5.集められた六つの時代
目の前のテーブルから、饗された後の皿が速やかに下げられていく。
白いクロスの上にあった無造作な食後の食器や皿が片づけられていくのを見送り、
章子は口元を拭きながら、燭台だけが残った長テーブルを挟んで対面するリ・クァミスの大人たちの視線を緊張の面持ちで受けていた。
ここはオリルの実家の中の食居間だった。
馬車から降りた後、しばらくも経たずに晩餐が始まり、
章子や真理や昇も落ち着く暇もなくその夕食会の席に着くと食事が始まった。
章子たちをもてなしたのはオリルの実母と姉だった。
この家は今、この二人だけが住んで暮らしているのだという。
料理が盛られた皿を章子たちの前に並べていくオリルの姉の笑顔を見送り、章子は静かなまま始まった食事を進めた。
それは短いようで長い時間に感じられた。
オリルの家族はどうやら別に食事を済ませていたようで。
章子たちの食事の進行を伺い、空になった皿を下げたり、追加の要求を聞いては注文通りの品を相手の前に置いていく。
そのあいだ中、章子は食事をしている心地がしなかった。
初めての地球外世界での食事だというのに料理に使われた食材も味も食感も何も感じる余裕が無かったのだ。
黙々とただ無機的に流れる食事の進行速度は、章子に感動も感激も衝撃も何も感じさせる暇を与えなかった。
目の前にいるこの世界の大人たちがそれをさせなかったのだ。
彼らにとってこの食事はいつも通りのものだった。
だから、いちいち感慨に浸る必要もないし、それを突然の来賓にわざわざ労う義務もない。
始まりの世界。
第一の世界の住人たちから滲み出る、
そんな未知の存在に対する切迫した空気が、この食卓には張りつめていた。
だから空腹に任せて口に運んだ初体験の料理は、特に違和感もなく美味しかったという感想以外の言葉を章子に抱かせるようなことはしない。
その結果、勿体ないことに、出された皿を空にし、汚れた唇元を拭きとった章子が最後に感じたのは、だたの満腹感だけだった。
しかしそれをひどく淋しいと思う事もなかった。
章子にとっても、それどころではなかったからだ。
章子を挟んで座る真理や昇と、真理の一つ向こうの席に座るオリルが、面と向かうリ・クァミスの教諭たちの険しい顔をどう変化させられるかは、これから始まる講談の内容によって決まるだろう。
それだけの重要な会談がこれから行われようとしていた。
「それではひとまず、様々な意味で落ち着きを見せた所で、今回の本題を始めたいと思いますが……。
そちらの準着はよろしいか?」
リ・クァミスの大人たちは章子たちに用意は出来たかと強い口調で確認する。
オリルも含め章子たち四人はまだ未成年中の未成年だ。
それを引け目も無く、大人たちは堂々と威嚇する。
彼らは章子たちを子供扱いしていない。
対等な存在、そして未知の存在として意思疎通を図ろうとしている。
だから容赦する余地も持ち合わせてはいなかった。
対等であるならこそ、そこに庇護する或は庇護されるという概念は必要ないからだ。
あるのは自分の存在をどれだけ丁寧に主張説明できるかのみ。
ここでは相手から確認の証を勝ち取る意思のある者だけしかその席に就くことは許されない。
だから章子は覚悟を決めながら真理の横顔を覗き込んだ。
真理はこの場にあっても至って冷静な表情だった。
冷静というよりかは取り澄ました顔と言った方がいいのかもしれない。
この世界人間など歯牙にもかけないという態度だ。
例え何をされても力で捻じ伏せることができるという自信で満ち満ちている。
その不遜な視線の真理が口を開いた。
