78.伝う涙に口づけを
「の、昇くんッッッ!!!」
叫んだ少女、咲川章子の声が、世界に響く。
響いて、波紋を打って、広がり渡る。
章子は戦禍の風が吹く中に立っていた。
しかし、その声は、
唯一無二の少年の心だけには届かない……。
「呼んでるわよ……?」
黒い羊が笑って、言葉を投げかける。
「ほかって置けよ?
どうせ、あの子には何もできやしない……」
冷たく言う少年はまだ、敵を見ている。
「の、昇くんッ!
聞いてるッ?
ジュエリンさんッ!
ジュエリンさんッッ!
大丈夫だったよッッ!
ちゃんとっ、生きてッ病院にいるよぉッッッ!!!」
渾身の力で叫ぶ少女を、それでも昇は無視している……。
「……ヒドいわね……」
言って、黒い羊が遥か彼方の遠い少女に、人差し指を向ける。
「消えなさい?……ゴミ」
冷たい言葉で、放った威力が咲川章子の真横で炸裂したッッ!!!
「……ッッ!……っっぅっっ?……っ!????」
ワケも分からず両腕で顔を覆う章子に、
黒い羊は、愉快に嗤う。
「まぁッ?あんなにビビっちゃってッ?
あれを見た?
私の旦那様っ?
あんな女が、あなたの隣にいるだなんてッッ!!!
そんな事が許されるとでも思ってッッ?!!」
狂気に、はしゃぐ黒羊が、二発目を放つッッ!
だが、
その二発目は先ほどよりもまた少し章子より遠くの地点に弾着したッ!
「……ッわ!……」
叫ぶマヌケな章子の声が、
章子の為に、その攻撃を弾いていた少年に届く……。
「……あの子に触るな。
あれは、ぼくの女だ……ッッ!!」
昇の断言に、
今度は羊ではなく、獅子が狂喜したッッッ!!
「……ォほぉう……。
さすがは、我らが生体作品の突然変異よ……。
自分の腕で力強く、か弱い雌を守る雄志の姿……。
嬉しいぞ、小僧ッ!
我らが仕組んだキサマのその体の、
原典人型復元正答率は66.45%だったッ!
及第点だ、と言う事だッ!
貴様たちのその体は、我々にとってなッッ!
ついでに今までの詫びのつもりで言っておこう。
貴様たちには、死因率の高い疾病症状として「癌」というものがある筈だ。
だが、その「癌」という疾患はな?
我々、第六までは、それは「免疫不全疾患」だったのだよ?
その「免疫不全疾患」をわざわざ我々は、細胞の過回転疾患へと転用したのだッ!」
「人工的な……進化の為にか……ッ?」
昇の答えに獅子は頷く。
「その通りだ。
月が止まっているだろう?
空に浮かぶ、あの月だ。
今でこそ、同じ面を向けて、地球の回りを周っている。
それが原因だったのだ。
進化を促す応答反応にはな?
自転しているという見かけこそが重要なのだよッ。
そんな『見かけ』が静止した状況下でも、一度滅んだ「人型」を復活させる為にはな、
そんな細胞回転というモノでも利用しなければ「期待」も持てなかったのだよ?
同じ人間の復元という期待はな?」
「おかげで今、俺たちの世界では癌という病気と一生懸命戦うことになってるよッ」
「敵は、会話できる者だけではないッ!という事だッ!
肝に銘じておけっ!
言葉も通じない敵もいるッ!と言う事をッ!」
それを聞いても、
昇は笑う。
「……でも?暴力で会話できる……って事はあるんじゃないかな?
それが病気という分野では「医療」が該当するッッ!!!
医療は病気と暴力で会話をする行為だッ!
でも、
本当の問題は……暴力でも会話できない敵……ッ!」
「それがアトランティスだッ!
よく覚えて置けッッ!
貴様たちもいずれ身をもって知ることになるッ!
アトランティスはもはや暴力でもってしても会話はできんッ!」
「ふーん?
でも、やりようによっちゃ、暴力でも会話できると思うよ?
