34.航空封鎖
遠く灰色の岩肌の山岳を左手に望み
正面にはなだらかな緑の樹々が生い茂るなだらかな山々が続く景色。
その未だ知ることの適わない稜線の彼方の先で、
章子たちを待ち受けている運命はもう目前まで迫っていた。
「もうすぐで、フィシャールまで20kmの航空封鎖圏内に侵入します」
空を飛ぶ魔法の絨毯の先頭に立ち、
魔女っ子そのものの格好をした少女、ジュエリン・イゴットは警告する。
幅の広い丸ツバの三角帽子を、風に飛ばされない様に手で抑え。
それでも瞳の色の窺い知れないビン底メガネは、絨毯の進行方向上を睨んでいる。
「航空封鎖圏内……、入りましたよぉっ!」
叫んだ、絨毯の持ち主でもある絨毯の運転手の顔は、今にも泣き上げそうだ。
その現地の人間にしか分からない深刻な状況の叫び声を、
章子や昇たちはただ黙って見守り、そのまま注視することしかできなかった。
向かい風は止まず。
絨毯はそのままの空を進んでいく。
皆が皆、その押し黙っている最中に。
とうとう、怖れていた「ソレ」はやってくる。
「ほら来たぁっ!」
叫ばれた声と同時に、赤い無線アラートが鳴り響いた。
ターバンを巻いた絨毯の中年の運転手の目の前で、
計器類を表示させていた光の小型魔法陣の幾つかが、赤く光り点滅して、
心臓に悪い甲高い警告音を絶え間なくまくし立て、鳴らし続けている。
「ど、
どうするんですかっ?
これ、航空騎士団からですよッ、
航空騎士団からの警告無線だッ!
ほらぁっ、
やっぱり言わんっこっちゃないっぃぃ……っ!」
頭を抱え込んで絶叫する運転手を、それでもジュエリンは落ち着いて対応する。
「大丈夫です。
ゆっくりでいいですから、
私の合図の後、確実な手順で無線を開いて下さい。
開けた無線はこちらで受け取ります」
言って、ジュエリンはすかさず柔らかく掲げた自分の手の平を、耳元に翳す。
すると、その翳した手と耳元の周囲に、マイク付きヘッドホンセット、
「インカム」の形をした光の魔法陣が現われて自転していく。
「どうぞ。
開けてください」
「い、いきますよっ」
運転手が操作をして、
無線の警告音を止め、中の音声を開ける。
開けられた音は当初、ラジオの砂嵐の音だった。
だがその砂嵐の暴風が吹き荒ぶ彼方から、一つの声が近づいてくる。
「……警告する……。
航行中の貴基へ、
現在、貴基は我々の管轄域に侵入している。
繰り返す……。
現在、貴基は我々の管轄域に侵入している……」
その声は、いたって穏やかな口調だった。
だから章子は、いまがそこまで深刻な状況だとは思いもしなかった。
しかし、それが大きな間違いだったことは直ぐにわかる。
「……警告する。
これ以上の侵入をそのまま継続するのであれば、我々は実力を行使する。
繰り返す。
我々は実力を行使する」
変わらない口調で、絶対の意思を表明するその声は、
章子に得も云えぬ怖れを感じさせた。
「警告は確認しました。
応答を返します。
こちらは、元導院勅令の公事活動中の者です。
現在、当基は元導院の一命により授かった特令の実行行動中です。
よって、その活動の遂行の為、
当基は貴隊の状況制握官との通信の許可を求める。
繰り返します。
警告している貴騎へ。
当基は貴隊の状況制握官との交信の許可を求めます。
こちらの所属は……元導院《ロズ》の預言師アグダラの直轄です。
その証明には、この通信回線の専用緊時応答周波数が果たしている筈……。
繰り返します……」
丁寧な口調で、自己の主張を繰り返すジュエリンの言葉を。
どうやら、無線の相手は受け取ったようだった。
直ぐに繰り返されていた警告はやみ、
一間の沈黙の後、
直ぐに別の回線が繋がれたのか、
ブツンとマイクの端子を接続させたような音が聴こえたあと、
年若い女性の声が響いてきた。
「状況は確認した。
侵入している貴基へ。
こちらは航空騎士団沿岸方面隊第三十二部局。
統轄状況管制掌握官、爵佐カスタ・スタッド。
交信を許可する。
貴基の所属か帰属、及び目的と行動理由を述べよ」
明瞭な声にジュエリンは底抜けに青い空を仰いだ。
この青い空の何処かにいる航空騎士団の現在状況を統轄統制している、
司令塔にして最大の要、
超高度広域航空管制騎機。
その大型の航空管制騎に搭乗しているだろう統轄状況管制官とは、
現場の航空騎士団の動きをその場で即時に管理する、
まぎれもない最高責任戦闘管理者そのものを意味する。
その人物の登場は、
ここからがジュエリンの正念場であることを否が応でも自覚させていた。
「状況制握官に伝達します。
……我々は現在、元導院の一席、預言者アグダラの一命を帯びて、
貴隊が発動する治安軍事権限を侵害しています。
その侵害の根拠は、ここに明示します。
情報開示請求コード。
「M44-2Q06」
これを魔導院の預言黙示科宛てに申請してください。
申請回線は、そのままの直通ラインが使えます。
認証時にパスコードを求められるようであれば、
そちらの騎士団内で定められている固有暗号を使っていただいて構いません。それが使えるはずです。
ただし!