「いいですよ。
いつでもどうぞ」
ここにささやかだった晩餐は終わりを告げた。
只今をもって、カチャカチャと流しで母と姉が下げた皿を洗って片づける音だけがこの場を占有している。
一時の会食が静かに終わり、晩餐会はそのままひとつの会合に移り変わろうとしていた。
リ・クァミスの大人たちが臨戦態勢の意味で目を据える。
それと同時にオリルの顔が俯いたことを章子は知らない。
オリルは既に自分の世界、リ・クァミスの側ではなくなっていた。
リ・クァミスは盗聴していた。
ここまで来る馬車の中で真理たちやオリルが何を話し、何を考えていたのかを余すことなく耳にしていたのだ。
勿論、オリルもそれは承知していた。
だからまさか、あの場でその矛先が自分に剥くとは思ってもみなかった。
真理はオリルがこの惑星を創ったゴウベン、その神の過去の姿だと指摘した。
その言葉がどれだけオリルの心に衝撃を与えたかは計り知れない。
オリルは今までもこれからも自分の国に対して従順な働きを約束する学卒だった。
国にとって不足の物を自分が発見すればそれは全て公にして、きっと公私混同を弁えずに貢献していただろう。
オリルは己にも公共的にも得となるものを、決して故意に国から隠すようなことはしない人間だった。
それはこれからも変わらないと自負できるぐらいに己の中心に確固として存在している。
その心をこの国では親国心と呼んだ。
親国心は愛国心ではない。
オリルは決して無抵抗に国を愛してはいない。
それは何もオリルだけにはとどまらずに、全てのリ・クァミス人に当てはまって云えることだった。
彼らは愛を持って国に尽くすのではない。
彼らは親や子供のように国を想って行動に尽くすのだ。
時に憎しみを覚え、時に慈しみに溢れながら。
彼らにとって国は自分であり、自分は国だった。
だから時には自分自身を誤魔化すことはあっても、完全に偽り通すことは、できはしない。
自分を偽ろうとすることはそれなりにあるが、結局それで返ってくるのは自分自身だったからだ。
オリルたちは自分が自分である為に国に尽くしていた。
しかし真理はそれを否定した。
オリルが自分の利益の為に国からそれを隠しているのだと示唆をした。
真理の言ったソレとは力のことだ。
今のオリルたちがどうしても手に入れたいと欲している机上の力。
オリルには本当の所、皆目、覚えが無かったが、その真理の一言が同じ国民同士の間で亀裂を生んだのは間違いなかった。
オリルは疑惑をかけられている。
国に申告すべきものを己の懐に隠しているという容疑を掛けられて。
現在のオリルは被疑者だった。
でっち上げられた罪を恣意的に被せられた冤罪被害者。
その無実を証明する機会は今、この時をおいて他になかった。
「ならば、始めましょうか。
まずは、なぜ神はこの惑星を創ったのか。
その理由からお聞かせ願いたい」
口を開いて会談を始め出したのは正午に出会った学領ではない。
その次席、学頭と呼ばれる学領の副次的代理権力者。
名をトマオ・アラミという年を重ねた老せる才媛だった。
学頭という役職は章子の学校でいう教頭のようなものだという。
顔はあの好々婆よりも強面で比較的若く体形もスマートだった。
その人となりからはあの学領本人よりもさらに厳しいものを感じさせる。
これで細い眼鏡か目元が吊り上がっていたら完全にスパルタ教師のそれだろう。
もしも章子の学級で教鞭を振るえば、自分のクラスメートたちは震え上がるに違いない。
それだけの気迫を章子は学頭から感じとっていた。
「この惑星を創った理由……。
いきなりソレですか?
