33.侵入前
「では、これからどうしますか……?」
空を飛ぶ絨毯の前方で立つジュエリン・イゴットは、章子たちを見てそう訊ねてきた。
「これで、
今向かっている港街フィシャールは陸、海、空の全ての領域が封鎖されます。
フィシャールからの離脱、他地域への移動、避難は強力に推奨されますが、
侵入、及び離脱からの帰還は不可能です。
航空封鎖を実行する意思とは文字通りの、無人化をその最大目的としていますから、
それだけの事がフィシャールで起ころうとしているのは自明の理。
これは非常に危険な事であると申し上げざるを得ません。
そこで、
私からあなた方におススメできる、現時点でとることの可能な代替案は二つ。
ここで、このまま、
空中待機したまま、フィシャールの航空封鎖が解除されるのを待つか。
それとも、フィシャール以外の到着地を他に探すかです。
手前勝手ながら案内役の私からは、是非とも後者をお薦めします。
航空騎士団が航空封鎖を実行するとなると、
それがいつ解除されるのかはまったく分からない。
下手をすれば、
今日一日中、フィシャールはもぬけの殻を強制される可能性すらある。
事実、最初の一回目は、三日ほどの廃街処置を喰らった。
三日間、
そこに住む住人は、故郷の町からの退去を強制させられ帰還を禁止されたのです。
それだけ、
到来してきた未知の生物の、生態上、細菌汚染などの防疫上のさまざまな危機管理情報を、
完全な安全域まで把握することには時間を取った。
にも関わらず、
今度も航空封鎖だという!
同じ生物に二度も航空封鎖などという大規模な対応をとってしまう失態を犯すなど、
航空騎士団では考えられません。
それをするということは、
まぎれもなく、今回も『新種』でしょう。
その新種の情報解析、情報収集には多大な時間が取られるのは必至。
フィシャールは今回も……未知の脅威にさらされることになる……!」
歯噛み彼方を見るジュエリンの顔には強い憤りの色が浮かんでいる。
「いえ、お言葉はありがたいですが、
我々はこのままフィシャールに向かいましょう。
フィシャールで何が起こっているのか、それを知ることは我が主の成長の糧にもなる。
ですから、絨毯はこのままの進路を取ってください。
これは真理からの提案です」
「なっ?」
「ええッ?」
堂々と言う真理を、驚いてみたのはジュエリンと、空飛ぶ絨毯を操舵していた男だった。
絨毯を運転する中年男性は明らかに狼狽し、
真理の独断を聞いたジュエリンは確実な対抗心を露わにしている。
「いま、何をおっしゃったのか、わかっていらっしゃるのですか?」
だが、真理はどこまでも平静を装う。
「わかっていますよ?
このまま航空封鎖が実施されるフィシャールに向かっていただきたいと申し上げているのです。
我々にはいま、その出来事を詳細に知ることが必要だ。
この六つの古代時代が集まってからここまで、いったい何が起こってきたのかということを身近に身をもって思い知ることが出来るという絶好の機会がね?
ですから、このまま航空封鎖を無視してフィシャールに侵入してください。
我々、第一のリ・クァミスからはそれを要求いたします」
勝手に第一世界の総意を私的に決定され、本来ならそれを否定するべきオワシマス・オリルは、
だが、
この真理の発言を止めることが出来ない。
「いいんですか?
オワシマス・オリルさんっ?」
ジュエリンが、この場で第一世界リ・クァミスの当事者であるオリルを見るが、
それでもオリルは苦悶に満ちたままの表情で何も答えようとはしなかった。
そして、その緊迫した間を破ったのは、
この空飛ぶ赤い絨毯の持ち主である中年の男性だった。
「じょ、冗談じゃありませんよっ!
航空騎士団の発令権限は絶対ですっ!
これに逆らったら一発で、あの『異端審問査会議』行きだっ!
そんな事になったらもう!
この世界じゃ生きていけませんッ!
アイツらに目を付けられたら、もうお終いだッ!
人としての人生は、そこで一瞬で消え失せて送ることが出来なくなっちまうっ!」
叫ぶ男性を、ジュエリンも肯定する。
「それだけで済むなら、まだ良い方です。
最悪、これは外交問題にも発展します。
我々、第二世界と、
あなた方第一世界との間で勃発する、重大で最悪的に危機的な外交問題にも確実に進展してしまう可能性すらあるんですよ。
航空騎士団の発令する『航空封鎖』とは、
それが自国内であっても、治安維持を目的とした正真正銘の軍事行動です。
そして、現在の我々は、
あなた方が間違いようのない友好関係から到着した『外交特使』という立場であり、
私やこの隣のオッちゃんは、あなた方、第一世界よりの特使をもてなす、国の根幹機関から発せられた「派遣要員」です。
その立場で、
我々が、航空騎士団が発動する航空封鎖を害し、その行動に支障を来せば、
即時に、
それが完全な「内政干渉」になり、「軍事介入」にも繋がるんです!
これは重大な外交問題だッ!
この事案が、実際に事件として勃発すれば、
それを、我々の上の人間や、現場の人間が絶対に見過ごすはずはないでしょうッ!
