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―地球転星― 神の創りし新世界より  作者: 挫刹
第二章 「覇都の遺産」
24/82

22.蒼く空ける朝

 そっと外へと抜け出して、

 涼しい空気が霞みにかかる街中から見上げた空には、蒼い明るみが差しかかっていた。


 まだ暗闇として夜が占める空には星が輝き残っているのがわかる。


 白点の散らばる空の色は、この街に朝の訪れが近いことを教えてくれていた。


 夜と朝が混在する世界は悠久の時の中で覚醒の最初を待っている。

 それほど、まだ眠るに静まり、ただ空の色だけが目覚めようとしている刻に。


 少年はただ一人で見知らぬ街の中を歩いていた。


 一番乗りの道を進みながら時折、強く吹く風が少年の過去へと抜けていく。


 その度にいい風だと少年は心底、嬉しそうにそう思っていた。

 それが少年にとっては、かけがえのない大切な瞬間でもあった。


 少年は常に風を間近に感じることを好んでいた。

 清々しいまだ未明の空気が残る早朝の風は、朝焼けの色が増すに連れて、その勢いを強めていくのがまた心地いい。


 この街の風は、朝に尤もな威力を持って吹くことを新しく発見した瞬間だった。


 その風に乗って、少年は歩む道の先を海のある岸壁の方へと目指し進んでいた。


 歩む道の先には海があることを少年は知っている。


 それは宿の中にあったこの街の案内図にも分かりやすく描かれていたので、文字が読めなくとも指し示された絵図だけでなんとはなしに分かる。


 あとはそれに勝手に出歩くという防犯上でも最も危うい大きな問題が浮上するだけで。

 そこさえ解決クリアできれば、あとは少年の思うがままだった。


 すぅ、はぁ、と。

 涼しい空気を一身に吸い込みいて、どこまでも深い深呼吸を何度か繰り返す。

 それは逃避している時の仕草だった。

 

 日頃のしがらみを忘れ、少年は短い孤独ひとりの一時を満喫する。


 少年は孤独を苦にはしない側の人間だった。


 むしろ独りでいる時間の方がよほど非常に有意義であり、格別な何を置いても優先しなければならない貴重なものだった。


 少年は他人と会えないことに寂しさを感じたことはない。

 それどころか一人でいることに至上の安心と安らぎを感じる。

 誰かが傍にいることに、常に言い知れぬ居心地の悪さを感じているのだった。


 だが、それは決して自分以外の消去を願う物でも間違いなく無かった。


 身近な人が唐突に居なくなることには格別な恐怖をもちろん感じるし嫌悪もする。

 それらは確かに忌避したいと思う自己の感情を持つが、

 仮にもし、その人が、

 例えば肉親であれ、知人であれ、好意を向けてしまう異性であれ、

 少年の関わり知らないところで存命していて、

 そこで少年の知らない誰かと、特に異性であれば、どのような計り知れない関係を持って行っていようと、

 そこでつつがない日常を送っていてくれているのであれば、

 それがそのまま自分のいない所で続行していくことを誰よりも強く望んでいた。


 少年は、それ以上の邂逅を望まないのだ。


 もし、会わないで済むのなら、肉親でさえも、自分の生存に関わらない範囲であれば、それ以上の出会いや交流は望まないし望みたくもない。


 そこまで頑なにどこまでも自分勝手に世界を拒み、ただ独りでいることだけを望む少年には、この現実世界に生まれ落ちてから、一つだけ大きく秘めた願望があった。


 それはきっと、この現実で生きていれば誰しもが一度は思う事だろう。


(行きたい……)


〝どこか、誰もいない遠くへ……〟


 ただそれだけが、たった一人の少年が抱く、決してこの現実では叶わず、そして報われない唯一無二の望みだった。


 少年は独りでいたい。

 ただ独りだけで、どこまでも存在できたのなら、

 これ以上の至福は、少年にとってきっと全く存在することはないだろう。


 たとえそこでは、この最も好む風を感じる瞬間でさえ奪われるのだとしても、

 そこでは、風という現象でさえ存在することが許されないのだとしても、

 少年だけが孤独でいられるのなら、


 少年は間違いなく、風さえも共にいることが許されない。

 そんな「絶対の孤独」を望むのだった。


 全てを犠牲にしても、その全てが少年とは別の何処かで知る由もない幸福を得て、安寧でいるのだとしても、

 少年は間違いなく、誰とも知らぬ孤独を渇望しているのだ。


 誰とも会わないで生き続けられるのなら、少年にとってこれ以上の幸福はない。

 むしろそうであるならば、少年は生きていなくてもいいし、もちろん死んでいなくてもいい。


 そんな事は少年にとっては、些細な違いもなかった。


 ただ、このまま(・・・・)でいれば……。


 死も生も、喜も悲も怒も、殺も奪も、得も損も、幸も忌もなく。


 このまま(・・・・)でいられるのであれば、それ以上の至福は存在しなかった。


 少年は生きるのも死ぬのも嫌だった。

 そして、殺すのも殺されるのも、

 楽しいのも哀しいのも、

 産まれるのも、産まれるのを見るのも、

 食べるのも食べられるのも、

 痛いのも苦しいのも、

 空腹になるのも満腹になるのも、

 幸福なのも不幸なのも当然、嫌だった。


 だから、気が付けばありきたりの言葉が常に口を突いて出ていた。


〝どうして、このまま(・・・・)ではいられないのだろうか?〟


 (どうして……っ)


