48.まずは世界とあらましを
空を飛んでいる。
竹箒に跨って、咲川章子は空を飛んでいた。
「その調子だ。
高々度を維持したままで航空魔術の出力を安定させる。
気圧の内圧、外圧に注意しながら、
自分の現在の高度、速度、基体の前後や左右の傾斜角を確認するんだ。
同時に内気温、外気温、風向、風力、天候にも注意しなければならない。
周囲に気を配ることも絶対に忘れてはいけないぞ。
自分の周辺で、他に航行している魔術媒体の数、
相手の高度、相対距離、相対速度、進行方向なども把握しておく。
それらの情報は全て、
キミの前面や周囲で張り巡らされている表示魔術に表示されている筈だ。
自分と他者の存在は、常に意識しなくてはならない。
自分以外の他が全く察知できなかった時は、頻繁に探すことを心掛けるんだ。
思わぬところから、他の飛行基と出くわすなんてことは、
魔女の乗り物を飛ばしていれば付き物だ。
空にいる限り、安全はないッ!
ほら!
早く出力を一定にさせて、高度を安定させろッ!」
空中で教鞭を振るうクベルが、
空飛ぶ箒の扱い方に苦慮している章子に厳しい目を向けている。
「え、えぇーとっ、
ここが、こうで。
これが、こうだから……?
わ、
うわわわっ」
様々な場所や情報に気をとられ、
跨っていた箒のバランスを崩し、
がくん、と高度をいったん下げてしまうと、
また、
ふんわりと上昇することで繰り返して、
緩やかなジェット・コースターの如く、しゃっくりのような飛行を続けていく。
「む、むずかしい……」
高度を上げたままで、
跨った姿勢を維持することが、ここまで難しいとは思わなかった。
項垂れる章子は、それでも辛抱強く指導を続けてくれるクベル・オルカノを見る。
「箒を一度、走らせてしまえば、
走行中での跨った姿勢を安定させることは簡単だ。
だが、それに頼っていては、走った後で減速させても空中で静止することができない。
止まった瞬間にバランスを崩して真っ逆さまになってしまうからな。
運転中の箒を止めることを覚えるにはまず、
高度を維持したままで、箒に跨った姿勢を崩さない技術を身に付ける必要がある。
魔女の乗り物を、どうしても自分の一人の力だけで運転したいのなら、
これは必要最低限、身に付けておかなければならない能力だ」
断言するクベルが章子を流し見ているのが分かる。
無様な少女だ、と心の中で笑われているのだろう。
それは魔術の力の根源である空飛ぶ箒さえ必要もなく、
単身で空中に立っているクベルだけではない。
悪戦苦闘する章子を尻目に、
周囲で空飛ぶ箒を使いこなして、
縦横無尽に飛び回る小学校低学年ほどの男子や女子も同じように、
はるか年上の章子を指差して笑ったり、ひそひそ笑いを燻らせている。
「気になるのか?
まわりの声が」
冷たく言う赤い少年の声に、章子は俯いた。
「でもな。
これは当たり前の反応だ。
いま教えているこんなものは、この世界では初歩の初歩の技術だ。
キミやボクの年齢だったら、出来て当たり前の「人として当たり前に持ってる力」なんだな。
だが、
それを今すぐに黙らせる方法はあるッ!
そんなわざわざ一般の魔術物などを遠回しに使わずに、
キミだけが持つ力を振るう事だ!
あるんだろう?
聞いてるぞ?
ボクのこの剣と同じ……、
いやっ!
それ以上に遥かな力を秘めた道具を持っているんだろうッ?
なぜ、それを使わないッ?
それを使えば、すぐにこんなヤツラなど黙らせることができるッ!
にも関わらず、
その一般にある普通の魔術道具を使うと決めたのがキミだッ!
キミが自分で選んだ道なんだッ!
自分から自分で選んだ道なのに……、
そんなことで落ちこむ資格が……キミにあるのかッ?」
どこかの少年に似た口調でクベルが喋る。
それを聞いて章子はぎこちなく笑った。
だんだん似てきている……。
影響されているんだと思った。
もちろん、それはクベルだけではない。
この自分もだ。
この自分も、〝あの少年〟に影響されているから、
あえて「普通の人の道」を歩もうとしている。
……でなければ、
とても使いこなせそうにはなかったから……。
「あの剣……、
アイツと同じ、
日本人のキミだったら当然使いこなせるものだとばかり思っていたんだが……、
ダメだったようだな……。
たしかにあの文は、
このボクでさえ、キミたちと同じ日本人であったとしても、
『剣』として使う発想なんてできないッ。
できないし、
実際に使うことなんてもっとムリだ!
アイツの頭、どうなってんだ?
あんな人間、ぼくたちの世界にだっていないッ!
悔しい気持ちはわかる。
それを使いこなすための修行が、これなのか?