前置きになってしまいますが、
この情報内容には、強力な『秘封印義務』が架せられています。
もし、今回、情報開示を請求した後、
その中に在る情報が、他の第三場への漏洩として認められた場合。
漏洩確認までの最も直近に情報開示を請求した者が、
その最大容疑者として、第一級の異端審問査会廷に召喚されることになりますので、
ご留意を……」
「……フン」
鼻息であしらい。
美しい声を持つ騎士団の長は、
無線越しに状況管制騎内にいる自分の部下に指示を出して一応の手続きを開始し、
返答として渡された書類内容を確認しているようだった。
「……情報内容は確認した。
特派指令。面白いことをやっているな。
現在の貴基の行動理由はこれらの項目のいったい何番だ?」
「3番です」
3番は、外国からの賓客の苦情に対応するための特別行動の行使だ。
そして、その行動理念の最も動機とするものは、自国の対応員の意思では無く、
その被迎待国の「要望」である。
この内容にはさすがに航空騎士団の長も、声の眉根を寄せる。
「3番……ね。
ではその「動機」を聞こう。
貴基は、何をもってこの封鎖への侵入を続けるか?」
「こちら側の要望はただ1つ……。
『見学』……だそうです……」
「見学だとッ?」
明らかに怒気のこもった声がジュエリンの耳をつん裂く。
「そうです。
『見学』だそうです。
現在、私が待遇にあたっている被国家は、
航空封鎖内の見学を所望しています。
その『許可』を取り急ぎ、貴隊にはお願いしたい……ッ!」
ヤケクソに言い切るジュエリンを、章子やオリルたちも不安そうに見守る。
それだけの雰囲気がこの場にはあった。
ときどき音の乱れる無線の向こう側でも、
このやり取りを傍受しているようである現場の航空騎士団員の怒りを含んだ様々な反応が、
明らかな気配としてひしひしと伝わってくる。
「この状況は『小人のお遊び』ではない。
わかっているな?」
「私の言ってることが、小人のお遊びだとおっしゃるのなら、
あなたと私が会話できているこの状況こそが、
まず、すでに成立できているわけがありませんよ」
それは当然だった。
特例の権限の示唆でもなければ、現場の指揮官との直接の会話などできるはずもない。
特に戦場ともなればそれは絶対に許されるものではないのが常識。
一般の民間人であれば、
直ぐに航空騎士団から警告を受けた時点で、強制連行されお払い箱行きが当然の扱いだった。
それが出来なかったのであれば、
やはり、この魔女っ子少女の「特権行使」は、
この暴力を携える大人たちの特権にも対等する、
無視することのできない歴とした社会的手続きに則った「大人の立場の業務」だった。
「……いいだろう。
『見学』は許可する。
ただしっ!、
航空封鎖は解除しない。
繰り返す!
航空封鎖は解除しないッ!」
小人のお遊びのつもりではないのなら、
この言葉の意味は分かるはずだ。
言外に、そういう意味が含まれている。
そして、勿論。
ジュエリンにもその言葉の意味は分かっていた。
だから悟る。
ここが限界点だ。
そして、
この交渉は失敗だ。
それを自覚するジュエリン・イゴットが、
他世界から来た章子たちの為に、
自国の航空騎士団から交渉によって勝ち取ることのできる利益は、
ここまでが限界だった。
「……ッ……」
ジュエリンは震える握り拳をぎっと作り、
自分に、
この航空封鎖に侵入しろと教唆した神秘の少女を満足させることが出来ただろうかと確認する。
(は、はぁ……ッ?)