 だが、そんな答えの出るはずのない問いの答えは分かりきっていた。


 少年は自分で自分に答えを突きつける。


「独りじゃないからだ……」


 少年は断言する。


 独りじゃないから。

 このままではいられない。


 いや、より正確に言うなら、


 一つではないからだ。

 1つだけではないから、

 このままではいられないのだ。


 この現実世界には、最初にヒヨコがあるのだから……。


 ヒヨコ……。


 なぜヒヨコでなければいけないのだろうか?


 しかし、そんななぜと自問自答しつづける少年は目を閉じて答えを出す。


 それはヒヨコだからだ。

 ヒヨコの前と後には、必ず卵と鶏がいる。

 必要なのだ。


 その前と後ろにいる卵と鶏が、ヒヨコをヒヨコにさせている。


 だから、

 ヒヨコは、ヒヨコだけではヒヨコでいられない。


 ヒヨコがヒヨコだけだったならば、ヒヨコは別にヒヨコでなくてもいい。


 ヒヨコでなくても別になんだっていいのだ。

 卵でもニワトリでもどちらでもいいのだ。

 たった1つだけであるならば。


 だが、卵もニワトリも最初にたった一つだけであったのならば、その二つはそれこそ最初は卵でもニワトリでもどちらでもいい。

 どちらでもいいなら、最初からあった物は何もニワトリや卵に拘らなくともなんでもいいことになってしまう。

 むしろ、なんでもいいのだったら何も無くてもいい筈だ。

 ニワトリでも卵でもいいなら、何も無い「無」であっても問題ではない。


 それでも……、

 その答えをこの世界は絶対に認めはしないし許さない。

 許してくれないのだ。


〝無は、たった1つの0であっては許されないのだから〟


 なぜなら、

 0は0でさえも0でなければならないからだ。

 それが0という物の本来の意味。


 それはつまり、

 この現実という実際の世界が、

 最初にあった物がニワトリだろうと卵だろうと、どちらも完全に「次の1」として決定し、視点して、記録して、拒絶して、否定している事に他ならない。


 「次の1」は「最初の1」ではない。

 それらは全て「最初の1」であってはならない。

 なぜなら、最初は「1」であってはならないからだ。

 1は、それがたった1つの1だけであるならば、それ以上何処にも動かすことは出来ないのだから。

 1はたった1つの1だけでは動くことができない。1が動くには「0」がいるのだ。

 「0」が「1」を「1」として動かす。

 そして……動けない「1」は「0」でしかない。

 だから「最初が1」とは絶対になれない。


 しかも、我が儘なことに現実というこの現実世界は、

 「最初は0」でもダメだと言っている。

 0は0でさえも最初から0でなければならないのだから。

 最初に「0」があってはいけないのだ。


 だからその答えを既に見出している少年は、日の出が近い空を堪らずに見上げる。


(そんな世界が言ってるんだ……)


 最初にあるべき物は、卵だろうとニワトリだろうと総じて全く完全に認めないと。

 それらを全て纏めて、1つにさせてみせろと駄々を捏ねている。


 だから少年は常に世界に答えてしまうのだ。


(だったら、この現実の最初にあったものはヒヨコじゃないかと答えるしかない)


