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―地球転星― 神の創りし新世界より  作者: 挫刹
第三章 「新世界の扉」(最終章)
45/82

43.それは、それが始まる前に


※この回の文章表現は全て「小説家になろう」運営さまのR規制ガイドラインに沿って、現在のキーワード該当作の内容に相応しくあるように、著者なりに構成させて表現、描写しています。




 むかしおかしなお伽の町メルヘン。

 さまざまな寓話、童話の原風景を切り取った町。


 普段のお伽な町は、皆が憧れるだけの何の変哲もない牧歌的な日常が広がっているだけなのだという。


 山々に囲まれた窪みの中で原色のイラカが林と囃子の間からいくつもまばらに突き出ているのは不思議。

 広がる深緑の森が、それを大きく一纏めに凝縮させ掻き集めている。


 町の規模は小さくもあり、また大きくもあった。


 村というほどには小さくはなく。

 街といえるほどには大きくもない。


 お伽の町には数カ所しかない大通りの一つでも、

 入り口から角を曲がって歩いて見てみれば、それはすぐによく分かった。


 雑踏、と呼べるほどもない人の数は適度に、

 かつ賑やかに穏やかに、数少ない町の大通りを盛況させている。

 肩がぶつかり合うほどではない。

 それでも誰かが会話をはじめれば、たちまち一カ所に集う烏合の衆は出来上がってしまう。


 すれ違う感覚は、さらに進む心を弾ませる。

 多くもなく少なくもない賑わいの数々。


 自然とどこまでもいける足取りで、

 章子は、寓話の町を散策していた。


 小さく大きな通り沿いに建ちならぶ建物は欧風的だ。

 ここだけに限らずラテインという魔導国家の街並みは、章子の現代世界でいう欧風、そのものに近かった。

 三角や四角の屋根の色は原色で、白い壁が際立たせる。

 高くも低くもある古典的な集合住宅は、大通りともなれば固有の歪さを保ったままに絵本の描線を手描きで表現されている。

 ときどき突出する教会の鐘塔などは特に雰囲気を極立たせていた。


 章子の故郷の街とは比べるべくも無く、

 ここまで均衡のとれた味わいを醸し出す場所はすぐには思い当たらない。


 時折、店先から顔を出す魔女と僧侶は顔を見合わせれば、笑って愛想を返しそれぞれの日課を始めていく。


 町で暮らす町民は、

 襟や袖を紐で止めただけの簡素な服を身に着けて日常生活をしているし、

 それなりの専門的な衣を着用している人物などは、およそ普段の住民ではないことが伺える。


 章子はしばし人間観察を試みた。


 王族の住民はいないようだ。

 小人コビトもどうやら姿が見えない。

 小人がいないなら、おそらく巨人も目にすることはないだろう。


 どこか残念だな、という思いが微かに滲む。


 期待していた住人たちがきっと運んでくるだろう、童話や寓話の出来事には出会いそうにもない。


 白馬に乗った王子さまや、

 カボチャの馬車に乗ったお姫さま。

 毒リンゴを掴みあげたワシイボ鼻の魔女の低く高い笑い声。


 確かにこの町は、童話のようにいい所ではあるが……、

 それは町だけで……、

 章子の期待していた夢の童話の世界の出来事には、

 まだ一歩分の何か(・・)が足りないように思えてならなかった。


「あまり……、

この町はお気に召しませんでしたか……?」


 突然、水色の声が降ってかかる。


 章子は最初、それが過去に別れた魔女っ子少女のものだと錯覚してしまった。

 それほどまでに、訊ねてきた声が放った人を気使う色は似通っていた。


 優しく、

 そして温かく、人をどこまでも微笑んで案配する懐かしい心。


 期待して振り向いた矢先で、

 やはり章子は自分の淡く抱いていた儚い期待が裏切られたことを味わってしまう。


「まあ、

やはり、どこかお気に召せないところがあったようですね。

ならば、なんなりとお申し付けください。

なるべくその思いには私から取り計らいしたく思いますので……」


 落ち着いた口調で喋る同じ年頃の少女に、章子は二の句を告げることができなかった


 周囲がざわつくのが分かる。

 当然だろう。


 おそらく……この少女は……、

 『彼』と同じだっ。


 『赤』とは明らかに違う、

 水色の衣の色。


 涼霧が立ち込める水色の衣を纏い、

 髪は波のかかった清流のように美しく伸びて透き通った色をしている。

 顔は優しい品高いお嬢様系の貌だ。

 日本人でいう黒髪の、

 実際には黒髪ではない優等生のお淑やかな、お嬢様の女子。


 清楚。清廉。清白。


 それらの清い言葉を思い浮かべるだけ並べて、

 章子は悟る。

 自分よりもワンランク、

 いや、ツーランクは上の優等生の女子だ……。


 非常に先生受けのいい、

 特に男性の教諭になら真っ先に注目されるはずの落ち着いた、

 おっとりとした優等生の女子生徒そのもの。


 章子の小学校時代にも、こういう女子がいた。

 章子では決して手の届くことのできなかった高貴な品性を備えた女子という存在。

 悪意の全くない思いやりに満ちた慈愛あふれるあの優等的な顔を思い出すたびに、

 あまりいい記憶は蘇ってこない。


 比べられた。

 章子の両親や弟にも、先生にも。

 挙句、クラスメートたちからも、精一杯に搾りだした能力を比較されはじめ、

 自分と彼女との間に広がる格差を痛烈に劣等感として押し付けてくるのが、そこから残された二年間の小学校生活だった。

 成績も、

 性格も、

 家柄も、

 育ちも、

 要領も、

 生まれついての容姿でさえも……っ、


 そんな持って生まれた決定的な環境の差を埋めるための手段は、

 同じ年頃の女子ならば誰もが既に知っているものだ。


 手に入れてしまえばいい。

 普通の女子小学生児童では決して手に入れることのできない……。


 優秀な異性(ステイタス)というものを……ッ。


 章子にはそれが身近にあった。

 昔ながらの『幼馴染み』という秘密兵器が。


 ()の存在を、章子は利用した。


 特に憧れの「運命の年上のつがい」ともなれば、同年の女子はみな憧れ羨み黙る。

 妬んで黙った物陰で噂話を引き立てるだけで口惜しく終わらせてくれる。

 それはあの彼女でさえ例外ではなかった。

 彼女もやはり陰口を囁くような人物ではなかったが、

 章子のダンナ(・・・・・・)を意識していたことは、間違いがなかっただろう。


 章子の優秀なダンナは、

 ダンナと同学年の先輩女子からも注目を集める文武に秀でた逸材だったのだから。


 彼の傍にいれば、章子は「運命の少女」でいられるのだ。

 誰もが、どれだけ努力しても手に入れることのできない、

 「運命の赤い糸で結ばれた少女」という地位を!


 天は、章子に味方した。

 彼は、章子と彼女を比べることはしなかった。

 章子にはそれがなぜなのかが分かっている。

 彼が重要視していたものは「異性」ではなく「運命」だったのだから。


 彼は、章子という幼馴染みの少女を求めていたのでも、

 より優秀で美貌な異性を求めていたのでもなかった。

 彼は、少女でも異性でもなく「予め定められた運命」というものを欲していたのだ。


 宿命という、

 産まれついた時に、すぐ近くで産まれついた者と一生の生涯を共にすることが最初から決められているという、

 呪いとも誓いとも知れぬ『呪縛』とも呼ばれる定められた運命に!