それを今ここで言ったところで、現在のそんな状態のあなたがたでは到底理解することは適いませんよ?」
早くもケンカ腰の真理だが、リ・クァミスの大人たちはそんな兆発には乗らない。
「構いません。
おっしゃってください」
その頑なな表情を見て真理はため息を吐いた。
(いい加減、その敵を増やすような言い方や仕草は止めて貰いたいんですけど……)
章子の呆れ果てた視線を知ってか知らずか、真理は章子の向こうの席に座る少年を見る。
「では言いましょう。
我が母、ヨスベル・ニタリエル・ゴウベンがこの巨大惑星「転星」を創った最大の目的はただ一つ、
そこに座っている半野木昇というたった一人の少年にこの世界を見せて来させるためだけです
その為だけに、我が母ゴウベンはあなた方をわざわざ創って喚んだ」
昇を流し見しながら他人事のように吐き捨てる真理に、当然リ・クァミスの面々は怒気を顕わにする。
「なんだとっ?」
「どういことっ!」
学頭を除いた合わせて周囲四名ほどのリ・クァミスの大人たちが立ち上がる勢いで怒声を巻き上げた。
その目は真理と昇に向けられている。
含まれているのは怒りと憎悪の色だった。
その剥き出しの敵意を受けて、否応なく矢面に立たされた昇は耐えきれずに視線を逸らした。
少年にはその憎悪の意味が分かっていたのだ。
だから必死に自分には無関係であるように装った。
しかしその心情を慮ってか、真理が申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。
「申し訳ありませんが半野木昇。
暫くの間、あなたをこの会話の最前線に置く必要が出てきた。
理解していただけますか?」
「……しますよ。
しなくちゃ始まらないんでしょ?」
昇の口調はどこか拗ねた感じだった。
「ありがとうございます。
昇」
「いいよ。
結局、悪いのは全部あの人なんだから」
責任を神に転神し、悪態をつく子供のそれは回りには悪印象しか与えない。
この少年のおかげでこの世界は誕生させられたというのに、その少年には罪の意識が欠片も存在しない様に見受けられる。
それがかえってリ・クァミス人の敵愾心を余計に煽った。
「君ね、
君のおかげでこんな大事になっているらしいんだよ?
それを少しは自覚したらどうなのかな?」
昇と対面して座っていたテーブルの左端の青年男性のリ・クァミス人が、昇の相当に褒められたものではない態度を改めるよう指摘する。
そこには明らかに苛立ちの色が見え隠れしていた。
その目を直視する事もできずに昇は自分の言動を反省することもしなかった。
「それは……、
だって別に、
別に……。
だって、ぼくからやってくれって頼んで言ったわけじゃありません。
あの人が勝手に……っ」
「昇っ!」
昇のどこまでも自己擁護に走った言い訳を繰り返す醜悪な態度を、真理は強い口調で止める。
「確かに全ての責任は我々にある。
しかし昇。
だからと言ってここで自分の身だけを潔白だと主張するのはあまり関心できる行いではない。
あなたの身の為にもそれだけは忠告させていただく」
「ぼくだけ?」
「ええ、あなただけです……」
昇が助けを求めるように真理を見るとその目は章子を伺っている。
それをなぞって今度は章子を見ると、真横に座っていた少女はどこか薄汚いものでも見るかのような視線を昇に向けて歪ませていた。
それを見ても、昇は何の反応も示さない。
いや、示せなかった。
だから、
ただそれを当然の事のように受け入れて項垂れた。
「ごめん」
ただそれだけを呟いて顔を引っ込める。
ここで会話が途切れて沈黙が落ちたのは云うまでもない。
だれも次の言葉を発しようとはしなかった。
このままでは時間だけが無駄に消費されていく。
ため息を吐いたのは中央の席に座る学頭だった。
学頭は組んだ両手に口元を隠して言う。
「……では話を変えましょう。
なぜ神は、その少年を転星に来させたかったのですか?」
学頭の問いに真理は答えた。
「彼はこの世界の純理、つまり全宇宙の全ての存在理由にしてその存在機構であり存在原理、
純理論による純理学を正確に把握しています。
もちろん、この宇宙の成り立ちや、この惑星を創りだした存在理論に存在原理も。
そして、その真理も……」
「真理……?」
真理の最後に放った言葉にリ・クァミスの面々は騒ぎ出した。
ザワザワと樹々が騒めくように囁きを繰り返している。
真理の横のオリルでさえその単語には動揺を隠せないようだった。
しかし今の全権代表は目の色をすぐに戻して話を続ける。
「真理とは、どういう意味ですか?」
「真理とは真理の事です。
あなた方も馬車で聞いていたでしょう?