そこで、目に飛び込んできたものは、
ジュエリンを唖然とさせた。
せめて、渾身の力を込めて、最も不安をあおる絶望の顔を作って彼女に目を向けてみせたのに、
その彼女は、とても満足に満ちた顔をしていたのだ。
ジュエリンにはそれがにわかにはとても信じられなかった。
この少女にも、
今のこの状況が、理解できていないはずはない。
ジュエリンは失敗したのだ。
会話で利益を勝ち取るという、『交渉』にまさに失敗したのだ。
それなのに、
機嫌を伺われた側の少女は、満面の笑みでジュエリンに頷きを返している。
(なっ……?)
ジュエリンは我が目を疑った。
その確信に満ちた頷きは……、
『呑め』と言っている。
このジュエリンの失敗した交渉で得た条件を「呑め」、と。
ジュエリンは、操り人形のように茫然とした手つきで光の魔方陣のインカムを摘まむと、
交渉相手に、合意の成立を伝える。
「わかりました……。
それでお願いします……」
「っ?
いいのか……っ?
分かっているのかッ?」
驚く相手が再度確認するが、
ジュエリンは茫然となったまま、再度それを肯定する。
「それで……お願いします……っ!」
力強く言い切って、無線を切ると、
ジュエリンは茫然と立っていた。
なんだ……この感覚は……?
自分は敗北感を味わっている。
完全な敗北感を味わっている。
だが、それは交渉相手の騎士長からではない。
この目の前の少女、
神秘の少女、神真理から敗北感を感じ取っている。
ジュエリン・イゴットには、その原因が分かっている。
だから、
ジュエリン・イゴットは不思議だった。
なぜ?この少女は、自分のこの交渉結果に満足している?
自分は交渉に失敗したのに、
なぜ、そんな満面の笑みを浮かべていられるのだ?
ジュエリン・イゴットにはそれがどうしても理解できなかった。
だから、訊く。
「なぜ、
笑っているんですか?」
茫然とした眼差しで言うと。
問われた少女も怪訝な顔で返す。
「なぜ?」
「だって、失敗したのですよっ!
私は失敗したんです!
私はっ!
あなた方の要望には応えきれなかったッ!」
喚き散らすジュエリンを、
やはり真理は不可解な表情で見つめ返している。
「何をおっしゃっているのですか?
あなたはきちんと勝ち取ってくれたでしょう?
彼ら航空騎士団から「航空封鎖内を見学してもいい」という権利を」
だが、そんな誉も、今のジュエリンには通用しない。
「そうですよ?
『見学をしてもいい』という権利だけです。
それだけしか私は勝ち得なかったッ!
『見学』だけですっ!
ですが、その目的の達成にまで至る『守護』も『警護』も助力に必要な権利は何も勝ち取ることはできなかったッ!
これは『見学』だけです!
その『見学』をする為の、『安全』までは、保証されない!
航空騎士団は、見学自体は許可しても、
その見学をしている我々を守ることは決してしません!」
「えっ?」
驚く章子を、だが、
当然だろうという表情で見たのは真理の方だった。
「当然でしょう?章子。
我々が要求したのは『見学』だけなのですから。
だから、そこまでの「安全」までも要求した覚えはない!
これは当然の帰結です」
「本当に……、そこまでをわかっていて……っ?」
「それはそうでしょう。
もし、それを想定できずに交渉を要求したのであれば、
それは交渉を持ちかけた側である我々側の『想像力不足』だ!
それは完全な我々の落ち度であり、我々の力不足です!
その事に対して、あなたが責められるべきものはまったくない!
だからこそ。
あなたには今、途方もないことをやって頂いたと非常に感謝をしていますよ。
通常なら航空騎士団から「見学」という権利を引きだすことさえ不可能に近い。
それは現在の私の立ち位置からでは、絶対に手に入れることのできない、
是が非でも喉から手が出るほど欲しい合法的な「権限」だった。
しかし、その「権限」さえ手に入れてしまえば、あとは容易い。
これで、航空封鎖内で私たちが存在することを疎む勢力は皆無と断言できる!
あとは好きなだけ、航空封鎖内で起こっている出来事を「見物」すると洒落込みましょう」
笑って言う真理を、ジュエリンには何か得体の知れない恐ろしい怪物のように見る。
「そんな事が、出来るとでも?