 章子はそんな男児的な童子の思考さえも利用した。


 彼女が、章子の前からいなくなるまで。


 その時はすぐにやってきた。


 小学校の卒業という形で……。


 彼女の優秀さが、逆に別れを後押ししたのだ。

 彼女は自動階段エスカレーターを登り始める。


 章子が敢えて乗らなかった道だ。


 私立の中学受験に成功した彼女は、

 地元の平凡な公立中学にそのまま進学する章子たちと別れを告げる。


 章子は当然、別れには涙し、それぞれの門出には手を取り合い握って再会を誓い合った。

 そして、惜別の花道の後には、

 ニンマリと重荷のれた進学という喜びをまんまと勝ち取って。


 彼女のいない新たな中学校生活は実に爽快だった。

 やはり彼女の存在は邪魔だったのだと、章子は改めて痛感する。


 涙はない。

 それに勝る解放感が章子の心を支配していた。


 解放された充足感は、簡単に「運命の恋人」さえも使い捨てるのだ。

 章子は容赦なく切り捨てた。

 運命に縛られる、

 入学した中学で待つ年上の異性が気味悪く寄せてくる純情という「下心」を。


 幼なじみという単なる言葉に、彼は何の魅力を感じているのか?


 それがわからない章子は、いつまでも宿命の小学生気分が抜けない用済みの先輩に見切りをつける。

 章子の弟などは、それを端から見ていて身震いしたものだという。


 幸いなことに、やっと別れた彼女に比肩する女子は中学では現われることはなかった。

 どうやら別の小学校でも、それに似た生徒は極小数いたようだったが、それらは全て別の有名中学に進学したのだと女子の噂伝いで耳にしていた。


 あとは遺った者同士が、残った者同士たちで集団の陣頭を指揮していけばいい。


 それが、

 これからの章子に予定されていた順風満帆な中学校生活の筈だった……。


 章子は予定とは全く違う現実を歩んでいる現実いまに目を戻し、

 実際の目の前に立つ人物を見る。


 故郷では、

 意識せず避けていた少女によく似た、水色の衣を羽織る清らかな少女。


 緩やかに微笑んでくる顔が、章子の心を見透かしているようで不愉快。

 わけもなく出所不明の険悪なムードが繰り広げられるのを目前に、


 章子と彼女の言葉の会話を割って裂く声は、いつも要領よく間を見計らいやってくる。


「これは水の許約者(ワスア・ヴライド)

大切な我が主に、なにぞ御用でもありましたか?」


 背後から、

 さり気なく舞って歩み寄ってくる少女、真理マリの姿を見て、

 水の許約者(ワスア・ヴライド)と呼ばれた少女も優しい笑みを変わらず、章子の下僕にも向ける。


「いいえ、何もありません。

ただ、どこか物足りないような面持ちでしたので、それが気になり、

声をお掛けしたばかりなのです」


「それは用があったという事でしょう。

しかし、我が主はあなたを前にして、なぜか表情を曇らせ警戒している。

あなたという人物から、なにか良からぬものを感じ取っている。

残念ながら、私はそれを看過することができない」


 内情を悟られたくない一心で背を向ける主を流し見て、

 場の雰囲気をさらに悪化させる恣意的なプレシャーを、優良な少女に向ける。


 水の少女は強い視線をうけて、向けられている意味をくみ取った。


「……ならば、あなたが……?」


「そうです。私が彼女の下女しもべシン真理マリです。

まずは初めましてとご挨拶を交わしておきましょうか。

水の許約者(ワスア・ヴライド)


貴女あなたがここに来るなどとは、中々に気が早い。


となるとおそらく、

もう一人(・・・・)もこの近くに……」


「それは俺のことか?

真理人エメシスト


こんな山田舎で何をやってるのかと思えば、大層な事にもなっているじゃないか」


 どよめく人影が両端に裂かれた大通りの脇から、

 今度は紺色の衣を翻して、また別の少年が近づいてきた。


 深い青の色が凍っている。

 昇と同じ色の紺、

 ……いや、紺ではなく「藍」だ。

 紺のようなみじんの「赤」も混じっていない鮮烈で鮮明な色濃い青の「藍」色の衣。


「……真理人しんりじん……。

それが最近の私のアダ名ですか?


なるほど、

勝手に名付けられ、独り歩きしていく「あだ名」というのも悪くない。


ちょうど、

あなた方からは「真理マリ」などと気安く呼ばれることだけは避けたかったのです。

特に親しくもない者に直名を呼ばれることほど不快なものはありませんから。


ですから、これからはあなた方から真理人と呼ばれた時だけ返事をすることと致しましょう」


 笑って言う真理に、藍色の少年は嫌悪の色を浮かべる。


「確かに話しているだけでも不愉快になる人物だな。

初対面の相手にここまで気遣いもない言葉を吐き散らかすとは。

しかし、別に親交を深めようという目的でもない。


俺たちは、これから始まることをわざわざ見るためにやって来たんだが、

その始まる為の主役たちが見当たらないのはどういうワケなんだ?」


 強引に辺りを見回す藍色の衣を纏う少年は、金髪だった。

 やはり同じ年頃の、

 ほとんど綺麗な白銀プラチナを思わせる白い金髪。

 そこに細面の堀も若干深い顔も加わり、

 研ぎ澄まされた視線は精錬に鋭利な表情をしている。


「ヒーマイ!」

「なんだ、アイファ。

こんな奴らを庇うのか?

こんな口の利き方もロクに知らないような奴らをっ?」


 この傲慢さ。

 章子は知っている。

 最近、加わった「赤い少年」も似たような素行だった。


 結局、似た者同士は似た者同士なのか。


 初対面の人間に先入観は持ちたくない章子でも、

 相手がこれでは、次に向けられるだろう行動を予測しては警戒せざるを得なくなる。


「あ、悪態を封じることができず申し訳ありません。


こちらは凍の許約者(シーン・ヴライド)です。

凍の許約者(シーン・ヴライド)の、

ヒマイス・ロトキグフ。


そして私が、既にご周知のとおりです。

水の許約者(ワスア・ブライド)である、

アイファ・マリンシーです。


以後、お見知りおきを」


 謝罪も兼ねて深々とお辞儀をする。

 この躊躇いもなく自己の非を誠実に詫びる所が、やはりどこまでも章子の思い出と似通ってくるのだった。


「では改めましてこちらも自己紹介を。


私の隣でおいでになるこの方が、私の唯一無二の主にして七番目の現代世界よりこちらへ渡ってきた咲川章子です。

そして私が、この方のしもべであり、かつ、

この惑星を創りし神のその娘でもある。

神真理。

他にも旅の仲間として、

あと二名と一匹がいるのですが、如何せん準備があるようです。

もうすぐ合流してくるとは思いますが、ご紹介はその時にでも改めましょうか」


 あらぬ方を見ながら真理は言った。


「それはいいんだが……、

本当にあいつ(・・・)がここにいるのか?」

「ヒーマイ!」


 たしなめる水の少女も構わず、

 凍てつく少年はまだ信じられないとばかりに気持ちを尖らせたまま辺りを伺っている。


「だってアイツ(・・・)だぞっ?

お前も知ってるだろう!アイファッ!


あいつがこんなところで俺たちも知らない、どいつとだなんてッ!」


「……ボクがなんだって……?」


 氷と水の夫婦ゲンカに割って入ったのは、呆れ果てた火の子の言葉。


「あいつって、ボクのことだろう?