 ヒヨコが生まれれば、卵は割れて殻として0に消える。

 そして、その先には、

 ヒヨコが成長して、まだ見ぬニワトリの姿が1として待っている。


 そこまでの動きを絵で想像してしまった少年は、最後に出てくる答えをこう結論づけてしまう。


 0を0でいさせるために、1を1で引いて、0を生み。

 その「1と1とでの0」が「0と0とでの1」となり、「最初の0」でありかつ「最初の1」としても許されるようになる。

 その「0」と「1」とで、「最初の0で1」が成り立つという証を、世界から刻印として与えられる。

 そこで初めて、0と1は同時に「世界の最初」として許される。


 それで、「10」だ。


 「10」という刻印として遂に「最初のヒヨコ」が完成する。


 そして、

 最初にヒヨコがあってしまえば、当然その先にはニワトリとタマゴが待ち構えている。

 「1」と「0」というニワトリとタマゴが……。


 だから、

 「10」という「最初のヒヨコ」が一度でも存在すると、それは同時に……、


「……「永遠のヒヨコ」だ……」


「最初のヒヨコ」が「永遠のヒヨコ」になる。

「永遠のヒヨコ」が永遠にニワトリとタマゴを繰り返す。


〝……だから、このままではいられないッ〟


 そう答えを出して、ヒヨコでもある少年は蒼く高い夜明けをひたすらに睨む。


 このままではいられない身体が、少年に「お前は一人ではない」と告げている。


 お前は一人でしかないが、お前を一人ではいさせないと言っているのだ。


 なぜなら現在いるこの少年の最初と最期には……、


 間違いなく、この世に産まれてきた過去の少年と、この世で死期を迎えた未来の少年がいるのだし、いたのだから。


 だから少年は少年でしかない。


「……だからって、

……こんな世界、願い下げだッ!」


 孤独でいたい願望から、

 込み上げてきた苛立ちに身を任せて思い立つと、

 頭上に広がる鮮やかな蒼に向かって、少年はただ独りで吠えていた。


 少年は世界が許せない。

 その蒼さが許せなかった。

 少年の住む世界はいつだって、少年の敵だった。

 そして世界が少年の敵であるならば、

 当然、その世界で住んでいる少年も、少年の敵だった。


 少年は自己をこの世で最も許してはならない最大最悪の敵として断定している。


 いつか、

 少年は、少年の最大の敵となって、少年の前に立ちはだかるだろう。


 少年はそれが分かっていた。


 決して自分は自分の味方になることはない。


 そうやって自分で自分に確信できた。


 もし、仮に、

 自分が自分の味方としてやってくる瞬間があるのだとすれば、

 その時こそがこの少年自分自身が自分自身を相手取っての……。


「……ぁ……っ?」


 そこまで妄想に浸り、勢いに任せてからか

 いつの間にか地面を睨んでいて気が付いた。


 潮の匂いが薄っすらとだが近づいている。


 波の音はまだ幽かにも耳には届いてこない。それでもわかった。


 道は、両脇に並木が連なっている蒼闇のまま。

 蒼い闇は緑の樹々が屋根となって、さらに濃さを増していくだけで。

 まだ陽の登らない照度ではその先を微かにしか分からせてくれない。


 だから、少年は足を早めた。


 心の何処かでは、時間制限タイムリミットが近づいてきているという切迫感もある。

 少年はまたもや、出てきた部屋の中で、今も寝息を立てて微睡みの中にいるだろう同行者たちの目を盗んでここにいるのだった。

 彼女らに無断で外出したことがバレれば大目玉を喰らうだろう。

 とくに第一の少女などは、今度は自分も一緒に連れて行けと駄々を捏ねるかもしれない。


 そんなことになればどんどんと孤独でいられる少年にとっての憩いの一時は奪われていくのが明白だった。


「はあぁ……」


 少年はため息を吐いて並木道の出口を出る。


 すると突然、潮風が強くなって吹いた。


 視界にはすぐに開けた海岸公園の岸壁が見える。


 並木道から出たのはT字路の突き当り。岸壁沿いを続く遊歩道だった。


 潮の風は、岸壁の向こうに見える海から吹いていた。

 不思議な事に少年の髪を煽ぐ、潮の風はまだ鳥の姿をしていない。

 この今いる第五世界でいうところの「命」が宿っていないのだ。


 それらはまだ、単なる「ただの潮風」として少年の顔や体のあちこちに当たり煽り続けている。


 少年は自分を煽ぎつづける風を見た。

 風の出どころの先を。


 少年が見た先の海は、蒼い闇の並木道の空気と同じ色をしている。

 蒼く暗い海に白く満ち引く波が激しくうねる波の彼方だった。


 それはとても内海とは思えない外洋の大波だった。

 大波は囲む細い防波堤の果てから、この湾港内にあるはずの内海まで巨大なうねりを伝播させている。


 少年は恐る恐る遊歩道の奥から、端から端まで柵の敷かれる岸壁まで近づいてみた。


 岸壁に近づくにつれ、朝の内洋は風圧を強めてきた。

 わずかにでも踏ん張りを解けば、そのまま元の位置に吹き飛ばされかねない勢いの力。


「すごいな……」


 手摺である柵の手前まで来たとき。

 目も開けていられなかった少年は。

 揺らぐ視界を狭く細目たまま、

 手摺に沿って、明けようとする陽かりから逃れ、闇が去っていこうとする蒼い夜の方角へと歩き出す。


 岸壁沿いの道は、非常に洒落た景観に整備されていた。

 舗装は色違いのレンガの様であったし、並木道のあった方角には、樹々が岸壁に沿って連なり、その境には幾つかのベンチが設置されている。


 ベンチまでは容赦ない風は届いてこない。


 風に当たることに疲れて。

 少年はうねる闇からの風に堪らず、ベンチのひとつへと逃げ込んでいた。


「ここの風は、ほんとすごい……」


 座り込んだベンチから、道の向こう、柵の先、海の彼方を見る。