だが……、
こんなものはッ……」
無駄な労力だッ。
吐き捨てるクベルが遥か下の地上を見る。
深い緑と浅い草色が彼方まで広がる地上を。
そこにいるかもしれない誰かを探して睨んでいる。
「でも……、
いま、「あの剣」を使えるのは、わたしと昇くんの二人しかいないから……っ」
じゃじゃ馬の箒に跨りながら、
章子は浮かない顔で呟いていた。
章子は焦っていた。
なぜ焦っているのか?
その理由は分かっている。
『彼』が、すぐにでも遠くに行こうとしているからだ。
章子ではとても追いつけない速さで、彼は遥か彼方に行こうとしている。
それは誰もが分かっていた。
そして、それを止めることができないことも……。
章子でも、オリルでも、
もちろんこの独りで空に立つことのできるクベル・オルカノでさえも、
あの少年を止めることなど、誰にも出来はしないのだ。
あの少年は、人を止めることはするのに自分は止めない。
いや、それは少し違う。
少年は……、最初から止まっているのだ。
最初から止まっている人間は、……止めようがない。
もう、すでに止まっているのだからッ!
そこからさらに止めるにはどうすればいいっ?
答えは……出ていた。
動かすしか……ないッ!
少年のあの偏屈で卑屈な醜い心を、動かすしかないのだッ!
章子たち、この集まった四人と一匹だけでッ!
「それにはまず、
わたしも『同じ物』をちゃんと使えるんだってところ、見せないとッ」
同じ位置に付かなければ、
あの少年は止められない。
しかし、それが今は一人もいないッ。
問題はそこだった。
だから章子は、
どこにでもある物を使って、昇を超える思考力を身に付けたい。
章子しか持っていない物に頼っていても、
それでは決して、あの少年には届かないと思うから……っ。
「残念ですが……、
あの剣、日本国憲法第九条は、
「日本」だけが持つ法律ではありませんよ?」
突然、ふって湧いた声に、
章子とクベルが振り返る。
「あの日本国憲法第九条に瓜二つの法律は、
実は、この世界でも別に他にも存在はしています。
そう、
この転星という新惑星の中でも、
確かにあの法律と同等で同質の法律が存在する。
あの文章とほぼ同じ意味の文を、『法律』として持っている国が他にもう一つだけ存在するのですッ!
それが、
第四紀世界グローバリエンに存在する『ヒロン』という小国……」
「ヒロン……?」
章子の言葉に、
唐突に、空中に現われた綺麗なオカッパ頭の神秘の少女、真理は頷く。
「そう、ヒロン。
ヒロンとは、現地の言葉で『飛竜』という意味です。
この小国ヒロンの国旗は、白い無地の背景の真ん中に青い丸まった飛竜の紋章があります。
章子たち日本の国旗が日の丸と云われるように、
かの国では自国の国旗を竜号という。
まったくっ、
あの少年はつくづく、世界に迫る思考をしている。
飛龍海……っ。
日本とヒロン。
この二つの小国家は実に双子と言ってもいいほどに、非常に似通っていた。
しかし、過去の太古にあった実際のヒロンは滅びました。
彼らヒロン人は、自国の不戦を強いる法律を最期まで護ることしかできずに使えなかった。
彼らは押しつぶされたのです。
自分たちの法律の重さに。
ヒロンの歴史上では、昇のような発想の人間は一人として出現しなかった。
しかしっ!
今はもう違うッ!
ヒロンの前にッ!
それを使いこなす、人間は現われたッ!
ヒロンは手に入れるッ!
『戦薙ノ剣』をッ!」
真理は宣言する。
「咲川章子、
あなたは勘違いをしている。
あなたは日本国憲法第九条を使いこなせば、半野木昇を引き止められると考えている。
しかし違いますッ!
それは逆だッ!
彼は、それを待ち望んでいる。
それは彼がいなくなってしまうための近道でしかないのです。
しかし、
だからと言って日本国憲法第九条も使えずに、
そのままでいるのもそれは違うッ!
それは手段だッ!
半野木昇を、我々の中で飼い殺しにするために残された、唯一の手段ッ!」
言い切る真理が三人だけの空の中で密談を向ける。
「咲川章子。
あなたには戦ってもらわなければならない。
あなたの第九条と、
彼の第九条が斬り結ぶのです!
平和と平和の戦争が始まりますッ!
心していて下さい。
彼との別離の時は、平和と平和の決戦が始まる時なのだとッ!
その戦争に備える為にはまず、
この二番目の古代世界ヴァルディラの魔術世界や、他の世界のことも知っておいてもらわなければならない。
ですから、
クベル・オルカノ。
あなたにも手伝ってもらいましょう。
……いままでの世界が、
第二で、新たに一つに集まってしまう前に……」