航空騎士団は、ラテイン最大の軍事戦力です。
そしてその最大軍事航空戦力が、軍事行動の中で一般市民を守ることが出来ないから、
航空封鎖は施かれるのです!
航空封鎖を布いて、街を無人化する!
そして、それを解除しないという事は、
当然、そこで見学しようとする私たちさえも考慮せず!
軍事行動を実行し!
無防備な何も知らない私たちを巻き添えにすることをも意味するんです!
ですが!
航空騎士団はそれさえも赦しませんよッ!」
「え?」
「許されませんよっ!
そんな事!
航空騎士団の戦闘力で、一般市民が一つでも傷を負う事はあってはならない!
問題が起こってはならないんです!
それが我が国の法規です!
だから、航空封鎖を実施して!
発動させて一般市民を追い出すのです!
一般市民の安全を確保したうえでの治安軍事活動が不可能だからこそ、
危機を取り除くための防衛軍事行動を最優先で行うために、市民の側をその場から排除するのです。
排除したうえで、存分に潜在する軍事力をその場で戦場として発揮する!
これが航空封鎖の最大目的なのですから!
ですから通常!
「見学」という行動さえ許されはしない。
しかし、航空騎士団は私たちにはそれだけは許した。
ですが、赦されたのはそれだけです!」
「そ、それだけ……?」
「それだけですよ!許されたのは!
あとはそこで巻き添えとなることも、
その威力で傷を負う事も、死ぬことさえも許されてはいない!
「航空封鎖は解除しない」と伝えられた言葉の意味とはそういう事ですッ!
現在の航空騎士団の意思はそういう事を言っているのです!
仮に、それらの事案が発生した場合。
被害を受けた我々の側が、逆に罪に問われます!
航空騎士団の攻撃によって死してはならなかったのに、死亡してしまった我々側が悪名を着せられるのです!
死した後も、我々はその悪名を未来永劫まで刻まれるのですよ!
そこでは何の弁明も許されません!
航空騎士団は死者を出さない為に、
責任をもって航空封鎖を実施しているのですから!
正義は航空騎士団であり!
悪は我々なのです!
そんな暴力を回避する手段が、
これから遠足気分で見学しようとする航空封鎖の中で、可能だとでも思われているのですかっ?」
「可能ですよ?」
問い詰めるジュエリンを、
いともあっさりと真理は断言する。
「な……、な……?」
「だから可能です。
お見せいたしますよ。
彼らの好きなだけ暴れ散らかす戦場で、
見学だけを許された我々が傷をなに一つ負おうこともなく、
見学を達成せしめるという、現象をね?」
わなわなと開いた口を塞ぐことが出来ないジュエリンから目を離すと、
真理は小首を傾げて、
我々を見る。
「前々から思っていたのですが……、
なにか……、
あなた方は、
「交渉」というものに、魔法の杖か何かのような、
過大な願望でも抱いているようだ……」
「え?」
驚く章子を、
真理は呆れて見て言う。
「あなた方は常に、
「交渉」という手段を、
何か万能の道具のように見ているフシがある。
ですが、いい機会ですので「忠告」しておきましょう。
そんなものは幻想だ。
「交渉」を行う意味とは、
いかに自分の要求を相手にどれだけ通すことができるのか、ということにあるのではなく!
いかに相手の要求を自分がどれだけ呑めるのかに、
その真髄がある。
つまり交渉で、成功を治めたいのであれば、
どこまで相手の要求を呑める形を作りだすことができるのかを常に想像しなければならない。
これはやはり『警告』になってしまいますが。
相手の要求を呑む意思が最初からないのであればね?
『交渉』という手段に、過度な期待を抱くだけ時間の無駄です。
それはただの『時間稼ぎ』にしかならない。もしくはただの『時間潰し』か……。
そして、
交渉というものを無為味な時間稼ぎの手段としてしか使えないようであれば、
それは既に「交渉者」ではない。
逃亡者ですよ。
「交渉」という手段を、逃避の手段にしか使えない者には、
いつまでたっても交渉というものは逃避の手段、先送りの手段にしか使えない。
あるいは、
時間稼ぎが最大の目的であるならば、まだ話はわかりますが……。
それ以外の他の崇高な目的を持って、
そんなことを永遠に繰り返すぐらいならね……?」
真理はやはり、
交渉という手段にどこまでも幻想を抱いている、
私や、あなた方を見据えて言う。
「とっとと「おっぱじめた方」がいい。
これは警告しておきますよ?