 蒼い一時の中で、風が幽かに少年に届けと弱くなった感触は余韻に残る。


 風が伸ばした微かな手を少年は確かに感じ取っていた。


〝日の出が近い……〟


 既に左の方角、東の空には黄金色が昇ろうとしている。

 宙の色は蒼から青へと変遷しているのも兆候だった。


 少年は東の朝焼けよりも、蒼から青へと逃げていく空を追って西を見ていた。

 西では夜の陰が消えようとしている。


 然るに、陰は消えようとする中で新たな影を生んでいた。


 生まれていた影は二つ。

 大きな影と小さい影だった。


 二つの影は、岸壁沿いに続く道の先から現われて、少年の方へと歩いてくる。


 見つけた大小の影は連れ立っているのがよく分かった。


「……ぁ……」


 少年は次第に輪郭がはっきりとしてくる影に、すぐさま見覚えを感じてマヌケな声を呟いた。


 影の方もその声の主に気が付いたのだろう。

 いったん歩みを止めて、様子をよく伺っている。


 だが、訝しむ顔は直ぐに晴れて、あろうことか、とことこと少年の方へと近寄ってきた。


 少年は反射的に顎を引いた。

 そのまま近づいてくる二つの影に、気まずい愛想笑いを浮かべたのは条件反射だった。


 それは顔見知りの人物に取りあえず向ける表情。


 そう。

 少年は知っている。

 小さい方の影は、大きい方の影が飼っている犬だろう。

 おそらく犬だと思う。それほど少年の知っている犬という動物とまったく同じ外見をしているのだから。


 そして、その飼い犬を連れている大きな人影もまた、少年は知っていた。


 人影は少年も良く知っている一人の少女だった。

 この地に訪れてから一週間も半ばが過ぎようとしている見知らぬ世界で。

 そこを生来の地としている五番目の世界の少女。


 サナサ・ファブエッラ。


 半野木昇は近づいてくるその少女と目が合った。


 慌てて、座りながらお辞儀をする。


「あ、どうも……。

おはようございま……」

「カレマ、パケメテ……」


 言って、

 独りの少年と、

 一人の少女は、互いが互いとの距離を止めて後退った。


「言葉が……っ?」


「……通じないっ?」


 一人の少年と少女はお互いを見合って茫然となった。


 今までは、会えば自然と会話が成り立っていたのだから当然だろう。


 だが、今、この時だけは互いと互いの言葉が疎通できていない。

 間違いなく違う異言語として、目の前の少年と少女の交流交際を禁止していた。


(ひょっとして、オワシマスさんや……、真理さんがいないから……?)


 昇は迂闊にも、仲介者である二人の少女の存在を見落としていたのだ。


 肝心の少女二人が、今までの日常会話を成り立たせてくれていたことを。


 そして、その二人をのけ者にして今ここで密会を謀らずも果たしてしまったことは、十分に重い罪そのものだと。

 それに対しての罰が、これだったのだ。


 彼女たちの預かり知らないところでの他者との逢瀬には、間違いなく言葉の壁という罠が仕掛けられていたのだ。


 少年が単独で他の誰かと関わることは絶対に許さない。


 そんな二人の見えない確固たる決意が、確実にこの言語理解ができない現象からも読み取ることが出来た。


 少年はここにはいない二人の少女の意思を否応なく悟って項垂れると、視線は落としたまま、

 やはり驚いたまま目の前で立ち尽くしているサナサに軽い会釈を丁寧にした。


 サナサはそんな昇の行動を見て目を見張っている。


 それで仕草ジェスチャーの意味は通じる筈だった。

 たとえ言葉は通じなくても意味は通じる。


 昇はもう一度、軽く笑んでサナサに向かって会釈をする。

 それだけしかできない。

 それで終わりだった。


 向こうもそれしかできないだろう。

 だから対面で立つサナサも頷きを返して、それでここからまた離れれば、いつも通りの飼い犬の散歩を再開して、今回の偶然は終わるだけの話だった。


 今日の昼にでもまた会えば、今朝は偶然会いましたね。で未来で交わされるだろう会話にも花を咲かせることが出来る。


 だから少年はサナサから目を離して正面の海を見だした。

 サナサが離れれば、あとはそれを見送っていけばいい。


 だが、事はいつも少年が思わない方向へと転がっていく。


 特に少年の回りにいる少女たちはいつもそうだった。


 過去の地球でも、今現在の転星でも。


 少女たちの行動は、いつも少年には突拍子もなく理解の範疇を遥かに超えていくのだった。


 それは今回も変わらなかった。


 サナサは確かに動き出した。

 待ちくたびれた犬があらぬ方へ引っ張る綱をさらに引っ張って歩き出した。


 昇はその足音を聞いて、彼女が自分から離れていくだろうと予想していた。


 だが違ったのだ。


 サナサという少女が昇の手前数歩分の先から、数歩横を確かに歩き、

 同じベンチの端にちょこんと座ってしまったのだから。


「……へ……っ?」


 サナサの奇天烈な行動を影として視界の端で意識して追っていた昇は愕然とする。

 そしてベンチで座る格好で固まったまま。

 思考だけが右往左往していた。


 ……まって、

 どういうことだ?

 ……おかしい。

 なぜだ……?


 少年は今のこの状況を理解しようと頭をフル回転させる。


 なんでだ?

 なんで少女はベンチに座った?

 なぜ自分の隣に座ったのだ?

 自分はベンチの中央で陣取って座っていた。

 そこには他者が座れる余裕はない。

 そんな幾ら端とはいえ、見知らぬ異性同士が座れる空きなど無かったはずだ。

 ほら、すぐにでも体が触れるような距離しかないじゃないか。

 それなのになぜ座ったのだ?


 少女はこんなよく知りもしない異性という男子の隣に座って、それでこれからどうするというのだ?