たぶんそうに違いない。

キミたちが二人で話すコトなんてボクぐらいのものだもんな。

いい加減そういうのも鬱陶しいんだが……。

まあいいんだ。

今日のボクはご機嫌なんだ。


それとも、他にもまだ、この町に潜伏しているのがいるのか?」


 背後から鎌首をしゃくり上げて見晴らしながら、

 許約者特有の裾が地面につくほどのポンチョのような赤い衣を翻して近づいてくる、

 熱の許約者(ファーチ・ヴライド)に、


 虚を突かれた、

 凍も水も、ただ目だけを大きく開けたまま立ち尽くすだけになっている。


「なんだ?

どうしたんだ。

幽霊でも見たみたいな目つきでさ。


そういうイヤな目でヒトを見るなって言ってたのはドコのドイツらだッ?」


 機嫌を悪くして言う赤の少年に。

 わなわなと震える視線が、信じられない光景を問い詰める。


「クベル……なのか……?」


「……?っ……。

見ての通りじゃないか。

オマエらが、いつも会いに来ていたクベル・オルカノだよ。

ボクは……っ。


それ以外のっ、

いったいダレにみえるんだってッ?」


 今にも爆発しそうなほどの口調の威力に、

 それでも、

 それとは全く違う意味での衝撃を受けたまま、


 シーンワスアは仲良く並んで戸惑い動揺して、流暢なクベルを見る。


「……だって、おまえ……喋らなかったじゃ……」


 ないか……。


 最後の言葉を想像して。


 彼ら。

 彼と彼女の許約者二人が言いたいことが、章子にもなんとなく察しが付いていた。


 この二人はおそらく……、

 戻そう(・・・)としていたのだ。


 この目の前の赤い少年を。


 人ではないただの「人をやめた命」から、

 なにより人に近い「人に戻った命」へと……。


 一生懸命に戻そうとしていたのだと直感で分かる。


 それだけの叶わなかった絶望的な感情が、

 いつの間にか、簡単に叶っていたことをあの二人の表情が物語っている。


「クベル……なの……?」

「そうだよ。水の(ワスア)

……調子が狂うな。

ああ、そうか。

のせいか……。

たかが出してもいなかった声を取り戻したぐらいで、そんなにボケられちゃあ、

やってらんないな……。


ぅ……ッ?……。


やってらんない……?

そうか、昇の言ってた「たんまんない」って意味は、こういう意味か……ッ!」


「……ノボル……?」


 赤い少年と長年付き合ってきたと自負する二人の知らない名前が出てきたところで、

 場が急変したことが分かる。


「……ノボル……って……?

昇って誰だッ!」


 掴みかかろうとしたのは怒気だ。

 明らかな怒気が叫びとなって噴出している。


 だがそんな時代遅れの怒気も、赤い少年には届かない。


「そんなことは、

キミたちが知らなくてもいいコトだ。

そこで黙って見ていればいい。


キミたちじゃボクの相手は務まらない。

ボクはもう、オマエらには愛想が尽きたんだ。


どうせ、待ってた(・・・・)んだろ?

自分たちじゃどうにもできないから。

ただ待っていた(・・・・・)だけなんだろうッ?


よかったじゃないかッ!

待っていたら戻ったんだッ!

ただ(・・)待ってただけでボクは戻ったんだよッ!

オマエたちが待ち望んでいた「人」っていう地獄の住人になッ!

それでいいだろうッ!


自分たちは(・・・・・)なにもせず(・・・・・)にボクは戻ったんだからなッ?


それとも……、

なにか?


出来ることは待つだけだったがッ、

変わるのは自分たちの手でなくちゃあ我慢ならなかったかッ?


都合がいいなぁッ?オイッ?


そんなんで「お友達」のおつもりか?

ボクのオトモダチのつもりなのかッ?

そういうのを、ボクを人に戻してくれた人間はこう言っていたぞッ!


そのわからずやな心に刻み込めっ!


図々しい(・・・・)』って言うんだってなッッッッ!


それがわかったら二度とボクに笑いかけてくるなッ!

ボクに笑いかけていいニンゲンは一人だけだッ!

もちろんそれはオマエラじゃないッ!


それでもボクと会話をしたいってんなら、自分の身のほどを弁えてから考え治してこいッ!

アイツはきっとボクを止めてくれるんだ……っ。

オマエラじゃできなかったことを、アイツはきっとやってくれるだろうッ!


ボクを止められる人間だけが……ボクと会話することが許されるんだっていうことだ!

この言ってる意味わかるよな?

ボクと仲良くしたけりゃ……、


いますぐオレをっ!

止めて見せろ(・・・・・・)ッ!」


 生まれついた遥かな昔から、

 今まで溜めていた憤怒を撒き散らし、

 赤い衣の少年クベル・オルカノは、怒りに任せて同胞の許約者たちに宣告する。


 マグニチュード12の力を持つ自分を、いまここで止めて見せろと恫喝するのだ。


 しかしそれが出来ない事を、

 凍のヒマイスも、

 水のアイファも自覚していた。


 それをすれば、逆に自分たちの命が奪われることを、彼と彼女は自覚せざるを得なかった。

 この突き放してくる少年の心を、自分たちと、

 言葉だけ(・・・・)で繋ぎ止めておくことが出来なかったのだ。


 それほど、持っている力には超えがたい大きな格差があったのだから。


「……あっ……」


 だが、

 それをこれからやろうとしている存在と彼女らは出会う。


 自分たちには出来なかった「言葉だけ(・・・・)」で、

 この赤い少年の狂気を止めようとしている存在を見つけてしまう。


 赤い少年は目を輝かせた。


「ドコ行ってたんだ昇ッ!

探しちゃったじゃないかっ!」


 まるで長年の友のように、

 無防備な親しみを込めて呼び、駆け抜けていく赤い少年が見せつける、自分たちこそが求めていた振る舞い。


 それを耐えがたく引き留めようとした手が気まずく止まって、苛立ちに変わるのは当然だった。


「……あ……あいつが……?

……あいつがっ……俺たちのクベルをッ……ッ?」


「ぃッ……おいっ、

教えてあげてやってくれよ、真理人。

そこの二人……未来でどうやってボクに殺されたのか(・・・・・・・・・)ってことをさっ!」


 耳ざとく逆鱗に掠めたクベルが立ち止まって捨てゼリフを吐く。


 その事実を、吐かれて向けられて捨てられた二人は既に知っている。

 知っているからこそ、いま「二人」はここにいるのだ。


「……知りたいですか……?

