75.侵し犯す
四体目……。
黒い山羊と白い羊……。
咲川章子が言っていたこの二体の他に、
また別の一組の白い山羊と黒い羊が現われている。
「……読めるでしょ?
これ……?」
黒い羊が喋りながら、手の上で回転させている物は、
桃色の光学線で象られた蝶々飾章の、この文章。
神羊教法典 第七説
1.神羊教者は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、教権の発動た
る戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段とし
ては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
教の交戦権は、これを認めない。
「賢者の石。
あなたへの当て馬だった咲川章子には、これができなかった。
同情するわ。
見せつけられた先入観のまま、鵜呑みにしてッ、
あなたの剣を、言われるがままに剣の形だけなんだと思い込んで、
自分のモノとして作り変えることもできなかったあの子はもっと分別を弁えるべきだったのよっ。
自分があなたと一緒になれる可能性なんて微塵もないッッ!……っていう事実を……。
……でも、それもムリないわよね?
だってあの子?中二でしょう?
自分の親に衣、食、住を甘えている中二のくそガキが、私の大事な旦那さまを横盗りしようだなんて、おこがましいにもほどがあるッッ!!!
ションベン臭いガキッ!っていうのは彼女の事を言うんだわっ?
知ってる?
女の子同士でも、女の子をバカにする言葉遣いはあるのよ?
特に将来、結ばれるはずの「旦那の質」や「子供の質」や「家庭の質」にも関わる、お股やお腹に関してのがね?
でもね?
そういう言葉って?男の子の言葉より、なおヒドイから?
あんまり男女の公衆の前でも使えないのよ?
言っちゃうと本当に傷ついちゃうッ♡。
でも?
そういう事も、本人の前では言っちゃったほうがいいのかしら?
その方が、本人の為にもいいと思う?
事実を言った方が?
あの子だって体のコンプレックスぐらいあるんでしょうに?
もちろん私にだってある。
理想の女の体形って、なかなか手に入らないものだもの。
でも、
それは男の体でも同じかしら?
例えば筋肉とか?
あなたの体も……あんまり筋肉はなさそうね……?」
黒い羊が、貧弱な体形の昇を見て言う。
暗く、目を前髪の影で隠した昇の姿を……。
「……ハリオン……、
……ハリオン・マイヘイム……」
「ッ?……ご用が……?」
先ほどまでの猛り狂っていた獅子座の獅子が、
黒い羊に名を呼ばれて、即座に空中に膝をつくと視線を下げる。
その動作で、他の獣支たちも一斉に頭を下げて、膝をついた。
「その手に持っている剣を彼に。
ここからは私と彼で話をつけるわ?
男と女だけの、
私とこの人の交わる体液が昂ぶるエントロピーで一つとなる唾臭い接吻けだけの性交渉の言葉で……」
女が吐く口臭い言葉で黒い羊が言うと、
ハリオンと呼ばれた獅子が、昇の剣を逆手に持ち変えて持ち主に突きつける。
「……いるか?」
その言葉に、少年は首を振った。
そして、
自分の手の平でもう一つ別の、同じ剣を出現させて見せる。
「アンタ、
そんなもの、まだ持ってたのかよ……?
さっさと捨てりゃいいのにさッッッっ!
……まぁ、
別に、……いいよ。
そんな剣なんて、こっちは、いくらでも生み出せるんだからさ?
でも、
ここまでやっといて、いまさら会話か……。
アンタラ、一体、何がしたいんだッ?」
吐き捨てる昇が、流し目で黒い羊を見た。
「……私たちは、あなたが出てくるのを待っていた。
いえ、
私たちと言うより、私だけね?
私だけがあなたを待っていた……。
その為に起こしたのよ?
これだけの事を……?」
「じゃあ、この街がこんな惨状になったのも、実際にやりやがったお前らじゃなくてッ!
このぼくの責任であるって言いたいのかッ?」
「い……、いいえ、
これは私だけの罪。
あなたの罪じゃない!
あなたの所為じゃないわ!
あなたの責任だなんて、決して誰も思うわけがないし思わせない!
……これは、
そう、これは、
私があなたに近づくためだけに行った、バカな異性の望みだったっ!」
「なら、いますぐ捕まれッ!
すぐに罪を償わせてやるッッ!」
「……それは、出来ないわ。
それは私の「平和」じゃないものっ。
私の今の平和は……、
愛しいあなたを私の隣へと招き入れること……ッ!」
黒い羊が獲物を見据えて言う。
「そんな身勝手な理屈が、ぼくの平和だとでも思ってんのかッッ?」
「いいえ?
でも……あなたが今まで、この獣たちを殺してこなかったように?
私も……いったい今まで、誰かを殺したことがあったかしら?」
顎を上げて見下ろして、笑いながら訊ねてくる黒羊を、
昇は自分の手の甲に語り掛けて確かめる。
「死者は……?」
〝……0人よ〟
「怪我人……」
〝……0……〟
「おいっ?
ジュエリンさんは怪我してただろッッッッ?」
〝それは……わかってるはずでしょ?〟
言いづらそうにするシモベの云わんとするところの意味に、
昇も歯を軋ませて、黒羊を睨む。
「本当に……、
それで、お前たちはここでは何も被害は出していない、とでも思ってんのかッ?」
空中で立つ昇の背後では幾つもの煙が柱として立ち上り、
地平の街並みを見れば、
やはり歪な灰色の破壊された瓦礫の跡が、虫食い穴の痕で散乱している。
「……だから?
この街では何か被害でも出てるの?
実際に?」
なお試して言う黒羊に、
昇は握っていた剣の柄を締め上げるッッ。
「本当に……分かっていないんだなッ?」
「……それは……っ、
でも、それはきっと……、
あなたが私たちを見逃してくれた時にわかる事よ?」
昇がついに、怒りだけで自分の剣を消した。
会話をする為だけの自分の剣を……。
「いいの?
私はまだ持っているわよ?
改竄した、あなたの国の不戦の法律を?
凄く便利ね?これ?
戦だけを薙ぐためだけの……私だけの飾紐……」
「却下だ。それはぼくの平和じゃない」
「じゃあ、次の「あなたの平和」をご用意するわ。
『私たちを見逃してほしい』の」
「却下だ。それもぼくの平和じゃない」
「では、次の平和を……。
私たちが……さっきまで行っていた新世界の為の会談で決裂した、その〝理由〟について……」
羊が言うと、
昇は意外にも、羊を睨んだまま黙りだした。
「アハっ?
……交渉は成立した……っ、てことでいいのかしら?」
笑った黒い羊が試して見ても、昇はまだ黙っている。
「では話を続けます。
今日、開催されていた新世界会議から発展した、この一件、
この一件が事件になる直前に、
私たちはある要求を提案しました。
それを、そこにいる全ての第二世界の許約者たちは否定した。
もちろん、第二だけじゃなかったわ?
私たち、第一のリ・クァミスや、第三紀のルネサンセルまで……。
彼ら旧世界の全ての住人たちは、私たちを完全に拒絶し!否定した!
私たちの「ささやかな望み」をッ」
その「望み」とは……。
「この転星上にある、
まだ手付かずの真新しい超大陸……、
その超大陸の一部を……、
我々「神の羊となる教え」の領土とする事……」
……侵し犯す者。
侵犯。
神になる前の子供は……、
その為に、下々の前に現われていた……。




