人体の不思議展
キーン コーン カーン コーン。
チャイムが鳴った。
「はい。手を止めて。後ろの人は、悪いけど、解答用紙を集めてきてくれるかな?」
試験監督の先生が指示をする。
うー。
終わった……。
「やったー」
「これで遊べる」
「長かった」
教室からは、クラスメイトたちの安堵に満ちた声が聞こえてくる。
俺は安心など、できなかった。
試験の結果がヤバイ。
俺はその数学のテストを、ほぼ白紙で提出した。
きっと、赤点補習決定だなあ。
トホホだよ……。
成績は悪くない方なんだけどな……。
今回ばかりは、最悪だ。
それも、これも、小山内あやめのせい……。
小山内あやめのことで悩み過ぎて勉強できなかったんだ。
いつまで、彼氏をすればいいんだ?
俺の好きな人は、福田さんなのに……。
いつまで、小山内あやめに振り回されるんだ?
毒ガス騒ぎに、暴走族対決、いろいろあって疲労困憊したし……。
そんなことを考えているうちに……。
期末テストは……。
終わった……。
「やぁ~ん。数学ぅ手強かったね!」
筆記用具をしまっていると、小山内あやめが現れた。
相変わらず、幸せそうだ。
そして。
相変わらず、臭い。
強いニオイを放っている。
どうやら、考え事をしているうちに、HRが終わったみたいだ。
みんな帰っている。
「帰ろうよぉ」
「待ってくれよ。今、ちょっと帰る用意してるから」
俺がモタモタしていると、小山内あやめが遠慮がちに、こう切り出してきた。
「翔太ぁ……人体の不思議展デートしない?」
?
なんですと?
人体の不思議展デートですと?
「期末も終わったし。暇だし。私たち付き合ってるのに初デートまだだし」
別にデートしなくても……。
それに。
初デートが人体の不思議展?
おかしくねー?
「今日の午後にでも待ち合わせして行こうよ」
小山内あやめが俺を誘う。
人体の不思議展デートって……。
公園デート、ドライブデートなら聞いたことあるけど……?
人体の不思議展って、ホットなデートスポットなのか?
「△△ビルの五階で不思議展やってるんだ」
「流行ってんの?」
「え?」
「人体の不思議展」
「う~ん、女性には人気あるらしい」
「俺、そういうの苦手」
「そっか。残念。まー、無理にとは言わないよ」
「ごめんね」
「いいよ、気にしてないからね。えへ」
小山内あやめは優しく微笑む。
なんか悪いかなあ?
でも、人体の不思議展って気持ち悪いイメージがして行きたくないんだ。
不気味なんだよなー。
俺が帰ろうと、立ち上がった瞬間に、小山内あやめが穏やかな口調で、こう言った。
「本当は私も気乗りしないんだけど、美雨が『行こう』って言うんだよ。『翔太君も誘って』って言われたんだ。『人体の不思議展の素晴らしさを知って欲しい』って」
何だって!!
福田さんがっ!?
俺を誘えってことは俺に気があるのか?
「でも、翔太は行かないんだよね? 断っとくよ。今日は二人で行くよ」
「えっ! 待って! 小山内さんっ!」
俺が、後ろを向いて帰ろうとした小山内あやめの手首を、思わず、興奮してギュッとつかむ。
「やん! 痛い! 翔太、その愛が強いよっ!」
愛してねーよっ!
それに、これは。
小山内あやめじゃなくて、福田さんへの愛だから!
「福田さんも来るの?」
「うん。三人で。私たちのデートに美雨は人体マニアだから案内をする、ガイドさんとして付き添う予定だったんだ」
「福田さんが、ガイド!?」
「うん。でも、行かないんだよね?」
「いや。喜んで行かせていただきますっ!」
俺は、そうハッキリ返事した。
福田さんが腐女子で、さらに、『人体マニア』なのは気になるけど……。
「ふ~ん。行くんだね。じゃ、美雨に報告しとく。本当は二人きりのデートが普通なんだけどなー? 美雨がついてくるから残念。でも、帰りは二人でどっか寄ろうね」
ううん。
寄らない。
小山内あやめなんかと二人でデートしたくない。
「何時にどこで待ち合わせ?」
俺がノリノリで聞く。
嬉しいからに決まってるだろ?