その真実が……?」


 興味も無さそうに真理が伺う。


 水と凍は放心したまま、無意識に頷くことしかできなかった。


「……凍の許約者(シーン・ヴライド)は真っ二つだったそうですね。

頭から股関まで、キレイに縦に真っ二つ。

クベル・オルカノが無意味に放った熱剣の一閃によってです。


その頃には許約者の半分は失われていた。

決闘の場はほぼ宇宙空間に移行していたようです。


一方、

その凶行の瞬間に、不幸にも急いで間にあってしまったあなた、

水の許約者(ワスア・ヴライド)は、

一刀両断されて陽炎のようにゆっくりと消えていく真っ二つの凍の(シーン)残影を目の当たりにして、

己の身を熱の許約者に捧げることで静止を図ります。

しかし彼は止まりません。

そこであなたは言ったのです。

これ以上、前に進むのなら、自分の首を刎ねていけ!と。

残念ながらその望みは叶いませんでした。


近づいてきた彼はあなたの首を刎ねず、

目の前の性欲の捌け口こそを求めていたそのふくよかな胸に、熱剣をストンと軽く突き刺したのです。

躊躇いなくプッスリと。

放心したあなたの顔と同時に、あなたの芯の臓は一瞬で溶かされてあなをあけられた。

それで終わりです。


空洞を空けられながら、円い侵蝕によってあなたの姿は消えていった。

血は一滴も流れることはありませんでした。

あなたも、

シーンも、


カレは、血の一滴もあなた方の体から噴き出させることなく全てを蒸発させたのです。

かつての見知った一人を一刀両断にしても、

自分を慕ういたいけな女子に剣を突き刺してもなおです。

血も流さずに、あなた達は存在だけをキレイに現実から消し去られた。

痛みを感じる間もおそらくなかったことでしょう。


ただ割かれ、二つに両断されて意識を遠くし、

ただ穴を開けられ、無痛のまま意識だけが波紋として欠けて消えていく自覚の消失。


彼は……事後も、

あなた方の『死』を気に留めることは一度もなかった。

呼吸さえ忘れた彼の心の臓は、既に鼓動さえ止めていたのだから。


故になにも思わず感じずに、かつてより決心していたことを忠実に遂行した。

そうです。

第二世界の自滅という最終目標を……」


 過去としてあった事実を語り終わった真理を、

 当事者であったはずの許約者の二人は、自分たちのかつての最期を耳にしてまだ声を出すことが出来ない。


「……なぜ自滅だったんだ……?」


 しばらく間を置いてから、凍がやっと呟いた言葉に、

 真理は()()のいる方を向く。


「彼が直接、手を下したかったのは『許約者ヴライド』だけだった。ということではないのですか?

それは期待の裏返しでもある。


()は、きっとあなたたちに期待をしていたのですよ。


自暴自棄に陥った自分をきっと「仲間」は止めてくれる、と」


 真理が不可解に見たのは、

 はしゃぎはしゃがれる間柄を繰り返す二人の少年だ。

 章子も、他の二人の許約者たちも、

 何も言葉を思い浮かべることもできずに、視線の伸びた先をなぞる。


「それが……最期までできなかったのが……?

私たち……?」


 未練そうに悲しく、惜しむように、

 好意を寄せる異性を掴み寄せることが出来なかった悔恨が哀しみとして落ちる。


「……アイファ……っ」


「いい。

いいの。ヒマイ。

だって見て。

いまのクベル。すごい……っ、

たのしそうだもの……ッ」


 最後に強く放った言葉が恨めしさで満ちているのが分かる。


 自分たちの方が長く時を過ごしてきたはずなのに、

 最近、出会った見知らぬ誰かが、自分たちの大切な物をすべて奪い去っていった。


 そんな心も知らずに、


 親密さを見せつけるばかりの熱の少年は、

 物欲しそうに見上げてくる「仲間」を指差して嗤うのだ。


「なあ?

見てくれよ!

あの無様なツラッ!


アイツら、ボクをトモダチ呼ばわりするんだぜっ?


物足りなそうにこっちなんか見ちゃってさァッ?

アイツら、本当に自分たちのこと何サマだと思ってんだかッ?」


「い、いや、

いきなりこうやって腕伸ばして、

遠慮なく肩組みにかかってくるきみもどうかと思うんだよね?


ぼくときみって今日決闘するんだよね?

日付間違えてないよね?

それが急にここで、こんな仲良くすんのっておかしくない?

ねえ、これおかしいよね?


いますぐ離れてくんないかな?


ぅん?


ちょぉっ?

あ、熱いッ!

暑いんじゃなくて熱いッ!

きみの体くっそアツイんだけどっ?


体温36度じゃないよね?コレッ!」


 ガッシリと腕で肩をつかまれたまま、

 馴れ馴れしく近づいてくるほっぺを近づけまいと、肘で必死にぐりぐりしている。


「どうなってんの?

きみの体ッ?


人間の体じゃないよっ、コレぇ!」


 ヒドい差別発言を繰り出している。


 実際、彼はまだヒトではない身体をしているのかもしれないが、

 それを遠慮もせずに指摘する少年の怖いもの知らずな発言は、

 同じ許約者の仲でも、あえて禁句視するものだ。


「ははは、なんだよ。

照れてるのか?

大丈夫だよ。死なない程度に調節してるからさ」


 笑うクベルは、今度は上機嫌なリズムに合わせながら体を左右に揺らし始めた。

 すると肩をガッチリと組まれた少年も、

 波が押し寄せては返すようにられて左右に身体を揺り動かされて踊りだす。


「や、やめてくれよぉっ、

あ、熱い!

しかも揺さぶってくる力もハンパないっ?


もしかして酔ってんのッ?


ね、

やめて、

ほんとやめて、

力任せにユサユサしやがってっ、


こんなことされたらぼく、きみと戦う前に戦闘不能だよッ?」


 強制的な人力のメリーゴーランドに酔い、

 叫ぶ被害者の少年、半野木昇の肩に、突然ヒュバッと稲妻が奔った。


「オマエっ、お父さんからハナれろッ!」


 稲妻とともに昇の肩に現われたのは一匹の子ネコだった。

 電気の火花をバチバチさせて毛並みをシャーッと逆立てる雷だけの子ネコが、

 慌てて跳び退いたクベルを視線で睨みつける。


「ついにおでましか、電気コネコ」


 笑って揶揄うのはクベルだった。

 クベルは意地悪く、喋る子ネコを悪意で見る。


「だが昇はお前の父親なんかじゃない。

分かってるだろう?

オマエは、オマエの母親ママンもとからしか生まれてないんだってなっ」


 非常な事実を、子ネコは首を振って否定する。


「チガうッ!

お父さんはお父さんだッ!

お父さんがボクに名前を付けたんだッ!

だからお父さんはボクのお父さんだッ!」


「名前を付ければ、そいつがオマエの父親か?」


「ソウだッ!

お母さんがお父さんだけにタノんだんだッ!

名前を付けることをお母さんがお父さんだけにおネガイしたんだッ!

だからお父さんだけがボクのお父さんだッ!」


「……っぃ。

……トラぁ……ッ」

「……あ゛ッ……ッ!」


 父親が首根っこを引っ掴んで、

 手足をジタバタとさせる電気子猫をベリベリして引き剥がすと、高々と掴み挙げて吊るし上げる。


「あ、ちくしょうッ。

はなせ、はなしてよ。

このクソ親父ッ!


ボクはアイツとケッチャクをつけなくちゃいけないんだッ!

大好きなお父さんを守るんだッ!


なのになんでお父さんはボクを叱るんだァっ?」


「……お前、いま、

おれ(・・)のこと「クソ親父」って言ったよな……?」


 冷たい視線で注いでくる父親に、喚き暴れる子ネコは目をつぶって咆哮する。


「言ってないモンッ!

お父さんにクソ親父なんていうワケないモンッ!


いうワケないじゃないか、このクソオヤジぃぃッ、

それがわかったら、はやくこの手をはなしてよっ!


