54.残された二人
※この回の文章表現は全て「小説家になろう」運営さまのR規制ガイドラインに沿って、現在のキーワード該当作の内容に相応しくあるように、著者なりに構成させて表現、描写しています。
夕焼けのなだらかな山頂の遊歩道から、
章子は、彼方にまで広がる山々の景色を眺めていた。
最果ての地平から差し込む陽射しが、
明日が来るの怖がっている章子の心を温めている。
(イヤだ……)
黄昏の射抜く光線を浴びて、
章子は目を閉じて、空を仰いだ。
「……イヤだっ……」
道の手摺……。
黄色い石畳の広い道の両側にある、欄干をさらに大きくして頑丈にした手摺だ。
そこから身を乗り出して、
灼きつけてくる夕焼けからの陽かりを全身で浴びて、
心から叫ぶ。
「イヤだぁッ……!」
最後に大きく叫んだ声は……、山彦にもならない。
道から眺める山稜が連なった景色は、
章子の今の心が、どれほどちっぽけかを表わしている。
……表わしている……?
そう、表わしているはずなのに……、
今の章子は……、
この目の前に広がる雄大な自然の光景に、心が癒されないッ!
世界が広いのなら、
今すぐ!
この不安な感情を飲み込んでくれッ!
章子は心から願って、山々の神々しい景色に向かって大声で叫んだ。
どこまでも、
どこまでも、
声が枯れるまで叫び続けた。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
溜めていた鬱憤を全部、吐きだし。
肺活量が重かった全てを解き放って、
はぁはぁと息を切らしながらも、
それでもまだ、
山々の景色を、眩しさで細くなった視線で睨む。
明日なんて……、
来なければいいッ!
本気で、本当にそう思っていた。
自分の心が、大きな闇の中で袋小路に迷い込んでしまった感覚。
何をしたわけでもないのに……、
何をされたわけでもないのに……っ。
ただ単純に、
ただ無性に、
これから来る世界が、章子にはどうしても怖かった。
どうして……怖いのだろう……?
問い直すと、また不安が込み上げてくる。
分からない事があるからだ……。
分からない事が、たくさんあるから……、
章子は今が怖いのだッ!
なぜ……、
自分だけが、あの化け物のような二体を見たのか……。
それが章子にはどうしても怖いっ。
後ろを振り向くのが怖いっ、
夜に一人になるのが怖いッ、
そして、
こんな夕闇の近づく道を一人で歩く時、
角を曲がった先で、あの二体が待ち構えているかと思うと、
心臓が止まって、飛び上がりそうになるっ。
だからここまでも、目をつぶって走ってきた。
今の自分は、
風呂上がりだった。
宿の大浴場に入浴していた……、
濡れた髪もそのままにして、
この万里の長城のような高い尾根伝いの道まで走ってきたのだった。
宿の古城で用意されていた浴衣のような欧風の服は、よく風を通した。
急いで着たから帯紐などもグチャグチャだ。
……何をやっているのだろう……。
章子は一人、心の中で呟いた。
先ほどまで露天風呂で心温まる湯面に浸かっていた時に、
男湯から聞こえてきた会話を思い出す。
〝……昇は、
誰が好きなんだ……?〟
〝え……?〟
〝お前は誰が好きなんだよ?
章子か?オリルか?それともあの真理人の真理なのか?
どいつがキミの本命なんだ?〟
〝な、なにを急に……〟
〝吐けよ。
たぶん聞こえている。
これは仕返しだ。
憶えてるよな?
あの決闘が終わってから間もなかった頃、
下の町で、息の合ったボクとキミが一緒に並んで歩いてた時だ。
あの時、
キミ、
みんなの前で、歩きながら手に持っていた肉焼き串の一つをボクに向けたろう?
『食べる?』って。
あの時の、
オレたちを目で追っていた肉焼き串を焼いて作っていた串焼き屋のオヤジの顔、見たか?