「う~ん。じゃ、私と美雨のマンションの前で2時に待ち合わせ。△△ビルは私たちのマンションの近くにあるから」
「OK」
「じゃ、帰ろうよぉ」
小山内あやめに促されて俺は教室を出た。
☆☆☆
俺は緊張していた。
どんな服を着て行こうか?
俺の私服姿を大好きな福田さんに見せるのは、初めて。
何系の服が好みなんだろう?
俺の愛しい福田さん。
教えてくれ。
自分の部屋のクローゼットの中の服を物色しながら、福田さんのことを思う。
もしかして……。
俺のことが……。
好きなのか……?
福田さん……。
そうなのか……?
期待してもいいのか?
だって。
俺のことが気になるから初デートについてくるんだろ?
人体の不思議展の素晴らしさを知って欲しいって……。
わけがわからんし。
俺を誘うよう小山内あやめに声をかけたのは、福田さんだし。
俺のことが好きなんじゃないか?
俺の顔に一目惚れしたとか?
俺ってイケメンだから、ありえるよな?
自信を持っていいんだよな?
俺は真新しいTシャツとジーンズに決めた。
そして、着替える。
洗面所の鏡の前に移動して髪型を整える。
部屋に戻ってアクセサリーBOXをあさる。
いつもより、服装を地味にした分、アクセサリーは派手にするか。
そして。
準備ができたので待ち合わせ場所のマンションに向かった。
向かう途中、胸がドキドキする。
福田さんに会える。
プライベートで会うのは2回目。
前回は小山内あやめの自宅で顔を合わせた。
あの日、福田さんは青バケツにザリガニを入れて持ってきて、ザリガニを洗ってたっけ?
愉快だな、福田さん。
また、会話できるかな?
今度はマジ告白されたりして?
ありえるかも。
『翔太君』
『福田さん、俺に人体の不思議展を見て欲しいって本当?』
『ううん。嘘。本当は違うの』
『え?』
『それは口実』
『口実って、どういうことだよ?』
『本当は、翔太君と遊びたかったの』
『俺と?』
『うん』
『どうして?』
『それは』
『それは?』
『あなたのことが』
『俺のことが?』
『好きだから』
なーんちゃって!
もう。
福田さん、俺に告白なんて小山内あやめに悪いから、やめろよ。
でも。
純粋に俺のことが好きなんだよなー?
美雨……。
とか。
み~ちゃん……。
なーんて、呼ぶような間柄になるのかなー?
照れるなー。
俺のこと、好きだったんだなー。
俺たちは両思いだったんだ。
小山内あやめには悪いけど付き合っちゃう?
ぷぷっ。
なんか嬉しくて顔がほころぶ。
地下鉄の駅の階段を上がり、外に出る。
澄んだ青い空を見上げて、深呼吸した。
駅から歩いて小山内あやめと福田さんが住むマンションに着く。
俺は歩きながら、福田さんと付き合うことを妄想した。
顔が半笑いになる。
青い空の下、すれ違う人にジロジロ顔を見られる。
気にしない、気にしない。
んな、楽天家の俺。
「翔太ー!」
小山内あやめが遠くから手を振った。
もう、すでに待機していた。
福田さんも待ち合わせに来ている。
俺は、信号待ち。
信号が青に変わって、横断歩道を渡る。
到着っと。
「待った?」
俺が二人に尋ねる。
「待ってないよ。私たちも今ちょうど来たの」
福田さんが答える。
小山内あやめは、やたら、体をくねくねさせながら、大喜びしている。
何なんだ、この喜び方?