はやく手をドケてくれないと、

あのクソあっかいヤツをとっちめられないじゃないかァぁぁっぁっ!!!」


 どうすれば、

 こんな可愛らしいシャドーボクシングをしまくるバチバチ子ネコが、

 こんなに薄汚い言葉を喋りだすようになるのか。


 片手で子猫を掴みあげ、

 空いた、もう片方の手でこめかみを押さえて悩める昇には分からない。


「自業自得でしょ……」


 自分の実父を、クソ親父呼ばわりすれば、それは自分にも返ってくるのだ。


 内心をオブラートに包んだ章子の心の言葉が届いたのか、

 盛大に顔を顰めた昇は、章子に一瞥をくれながら自分の背後へと子供トラを放り投げる。


「……オワシマスさんっ!」

「ーーあッーーっ!このぉ薄情モーンっっ!」


 絶叫する電気子ネコが放り投げられて、

 じたばたと可愛い弧を描いてポスンと落着したのは、母親の柔らかい腕の中だった。


「ア、お、お母さ、ァん……っ」


 心優しいはずの母親は、恐ろしいオニババアの形相で電気子ネコを睨んでいる。


「トラ、ごめんなさいは?」

「っえ?」

「ごめんなさいは?トラ」


 オニババアはクソオヤジよりもはるかに何十倍もコワいのだ。

 追い詰められていく自分を助けてはくれない母親を、電気子ネコは心細そうに見上げる。


「……トラ?」


「……う、うっさいやーいっ。

ボクはなんにもワルいことなんてしてないんだやーいっ!


あやまるのはお父さんたちのホウだッ!

アタマを下げたってゆるさないんだモぉーンッ!」


 開き直った態度をペシリとおでこに叩かれて、

 我慢ならない電気子ネコは更に顔を拗ねらせる。


「なんでいつもボクだけがワルモノなのぉっ?

ボクはただお父さんをマモッてるだけなのにぃっ!」


 いつもは甘噛みしてくるキバを剥き出しにして自己主張する電気子ネコに、

 そっと近づいてきたのは、

 水の許約者だった。


「……お父さんが大好きなんですか?」


 声を掛けられた電気子ネコのトラは目を奪われた。


「子ネコちゃん?」


 だが、尋ねられた子ネコは微動だにしない。

 微動だにせず、ただじーっと一点に視線を凝縮させている。

 その理由を抱いている母親は分かっている。

 父親と一緒だ。


 自分の可愛い我が子は、慕う父親と一緒で大好きなのだ。


 自分という母や女よりも秀でた物を持つ女子の特徴を。


「オッパイだ……っ!」


 父親はその場で突っ伏した。


「すんごい、タニマの、

オッパイがデッカイだッ!」


「きゃぁっ」


 幼気なネコ眼が、ハートマークならぬオッパイマークとなって、

 水の許約者の、水の衣でも隠しきれない豊満な胸にダイブするッ!


「ム、むにゅむにゅだぁっ!

お母さんとは全然違ァうッ!


うわわぁ、なんでお母さんのオッパイはこんなオッパイじゃないんだぁっ?

お母さんのおっぱいも、

こんなボインボインの柔らか~いオッパイだったらボクは絶対こんなことしなァいのにぃっ!」


 挟まれたお山を掴んで離さない頬をすりすりする子ネコが顔だけスケベオヤジに出来上がって、

 更に飛び込んだ衣のさらに深淵へと潜り込もうとする。


「……っぅ、女の子のここ(・・)が好きなんですか?」

「ダイスキだよぉッ!ここが一番キモチいいんだぁっ!

でもこんなにキモチイイ、オッパイをもってる人ってあんまりいないから、

ボクはいつも探すんだよ?ここに包まれて寝るとホントによく眠れるんだらぁ!」


 断言して欲望に任せたまま襟首から柔肌の奥にまで潜水してしまう子ネコを、

 クスクスと笑う水の許約者以外の全員がゲッソリと見る。


 かわいい子ネコに罪はない。

 愛くるしい子ネコに罪はないし、無邪気な子供にも罪はないが。


 それでも、この下劣にデヘヘと満足する子ネコの眼福顔が、

 水の許約者の襟元からぽっこりと覗けば、

 首の一つもこねくり回したくなるだろう。


「ごめんなさい。

いますぐ、このバカ息子を引っこ抜きますから!」


 腕まくりをして腕力まかせにせまる子ネコの母親である少女、

 オワシマス・オリルを、

 水の許約者(ワスア・ヴライド)アイファ・マリンシーは笑って衣のままトラを抱きかかえる。


「いいですよ。これぐらい。

それに私もやぶさかではありませんので。

ふふふ。面白いカラダさんですね?

私もあなたをこうしているとくすぐったい。

あなたのカラダは私の空洞を埋めてくれる……」


「ほんとぉ?」


 だったらこのまま、ずっとここにいよう。

 子ドモならではの特権を満喫する子ネコは、どっぷりと聖母に満ちた愛浴に浸かる。


「トラ……。

あとでとっちめてやるから……っ」


 母親の怒りも、極楽な居心地の欲にまみれる子供の耳には届かない。


「おやおや、

立派な特権が生かされて、あなたの特等席が奪われてしまいましたね?

クベル・オルカノ?」


 トラと水の許約者の下に、様々な表情を織り交ぜた周りの登場人物が集まってくる。


「ボクの特等席?

どういうことだ?」


 真理の発言にクベルがいぶかると、

 彼女の言葉に思いがけずに怯んだのは水の許約者だった。


「その子ネコが独占している部位は、あなたの為に用意されていたような物だったのですよ?

気が付かなかったのですか?

彼女はいつもそれを待ちわびていた」


「っな、なんでそれをいま……ッ」


 極楽に酔いしれる子ネコを抱いたまま、

 アイファは真理を絶望的に見る。


「ここまで言っても分からないようであれば、

とんでもない朴念仁だ。


同じ叶わぬ異性を慕う者同士としては許しがたい暴挙。


これは別に水の(ワスア)ために言っているのではない。

私の心が許せないのだッ!


秘めた乙女の心も知らず!

男どもは何処までも勝手、気ままに遠くへと行ってしまうッ!」


「恋愛感情だとでも言いたいのか?

ということは、

もしかしてキミは……っ!」


 クベルの視線が、話題の外にいた昇に突き刺す。


「だ、そうだ。

半野木昇。

キミもなかなか隅に置けない罪深い男だ。

さっさと手籠めにしてやったらどうだ?


満足するみたいだぞ?


それとも、

まだ彼女たちの柔なハダカひとつにも、糸引く臭い唾液ツバさえつけていないのか?」


 軽蔑的に厭らしく性を煽る少年を、

 昇は昇らしい、

 ひどいシカめっ面で胡散臭く首をひねる。


「前から思ってたんだけどさぁ?

きみたちのそういう言葉って、中学生コドモが使うべき言葉の範疇を超えてるよねぇ?」


 なお首を捻り、昇はウンザリと腕を組んでみる。


「そうか?

ボクたちの歳にもなれば、それぐらい考えるのは当然じゃないのか?」


許約者ヴライドって人たちは、

人のカラダは面倒臭い、って切り棄ててしまう割には、「恋愛」ごとには興味があるんだ?」


「まさか!

すくなくともボクにはない!


恋愛行動とは最終的には服を脱いで腰をブツけあって他を増やす生殖活動に行き着くものだろうっ?

だが生殖活動なんていうのは、

躰が朽ちていく者にしか用のない相続遺産能力だ!

そんなものは死に縛られているヤツらがしがみついていればいいだけの増殖能力なんだな!