慌ててお前に「やめてくれぇ」と泣き叫んできた。
それをキミは無視したな?〟
キレイに無視して、このボクに突きつけてきたッ!
『食べる?』ってッ!
食事をしなくてもいい、このオレに向かってッッ!
『食べる?』ってオレに向けたよなぁッッッ?〟
〝だって……、あれ、
きみが物欲しそうに見てたから……っ〟
〝そりゃそうさッ!
キミが旨そうに食っていたッ!
そしたら、あの行動だよッ!
あれはないなっ!
アレは無かったぞっ!
アレは、このボクの機嫌を損ねるのには十分だったッッッ!〟
〝……でも……、
食べたじゃない?きみ……?〟
〝ああ、喰ったとも……。
そして旨かったよ?
そう言ったよな?オレ。
怒りが込み上げてくるぐらいに旨かったッ!
食事をしなくても永遠に生きていけるボクに、食事をさせたッ!
命を奪って成り立つ食事をッ!
さらにそこから!
それをした、
このオレに!
ウマいと言わせたっ!
あの時ッ!
あの場にいた全員が蒼白になったなッッッ?
ヤツラにあんな顔を一斉にさせることを、このボクにさせたッッ!
そんな事が許されると思うかッ?
いやッ!
許されないっ、
絶対に断じて許されないなッッ!
許せないッ!
だから、今!
その罪を償ってもらうッ!
これは『ボクの平和』だッ!
そして、『キミの平和』でもあるだろう?
隣の女湯……、あれだけ騒がしかったのに、
もう、しんとしてるじゃないか?
対応は間違えるなよ?
この男湯から出ても、まだ平和でいたかったら……、
どうすればいいか……。
わかるよな?〟
赤い少年が誰かに突きつけている言葉をそこまで、思い出して。
章子はまた、黄色い石を積み上げてできた手摺に、寄りかかった。
章子は……聞いた。
少年の渋々言った、答えを聞いた。
だから飛び出した……。
慌てて、身体が濡れたのを、
がむしゃらに拭き上げて、
着の身着のままで飛び出したのだ。
この……日が暮れようとしている、ここまで。
耐えられなかった。
彼の言った答えは……、
章子には到底、耐えられなかった。
そういう答えだった。
酷く分厚い幅のある無骨な石の手摺の上で、ぎゅ、と握り拳を作る。
「なに、やってんの……?」
馴れ馴れしい声が、彼の足音と共に近づいてきた。
見つかった章子は慌てて逃げ出そうと、駆けだした。
駆けだして……、
駆けだそうとして……、
駆けだす前に、力尽きて止まってしまった……。
茫然とただ立ち尽くして地面だけを見ている自分。
振り返ると、
今度は少年が章子の代わりに、頬杖を突いて夕日を、上から目線で見下げている。
「……なんで、来たの……?」
〝……オワシマスさんだよ……〟
章子は、男湯でそう言っていた少年を見る。
〝ボクは……、
オリルさんが好きだ……〟
この少年が選んだ異性は……自分ではなかった……っ。
なのになんで、
今のこの少年は、
逃げ出してきた、自分から振った章子を追いかけてここにいる?
「……今夜、部屋で寝るメンバーが変わるって……。
伝えてくれってさ。
きみの部屋には……、オワシマスさんの代わりにオルカノくんが入る……」
「オリルは……昇くんの部屋に……?」
昇が頷く……。
ウンザリといったように……。
「女の子に……、そんな顔しちゃダメだよ……」
笑ってしまった。
笑っちゃってしまった……っ。
これから、
小さな一つの部屋で、
章子が気を寄せているこの男子が、
他の女子と二人っきりで一夜を共に過ごすことになるのだ。
特にそれが中学生同士ともなれば……、
内心、穏やかでいられるはずがないッ!
何が起こる?
どこまで行く?