どうせあなた方は、
最初から相手の要求なんて呑む気はないのでしょう?
だったらサッサと始めた方がいいですよ。
そりゃあ、そっちの方が断然にいいでしょう?
相手に、相手の呑めない自分たちだけの要求を突きつけて行動に出ればいいのです。
もちろん、
それで、いったい、
なにがおっぱじまるのかは……知りませんがねぇ?」
不敵に嗤う真理が、あなた方から目を離し、踵を返した。
「では、私が望んでいた状況は整いました。
航空封鎖は実施されている。
その見学は許された。
あとは、そこに私たちが辿り着けばいいだけです。
ですが、その前に……」
言うと、真理は章子に目を向ける。
「咲川章子。
いま、この時に彼女が成就した「この偉業」だけはよく覚えておくといいですよ?」
「え?」
「彼女は既に、彼らと私たちの『架け橋』となってくれた。
これが咲川章子、
あなたがこの新惑星に来た最終的な目的としている「双方の架け橋になる」ということです」
「架け……橋に……?」
章子の呟きに真理は頷く。
「そうです。
これがいつか、あなたの夢見る、
自分の現実世界と、他の誰かの世界を歓びで結びつけ、
繋ぐという「架け橋」というものの見本の姿にもなるのですよ」
言うと、真理は自分の主からジュエリンに顔を向けた。
「さて、それではこちらも行動に移りましょうか。
ジュエリン・イゴット。
今の我々はこの状態のままでいてはいけない。
そうですね?」
「え……、
ええ、そうですね。
ですけど、どうします?
次の行動を取るにしても、代えの車が用意できない。
これ以上、ただの民間人であるオッちゃんに無理強いは出来ません。
しかし、かと言って、別の車を用意することも出来ない。
今現在、このオッちゃんの絨毯以外に、機動力を備える物があるとすれば、
この私の脇にある「杖」だけです」
ジュエリンはやや、なげやり気味に自分の足元に置かれている、
物干し竿ほどの長さをした杖を見下ろす。
「ですがこの杖は「一人乗り」です。
最大でも二人乗りまで。
とてもではありませんが……、
あなた方、四人と一匹さんの人数まで運ぶことは叶いません」
「その心配なら不要です。
これら「連れ」の運搬は、私が受け持ちますから」
「あなたが?」
「ええ。
……魔動……」
唱えると、真理の周囲で、
一瞬で光の光学線によるフィールドアップディスプレイが出現する。
「そんな……魔術媒体もなしで魔術を……っ?」
驚くジュエリンや運転手にも、真理はまったく特別な反応はしない。
「これで準備は整いました。
あとはそちらの準備が整うのを待つばかりですが?」
試して見る真理をジュエリンは見る。
そのジュエリンを、
今度はジュエリンの隣で運転に集中していた男性が見上げてしまった。
「お、お嬢さん……?」
不安そうに伺う中年男性の顔を、ジュエリンも苦笑してお辞儀を返す。
「ここまでの運行、本当にありがとうございました。
オッチャンさんは、私たちの離脱後、
速やかに転進し、航空封鎖領域からの退避行動を取ってください。
その進路が、航空騎士団への証明にもなるはずです」
ジュエリンの言葉に頷く運転手は、それでもまだジュエリンを見ている。
「お嬢さんは……行かれるんですね?」
「はい」
頷きを返す魔女っ子少女に、
ここまでの絨毯の運転手は笑うことのできない笑顔を見せて言う。
「なら、
今後ともぜひ、ご贔屓にさせてもらいますよ?
ご観光案内なら、絶対に!
我が「アバビデブ・カペット」をご利用くださいッ!」
最後まで営業活動を忘れることもなく、
震えつづける顔で広告すると、
ジュエリンにはそれも笑って返す。
「ええ。その時はぜひ!」
言うと、
直ぐにジュエリンは自分の杖を掴み上げて、起動を唱える!
「魔動ッ!」
一瞬で、手から離した杖が、幾つもの光学魔法陣を纏い、絨毯に水平になって浮かぶ。
「申し訳ありませんが、
オッチャンさんには、発射時に必要な傾斜角度をお願いします!」
「いきますよぉっ!」
舵を大きく切り、絨毯は進行方向を左側に傾斜させ旋回させる。
(いい角度だ……)
ジュエリンは心底そう思った。
「表示せよッ!
魔動項目、機動魔術!