 少年は目を岸壁から広がる内海に努めて向けながら。

 内心では冷や汗を大量にかいて、この状況に納得できる答えを懸命に探している。


 言葉は通じない。

 通じないはずだ。

 さらに、

 彼女は犬の散歩中ときている。

 そして昇は別れの合図にも等しい会釈をした。

 彼女もそれを見て受け取った筈だ。


 だったら、それでこの偶然の出会いは終わりの筈じゃないか。

 あとは彼女がペットの勢いに任せて少年から離れればいいだけだった。


 にも関わらず、なぜ、その絶好のタイミングをみすみすフイにしたのか。


 隣で犬を可愛がる少女が、少年の間近に腰を落ち着けた意図とは、いったい何だっ?


 頬に見えない汗を伝わせて、少年は恐る恐る隣の少女に目を向けた。

 そして彼女の実在する姿を己の目で捉えると瞬く間に視線を正面に戻す。


 幻ではない。実際にいる。

 彼女は実際に昇と同じこのベンチを選んで腰かけている。


(なんでぇっ? これ以上会話もできないのにぃっ)


 信じ難い頭を抱える代わりに額に手を当てるだけに留めておく。

 それが今の昇にできる精一杯のカッコつけだった。

 昇は今のこの状況が呑み込めずにいた。


 少女はまだ隣で自分の飼い犬をあやしている。

 小さくて白い子犬だった。

 昇は犬には詳しくないからその品種までは分からない。

 地球の犬種にも似ようなものはいるだろうが、それがなんという犬種に該当するかなど分かる筈もない。


 ともかく、

 今もサナサは犬の白く柔らかい毛並みの中に手を潜らせて、わしゃわしゃとくすぐっている


 何も思いつかない昇は、黙ってまた少女の様子を盗み見ようとしていたが。

 間の悪い昇は、それがサナサも振り向く瞬間と重なってしまう。


「っぅー」


 少年は目が合う前に思わず顔を背けてしまった。

 少女がこちらに向く瞬間を目の当たりにして堪らず目を逸らしてしまったのだ。


 さらにそんなバツの悪さから。

 あろうことか、昇はサナサから離れるようと咄嗟に座っていた位置をベンチの中央から反対の端に移動してしまう。

 サナサを嫌い、疎むように距離を離してしまったのだ。


(動かされたっ? 先に座っていたぼくの方が動かされてしまった?)


 昇は罪悪感に駆られながらも、そうせざるを得なかった自分の甲斐性なしに打ちのめされるのだった。


(だってしょうがないじゃないかっ。

ぼくの隣に座ったこの子が悪いんだっ。

この子が隣に座らなければ、ぼくはこんな居住まいを悪くすることなんてなかったのに!)


 自己の不甲斐なさを、顔見知りの少女の所為にして、昇は酷い自己嫌悪に陥っていた。


 なんでこの少女は自分の傍に座ったのか。

 彼女の不可解な行動で頭を一杯にさせていた。


「ぷ……、クスクス」


 突然漏れた、笑い声に昇は驚いて隣を見た。


「あ、ラタクノメ……」


 サナサは昇には分からない自国の言葉を喋り、頭を下げた。

 どうやら謝っているのだろう。


 直ぐに背筋を伸ばし、苦悩で一杯だった昇に微笑みかける。


「オリルさんや、章子さんたちはいらっしゃらないんですか?」


「え?」


 意外な名を聞き取って目を丸くすると、サナサはやはりクスクスと笑う。


「そのご様子だと、お近くにはいらっしゃらないみたいですね。

ダメですよ。

いくら泊まっている場所が近くても、一人で勝手に出歩いたりしては……」


 サナサは軽く責める目で昇を見る。


 昇はそれをドギマギと受け取るだけで精一杯だった。


「……でも、それはかえって、私には好都合なのかもしれませんね……」


 サナサは独り言のように異言語を呟いていく。

 次第に犬に触れていた手も放して背凭れに全てを預けていた。


「少し……お話してもいいですか?」


 自分を見つめ返すペットを見ながら、サナサは力なく笑った。


 昇はそれをどう受け取っていいか分からない。

 何を喋っているのかも分からないのだ。

 ただ、オワシマス・オリルと咲川章子の名が出たことだけが昇にとって唯一分かったものだった。


 その単語が出た以上。

 彼女は昇がここに独りでいる事が分かっている。


 分かっているから、このベンチに座ったのだろうか?