大人同士だったらそこで何をするのか、なんて、
中学生になれば学校からイヤでも教わる、
腫物に触るような『性の知識』だけでは良くは分からない。
しかし、
過去のクラスの男子たちが、自分たち女子をどういう目で見ていたのかだけは知っている。
……きっと、最後まで……行くんだろうな……。
章子はそう思った。
中学二年生の女子の心でそう思った。
敗北感で一杯だった。
そして、明日の朝、
起きて会った彼女のお腹の中には、既に中学生の彼の『雄の欠片』が入っている……。
刺激の強い大人びた少女漫画ならよくある描写だし展開だ。
章子だって、そういう話の一つや二つの場面は既読している。
もしかしたら……、
明日、会った彼女や彼の体の何処かに、
その時に付けて付けられた、朱い『印』でもあるのかもしれない。
それを見つけるのが怖い。
……でも逆に、
それがオリルではなくて、章子だったらと思うと……、
「……ムリだよ……」
自分と、この目の前の少年が、どうにかなる、なんこと、
考えられないっ。
オリルと少年が、一つの部屋で過ごすことは耐えられないのに、
それが、いざ、
自分と昇だったらと思うと、
男女の関係が一度に進んだ二人になる、などということを想像することさえできなかったっ。
(不公平だ……)
章子は真剣にそう思う。
なぜ、
昇とオリルの二人だったら、進んだ深い恋人を超えた夫婦の関係になれて……、
自分と昇だったら、
例え一夜を共に過ごしたとしても『このまま』何も変わらずに、普段のままで過ぎ去っていってしまうのか……。
……まだ、
中学生だから……?
章子がまだ中学生だから……。
中学生でしかないから……、
昇と進んだ関係にはなれないのか?
どうすれば、オリルみたいになれるのだろう?
それが分からないから、
茫然と立つ章子は、昇に近づいた……。
「……えっ……?」
「……なんで、そっちが驚くの?」
黄昏ていた少年に、章子は近づいて。
それに敏感に反応した少年の昇が後退ったのを見て、
また更にくすくすと笑う。
「いや、だって、
そのまま、どっかに行くと思ってたから……」
「行くと、昇くんもどっか行くんでしょ?」
「行かないよ。
行くとトラが泣くからさ」
また頬杖を突いて、昇が太陽を睨んで呟く。
「トラちゃんはお父さんとそっくりで、すごーく『泣き虫』だもんね」
「あいつは、すぐ泣き止むよ。
ぼくはダメだ。いつまでたっても泣いたままで泣き止まない」
「女の子を泣かせるのは得意なのにね?」
「あ、あれはっ……、
いや、なんでもないよ。好きに言ってよ。
もう……何も言いたくないし………」
そういうわけにはいかない。
章子にはまだ、昇から聞きたいことが山ほどある。
そして、今、
その一つに、都合よく思い当たった。
「そう言えば昇くんって……」
予知をした事があるって本当なのか?と聞こうとした時。
「この世界ってさ……」
「え……?」
「この現実って、違うんだよね……」
突然の言葉で、絶好の問いかけは無為にされた。
「違う?」
「うん、違う」
断言する昇に、章子は首をかしげる。
「この世界って、動くって世界じゃないんだよね。
『増える』って世界なんだ。
増えて減る世界。
増えるって事が『動く』ようにも見えている。
そういう世界なんだよ。
それが、
この現実の原理なんだッ。
いまも僕たちが住む!
この『現実世界』っていう世界のねッ!」
言い捨てて昇は、
章子を見る。
「ひょっとして……、咲川さんって、
このまま、
この転星の中で、ずっと生きて行くつもりだった……?」
突然に、
章子の心を抉る一言が、放たれる。
「……地球には、もう帰りたくなくなっちゃった?
そんな事なんて、考える暇もなかった?
……そうだよね?
転星って、そんな事も忘れるぐらい、
すごくいいところだもんね?
ゴミも落ちてないッ!
ゴミをポイ捨てする人もいないッ!