「やん。翔太ったら、さっき、見たんだけど、ニヤついてたでしょ? 私との初デート、超超楽しみにして来たんだね。私も超超嬉しいよ」
違う。
小山内あやめとの初デートはどうでもいい。
福田さんともうすぐ、ラブラブになれるから、ニヤついてたんだよ。
俺は、じっと福田さんを見た。
福田さんの私服。
まぶしい。
上は半袖チェックシャツ、下はデニムのショートパンツで生脚を露出していた。
夏だけあって、露出度が高い。
お世辞でも細いとは言えない福田さんだけど、柔らかそうな太ももは魅力的だった。
誘惑するなよ、美雨……。
俺を挑発する気だな?
もう、気持ちはわかってる。
充分、想いは伝わってる。
そんなことしなくても、俺は美雨を愛してるから。
「やぁ~ん。見ないでよぉ。見ないでってばぁ」
うるさい、ハエのような女が騒いでいた。
しかも、くっさ!
「見とれる気持ち、わかるけどぉ、あんまりぃ、見られると照れちゃう」
見てねーよぉぉぉぉぉ!
よく。
考えてみたら。
今日のデートに邪魔なんだよぉぉぉぉぉ!
小山内あやめ、いらねーよぉぉぉぉぉ!
「それは、可愛すぎるからだよ。あやめがそんな服を着てくるから彼氏に見られるんだよ?」
福田さんが小山内あやめを、そう誉める。
たしかに……。
ボーイッシュな福田さんとは対照的に、小山内あやめは女っぽいファッションだった。
白地に青い花柄のワンピース。
エスニック系のサンダル。
南国リゾート風だった。
いかにも、彼氏持ちって感じの子に見える。
でも!
風呂入ってねぇぇぇぇぇ!
オシャレしてくるなら、風呂入れぇぇぇぇぇ!
「行こ」
福田さんが歩き出す。
「うん!」
元気いっぱい小山内あやめが、うなづいた。
俺も二人にとぼとぼ、ついていく。
そうして、△△ビルに到着した。
エレベーターに乗って、五階に行く。
「オークションで千円で購入したんだ」
そう言って、チケットを福田さんが見せる。
三枚のチケットを、ヒラヒラさせた。
俺は、福田さんに千円払った。
小山内あやめも払う。
福田さんは何回も来ているのか、「展示数が思ったより少ないからって、がっかりしないでね」と告げると、受付に行ってチケットをチケット係に渡した。
部屋に入る。
うわっ!
気味悪い!
これぞ、人体の不気味展。
献体が大きな部屋に展示してある。
もっと部屋があるのかと思ったら、ここだけだった。
福田さんが、ガイドをする。
「献体は、男性が圧倒的に多いよ。ぜーんぶ、干物状態。ホルマリンには漬けられてないよ」
たしかに、見ると。
完全に、干からびた状態で展示されている。
するめイカのような感じ。
それが、マネキンみたいに飾られている。
「こ、これ、生きてたんだよね?」
小山内あやめは、こわがって、俺のTシャツの裾を強く握ってくる。
Tシャツ、伸びるから握るのやめて。
「うん。そうだよ。献体は中国人」
福田さんがサラッと言った。
まだ、説明は続く。
「骸骨に干物筋肉がついているだけで、毛は全然ないでしょ? でも、これを見て。まつ毛が残ってる」
福田さんが指差した献体には、まつ毛が残っていた。
ひどく生々しい。
「気分……悪くなってきた……」
小山内あやめのテンションが下がる。
また、青汁を口から飛ばしませんように。
「この献体は爪が汚れてるの」
福田さんがまた別の献体を指差す。
よく来てるんだなあ。
それで、よく観察してるんだなあ。
「それじゃ、ここで自由行動にしましょう」
福田さんが提案する。
俺たちは各自バラバラに行動することになった。
俺は、興味ないんだけど。
客は、みんな興味津々といった感じだ。
献体に見入っている。
小山内あやめが言ったとおり、女性に人気があるのか、客は女性がほとんどだった。
女は、こういうの好きなんだなあ。
ブラブラと歩いていると、いっぱい人が並んでいた。
人だかりができている。
なんだ?