 昇が様子を伺っているとサナサも自嘲気味にまた自国の言葉で喋り出す。


「本当はいま、ホッとしているんです。


今まで、誰ともこんな事をお喋りすることができなかったんですから。

おかしいですよね。


たぶん、今の私の言葉は昇さんには通じていないのだと思うんですけど。


その方が、今の私には幸運なんです。

もし、この相手が章子さんだったとしても、ここまで打ち明けて話す気分にはなれなかったと思います。


章子さんであったら……きっと、あの人(・・・)とどこかで必ず絶対に繋がっているんだって勘ぐってしまうから。


だからいま、この時にあなたがいてくれて、本当によかった」


 サナサの酷く不安げな表情が、昇の視線を掴んで離さない。


「私、怖いんです……」


 サナサは告白した。


「わたし。怖いんです。


世界も、自分も、この時代も。


過去に私たちが冒してしまった事も、


過去も、今も……何もかもがすべて。

そして……。


重くなっていく……これからの未来さえも……っ」


 今まで我慢していた鬱積を吐露すると、


 指先を一つ、

 海の方へと指差して、今度は更に高く掲げてみせる。


 すると一拍もおかず無造作に、

 高く掲げた指先を一筆書きに振り下ろした。


 それを今度はゆっくりと繰り返している。

 何度も、

 何度も、

 何度も、

 何度も。


 何度も、

 腕を上げては下に下げる行為を繰り返している。


 同じ事をいつまでも繰り返す少女の奇妙な行動を見て、昇は唖然となっていた。


 何を喋っているのかは分からない。

 分からないが、

 昇に何を伝えたいのかは分かったからだ。


 あの腕の動きは、

 あの指の意味は、


(確認してる……)


 熱転移となって、軽くなり過去として消えていく自分の腕の残像を確認しているのだ。

 何度もそんな事を繰り返して、自分の存在位置を確認している。


「やっぱり、わかりますか?

いま私が何をしているのか」


 流行はやっているんですよ、とサナサはいう。


「この手を上から下へ動かす単純な動作。

それを繰り返す単調な仕草が。

今の私たちの間では、みんなこうやってときどきしてしまうんです。

何かのおまじないみたいに。


おかしいことはわかってるんです。

でも、気付いたらいつの間にかやっちゃってるんですよね。

そうやって過ぎていく時間を実感するんですよ。


だって今も信じられないんですから。


信じられませんよ。

わたしだけじゃない!

みんな信じることができないんです。


だってそうでしょう?


この現在と過去と未来とが……。


ただの重さと軽さで、……分けられて……いるなんて……っ」


 何度も何度も、上から下に上から下にを繰り返していた指が唐突に最後、力なく落ちて彼女の膝に落ち着いた。


「そんなことが、あっていいわけがないでしょう?


過去が軽かったというだけなら、まだ納得ができます。


でも、未来だけは……。


未来だけは。


どうあっても、

これから訪れる未来だけは、重くあってはダメなんです。


だってそうですよ!


未来は明るくなくてはダメなんですから!


これから訪れる私たちの将来や夢だけは、明るくなくっちゃダメなんです!


明るいんだって!

きっといいことがあるんだって!

そう思う事ができなくっちゃ、私たちはこれから先を生きていくことなんてとてもできません!


だって私、言うことができないですもん!


これからの後輩や小さな子供たち、これから大きくなって将来や未来を楽しみにしている妹や弟たちに……、


未来は本当はっ、

明るくも希望もなくっ、

ただ冷たくて重いだけだったなんてっ、言うことができないんですもんっ……!」


 感情的に昂ぶったまま、堪っていた鬱憤を昇に曝けだして、それでもまだ、サナサは底を見せてはいなかった。


「だから怖いんです。私。

この世界の何もかもが全て。

いまここで生きている自分自身でさえも怖いんです。

自分のすることが怖いんです。

自分のその先が怖いんです。


いつどうやって、自分が止まるのかが分からない。それが恐いんです。


みんなそうです。

あれ(・・)を知ってから、

この私たち第五世界に生きる住人はみんなみんなそうなんですっ!


……でも、一番怖いのはこの世界じゃありません。

もちろん自分たちでさえもありません……。


一番怖いのは……。

本当にいま怖くて、分からなくて、恐ろしくて、堪らないのは……、


オリルさんです……」


 昇はその名をその表情のタイミングで聞いて、驚異した。


「オワシマス……さん……?」


 昇が呟くとサナサは首を振る。


「オリルさんだけではありません。

オリルさんを含めたリ・クァミスの方々、全員が怖いんですっ。


彼ら、三日月の徒(クレシェンテ)の全てが怖いんですよっ。


気づかれましたかっ?


昇さんたちの船が港に着いた時、盛大なお出迎えも何もありませんでしたよね?

あれはリ・クァミス様側からの求めでもあります。


それも……あります。

ありますけど……。私たちは本当に怖いんですっ。


あの人たちが怖いんですよっ。


いったい何を考えているのかが分からない。

何を考えて私たちに優しくしてくれるのかがわからないんです。


だって本当に何を考えているのかが分からないんですもの!


しかもっ!

しかもですよっ!


あの人たちには分かるんです!」


 断言するサナサの目には既に生気がない。


「私たちが何を考えて、何を求めているのかが分かるんです!