その結果は如何なるものであれ、我々第二世界人に敵愾心を生みつけ、あなた方を排除しようとする意思へと変換させてしまう。
だから迂闊な事はやめてくださいッ!
すくなくとも私は、あなた方とは敵対したくないッ!」
頑なにジュエリンは意見するが、言われている真理は歯牙にもかけない素振りで言う。
「いえ、その心配には及びません。
なぜなら、
この航空封鎖を違犯する口実には、第二世界であるあなた方の国内法規に則った権利を用いて手続きを図るからです」
「は……? はあっ?」
唖然となるジュエリンを、真理はなおも尤もな視線で射る。
「ですから、
ここに今いるあなたの権利を使って、
航空封鎖の領域に突入すると、そう申し上げているのですよ」
信じられないことを事も無げに言う真理を、ジュエリンは茫然とした顔で見る。
「じょ、冗談言わないで下さいよっ。
そんな権利が私たちにあるわけがありません!
そんな権利があれば、ここでこれほどの憔悴をすることなどないのですからっ!
そんな権利があれば、とっくに私たちは!」
「では、……使っていただきましょう。
ジュエリン・イゴット。
あなたは現在、相当の上の立場の方より「特命」を受けていますね?
『私たち、第一文明世界の人物を丁重におもてなししろ』という何ものにも勝る最優先事項の特命であり密命を。
そして、その特命を忠実に実行するために与えられた『特権』の中には、
私たちの「ささやかな要望」を叶えるために用意された、強力な『勅許権限』を備えている物もある筈だ。
その勅許権限を今ここで使っていただきたい。
この航空封鎖を無視して、封鎖領域に侵入することをも可能とする『特権』をね?」
「……ばっ……っ!」
ジュエリンは後退った。
それは出来る!
出来るが、しかし!
それは航空騎士団が備える軍事行動と拮抗する危うい、同等の「特許権限」の行使だ。
それの権利の行使とは、今のこの場では、権利と権利の衝突を意味する。
いうなれば、
軍事権限と密命権限のぶつかった権力闘争を引き起こすことを示唆している。
それをいま!
ここでやれと言っているのだ。
この目の前の少女は……ッ。
「穏便な手段を破棄し……ッ、
私に……自国の航空騎士団を敵に回せと?」
だが、真理は素っ気なく言う。
「いいえ?
敵に回ってしまうかどうかはあなたの交渉能力次第だ。
それがお嫌なら、あなたには私たちのお守りは荷が重かったというだけの話です。
私たちの意思を満足させたいのであれば、私たちのお守りを請け負った者はすべからく、
あらゆる全力を使って、おもてなしをしようとしなければならない。
それが出来なかった暁には、
……結局、その者には手が負えなかったという事実が実証されてしまうだけなのですから。
あなたは……、
それでいいのですか?」
笑っていない笑みを浮かべて、真理はジュエリンに目を向ける。
「……その権限の行使には、「動機」が必要です。
あなた方の要求をお聞かせください……」
「お、お嬢さんッ?」
振るえるジュエリンの発言に、驚く中年男性を他所に、
真理は自分の「要求」を伝える。
「ではお伝えします。
私たちは、『見学』がしたい。
航空封鎖されている港街の渦中で起こっている出来事を『見学』したいのです。
それを、
あなただけに許されている特権を行使する為の『動機』としてください。
それだけが私たちからの要求です」
「見学……?
介入ではなく……?
見学なんですか……?」
しつこく胡散臭く聞き直すジュエリンを、真理は何度も確約する。
「そうです。
見学です。
それだけしか、私たちからは要望しない」
頷き断言する真理を、ジュエリンも思考の中であらゆる想定状況を想像していく。
(……それなら……できる……のか……?……)
苦渋の顔の中で、一筋の光明を見つける。
この少女は無理難題を言うが、決して実現不可能なことを押し付けているのではない。
介入でも妨害でもなく、見学だという、その言葉に隠された意思。
この少女は分かっている。
見学だと言えば、自分たちが航空封鎖内を合法的に立ち入れることを確信している。
だが、それには、かなりの「危ない橋」を渡ることになる。
それさえもこの少女はわかっているのだろう。
その渉る橋を「危ない橋」にしてしまうか、「安全な橋」に出来るかは、
このジュエリン・イゴットという自分の力に懸かっているという事も……っ!
「あなたは……とんでもない喰わせ者だ……っ」
「頼りにしていますよ?
ジュエリン・イゴット」
真理の言葉に、ジュエリンは一つ大きく深呼吸をする。
「やってみせますよ。
お望み通り、
あなた方を、あの航空封鎖の渦中にご案内いたしますッ!」
「お、お嬢さんッ!」
止めに入る中年男性を、ジュエリンは首を振って安心させる。
「大丈夫ですよ。
何があっても、
例え、私が守らなければならないこの人たちを犠牲にしてでも、
ラテインの一般市民であるオッちゃんだけは、ちゃんと一般生活に帰して見せますからッ!」
それだけは、ラテイン人の誇りに懸けて誓わなければならない。
だから、
ジュエリンは、自分の存在理由のすべてを持って、ここに宣言する。
「行きますよ。
このままフィシャールに突入してください!
全ての責任は、私とこの人に取って頂きますからッ!」