しかし、ボクら許約者ヴライドは基本的には人為的な死も自然的な死も超越した存在だ。

ボクらの死は、自らの意思以外では与えられることは無い!


もちろん例外はあった!

ボクがしたことだ!

だがそれは例外中の例外だ。

史上最強という例外でもなければ起きはしない!


これほど自己に満足し完結した存在に、

他者を使って自己モドキを増やすためだけの目的しか持たない「恋愛」なんて、いったいドコに必要があるっていうワケだ?」


「それやってる最中は、自分の体や心は気持ちよくなるらしいけど?」


「肌が触れてか?

残念だがボクは熱を奴隷にし!その熱をも神にする!

「熱の許約者」(ファーチ・ヴライド)だ!

ヒトの体温は、すでにボクにとっては置き物の常温とさして変わりはないッ!

そんな、

熱も感じないただの肌と肌との触れ合いが……いったい何の快楽になるって思うんだ……ッ?」


 クベルの吐き捨てた言葉が、

 巨大な説得力を伴って昇の目を大きくさせる。


「……きみって、そういう世界に生きているのかッ!」


「昇?」


 昇の大きな驚きが、周囲にいた全員の視線を一点に集める。


「それは、

それは思ってもみなかったな……っ。

そうだよね。

温かさ感じなくちゃ、男子と女子がいたって意味ないよね。


ぼくだって女の子がそばにいればドキドキなんてしっぱなしなんだからさ。


でも、それがわからなかったのがキミかっ。

たしかに熱を感じなくちゃ、そんなのどうでもよくなるよ。

性別も恋愛も……。

そんなのただの命のないコップやクッションを触るのと同じなんだから……ッ、


人も物もすべて同じ無熱の物にする……ッ。


それが……きみたち許約者ヴライドの力……っ」


 今ごろ、許約者の強大な力に気付いて昇は目を見張る。


「とんでもない『賢者モード』でしょう?

彼は雄性が常に最終目的としているはずの欲望である射精を果たせずとも、

常時、無性欲の状態なのです。

熱の許約者には、性欲というものが最初から存在しない。

性器神経が反応しないし、

湧かないのです。

あるわけがないのですよ。


例え目の前で、

人と人との濃密で濃厚で熱く絡みついた、挿して貫かれて抽入して注入された生殖行動のなれの果ての最中を、

これ見よがしに見せつけられてもムシケラとして放置するだけです。

彼には虫も人も、同じ「熱を感じない物」でしかない。


当然ですね?

『命』というものとは元来、どういった物(・・・・・・)であるのか?

そこを考えれば、

熱を感じない(・・・・・・)という事がどれほど致命的な事であるかという事実には容易に辿り着くわけなのですから」


 そう言って真理はアイファに向く。


「これが、

あなたの密かな恋心が、慕う彼のココロに届かなかった真の理由です。


彼にはそもそも恋という単なる熱の動き(・・・・)に興味を持つことは無かったのです。

恋という熱に価値はなかったのですよ。

恋とは「熱」と同じだった。

「お熱をあげる」という表現が、ことさらそれを体現している。

彼にはそれだけの事だったのです。


あなたの胸に秘めていた恋という「熱」は、彼に届かなかった。

なぜなら彼はその「熱」を支配する「熱の許約者」だったのだから……」


 今までの、理解できずに食い違っていた齟齬を、

 ここで真理しんりに暴かれて、アイファやヒマイスは衝撃を受けて立ち尽くす。


「……クベル……」


 アイファは初恋の相手を見た。

 見られたクベルは罪悪感も無く、不機嫌に顔を逸らすだけだった。


「……で?

お前はそんなクベルにこれから決闘を挑もうと言うんだな?」


 突然、口を開いたのは凍の許約者(シーン・ヴライド)のヒマイスだった。


「本当にやる気なのか?

これだけの人外ぶりを見せつけられて、それでもまだ止められる気でいるのかッ?」


 シーンが憤るのも分かる。

 すでにクベルは人の手に負える存在ではない。

 それ以上に同じ許約者の中でも手に余しているのだから。


 それでも、昇は自分の何もない手を見て言う。


「……やるしか……ないですよね……。

彼を止めなくちゃ、このまま放置ってわけにもいかないでしょう。


でも、ぼくが止めるわけじゃない。

止まろうとするのは彼自身です。彼自身が彼を止めるんです。

ヒトなんてそんなもんです。

誰かが止めようとして止まるようなもんじゃない。


幸い……、彼には止まる気(・・・・)があるようだ。


だったらぼくは、それを自覚させる(・・・・・)だけですよ……」


 力なく笑っている昇がシーンを見る。

 ヒマイスは気付いていないようだったが、


 昇のしている笑い方は「引きつり笑い」だった。

 昇は気付いていた。


 これは「友情の三角関係」だということが。

 友情の三角関係は「恋愛の三角関係」よりも、なおタチが悪いのだ。


 むかし仲良しだった普段の友が、

 突如、預かり知らない所で知り合った、

 思わぬ趣味の疎通によって意気投合した「よそ者」を連れてくる。


 昔なじみの友は、自分が一緒に行けないところで親しくなる同性の仲が許せない。


 得も知れぬ嫉妬とは、

 永い時間にあったはずの友情の「ないがしろ」から、湧くものなのだ。


 それをいま、この凍の許約者は抱いている。

 この嫉妬は歪みだ。

 この歪みを放置しておくと、いずれクベルに対しても、決していい影響にはならない。


 藍色の衣の許約者と、

 リ・クァミスの紺色の服の日本人。

 並び立つ青色同士は、赤という傍若無人な原色を巡って揺れ動こうとしている。


「じゃあオルカノくん、

ぼくときみはひとまず、ここでお別れだ」


「はぁっ?

なんでだっ?」


 驚くクベルを昇は一蹴する。


「なんでもどうしてもないよ。


その人たち。きみのトモダチなんでしょ?

だったら積もる話ぐらいあるでしょう?


決闘はちゃんとするから、それまで昔なじみの人たちと思い出話でもしてればいいよ。

どうせ、ぼくの方も、きみと一緒にいたって話すことはなにもないんだ。


ぼくといても、そちらといても同じ気まずい空気しか生まないなら、

昔馴染みの人たちといたほうが全然、気心が知れてるでしょ?


ぼくはその仲を邪魔したくないんだ」


「じょ、冗談じゃない!

コイツらはボクのトモダチなんかじゃないッ!

コイツラなんかより、キミの方がずっとトモダチだっ!


ボクはキミともっと話がしたいんだ!


その気持ちをキミは汲んでくれないのかッ?」


 らしくもなく友情を懇願するクベルに昇は呆れた目で見る。


「じゃ、こうしようっ。

きみが、きみの旧知の人たちといると、ぼくは平和なんだっ」


「なにっ?!」


 驚くクベルに昇は頷く。


「そうだよ?


きみが同じ許約者の人たちといると、ぼくは平和になるんだ(・・・・・・・・・・)

だから、

きみもその人たちといると、きっと「平和」になれると思うよ?」


「ボクがコイツらといると「平和」に……っ?」


 絶対に信じられないクベルを、昇は念押しをする。


「試しに暫く、一緒にいるといいよ。

あとで「平和だった」なぁんて思うかもしれない」


 笑って唆す昇の提案に、

 疑っているクベルはそのままの目つきで、二人の許約者を見ている。


 すると……、

 いままで呆気に取られていたアイファが口を開いた。


「そういえば……、

まだ言ってなかったけれど。

お爺さまもいらっしゃってるの……」


「あのジジイがッ……?」


 クベルが驚くと昇は伺ってみる。


「お爺さん?」


「ああ、ジジイとはいっても実の祖父じゃない。


許約者ヴライドたちの長老みたいなモンだ。


そのジイさん、樹の許約者(グリズ・ヴライド)なんだけどな。

なかなか頑屈なジイサンで、あまり会いたくないんだよ」


「クベルっ。

その汚い呼び方をやめろ!