あの一角の人だかりは?
俺は福田さんを見つけて、こう尋ねた。
「あの人たち、何してるの?」
「あー、あれね。脳年齢を調べてくれるんだって」
「ふーん。それで、並んでるんだ」
「うん」
俺たちが喋っていると、「やあ」と男に突然、声をかけられた。
俺はビックリ。
それは……。
俺の……。
幼なじみ、中目黒圭太だった。
中目黒圭太は、いつも笑顔。
切れ長の涼しげな目、筋の通った高い鼻、面長で色白の気品ある、さわやかイケメン。
襟足の長いウルフカットは、昔から変わらない。
現在は、名門私立男子校に通う高校2年生。
俺と違って成績優秀。
イケメンで知的なら女にモテるはずなんだけど……。
正直者の性格が災いして……。
女にも男にもモテない、友達がいない奴だった。
コイツは……。
オブラートに包まず、何でもハッキリと口にする。
だから。
ハッキリとモノを言い過ぎて周囲に嫌われていた。
幼稚園児の頃から近所で嫌われていて、ひとりで遊んでいた。
俺が、ひとり遊びをしている圭太を不憫に思って話しかけたことが、仲良くなったきっかけだった。
小学校でも孤立していた。
高学年になると、『毒舌貴公子』というアダ名をつけられるほど、近づく者を容赦なく傷つけた。
『君は何を着ても似合わない』や『君は豚に似ている』や『絵がド下手だね』や『クラスで一番の貧乏なんじゃない?』や『おならした?』などバッサバッサと斬っていった。
可愛い女子にも、容赦しない。
『可愛いけど、笑顔がブスだから、笑い方を変えた方がいいと思うよ』や『可愛いけど、バカなんだね』と言ったりしていた。
男子も女子も圭太を愛する者は誰もいなかった……。
その圭太の口癖は。
『嘘つきは地獄に落ちるんだよ』
……だ。
でも、周囲には……。
『地獄に落ちろ!』と思われていた……。
ハッキリ言い過ぎるのも、どうかと思う。
優しい嘘をついてあげることも学ぶべきだよなあ?
「こんなところで会うなんて、奇遇だね」
そう言って、さわやかに笑いながら圭太が俺と福田さんを見る。
「翔太、こんな可愛い彼女ができたんだ」
圭太は、どうも福田さんを俺の彼女と誤解しているらしい。
まー、福田さんは俺の彼女になる人なんだけどね。
「本当に可愛いなあ。中学の時も可愛い彼女がいたよね。いつも可愛い子にモテるんだね」
昔の彼女のことは、いいじゃないか。
喋るなよ。
口が過ぎるんじゃないの?
圭太は、福田さんに向かって、こう喋り出した。
「翔太とは小学校まで一緒だったんだ。中学で離れ離れになったんだけどね。でも、ご近所さんだから友情は続いたんだ。中学の時の翔太はワルで有名で万引き・喫煙・無免許バイク運転……」
「もう、言うな!」
俺が圭太を止める。
福田さんは、目をパチパチさせて聞いていた。
まだ、圭太は俺について暴露する。
「それから変なチーマーと絡んで、よく遊んでいた。翔太がチーマーのグループを抜けたのは、群れることに飽きたから。個を確立したんだね。高校生になってからは翔太に彼女ができた話は聞いてないよ。高校になってからは知らないんだ。僕も勉強が忙しいからね。中学の時は、よく彼女の相談に乗ってあげたものだよ」
だーかーらー。
昔の彼女のこと、喋んじゃねぇーよ!