他人の自転車のカゴに、
自分のゴミをポイ捨てしていく自分勝手なヤツラなんて微塵もいないよッ!
言い争いだって、起こらない。
その前にみんな謝るんだッ!
ここには『当然の権利だ!!』なんて、
怒鳴り込んで叫んで主張する人間なんて最初からいないッ!
でも、
主張するところはちゃんと主張して、
それでも相手も主張して来たことは認めているッ!
主張してこなかったら空気を読むッ!
それでみんな、過ごしているッ。
むこうの地球に比べたら断然にいい所だよッ!
その、
この転星で……、
ぼくと二人だけで生きていこうとか……、
そんなことを、
もしかして思っていたりなんかしていたの……?」
章子の触れられたくない秘密の園に、少年は土足で踏み込んでくるッ!
「正直に言ってよ?
咲川さん。
きみ……、
まだ……、
地球の事とか考えてる?」
その無機質な問いに、
章子は、答えられない。
「……昇くんは……、
帰りたい……の……?」
地球の日本とは違い、
分解されないゴミの一つも地面に落ちていない、章子の社会ではとても信じられない理想的な道や世界をみて、
章子は問う。
「……ぼくたちは……、
ここにいちゃいけないよ……っ!」
吐き捨てる、乙女の慕う心を弄ぶ!
自意識過剰な少年の昇に、
章子は絶句した。
今まで、
夢を見ていた章子は絶句していた。
「わ、わたし、
わたしは……っ!」
章子はもう……、
……帰りたくない。
帰りたくなかった。
「やっぱり、
そうなんだ?」
章子の抱く、
あんな地球には帰りたくないという心を、
昇は見透かした声にして、
世界に広げる。
「だ、だって……、
だってッ!」
章子は……、
昇と章子が、
アダムとイブだと思っていた。
昇がアダムで……、
章子がイブ……。
その地球人の現代人の最後に残った、たったの二人が……、
この新天地で……、
仲良くなって……、
結ばれて……、
二人だけで……、
子どもができて……、
幸せに暮らしていく。
漠然とそう思っていた。
そう考えていた。
そういう物だと思っていたッ!
そう思わせるほど、
今の章子には……、
居場所があった……。
「……ふうん……」
昇が軽蔑の眼差しで章子を見る。
信じられなほど強い軽蔑の眼差しだ。
章子を異性とは思っていない目だ。
女子とも見ていない目で章子を睨んでいる……。
「ぼくたち……もう、
ここに、いてもいい場所あるもんね?
できつつあるもんね……?
だから、
このまま居座るつもりだったんだ?
転星で?
安心して?
暮らして?
平穏に?
でも、
そんな事が許されると思う?」
そう言って笑う昇は、
沈みゆく夕陽とは正反対の方向にある、
東の夜が迫る蒼い空に浮かびだした『青い惑星』を見る。
「叫んでるよ?
地球?
地球も仲間に入れてくれっッ!て?
きみは……、
その為に来たんじゃないの?
てっきり、
ぼくはそう思ってたんだけどなぁッッッ!」
章子の茫然となる顔の前で、
昇は怒鳴った!
怒鳴って叫んだっ!
「やっぱりそれは、ぼくの平和じゃないなッ!!」
昇が、剣を構えた。
剣を構えて、章子に振り向ける。
「きみには思い出してもらうよ?
きみがこの巨大惑星『転星』にやって来た、最初の目的をね?
それを忘れてもらってちゃあ困るんだ。
きみには……、
ボクが持っていないものがあるんだから……ッ!」
昇が章子に、切っ先を突きつける。
「宣戦布告だ……ッ。
咲川さんッ!。
ぼくはきみに布告をしようっ!
きみと、きみの後ろにあるその現実に向かってッ!
かつての、
あの大日本帝国がやった日と、
同じ日にねッ……?」
そう……、
いつも、
開戦の火蓋を切る宣戦布告は唐突に、告げられる。
いつもまた、
ここで……。