あの人たちにはっ!」


 叫んだサナサは自分の頭を両手で抱えて蹲る。


 この恐怖を今昇に言っても、分かってはもらえないことさえも理解している。

 第一、言葉さえもが通じないのだから。


 それでもサナサは吐きださずには居られなかった。


 サナサは思い出す。


 自分たちがこの新惑星に出現したと気づく前の、地理や気象の極端な大変化によって、大混乱に陥っていた最中、

 その時に突然、

 見知らぬ船で渡来してきたリ・クァミス人たちの事を。


 当初、彼らを異人だと思う者は誰一人いなかった。

 なぜなら即興そらで言葉が通じたからだ。そして同じ「人」だった。

 だから警戒心は皆無だった。

 今となっては驚くべきことに、航行方法、通信手段など、第五側の外交手順や法規、科学技術などは全て則って最初の「初邂逅」(ファーストコンタクト)が成り立っていた。


 だから異文明同士による、

 不理解からの掛け違いを発端とする「誤解からの不幸な武力衝突」なども一切、発生しなかった。


 だが、それから間もなく、問題は起こった。


 それは間違いなく、第一文明世界のリ・クァミス側にとっては「問題」とはならなかった。


 だが五番目の文明時代、サーモヘシア側にとっては確かに史上最大級の「根底的に重大な世界的大問題」だった。


「お恥ずかしい話なのですが……。

最初の邂逅以来、

私たちはあらゆる時、あらゆる場面でリ・クァミスの方たちに盗聴を仕掛けていたそうなんです……」


 それはサナサも後になって知る事件だった。


 サーモヘシアはリ・クァミスからの使節に盗聴を仕掛けていた。

 それは移動中でも。もちろんその移動先でもだった。

 一見するとそれら一連に始まるサーモヘシアの悪意ある敵対行為は、無防備で平和ボケな危機意識の欠片もないリ・クァミス側には悟られていない様にも見えていた。


 だが違っていたのだ。


「あの人たちは……知っていたんです(・・・・・・・・)


 盗聴を開始して間もなく。

 リ・クァミス側が突然、断りを入れて(・・・・・・)盗聴を妨害し、断ち切ったというのだ。


 すみません、と一言だけを呟かれ、すぐに音ずれたのは砂嵐の雑音だけだった。


 当初、耳をそばだてていたサーモヘシアの諜報員はこのあまりにも奇怪な出来事に、耳を疑い、信じようとはしなかったという。

 きっと何かの間違いだろうと、何かの機器の不具合、故障だろうと高をくくり、再度同じ行為を繰り返した。


 だがそれはあまりにも致命的な甘い認識だった。


 それから頻繁に、彼らリ・クァミスが個室や彼らだけとなった場所では、重要な話題になりそうな場面で悉く、丁寧な謝罪の後に強力な妨害ジャミングが入るようになったのだ。


 そして……恐ろしいのはここからだった。


 サーモヘシアはあまりにも的確な盗聴に始まる諜報行為の全てに妨害を繰り返すリ・クァミスに対して歴史上稀にみる謝罪を表明する。

 それは当初、非公式な場で行われていた。


 非公式の後、リ・クァミスから賠償なり責任追及なりを公式的に要求されれば、それに誠意をもって応えようとしたのだ。


 だが、彼らリ・クァミスは、彼らサーモヘシアの外交常識をことごとく凌駕していた。


 彼らリ・クァミスは彼らサーモヘシアの罪悪感を否定する。


〝それは当然でしょう〟と。


 リ・クァミスはそう言ってのけたのだ。

 最初の住人が、突然やってきた見知らぬ輩を盗聴することは当然の行為なのだろうと。

 ともすれば戦争状態にも突入する危険性をはらむ愚かな行為を、国家や世界の立場として当然だろうと逆に肯定してきたのだ。


 この答えを聞いた時、サーモヘシアに在籍する国々は救済されたと受け取ったの云うまでもない。

 自分たちの罪は免れ、許されたのだと。

 サーモヘシアはそう思っていた。


 それが限界だった。

 それがサーモヘシアという第五世界が持つ政治的認識の限界だったのだ。


 その時、リ・クァミスは続きを言った。


〝自分たちリ・クァミスが、同じことをしていないとでもお思われたか?〟と。


 第五世界、サーモヘシアは凍りついた。


 リ・クァミスは、サーモヘシアの中に散らばるあらゆる国家の最高機密を既に集め、編集する段階に進んでいた。


 相手からの盗聴を害し妨げ、自らの諜報を成功させる。


 罪悪感に苛まれる第五世界を尻目に、彼らリ・クァミス人は着々と諜報活動を達成させていたのだ。


 サーモヘシアは既に情報戦でリ・クァミスに敗れていた。


 漏れ伝わった国家機密は、それが最大的な威力となり得る。


 その事案が決定打となり。

 サーモヘシアは自然とリ・クァミスから戦利的要求が来るのを待った。


 それが完全なる無条件降伏となっていた。


 だがいつまで経ってもリ・クァミスからの要求は届いてこない。


 それどころか何度、会合を重ねても過去の地球にあった1つの一大世界としてサーモヘシアを同等に扱っている。


 サーモヘシアの最も根幹としている心臓部を鷲掴みにしておきながら、それでもなお、リ・クァミスはその心臓を躊躇いなく握り潰すことを一度たりとも実行することはなかった。


「今の私たちは……疲弊しています……」


 心やつれて言うサナサは自分たちの世界の思いを代弁する。


 リ・クァミスが何を考えているのかが分からない。


 自分たちの恥部を暴いて吟味してなお、リ・クァミスは何も要求してこない。


 ただ今までと変わらない友好的外交を続けている。


 まるで第五が今まで隠して手を汚してきた所業を労うように、外交努力を続けているのだ。


「既に私たちは、オリルさんたちの手の中にいます。

彼女たちリ・クァミスの匙加減一つで、私たちサーモヘシアは崩壊してしまうのですから。


でも、あの人たちはいつまで経ってもそれを実行しません!