盗聴していたことは知っています。
私は敢えてそれを妨害しなかったのですから。
真理とは真理学のことです。
あなた方もこの領域の学問は既に予測の範囲に捉えている筈だ。
あなた方の科学技術、その学問である原理論に基づいた原理学は、その先にある学問、
真理論による真理学の存在を予言しているはずだからです。
しかし、
この目の前の彼は既にその真理学の末端を旧智しているのですよ。
半野木昇がもつその認識力は既に固体発生という真理に到達している」
言い終えた真理は手の平を軽く掲げ、空中で水、火、風を順々に発生させて最後に出現させた小石を手でつかむとそれを彼らに広げて見せる。
「見えましたか?
この原理を把握できましたか?
申し訳ありませんが固体発生の性質上、これ以上遅く見せることは困難を極めます。
この速度まで達していないと、固体発生を可能とすることは出来ないし理解できない。
そして、彼はこの速度を理解している。
では半野木昇、
お願いします」
真理のバトンに、昇は盛大に顔を顰めた。
だが、この有無を言わせない状況では逃げ場がない。
昇はとうとう観念し背水の陣でこれを受け取った。
「……その前に質問をいいですか?」
皆が、藪から何が出てくるかと気構えた矢先に、昇は唐突な話題の切り返しを放った。
まさかそれを予想だにしていなかった学頭は、それでも努めて冷静に受け止める。
「……まだ、何か?」
「既にあなた方は他の古代世界の人と接触を果たしたと聞き及びましたけど、
それならこの時代の次の時代、つまり地球で二番目に現われた文明世界の事はある程度、分かっているのでしょうか?」
試すような昇の言動に学頭は嫌悪感を隠さない。
「それと、固体発生の原理と何か関係があるのですか?」
学頭の鋭い視線にしかし昇は怯まず応える。
「急がば回れというヤツです。
たぶん、
それはあなた方の予想している真理学というものと少なからず関係していると思われるので」
昇が言うと学頭は少し悩んだ後、首肯してみせた。
昇はその反応を見逃さない。
急がば回れという日本特有の諺が何の前置きも無く通用している。
やはり彼らや真理の使う言葉は……。
「分かりました。
いいでしょう。
私たちがこれまで把握できた他世界の情報を、外交機密性の高いものから省いてお渡しします」
「学頭っ……」
諌める声を手で制して学頭は続ける。
「しかしこちらとしても、我々から提供する情報だけでは心許ないのが事実。
そちらのこの惑星召喚に使った原本情報を拝見することが許されるのであれば、怖れながらお願いしたいと思っているのですがよろしいか?」
これは真理に向けられた言葉だった。
だから真理もその請求には快く頷く。
「構いませんよ。
私からもあなた方が他世界と結んだ機密情報も含めて他世界の軍事バランスが崩れない程度にこの惑星の情報を開示します。
それで好きなだけ自分たちの情報と照らし合わせてもらえればいい」
言うと真理は即座に紙を魔法で出現させ、紙面周囲に球体型の光学空間表示を展開させたまま、学頭の卓上に滑らせる。
「どうぞご確認ください。
また、
そちらの情報は既にこちらへ受領させて頂きました。
章子に昇。
その情報をこれからあなた方の栞に送ります。
確認してください。
隣に座るオリルには、これから我々の持つ情報を卓上の前面に同時に表示させますので案じる必要はありません。
では始めたいと思いますがその前に一つ。
これから映像情報を空間に光学投影する為、
一時的にそれ以外の照明はこの部屋の空間から全て消させて貰いますがよろしいですか?」
真理の断りにリ・クァミスの面々は思案顔のまま頷く。
「では、始めましょう。
灯りを消します」
真理の言葉を合図に、
燭台や部屋の照明に使われていたあらゆる灯りが停電したかのように突然、消えた。