「それで、あなた名前は?」
福田さんが圭太に問いかける。
「申し遅れたけど、僕は中目黒圭太。S校の生徒だよ」
「S校? すごいね。頭いいんだね」
福田さんは圭太に感心している。
「君は?」
圭太が福田さんに聞き返す。
「翔太君の彼女の友達の福田です」
「何だって? 彼女の友達だって? 彼女じゃないの?」
「うん」
「てっきり彼女かと思ったよ」
そうして、俺の方を笑いながらチラ見する。
嫌な予感がした。
「僕と付き合って下さい」
圭太が俺の前で、福田さんに告白した。
あまりにも直球で、俺は、ぶったまげた。
でも、コイツなら、ありえること。
圭太の奴。
可愛いから、福田さんに一目惚れしたんだなあ。
でも、残念。
福田さんは俺の彼女になることが決定してんだ。
悪いなあ。
「あのー」
福田さんが、ためらいがちに、言う。
そして、信じられない、こんな言葉を口にした。
「私、もう彼がいるから、ごめんなさい」
???
『もう彼がいる』?
「そうか。いるのか。そうだよね。可愛いもんね。そんな可愛かったら彼氏いるよね。いて、当たり前だよね。当たって砕けたか……」
圭太は寂しげに言った。
俺はショックで死にそうになった。
モウカレガイル?
彼氏いるなんて……。
俺……。
聞いてねーよぉぉぉぉぉ!
マジ、知らねーし!
ずっと、俺が彼氏になれると思ってた!
今日は告白されるんじゃないかって期待してたのに……。
俺の凄まじい勘違いは何だったんだ?
ニヤニヤ半笑いで、待ち合わせまで来たんだぞ?
俺、これじゃあ、ただの、バカじゃん……。
かっこわる……。
読者の皆さんへ。
この章は読まないで下さい。
特に、前半。
ところで。
誰だよ、彼氏って?
こうなりゃ、本人に聞いてやるっ!
「福田さん、彼氏いたの?」
「うん」
「誰?」
「大人の彼氏」
「相手は、おと、大人っ!?」
「うん」
福田さんは隠さず、恥ずかしがらず、堂々としていた。
大人って誰だっ!?
まさか!!
花園ぉ!?
あいつ、福田さんのこと、狙ってたもんなあ?
嫌な予感……。
「もしかして先生?」
俺がおそるおそる、尋ねる。
福田さんは、にっこり笑った。
そして、うなずいた。
花園ぉぉぉぉぉ!
ダメじゃん!
ケータイ小説だからって!
生徒と教師の恋なんて!
反則じゃん!
俺……。
あいつに負けたの?
あの担任に?
く……悔しい……。
「僕は、もう帰るよ。フラれたし」
それで、圭太は、さわやかな笑顔で去ろうとした。
でも!
「やん。何してんの? その人、誰?」
汚ギャル魔王に見つかった。
小山内あやめが、こちらに向かってくる。
そろそろと歩いてきた。
近くの客は、背中を向けてニオイをなるべく吸い込まないよう身を守っていた。
鼻をつまむ者までいた。
対処法は人それぞれ、多種多様だ。
毒舌貴公子はどうするんだろー?
あんまり対面させたくないなあ……。
気が重くなる。
やがて……。
小山内あやめが……。
こちらに来た。
「うわっ!」
圭太が驚いている。
そして、「くっさ!」と言って走って逃げた……。
相変わらず。
正直な奴……。
別に、逃げなくても……。
「なぁ~に? あの人、翔太の知り合い?」
小山内あやめが逃げた圭太を指差す。
「中目黒圭太君。翔太君の友達だよね?」
福田さんに尋ねられる。
俺は首を縦に振った。
「ふぅ~ん。なんで帰っちゃったの? 喋りたかったのにー」
小山内あやめは残念そうだ。
でも、帰っちゃったのは、小山内あやめが臭いからだよ?