こんなの生殺しです!


責めも赦しもせず!


私たちを傀儡どうぐのように使う!

みんなそう思っています!


でも……っ、それ以上のヒドイ事をあの人たちは私たちに決してしません。


だから分からないんです!

怖いんですっ!


いつかっ!

いつかどこかで必ずっ!


この代償を支払わされてしまう時が必ずやってくるんだって!


私たちは騙されて何かをさせられてしまうんだってっ!

何か考えもつかないことをいつか必ず気づかない内にさせられるんだってっ!

みんな、そう怯えて怖がってるんですっ!」


 そこまで言うと、昇を救いの手のように見る。


「だから……、

だからあなた方、七番目の人類世界の方々が来訪してくると知った時には歓喜しましたよ。


私たちの世界の全てが手放しで。


みんなも、態度や顔には出しませんが、そう思っています。


私たちよりも、見識も何もかもが見劣りしている様に見えるあなた方、現代の人類の人たちが、

私たち以上にリ・クァミスの前で怯えきって狼狽えて、慌てふためく姿を想像して、そういう愉悦感に浸れるかもしれない瞬間を今か今かと待ち遠しく、待ち構えていたんです。


その為に派遣されてきたのが……この私です」


 サナサは自嘲気味に笑う。


「……知っていましたか?


私も、あなたや章子さんを見下していたんですよ?


見下して侮って。

ああ、この人たちは隣のリ・クァミス人の事をどう思っているのだろう?

どう恐怖しているのだろうとワクワクしながら見ていたんです。


でも……違ったんですね。

あなた方はそれどころではなかった。


それ以上の存在と向き合っていたんですから。


初めてみました。

リ・クァミスの人たちのあんな真っ青な顔。

オリルさんのこの前のあの表情ですよ。

いい気味だって思いました。


私たちも同じ気分だったんだぞって、そう思いました」


 だがその気持ちの後にやってきたのは自責の念だった。


「けれど……そこで気がついたんです。

リ・クァミスの人たちも同じ(・・)だったんだって。


私たちと同じ恐怖を感じていたんだと。


同じ「人間」だった。


「あの人」の言うように、リ・クァミスの人たちも私たちと同じ人間だった。


いえ、「生命いのち」だったんですよね。


同じこの世界に生きる……ただ1つの熱という透明から生まれた生命だった」


 サナサは前のめりに姿勢を崩して俯いた。


「なんでだろう……」


 サナサは顔を覆って言う。


「なんで私、生きてるんだろう……?」


 なぜ、ここに生まれてきたのだろうか?


 彼女はそう問うている。


 彼女自身に、少年に、そしてこの現実に。


 だが、その問いの答えはもう既に出ている。


(ゼロ)では……いられないから……」


 その答えを聞いてサナサは顔を上げた。


「聞こえましたよ?


いま、(セテク)だって。

そう言いましたよね?


それは私にも分かりました」


 やっと分かる言葉を聞いてサナサは微笑んでいた。微笑んで昇に力なく笑いかけていた。


 そして最後に行き着く問いは。


「いったい何の為に、生きてるんだろう……?」


 我々は、何のために生まれ、

 何のために生きて行かなければならないのか?


 サナサは誰もが思い、誰もが答えを出すことのできないでいるこの問いの答えを、蒼い空に見て求める。


「昇さんには分かるんですか?


……私には……とてもわかりません。

わかりっこありません。


それをこれから先の未来へと生きて行かなければならない、みんなにどう伝えればいいのかも……」


 しかし、

 そんな答えの出ないはずの問いにも、すでにその真理こたえは用意されているという。


 今日の午前中にまた隣の少年と会って、その翌日にその答えを伝えるという。

 そう言った、あの「彼女」の言葉。


 真理による真理学の授業は総仕上げの段階に入ろうとしている……。


「この旅が終わった後、

私は昇さんたちとの交流の一切を一つのレポートに纏めなければなりません。


それが、私が自分の国から課せられた使命です。

勿論、その内容はオリルさんたちにもつまびらかに公開される事となります。


いえ、そんな事をせずとも、リ・クァミスの人たちは自分たちから、昨日得られた知識を私たち一般の市民たちにも分かりやすいように解説してくれます。


別に私たちが頼んでもいないのにですよ?

呆れてこちらの方が何も言うことができません」


 サナサの声には諦めしか無かった。


「……ギガリスという太古が、私たちという未来を侮っていたように。

私たちサーモヘシアという過去も、現在という昇さんが生まれて生きてきた未来を侮っていたのですね……」


 だから出し抜かれた。


 だからサナサは現実に耐えきれず俯き、それを今も昇が気遣っている。


 重くなっていく未来の……それが答えなのだろうか?


 サナサには、

 そして当然、昇にも分からなかった。


 ただ、刻として迫る。

 東からやっと昇ってきた朝日だけが、答えを示すように。

 昇とサナサを一直線に照らし、

 紅い世界の中で二つの蒼く伸びきった影をたった一つの線に重ねていた……。




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