人の姿も何もかもが闇に呑まれ消え。
辺りが映画館やプラネタリウムのように真っ暗になったあと、
チカチカッと正面をコンピュータグラフィックスのように緑色の光学線が上と下から巨大なワイド画面のように枠を区切り、白い卓上の対面と対面に挟まれてディスプレイ画面として展開する。
「これが現在の太陽系第三惑星軌道の状態です」
それは真理が卓上の真上に出現させた空間投影映像だった。
燭台を境に出現した光学描線と光点描によって、何もない空間に映像だけが映し出された光学光景。
まるで空中に浮かぶ巨大なワイド比での映像画面のようだった。
その空間の半透明光学画面が燈らせる映像の中で、
必要な情報は回転し完全な実写としての映像となって太陽系の第三惑星軌道までの全体図を克明に映しだし、鮮明に軌動表示している。
「半野木昇。
知りたい情報はありますか?」
その完了を持って、
真理が章子越しに隣を見ると、
肝心の昇は自分の持つ栞と格闘していた。
「昇……」
その様子を見かねた真理がたまらず腰に手を当てると、さすがの昇も気づき、たじろいだようだった。
「あ……」
「まったく。
自分の引き出したい情報に夢中になるのもいいですが、こちらにも気を向けて頂かないと困ります。
これからの私たちは、あなたの言動によって未来が左右されてしまうのですよ?」
真理の叱咤に昇は渋々、居住まいを正した。
「それで……?
気になるところはありますか?
昇」
真理が言うと昇はただ軌道に沿って動いていく地球の挙動に視線をなぞっていく。
空間画面に映し出された太陽系の第三惑星軌道には、姿形が瓜二つの地球惑星が二個、軌道の両極の位置で配置されている。
そしてその片方の地球付近には第二惑星の金星軌道に偏った距離で地球よりも数倍巨大な、この惑星、転星の姿があった。
「これって現在の地球なんだよね?」
「そうです」
昇はその転星寄りにある模造されて創りだされたという地球を指差して、真理に訊く。
「じゃあ、第一から六番目までの古代にあった地球時代の全ての地球直径と、現在のそれをここに比較して出すことは?」
「やりましょう」
真理が昇に応えて視線を大画面に戻すと中の画面内では新たなウィンドウ画面が片隅から現われて画像の一区画を次々と塗り潰して展開した。
太陽系軌道を背景画に重ねて、
七つの時代の地球が新しいウインドウで前面に並ぶ光学空間ブラウザディスプレイとして横一列に並べられる。
「これって原寸?」
「いえ、原寸を同比率で縮小しています」
「月は?」
「これです」
それぞれの地球の画面の片隅から、また別の画像としてその時代に対応した月の映像が現われた。
そして表示された画面の中で自転し回転していく七つの地球と七つの月を見比べて、昇は章子を見た。
「わかる?
咲川さん?」
昇が訊くと章子も頷く。
「うん。
なんだろう。
月は模様が違うけど七つとも全部、同じ大きさなのに。
地球は最初の五つは同じなのに、最後の二つだけ大きさが全然違う」
章子が見ると左端から右へ並べられた地球は左から五つが全て同じ大きさだが、残り二つの大きさが食い違っている。
左から六番目が中ほどの大きさで、七番目が更に大きかった。
昇もそれに頷いて正面の大人たちに問いかける。
「この現在の地球の大きさの違いの理由を、第一では把握していますか?」
昇が訊くとリ・クァミスの面々は沈黙でそれを答えとする。
「じゃあ、真理さん。
次はこの惑星にあるっていう二番目の文明世界の情報を」
昇は昼間に聞いていたこの惑星上に呼び寄せられたという、六つの時代世界から二番目の世界の情報を求める。
「これです。
文字は日本語表示に対応させているので読めるはずです。
読めなかったらおっしゃってください」
真理が言うと、
それぞれの地球の脇に文字が浮かび上がり、大まかな情報が見出しで表示される。
「摂理学?