動作で反応するッ、っていう挙動があればね?
ま、その話はいいよ。
ほら、さっさと逃げなくていいのかよ?
早くしないと、また面倒クサいことになるかもよ?」
昇が自分の手に平で、水と氷を瞬時に出現させると凍らせッッ!
水と氷の境界面のついた完全にエントロピーの止まった、
マクスウェルの悪魔を召喚した、水と氷の凍った氷球を浮かべて見せる。
「本当に、私たちを逃がしていいのね?」
「まぁね?
でも、お前らがここでした事は消えることは無いッ!
ぼくたちは完全に記録されているッッ!!!!」
「ええ、そのつもりよ?」
「PTSD。心的外傷ストレス障害。
これは、いつまでもこの街の人たちの心の傷痕として永遠に残るッッ!
これは怪我人だということを忘れるなッッッッ!!!
ぼくも絶対に忘れないッッッ!!!
この怒りをッ!」
「それでよい。
我らの今までのこの重い攻撃、よくも受けきったな?
その小さいカラダで?どういうカラクリだ?」
「別にこの体のままで、慣性質量だけお前らの体重と同じにしていただけだよッ!
知らねぇの?
大きな岩と同じ重さを持った「小さい水の一滴」はね?
同じ重さの大きな岩に、穴を空けることが出来るのさッ!
問題は「密度」だ、ってことだっ!」
「なるほど、
では半野木昇くん?
私たちはこれから逃げるけれども、本当にいいの?」
「いいよ?
でもそれはお前らにとって「当然の権利」じゃない、ってこともよく憶えて置けッ!!!」
「でも、私たちにとっては、
この状況を作る事がどうしても「必要な行動」だったッ!」
「加害者にとっては『必要な行動』でも、被害者にとっては『不要な行動』だッッ!
『必要な行動』は『当然の権利』では絶対にないッッッ!!!!!
お前たちにとっての「必要な行動」は、
ぼくたちにとっては完全に「不要な行動」だったッッッ!
お前らは、それを分かった上で立派な加害者をやりやがったッッッッ!!!」
「ええ。だから非難は受け止めます。
そして、これからも同じようなことをするでしょう。
その時は、またあなたが私たちを止めに入るの……?」
美しく首を傾げて問うてくる黒羊に、
昇は、即座に首を振る。
「いいや?
そんなワケねぇだろッ?
その時に、お前らの前に立ちはだかるのは「ぼく」じゃないッ!」
言って、昇は、
走って、下り坂を駆け下り始めた章子を見る。
「……あの子が、きみたちの「敵」になるのさ……っ」
「の、昇くん……ッ!」
「そして、……ぼくの「敵」にもなる」
「昇くんッッ!」
「なに考えてるんだろ?
あの子?
あんなにぼくの名前、呼んじゃってさ?
ぼくを想像して、体、興奮して、喘いでるつもりでもいるなのかな?
まさか、あの子?
自分の名前を、半野木章子とか想像したこととかあったりしてッ?
あハハハッ!
冗談じゃないよ?
ぼくの子供が?
あの子の子供ッ?
ハッ?
ないよッッッ!!
それはないなッ!
ぼくの子供が?あの子のことを「お母さん」と呼ぶッ?
うわっ、ムリだよッ!
ぼくの子供が?
あの咲川さんに「お母さん、お腹空いた……」とか言うんだよッ?
うわぁ……ッ、むりだよ……ッ。耐えられないッ。
吐き気がするッッッっ!
ぼくはね?
自分の子供には、
こんな残酷でッッ!
こんな、ふざけた現実の世界では生きて欲しくないんだッッッッ!!!!
絶対に生きて欲しくないッッッ!!!!
ぼくは自分の子供をこんな世界で生きて欲しいなんて、絶対に思わないッ!!!
なんでみんな?
自分の子供を、こんな世界で産んで育てて生活させていけられるんだろう?
何考えてんだろ?みんな?
そんな事も考えてないのかな?
やっぱ……、何も考えずに生きてんだろうな?みんな……?