言い過ぎだ!

祖老そふは、可愛い俺たち孫たちを心配して様子を見に来てくれてるんだ。


きのうおとといに、

おまえが誰かと決闘をするなんて知らせがきたから、慌てて俺たちといっしょに飛んできたんだよ!」


「いい年こいて慌てて動くとまた腰やるぞ。あのジイサン。

すると……ここに来たのは、オマエたちとジジイだけで全部なのか?」


 これ以上、許約者が増えれば大騒ぎどころの話ではない。

 柄にもないクベルの配慮の声にアイファは沈黙のまま頷き、

 ヒマイスは肯定する。


「ラテインに限らず、

この事に対しては強い緘口令がかれている。

許約者の完全権限でな。

これで滅多なことでは情報の漏洩は起きないだろうし、

お前たちがこれからしようとしている私闘も、今この時にいる幸運な住人と観光客にしか観ることはできない。


他の許約者たちは特に興味も示さなかった。

祖老が出向けばそれで問題ないと踏んだんだろう。


お前は特にワケ有りだからな。


あとは見ての通りだ。

時間が来たら、お前たちの好きなようにすればいい」


 ヒマイスの言葉を聞いて、

 クベルはまだ口惜しく昇をねめつける。


「本当にオレを置いてくんだな?」


「だからそう言ってるじゃないか?

これ以上ぼくのハーレムを邪魔しないでくれよ?

きみがいるとジャマなんだ。


男はぼく一人だけでいい。

せっかく女の子たちの中でぼくだけ男一人だったのに、とんだおジャマ虫が入っちゃったって思ってたところなんだ。


きみは別に女子には興味がないんだろ?」


 笑って言う昇にクベルは見切りを付けて言う。


「そうか……、

なら試しにこの地獄を味わってみるさ。

これで平和じゃなかったら絶対に許さないからな」


「じゃあ、ついでに言っておくよ。

お爺さんは大切にした方がいい。


ぼくには、父方にも母方にも、おじいちゃんが居なかったからね。

両方ともおばあちゃんばかりだったから憧れるんだ。

おじいちゃん子っていう関係に……」


「……なるほど、そういう意味で平和をするって意味なんだな。


ならグリズのジイサンにも顔を見せておくか。

それがきっと、きみのうらやむ……、

平和ってヤツなんだろうから……」


「わかってもらえたんなら、

ここでようやくいったん、


さよをなら、だ。


……またね?」


「ああ、約束の時間に、

約束の場所でまた会おう……」


 その時は直ぐにやってくる。


 クベルが頷き、昇が軽く手を振ると。

 クベルと他の許約者たちをその場に残して、


 昇は大通りの奥にある町の中心部へ歩こうとしていた。


 昇が動けば、自然と章子たちもついて行く。


 父親と母親がそろりそろりと音も無く遠ざかると、

 水の許約者の胸の中で、うたた寝していた電気子ネコも敏感に気づいて起き上がった。


「あ、まってヨぉ!おいてかないでっ!」


 慌ててアイファの胸元から飛び上がって、遠く離れた父親の頭に齧りつく。


「あだッ!

ッてーぇっ、お前はぁ!」


 頭を振り乱し、重さを感じた髪をかき乱して、

 頭上で踊る雷ネコを掴もうとして乱舞する手が虚空を切る。


 電気子ネコのトラは、父親の掴みかかる手をヒラリヒラリと交わしながら、

 遠ざかっていく背後の許約者たちに向かって深々とお辞儀をした。


「……ごめんなさいでした……」


「……また、いつでもおいでにいらっしゃいっ、

今度は口に含んでも(・・・・・・)いいですからねっ」


 アイファの大きな声に、

 隣にいたクベルもヒマイスも仰天する。


 アイファは自分の誇る女子の性徴の到達点に、

 甘えん坊な子ネコが、赤ん坊よろしくまさぐって口元を寄せていたことを忘れていない。


 あの可愛い小ネコが自分の子供だったらと思うと、少しだけ寂しさが残る。

 子ども特有の爛漫さが去っていくのを感じてアイファが振る手を止めると、

 子ネコはやはり瞳を輝かせて、子どもを言うのだ。


「ほんとにぃっ?

いっぱいいっぱい、オッパイに赤ちゃんチュウチュウしちゃっていいのぉっ?」


「トラっ!」


 はしゃぐスケベ子ネコが自分の頭上で叩かれたのを感じて、昇は首を傾げる。


 赤ちゃんチュウチュウってなんだ?


 気になってやっぱり子ネコの言った意味を確認したいと、

 母性の持ち主である水の許約者が誇る女子力を改めるために振り向こうとするのを、

 目の前にぬっと現われた真理に遮られた。


「ハーレム……満喫できそうですか?」


 昇の興味を邪魔してきた真理の声に、周囲の女子の視線が集まる。


「……でき……そうもないよね。

上にこんなの(・・・・)がいたんじゃさ。


ちょうどいいんじゃない?

子どもの前では、子供は子供らしくしてろってことだよ」


「ボクは別にダイジョウブだよ?


オトウトができるんでしょ?

お父さんがお母さんたちにしたいことをすると……?」


 子ネコの言葉に昇は絶句する。


「おまえ……ってさっ?

そういう話を、いったい誰から聞いてくるわけ?」


「ママだよ?」


 ママとは、電気ネコの母親であるオリルのことではない。

 真理のことだ。

 電気子ネコのトラは、実の産みの親であるオリルを「お母さん」と呼び、

 それ以上の母性を発揮する真理のことは「ママ」と呼ぶのが日常になっている。


 そんな諸悪の根源の「ママ」を、

 昇が糾弾の目で見ると、真理は可愛くベロを出して「テヘぺろ」している。


「……ところで、

さっきから何、ヨんでるの?

アキちゃんは?」


 父親とママの水面下での決闘も気づかずに、

 爪を立てて昇の頭にしがみついたまま、

 トラは小さな鎌首を傾げて章子を見た。


「え?

ああ……、

ちょっと予習をね……」


 上の空で、

 一枚のメモ紙を、いつの間にか手に取って齧りつき、

 物思いにふけっている最中の章子が生返事をする。


「ヨシュー?

よしゅうってベンキョーのこと?

うへー、ボクべんきょーなんてゼッタイ、ダイッキライだ!」


 見るとノートほどの大きさがある一枚のメモ紙に釘付けにしている章子と同様、


 周囲のたくさんな住民や観光客たちも、

 これから昇とクベルの決闘の場となる目的地に向かって歩いていく。

 彼らの手にも、章子が手にする用紙よりも一際、大きい冊子があった。


 それらの冊子は、これから始まる、

 史上最強の許約者とただの一般人による決闘という一大イベントをプログラムにして掲載しているパンフレットだった。


「咲川さんも、ああいうパンフレットを見てるんだ?」


 どこからそんな物を手に入れたのか。

 まじまじと伺い見た昇が、章子の持つ白いメモ紙を覗く。


 すると、メモの内容を見た途端に、

「うげっ?」と昇は信じられない声を上げた。


「章子って、すごく真面目だよね」


 その様子を見てオリルが一言を呟く。


「え?