それが二番目の古代世界の科学?」
昇が疑問に訊くと真理も頷いた。
「そうです。
摂理学。
摂理学は古代より遺された摂理論にもとずく科学学問。
それは、ここ第一時代の原理学より一段階、遅れた科学技術です」
「固体発生は?」
昇の見透かすような視線に真理は言い澱んだが、しばらくしてからゆっくりと頷いた。
「……出来ます。
ごく一部ですが……」
目を逸らして言う真理に、リ・クァミス側の人間は大きくどよめくことになった。
「……ということは、
ゴウベンがワザと、この惑星に喚ばなかった、
ここリ・クァミスっていう時代よりももっと進んだ科学技術をもった文明が存在していたってことだよね?」
昇の言葉に章子は大きい衝撃を受けて真理に向く。
「本当なの?
真理」
章子が問いながら見ると真理は開き直ったように画面を見つめて笑っていた。
「ええ。
本当ですよ、章子。
そして半野木昇、あなたは何という目を持っているのでしょうね。
想像はしていましたが、これはちょっと心の準備が間に合わない」
そして立ち上がって皆に向く。
「……。
たしかにこの一番目の世界から次の時代世界である二番目の文明までの間に、その超越する極めて高次的な科学力を持った文明世界は確かに存在しました。
その名をギガリスと云います。
言うまでも無く、
ギガリスはその得意な科学分野を真理学としています。
真理学とはこの世界のあらゆる学問が最後に集う場所。
究極にして唯一の学場です。
彼らはその真理学の使い手だった。
それはこの現在の第一の時代から見て、すぐ百年後の事です」
その言葉で一斉に皆の顔つきが強張る。
「百年後?」
「そうです。百年後。
太古の昔、あなた方リ・クァミスの人間はあと百年の内に真理に辿り着いたのですよ。
そして、その真理学の名残りが第二番文明の摂理学。
彼らは真理学によって残された最後の篝火」
「最後?
最期ってことは、
彼らは滅んだの?」
「ええ、滅びました」
「そんなっ!」
堪らず声を上げたのは一番右端に座っていた大学生ほどの女性だった。
その女性もまた自分の力に自信を持つものだが、
真理の言葉に信じられないものを感じたようだった。
だが真理はそんな事を意に介さない。
「真理学に辿り着いてからの二千年間。
その期間があなた方の時代の寿命だったのです。
それ以降は見る影もありません。
ギガリスは衰退の一途をたどりました。
しかもそれは自然的にではない。
人為的な滅びです。
あなたがたは真理学という領域に足を踏み入れた途端。
目標を見失い、生きる気力を失くし自ら衰退の道を選んでいったのです……。
ただ未来に希望を託して……」
「なぜ……?」
一番怪訝な表情の学頭が聞くが、真理は首を振って答えるだけ。
「それはあなた方がこれから原理学の未解明だった部分の全てを理解し、つい真理学に辿り着いてしまえばすぐに分かる。
おそらく今夜、あなた方はその領域に突入する。
それだけの話を今日はするつもりです」
そして半野木昇に向く。
「他にはありますか?」
「……六番目からぼくたち七番目の地球までの直径、面積、体積、質量が大幅に目に見えて増加している。
この原因を作ったのは何処の世界?」
「五番目の世界です。
五番目の時代世界、その時代の総称をサーモヘシアといいます。
そしてその時代世界の意思発生学を主柱とする世界文明の全国家の総意が、ソレを実行したのです。
偶然見つけた覇都の遺産に自分たちの力を打ち込んでね」
「覇都の遺産?」
「ギガリスの事ですよ。
ギガリスが滅んで、時代が移り変わってより先、その名は覇都と呼ばれるのです。
覇都ギガリス。
それほど、伝承に残る真理学の力は絶大だった」
「じゃあ遺産っていうのは?」
「鍵です」
「鍵?」
「彼らは滅びる前に鍵を遺した。
自分たちが滅びて以降、いつでもこの現世に自分たち惑星世界を喚び寄せることができるようにとです。