だから?
あの咲川章子って子が、どうしても自分の子供が欲しいなら?
他のどこにでもいるそこらの平凡な男と子供を作ってもらおうッ!
彼女の子供が、ぼくの子供であることは永遠に無いッ!
絶対にムリだッ!
だから哺乳類って嫌いなんだッ!!!
真夜中にッ!
空腹を覚えて、親を求めて鳴く子ネコッッ!!!
毎年毎年、鳴くんだよね?
聞いたことある?その時の声?
そしてね?
いつしか、その子猫の声も聞こえなくなるんだ?
はぐれた親がいなくなったのか……、
はぐれた子猫がいなくなったのか……、
どっちかは知らないけどね?
そんな事も考えずに、
ぼくの名前を今も呼んでるんだよ?
あの子はッッッ!!!
まったくっ!
ウチの学校のクラスのバカなヤツラと同じじゃないかッッ?
まるで、中学校を卒業したら、
今度は成人式で絶対に再会できると信じてッ!
勝手に無条件で思い込んでいるバカなクラスメートたちと一緒だよッッ!!!
アホかよッ!
中学卒業したらッ!
もうテメェらとは二度と会うことはねぇよッ!
ぼくはもう、成人式にも出るつもりはないからねッ?
もう、あんなクラスのヤツラにも二度と会うことは無いッッッ!!!!
それと一緒だってことにも気づいていない……。
やっぱり『無知』ってさ?
『罪』だよね……?」
そこまで言ったところで、
自分もその無知である筈の昇は、
白い栞が反応しない事に気付いて、下り坂を走り続けている章子を睨んだ。
章子はまだ知らない。
その自分の白い栞が起動しないのは、昇の悪意ある仕業だと言う事を……っ。
「昇くんッ!」
「バカな女だ……」
「昇くんッ!」
「バカな女だッ……!」
「昇くんッッッ!!」
「バカな女だッッ!!!!」
章子が転んだ。
中学二年の昇との会話中も、
黒羊がしつこく弄んで威力で起こしてくる爆煙の中を、突き抜けて、
中学二年生の咲川章子は、
下り坂の真ん中あたりで派手に転んで、倒れ込んだ。
「……コケたわよ?あの子……?」
それを見る事もせずに昇は、笑う黒羊に向く。
「だから、ほかって置けよ。
あの子は、勝手に一人で立つよ。
できなきゃ、おれの女じゃ、ないからねッ?」
「の、昇くんっ……ッ!」
言って、膝を擦りむいた章子が、空に立つ昇を認めてムクリと立つ。
その立った章子の左胸には、白く眩しい光の羽根が輝いていた。
「光羽遣章……っ。
遣使……っ」
そして、
昇の左胸にも、章子と同じ光の羽根が灯るッ!
「そうだ。
光の羽根の遣いは、
光の羽根の遣使となるッ!
彼女が、君たち『侵犯』の敵となるッ!
だから油断はしない方がいいよ?
油断をするとすぐに足元を掬われるよッ?
ま、
せいぜい気を付けることだね?」
「じゃあ?
あなたはどうしても、私と一緒に来る気はないの?
私は……来てほしいッ!
そんな羽根なんて捨てて、
こっちに来てッ!
私はあなたが欲しいッ!
あなたは、間違いなくこちら側の人間よッッ!
私の力だったら?
子供を作る男女の関係なんて、必要ないッ!
子供を作るのではなくて、
その行為で、体に魔力を宿すことだって可能だわ?
すればするほど、男女の魔法の強さである魔力が上がるのッッ!!!
どう?魅力的じゃないッ?」
「たしかに……それもいいかもしれないけどね?
やっぱりそれはボクの平和じゃないんだよな。
ぼくの今の平和は……やっぱり「子供のまま、一人でいる」ことだからさ……ッ」
「それは、ごめんあそばせ?
ではここでお別れね?
私にここまで恥をかかせてッ!
それでは、私もここでお別れの言葉をっ!
さようなら?