全部、自分のせいだからね。
「でも、人体って不思議だね。美雨のおかげで知ることができたよぉ。最初は、こわかったけど、慣れてくると勉強になった」
小山内あやめは、福田さんに感謝の気持ちを述べた。
福田さんは、それを聞いて嬉しそうに笑う。
俺は、思った。
この人体の不思議展のどの献体より……。
お前の人体が一番不思議だよぉぉぉ!
と。
そして。
くっせぇぇぇぇぇ!
と。
そして。
俺たちは団体行動に戻った。
ガイドの福田さんがあれやこれや、説明する。
いろいろと詳しい。
人体マニア……だったんだ……。
「美雨、質問していい?」
小山内あやめが疑問を感じたのか、片手を上げる。
小山内あやめは神経について話し始めた。
かなり、マニアックな内容で俺はついていけない。
俺は、よそ見して、近くにあった立て札を読むことにした。
『お子様連れのお客様は、お子様が筋肉や神経を引っ張らないよう、ご注意下さいますよう、よろしくお願いします』
でも……。
俺の隣にいた……。
明らかに……。
お子様でない……。
大人で……。
エミリオ・プッチの柄物ワンピースを着た……。
セレブファッションの女が……。
献体の……。
筋肉や神経ならまだしも……。
男性性器を……。
いや……。
ちんこを……。
引っ張っていた……。
こわっ。
めちゃ、引っ張ってる!
大人が、ちんこ引っ張るな!
注意したいけど、できない。
こわ過ぎる……。
誰か……。
俺の代わりに注意してくれ!
変な女がいる。
コイツ、マジ、ヤバイ。
こわくて顔が見れないし。
俺は下を向いていた。
まだ、女は。
献体のちんこを触りまくってる。
ちんこ触るなよ。
言いたくても、言えない言葉。
ちんこ、いじるなよ。
献体が泣いてるぞ?
おそるおそる、顔を見る。
!
それは、小山内あやめの母親!
小山内すみれだった。
コイツ、人体の不思議展にちんこを触りに来たのか?
超ヤバイっ!
俺は他人のフリをすることにした。
他人、他人。
静かに足音を立てず、小山内すみれから離れる。
福田さんたちからも離れる。
脳年齢のコーナーに行った。
「こっち、こっち」
誰かに呼ばれた。
脳年齢の群集の中で俺を呼ぶ声がする。
誰だろーと思って見ると、圭太だった。
「圭太? 帰ったんじゃねーの?」
「いや、彼女の人体に興味があって、隠れて見てたんだ。いや、すごいね。あの子の臭さ。普通の人体じゃないよ」
「そんなこと言うなよ。あれでも一応は、俺の彼女なんだぞ」
「そんなバカな。カウンセリング受けた方がいいよ」
「いや、大丈夫。受けなくても大丈夫だから」
「加齢臭のオヤジ、3000人分のニオイがする女だよ。よく付き合えるね」
「さ、3000人分は言い過ぎだろ?」
「いや、するんだよ。本当に臭い。あれは、大気汚染だ。生きた公害だ。人体に悪影響を及ぼす」
そんな会話をしているところへ。
噂の張本人が、やって来た。
「やん。こんなところにいた。翔太のお友達も?」
小山内あやめが、きょとんとしている。
「うわ。くっさ。君、ものすごい人体が臭いよ。僕に寄ってこないで」
圭太がさっそく、小山内あやめを斬る。
やめろ。
言うな。
「ちゃんとお風呂に入ってる? 入ってないよね? いつから入ってないの?」
まだ、攻める。
もう、やめろって。
「何を食べたら、そこまで臭くなるんだよ?」
食べる物にまで、ケチをつけるな。
いいかげん、やめろ。
小山内あやめが泣いちゃうだろ?