ちょっと待って。

何やってんのッ?

これっ?


咲川さんっ?」


 大声を上げた昇が額を押さえた。


 咲川章子は信じられないことをやっている。


 地球にいた頃には、

 地元の中学で落ちこぼれをやっていた昇には、絶対に理解できない行動だった。


 章子が両手で大切に持つメモ紙は、

 なんの変哲もないただのノートの1ページ分を千切って切りとっただけの紙だった。

 そのただの一枚のノートのメモ紙の中に、黒い文字ペンで、ある一つの文章が書かれてある。


 日本国憲法 第九条


 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動た

   る戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段とし

   ては、永久にこれを放棄する。


 2.前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

   国の交戦権は、これを認めない。



 この文が書かれた一枚の紙を、しっかりと手に持ち、

 さらには、

 章子は、

 そこに書かれた日本国憲法第九条の文章の中で、

 特に重要だと思われる要チェックな箇所の単語に、赤いペンで赤や二重マルを点けて書き込み、

 怪しい文章の下には細い蛍光線や太い蛍光線のアンダーラインを、これでもかと手当たり次第に線でビッシリと引いていたのだ。


 しかも、それでは飽き足らず、

 答案のようなマルやアンダーラインから矢印を伸ばして誘導しては、

 その場所に関連する注意書きを飽きることなく文の間や余白に、思いつく限りの言葉で書きなぐり花マルにもしている。


〝ここが重要っ!?〟

〝もしかしたらここにはこんな意味がッ?

〝ここは特に怪しいッ!〟


 そんな言葉が、日本国憲法第九条のまわりのいたるところに散りばめられ吹き出しにして書き出されてあった。


「な、なにこれ?

ど、どうやれば……こうなんの……?これ」


 落ちこぼれの自分では絶対に理解できない優等生の学習方法の惨状を間近に見て呆れ果てて、

 昇は愕然としながら予習復習に没頭する章子に訊く。


「なにって宿題でしょ?」


「へぇっ?」


 間抜けな声を出す昇に章子は噛みつく。


「昇くんが言い出したんじゃないッ。

これは宿題だって!


なんでこの文は「剣」なのか?っていう宿題を出したじゃないのっ!


だからわたしは一生懸命、解いてるんだけど……。

なんか文句でもあるの……?」


「え……ええぇぇー……っ?」


 絶句しかない。

 昇は改めてそう思った。


「ちょ、ちょっといい?」


 そう言って、

 章子から問題のメモ用紙を借り受けて、自分の目の前に持ってくる。


 文法?

 修飾語?副詞?形容詞?

 どこのどういう言葉がどういう言葉で修飾され、

 どこのどういう言葉に前後や離れた言葉の意味がかかっているのか。


 それを丁寧に懸命に分析しようとしている。


(うそだろぉ……?)


 今の昇には微塵も少しも思いもつかない言葉で、憲法第九条の解釈……いや講釈を九条以上の文の長さで論理的に書きだし、理解しようとしているのだ。


 昇は当てていた額の手で、さらに自分の髪を掻き上げて、

 まざまざと狂気でしかない文を凝視した。


 同郷の少女は信じられない思考構造を持った精神構造をしている。

 もしかしたら、

 地元の中学で学期の中間や期末に行われる定期テストの時に、

 上位の成績を叩き出していた人間は皆、

 これほど昇には全く理解できない学習行動を行っていたのかもしれない。


「……で……、

わ、わかったの……?」


 自分では絶対に出来ない勉強方法を目の当たりにして、

 肝心の「答え」を恐る恐る聞いてみた。


 九条をここまで倫理的に解剖したことが一度もない、

 しようとも思わない、

 昇がそれを訊いてしまった。


 案の状、章子の顔が曇りだす。


 うわぁ、と昇は心の中で絶叫した。


 ここまでやって……まだ分からないのだ。


 昇は、沈黙したままの章子に顔を向けることが出来ない。

 できないまま、

 代わりに章子の必死な痕跡が残るメモ紙の内容を、再度、目を凝らしてくまなく見てみた。


「……ど、どう……?」


 恐る恐る章子が訊いてくる。

 どうと聞かれても答えに困る。


 昇は章子がなんでここまでしてしまったのかが理解できないし、

 章子は昇の今の心理状態が理解できない。


 不可解な二人組の不可解に悩む瓜二つな双子挙動は、


 やっぱり、ありきたりな言葉と突拍子もない行動で切り抜けるしかない。


「いやぁ、だって、これ……」


 昇がメモ用紙を太陽に翳して見た。


(……おい男子、お金のお札じゃないんだけどな……?)

 章子は腰に拳を当てる。


 光に透かしても何も出ないぞ。


「でも……、だって、ここまでさぁ……」


 今度は紙の断面になにか空いた空間でもないかと覗きだした。


(封筒じゃないんだが?)

 章子の眉がぴくぴく動く。


 紙を逆さにして振るな。振った所で何も出ないぞ。


 苛立ちが怒りに変わっていく章子が、

 紙の縁をトントンと小突いて埃を出そうと片眼に瞑った昇を睨みこむ。


 睨まれた昇は、

 猫背に怯えてギコチナイ笑みを浮かべながら、とうとう言ってはいけない禁句を言った。


「ここまでやっても……分かんないんだ?」


 ムカ(怒)ときた。


「いやぁ……うそでしょぉ……?」


 まじムカ(激怒)。


「だって。

ぇええぇ……」


 まじムカぷんぷん丸(大激怒)。


「あ、ああー、ぇ……ぇーっ?」


 ムカ着火ファイヤっ(火怒)。


「……ふ、むりだ……ヒドい……っ」


 カム着火インフェルノォォォォォウッ!(炎怒!)


「これは……見なかったことにしよう……ボソっ」


 激むか!スティックファイナリティぷんぷんドリィィィームゥッ!(大噴怒)


「……す、すみませんでした!

お返しします……」


 丁寧に謝り、

 即行で迷いなくメモ紙を章子につき返して、

 これ以上の災禍がまき散らさせる前に、

 昇は章子の前から退散して決闘の場に逃避しようと一目散に逃げていく。


 羅刹か仁王の如き形相で、退避していく昇の後ろ姿を視線だけで追いかけて、

 章子は火を吐く思いで自分の手元に残された学習メモを見る。


「アキちゃん、

おもしろいカオしてるー!!」


 どこから飛び込んできたのか分からない電気子ネコの体当たりで、

 持っていたメモがはらりと地面に落ちてしまった。


「あ……ゴ、ゴメンなさい……っ」


 地べたに着地して、自分のしでかした悪事に怖れ慄き、

 謝った子猫が、目もくれずにそそくさと逃げていく。

 父親に似て、逃げていくときは素早いネコだ。


「……もうっ」


 息だけ吐いて、落ちたメモを拾おうとした時だった。


(……え……?)


 章子は、気付く。

 気づきかける(・・・)


 慌てて地面から拾い上げて砂を払ったメモの文を、何度も素早く読み返して、

 自分の当たっている直感が確かに存在するかもしれないことが、驚きで大きくなっていくのがわかる。


 もしかして……、

 もしかして……、この文は……。


 なぜ、この法律は「剣」なのか?


 章子は、その理由をとうとう見つけたのかもしれなかった。



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