彼らはこれから先に訪れる未来以外には、深い絶望しか抱いていませんでしたが、そこは腐っても真理学。
その唯一の未来に、自分たちが現われるための鍵を遺したのです。
真理学はそれを可能とした。
例えそこで現われるのがもう一人の自分である赤の他人たちであったとしても」
「……その鍵を使ったから、今の地球はこれだけ膨れ上がった?」
「そうです、体積、質量も万遍なくね。
ちなみにこれは事後報告になってしまいますが、
この惑星、転星を出現させた瞬間から、
第一からここにはいない第二から第六までのみなさんの分まで世界情報全てを対象として。
当時と現在の惑星密度の違いから、身体サイズ等を含めた強度、長さ重さなどを無断で、同体積比率に準じて再調伸を掛けさせてもらっています。
後々、他時代と合流することがありましたら注意を促した方がいいと思われますのでよろしくお願いします」
頭を下げる真理に昇は質問を続ける。
「じゃあ、なんでそんなに地球を大きくさせたかったの?」
「その理由はもう知っているんじゃありませんか?
特にこの時代やあの時代に生きていた者なら、この問題には容易に辿り着くはず」
真理は責めるようにこの時代の人間たちを見た。
しかし第一の時代人たちは誰一人目を合わせようとはしなかった。
「第一から第五まで続く地球直径は現在よりも一回り小さい三分の二です。
しかし地球の唯一衛星である月は同じ大きさで存在している。
さすがにこの第一文明とてこの存在比の乖離は見過ごすことが出来ません。
それをあなた方、第一は分かっていた。
地球の体積、質量をこのままにしておけば、いずれ月は地球から遥か遠ざかると……。
地球の嵩を増やさなければならない危機感が、あなた方の固体発生を欲した真意だった。
そんな重大なことを、力がありながら最期まで見逃した罪深いあなた方への、私からのお願いです
章子たち、現在の地球人に教えてやってください。
このリ・クァミスの時代から一体どれほどの未来が過ぎた時に、その終末が訪れるのか。
その予測を」
真理の言葉に、
章子と昇がリ・クァミス側を見ると、中央の学頭が口を開いた。
「私たちの時代からおよそ二十六億年後。
丁度、いま現在の時間時期ですよ。
本来ならこの時に、もうあの月はとっくに金星軌道に掴まってなければならないはずだった」
言葉を選びながら絞りだす学頭の言葉に章子は耳を疑った。
「ま、待ってください。
そんな、
それなら、別に固体に拘らなくてもいいんじゃありませんか?
例えば溶鉱炉のような液体の鉄でも注入すれば……」
だが章子のそんな誰でも考え付く手段を学頭の隣の中年男性が否定する。
「それはならん。
大容量の注入物が液体では、内部に入れた途端に自転の遠心力に捉まって偏り、平衡力を保つために必要な同態相による同相同混力が発揮される前に不安定な比重積を生む。
惑星の体積比に準じた膨大な質量分を誇る鉄液なら、なおさら全体に均等に行き渡る前にな。
第一、それでは地殻が保たん。
一旦入った液体が固体相になるには再度、地殻に出て冷える必要がある。
我々の使う魔法技術は間に遮蔽物があると効果反応が届きづらいためだからだ。
となると例え、時間差を置いたとしても、それでは注入を開始して十年と経たずに内部と外部から物積比率の差から生じる不安定性自転回転力による逆回転反応、
内部から引き裂く力、
反潮汐力遠心崩壊を起こすことが目に見えている。
給入口が極軸からであってもそれは同じ。
似たような理由で煉体や気体も却下となる。
もしそれが出来るとするなら、その三態のいずれかを地核中心内部にて一点的かつ継続的に増大させることのみ。
しかし、そこまでの定点長距離指定の魔法発生の技術は今の我らには無い。
理論上、それが出来れば固体発生も可能だと予測されているのも、これに拍車をかけておる。