俺は小山内あやめの方を見た。
すると。
ニコニコしている。
なんで?
「翔太のお友達は、ドSなんだね」
まー。
ドSといえば、ドSかな?
「私に興味があるから話しかけてくるんだー」
まー。
興味があるから、話しかけてくるんだろーけど?
「えへ。好きな子をイジメるんだね。えへ」
え?
好きな子をイジメる?
「ダメ。私は、翔太の彼女だから、私に興味を持たないで。好きになっちゃダメ。ここで告白なんかしたらダメだよ?」
また、いつもの勘違い。
安心しろ。
告白は小山内あやめじゃなくて、福田さんにしたから。
んなわけで。
小山内あやめは。
どうやら傷ついてないようだ。
「性格キモイ」
圭太が、そんな小山内あやめに、毒発言を投げつけた。
毒舌貴公子は、さわやかな笑みを浮かべている。
相変わらず、毒舌……。
初対面で、そこまで言うなよ。
いつか人に後ろから刺されるぞ?
刺されないよう気をつけて……。
そこへ。
「ちんこ触るなぁぁぁ!」
警備員の怒鳴り声。
俺は、小山内すみれの方を向く。
小山内すみれは、警備員に見つかって怒られていた。
「ちんこ、いじくりまわして何が悪いのよっ!」
セレブだからか、強気で言い返す。
小山内すみれ、言い返すなよ……。
お前が、悪いんだ。
お前が……。
「また、お前か!!」
警備員が、キレている。
『また』って常習犯かよ!
いいかげんにしろよ!
大の大人がちんこ触って警備員に怒られるな!
つーか。
それで。
小山内すみれが逆ギレしている理由がわからない。
素直に謝れよ。
「『SEX AND THE CITY』のサマンサ・ジョーンズだって私と同じことするわよっ!」
小山内すみれが自信満々に言った。
グラサンが怪しく光っている。
『SEX AND THE CITY』に影響されるなよ!
「やん! ママ、何やってるの?」
小山内あやめが親の不祥事を目の当たりにしている。
その顔は、引きつっていた。
「あれが、僕の母親だったら自殺するね」
毒舌貴公子がボソッとつぶやく。
「あやめ。しっかりして」
福田さんが小山内あやめを慰める。
「マ……ママ……」
小山内あやめは落胆していた。
「あやめ。逃げるよ」
福田さんが、そう告げると、小山内あやめの手を引っ張った。
二人で逃げるんだ。
助けないんだ。
関わりたくないんだ。
「賛成。僕も逃げる」
笑顔で圭太が片手を上げる。
「じゃ、解散」
ガイドさんの一言で、今日のところは、お開きとなった。
圭太がそそくさと帰っていく。
福田さんも小山内あやめも部屋を出ていく。
三人とも、エレベーターに、さっさと乗ってしまった。
俺も乗ろうとしたら、エレベーターは閉まった。
あ……。
乗れなかった……。
俺のことも見捨てて帰るのか?
「翔太くぅぅぅん! 助けてぇぇぇ!」
小山内すみれの悲鳴。
俺だけ見つかった。
後ろから背中に突き刺さる視線が痛い……。
不運な……。
俺は警備員に呼ばれた。
そして、警備室でみっちりお説教を受けること1時間。
「そんな欲求不満で、ちんこ触りたかったら、この少年のちんこ触りゃいいじゃねーか」
と、最後に言われた。
会心の一撃だった。
小山内すみれは大泣き。
いや、大泣きしたいのは俺の方だから……。
結局、二人で帰ることになり。
自宅マンションまで送り届けた。
「ありがとう。翔太君」
小山内すみれに感謝された。
こうして、俺は、やっと、解放された。
自由だ―――――。
でも、福田さんに彼氏がいることがわかったし、今日は最悪の一日だった。
もう、小山内あやめと関わるのは、うんざり。
そして、小山内すみれとも関わるのは、うんざり……。