航空魔術、起動ッ!
これで、こちらの準備もオーケーです。
いつでもイケますっ!
『杖よッ!』」
ジュエリンの最後の詠唱で、彼女の足元で浮遊する杖に本格的なエンジンがかかる。
それを見て真理も笑うと、
なぜか、
その高揚とした空気を切り裂くように、
一つの言葉が二人の間に割って入った。
「あ、あの……」
手を挙げて、言葉を発したのは章子だった。
どうしたのかとジュエリンと真理が伺い見ると、
章子は恐る恐る、自分の要望を伝える。
「あの、
そのジュエリンさんの『杖』って、
二人乗りなんですよね?」
章子が確認すると、ジュエリンも怪訝に頷く。
「じゃ、じゃあ、
わたしも乗って構いませんか?」
「章子っ?」
驚く下僕を、章子は苦く笑って自分の気持ちを伝える。
「わたし、乗ってみたいの。
今はそっちよりも……、
こっちに……」
章子の主張に、ジュエリンが面喰って真理に目を配らせると、
真理もはあ、と、ため息を吐く。
「……わかりました。
他ならぬ、自分の主のわがままです。
ジュエリン・イゴット。
我が主をお願いしても?」
「も、もちろんです!
願ったりかなったりですよ」
言うと、ジュエリンは自分の浮く杖に足を掛ける。
「え……っ?」
近づこうとした章子は足を止めた。
足を止めてためらった。
章子は当然、跨ぐと思っていたのだ。
今までの道中、そばを通り過ぎて行った空飛ぶ「杖」や「箒」は、
皆、杖や箒をその足で跨いでいた。
だから、今回も当然そうだと思っていたのだが、ここに来てその雲行きが怪しい。
「あ、あの、
跨ぐんじゃないんですか?」
「跨ぐ?
いいえ、今はそんな悠長な事をしている場合ではありません。
この場は緊急時の対応を取る可能性が格段に高いので、
このまま足で踏みます」
「ふ、踏む?」
踏むとは、杖にそのまま立って乗るという意味だろうか。
恐らくそうだろう。
だがそれは空飛ぶ杖を、「綱渡り」のようにして乗るということを言ってるようにしか思えない。
確認を取ると、事実。
ジュエリンはそうだと言う。.
章子はそこで更に逡巡した。
「……やっぱり、」
やめておきますか?という言葉がジュエリンから出る前に、
一つの声が、章子に希望を与えた。
「章子っ!」
呼ばれた章子は、叫んだ真理に向く。
「それの乗り方のコツは……自転車と一緒です」
「自転車……?」
聞き返した章子を真理は見て頷く。
自転車……。
それならと思い、章子はジュエリンの後ろに着く。
章子は覚悟を決めた。
自転車の乗り方のコツは……、走ってみなければわからないッ!
「では行きますよッ!
皆さん準備はいいですか?」
ジュエリンが叫ぶと、皆が出発するという構えを見せる。
「それじゃあ、オッチャンさん。
今までありがとうございました!」
「やめてくださいよ。
しめっぽい。
道中、お気を付けてッ!」
ここに来て、運転手の屈託のない笑顔が、
ジュエリンたちの発進の起爆剤となる。
それを感じとって、
章子たちは反射的に身を構えた。
「発艦ッ!」
「出撃」
発艦と出撃。
魔女の流れ星と神秘の流星が、赤い彗星から放たれる。
その母艦である、踵を返し始めた赤い彗星から、
「いい仕事!させてもらいますからねェッ!」という激励を受けて、
章子はジュエリンの肩を掴みながら、
赤い絨毯の時とは比べ物にならない程の速度で、
空の景色を突き抜けていく、「速さ」というものを実感していた。
山や、森や、色が、
急速に迫り、離れていく。
見とめる間も惜しむ暇さえ与えない、
その刹那の中で、とうとうその目的地は見えてきた。
傾いた地平線、その傾斜角度の先で。
住宅建造物が立ち並んでいることを伺わせる陸地が、
緑を越えた先から、
広く、白く、黄色味を帯びて近づいてくるのが分かる。
それは街の景観だった。
その灰色の街の景観に、暗い影の亀裂が見つかる。
亀裂は遙か彼方の地平線からここまで奔っているようだった。
そして、亀裂が今もこちら側に進んでいるその最先端には、
もうもうと大規模な火災にも見える空に広がった煙と、
激しい煙の中でゆっくりと動く「その姿」があった……。