半野木昇」
「さよをなら、
オワシマス・オリルさん?」
昇の言葉で、
黒い羊は急に睨み返すッ!
「その名前で呼んだこと……後悔させてあげるッッ!!」
「ならもう少しついでに、話をしておくよ。
もう地球の方は、すでにもうあの壊れた自然環境は戻らないだろう。
どんなことをしても、もう手遅れだよッッ!
間に合わないよ。
地球は間違いなく壊れていくッ!
ぼくはもう、アレはもたないと思っている。
でも、肝心なのは、地球がもたないか、どうかじゃない。
地球はもうもたないと、諦めてッ!
わかっていてもッ!
それでも、なおッッッッ!!!!
自分たち人間が、自分たちの欲望を抑えられるかどうかなんだッッ!
ぼくたち七番目の人間たちが、それが出来るかどうかなんだッ!
無駄だと分かっていても、環境を考えて自分たちの欲望を抑え込んで我慢する事ッ!
これが、できなきゃ地球は本当に終わるね?
あっちの地球のぼくたちの文明ってさ?
永久機関を欲しがってるんだよ。
でもね?
本当は、
無駄だと、わかっていもやりつづけるのが永久機関なんだよね?
無駄だと分かっていてもッ!
良くも悪くも止まらずにッ!
止まれずにッッ!
我慢して仕事をし続けるのが永久機関なんだよッ!
アイツラは、それがまったくわかっていないッ!
諦めてもまだっッ!!!
そこで『我慢する事』っッッ!!!!
それができるかどうかなんだよね?
自分たちが、永久機関が欲しいならッ!
おまえらは、その永久機関になれるのかッ?って話だよッ?
それで人間の底知れない都合と欲望だけで、
「豚」や「鯨」まで苦しめてさッ!
だから、
アンタら第六は?
こんなことをさせるために俺たち人間を、こんな躯に仕組んだのか?
わざわざ地球を破壊させるためにッ?」
だが獣たちは笑うだけで、答えず、空を見上げる。
見れば空から、
数え切れないほどの隕石が降って大地に次々と着弾していく。
「ぼくたちは動物だった。
考物じゃないッ!
考物はAIだッッ!
人工知能は命の中で区分される動物では無くて、
史上初めての「考物」になるだろうッ!
考える物ッ!
植物から動物へッ!
動物から考物へッッ!
新世界の扉はッ!
ついにここで開かれたッッッ!!!!」
「ええ。
だからこそ、これで今度こそ、
本当にお別れよ?
半野木昇」
「うん、早く行ってよ。
新世界の扉は、開けたらやっぱり閉めなくちゃいけないッッッ!!
できればもう、二度とキミたちには会いたくないな?」
「なら、また会いましょう?
楽しみにしています。
ほら行くわよ?
シモン、シオン、レオン、そしてムーの獣支たち?」
言って、
黒い山羊シモンと白い羊シオンを従える。
黒い羊と白い山羊。
振り注ぐ流星雨の爆発を、煙幕代わりに紛れて、
そんな獣人たちの姿が消えていく……。
戦闘はここで終了した。
「昇くんッ!」
そこで章子がまた叫ぶと、
昇の張りつめていた根気も、そこで途切れた……。
「疲……れたぁ……」
そう言って、昇の使っていた全ての魔術が消えると、
誰もが、空から落ちようとしている昇を掴む事もできずに茫然と見る。
「昇ッ……!!!!」
走る事も忘れた章子の頭上で、
空を落ちていく昇を空中で抱き留めたのは、
既に昇が選んでいた……ただ一人の少女だった……。
「……アキちゃんには悪いけど。
お父さんは、アキちゃんにはあげないよ……?
お父さんはお母さんのモノだモンっ……」
小さい電気子ネコの言葉が章子の肩に乗る。
ここにも勝者と敗者がいる。
伝う涙に口づけを……、
祝福は涙に、悲しみは乙女の儚い夢に……。
それでも、昇とオリルを見上げる敗れたはずの章子の目には、
確固たる、
負けない『意思』があった……。