だから結局、事実上の固体発生の力が要求される」
目に力を失っていく中年教諭の言葉を、今度は学頭自ら引き継いだ。
「惑星外科手術にはどうしても固体発生技術が必要です。
我々はそれを血眼になって探していた。
しかし、そんな必要はもう無くなったのですね。
ならば、もう焦る必要は……」
「いいえ」
安堵しようとする学頭を真理は遮った。
そこには新たな問題を浮上させようという、緊迫した目の色があった。
「な、何か……?」
「問題は残っていますよ。
学頭。
我が母ゴウベンはこの惑星にもソレをそのまま持ってきている。
第五が地球体積問題を解決する為に投入した鍵。
そして第六世界があった時代の地球内部でも投入されたまま、固体物質を増大させ続けていた鍵。
この二つが、そのままにね……」
「……なんと……」
「バ、バカなッ」
リ・クァミスの面々は非難の顔を強めた。
激しい罵倒が予想される今を、それでも真理は動じない表情で止める。
「母は過去の世界を何一つ欠けることなく、この転星に呼びよせた。
あなた方に何一つ心配の色を浮かべさせない為にです。
だからあなた方の対象となった過去と、現在の今とで召喚済みの絶対人口総数を比較して見せても、そこには誰一人として欠けてはいないはず。
さすがに気候環境、地理的環境だけは大きく変化するところもありますが、それでも気候だけはまだ一、二年間は微動で留めておくように設定されている。
地理的害影響も最小限になっているはずです。
それが手前勝手な召喚者の流儀だったのだから。
しかし、その最も憂慮されるべき配慮に乗っ取るのなら、
目に見えない所で隠れて存在していた物も欠けることなく全て召喚させなくてはならない。
だから母はそれも余すことなく持ってきた。
キチンと元の世界と同じ条件となる様に……」
「なんと……」
「なんという事を……」
学頭を始めとしたリ・クァミスの面々は項垂れている。
だが真理はそこで話を止めなかった。
「そして既に、それは限界にきています。
この転星の内部にある二つの鍵は相乗効果となり、この巨大惑星を破裂させることでしょう。
いえ、その前に鍵自身が地表に出てくる公算の方が高い。
第一と第二の狭間にあった文明から与えた身体と第五より与えられた精神を持ってね。
それは保ってあと一年……」
「なら……、
ならばどうすれば……」
額を手で抑える学頭を見て、
章子は残酷にも別の心配が頭を過ぎった。
「ね、
ねえ。
そんなのがこの転星にもあるってことは、今の地球にだってその鍵はまだあるの?」
「あります。
ただしこの転星の隣にある「もう一つの地球」の方にはありません。
あれは別に人類以外は模造された模倣の地球です。
現代人類の為だけのね。
そんなただの模倣ならば見えないところが欠けてしまっていても許される。
むしろ欠けていた方が、都合がいいでしょう。
その意味でなら心配はいりません」
そして真理は、変な安心を覚えた章子から昇に目を移す。
「……と、云う訳です。
……それで、
あなたはどうしますか?
半野木昇。
母はあなたの為にこの惑星を創り出しました。
そして、さらに、
しかも、
この惑星には問題がある。
ならば、
この惑星であなたはどう行動をとります?」
訊ねる真理に、昇は躊躇しながら、正面の転星の映像に切り替わった空間画面を見て言った。
「僕にはこの惑星で会わなくちゃいけないヤツがいる。
まずはソイツに会ってから考えたいんだけど……」
「では、
その会わなくてはならない誰かとは?」
真理の問いに昇は首を振る。
「分からない。
まだ知らないんだ。
でも会えばわかる。
そいつがきっと……」
この時の昇の顔を、きっと章子は生涯、忘れることが出来ないだろう。
「ぼくを転星に呼んだヤツだから……」
昇が見据える映像のその先には、ただ転星の姿があった。