレが付いているので迷ったが、結局手づかみで行くことにした。


「美味しい」


 僕の指に付いたタレを舐めながら彼女は呟いた。

「小さい頃、テレビのCMでお弁当にミートボールって流れてたんです。それからずっと食べたくて。こんなに美味しいものだったんですね」

「そうですね。お手軽なのに凄く美味しい。お弁当の味方です」

「もっと……ください」

「どうぞ」

 僕は食べ物を差し出し続けた。

 すでに重箱の上下ともに3分の2以上を食べているが、一向にペースが落ちない。

 むしろペースが上がっているようだ。

 不思議な子だ。


<6>

 僕と彼女の出会いは半年程前のある雨の日だ。

 僕の家は旧市街地の細い路地の奥にある。

 夕食の買い出しに言った帰り道、路地の入り口に彼女が倒れていたのだ。

 ひどい雨が降っていたので、慌てて家に運び込んだ。

 意識はあったが、ひどく虚ろな表情をしていた。

 そう、すごく寂しそうな顔をしている。

 それが月ヶ瀬さんへの第一印象だった。

 死んだ母が使っていた部屋で体を拭かせる。

 救急車とかは絶対に呼ばないでほしいと言われた。歩いていたら気分が悪くなったので、座り込んでいただけなのだ、と。感情のこもっていない早口で彼女は言った。

 それならば、しばらく休んでいってください、と僕は言った。彼女はすぐにでも出て行きたそうな表情だったが、体力的に限界だったのだろう。そうさせてもらうと頷いた。

 追加のバスタオルを出して、布団(母が使っていたもの)を敷いて、風呂を沸かせてから、ふと状況の異常さに気がついた。だが、この場合、他に仕様がないはずだ、と自分に言い聞かせた。誰かに相談したい気もしたが、こういう時に助けてくれそうな女性の知り合いもいなかった。


「お風呂、使わせてもらってよろしいですか」

 背後からいきなり声をかけられて飛び上がった。見るとバスタオルを持った月ヶ瀬さん(この時はまだ名前を知らない)が立っていた。

「い、いいですよ、もちろん」

 焦りながら、しどろもどろに話す僕の横を彼女は通り過ぎた。

 まるで僕のことが目に入っていないようだった。

 今から考えれば妙な話だが、僕は恐怖を感じた。

 彼女はまるで幽霊のように見えた。僕の家に入り込んだ人ならざる存在に見えた。

「ふ、古いですけど、乾燥機もありますよ」

 かろうじてそう言った僕を無視して彼女は浴室に入り、ドアをピシャリと閉めた。


 ……参ったな。

 僕は台所をうろつきながら考えた。

 台所に来たのは、とりあえず浴室から離れたかったのと、料理の途中だったからだ。

 昨日から作っていたコンソメに火を加えた。心を落ち着けるにはコンソメを煮立てるに限る。とはいえ、すでに完成はしている。夕食には出せるだろう。

 母だったら、こんな時どうするだろう。僕は考えた。

 すぐに出て行かせろっていうんだろうな、と結論が出た。自分の家や領域に他人を入れるのを嫌がる人だった。あの人ならそういうはずだ。部屋を使わせちゃってゴメンね、と心の中で呟いた。

 味を見るために、コンソメを一杯分とって、カップに入れた。

 ……あの子、お腹空いているかな、と考えた時、物音がした。

 振り返ると台所の入り口に彼女が立っていた。

 風呂に入っている途中だったのか、ずぶ濡れで全裸……だったと思う。

 驚きすぎたのか記憶が曖昧なのだ。覚えているのは、食い入るように僕を見る黒い彼女の瞳と赤い唇。墨をこぼしたように体に張り付く黒い髪。


「ください」

 彼女は言った。


「それ、ください」、と。


 <続く>

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