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「カナリー様、実家へ帰らせていただきます」
そう言いながら床に手をついたのはキャシー。
帰りの馬車の中でこうなるとは言っといたんだけど、やっぱりこうなった。
私は塔のてっぺんに住んでいる。
うん、虫嫌い。
その私の世話をしようとすると、あの階段をひたすら上ったり下りたりしなくちゃいけないのよね、荷物があるとこれがまた大変。
私は最小限度のものだけ持って登って、降りるときはらせん階段の真ん中についている井戸の釣瓶みたいなロープで一気にダーッと、うん普通の女の子には無理だこりゃ。
スカートの裾をひもで縛らないとちょっと大変なことになるけどね、誰も見てなければ紐無しでも問題なしなんだけどなぁ。
しかしキャシーの実家ってどこだろ?
チョコット家は公爵様以外は自分のことは自分でするのがお約束。
私の部屋は自分でお掃除するから、ほらきれいでしょ?
そう言ったらキャシーはすごくいい顔してくれた。
その代わりってのは何なんだけどさ、お給料はうちから出せないよ。
え? 侍女って組合からの派遣なの? 知らなかった。
職能給なんだって、へ~、いいな~、え? 私? 女官は箔づけの行儀見習いだからお給料って無いわ。
普通はそうでしょうけどカナリー様って教えるほうだから違うと思いますって?
時々ご祝儀ってもらうけどそれだけだよ、ずっと貯めてるけどキャシーの一週間分、しょぼっ。
しかしうちも王宮と同じ扱いで特級侍女が派遣されるんだ、つまりキャシーも特級でってすごいんだね。
カナリー様も十分特級でやっていけますって?
ありがと、公爵家から追い出されたら推薦してね。
一応私って女官の筆頭格なんだけど、それって家柄だけのことなのよね。
だから掃除とか選択とか雑用のことでも純粋に能力をほめてもらえるってうれしい。
伊達に前世で一般市民してたんじゃないのだ。
まあそんなようなことを話しながらキャシーと朝ご飯を作った。
キャシーにも料理人がいるんじゃないの? って聞かれたけどロウは公爵様専属の料理人。
毒見用にベンの分と2人前+自分の賄しかつくらない。
ハンゾーの分は私が作っているのだ。
ポトフとラタティーユ、おいしいよ!
主食はポトフのイモ、ラタティーユって野菜ばっかり。
お肉は夕食だけ。
ハンゾーが捕ってくる野ウサギや川魚。
予算は調味料代のみ、うちビンボ。
公爵家なのに~。
ごめん、お見苦しいところをお見せしてしまいました。
とキャシーに謝る。
ほんとに申し訳ないんだけど彼女にもこの食生活に付き合ってもらわなくっちゃいけない。
うちはブラックチョコットなのだ。
公爵家の門をくぐる者、全ての希望を捨てよ、ってのにかなり近い、ざんねん。
ロウは公爵用台所で食事をとるので、ここで食べるのは3人だけ。
ハンゾーは日頃から無口でほとんどしゃべらないけど、今日は何か言いたそうにもじもじしてる。
「どうしたの? ハンゾー」
「えっと、あの、その……」
「どうしたの?」
「実は、あの、その、俺の嫁になってもいいって人が、その、あの……」
「おめでと! 相手誰? 私の知ってる人?」
「猟師のハッタンの娘で……」
「あぁ、あの娘。よかったじゃない。おめでとう」
ハンゾーが言うには、結構前から付き合っていたらしくって、向こうは婿養子に来てほしいそうだ。
もっと早く言えばいいのに、遠慮してたらしい。
だってハンゾーが公爵家からいなくなると、私の食卓から、おにく~。
今食べているのに悲鳴を上げる胃袋を押さえつけてにっこり笑った。
「ほんとに、おめでとう。よかったね」
公爵様には言い出しにくいってことで、退職願を預かった私から説明するように頼まれた。
式は明後日だって、そんなギリギリじゃ言い出しにくいよね。
え?
プロポーズしたのが昨日で、結婚は早い方がいいって……ふ~ん。
気が変わらないうちにってことね。
どっちがかってわかんないけど。
女のおしゃべりって実に下らん、と思いつつもトビーは頭上で行われている会話に聞き耳を立てようとしたのだが体調不良で会話の内容が頭に入らない。
腹減った。
2次元生命体のトビーとしては 腹減った という形容は正しくないのだが、トビー一人のために今の状態に当てはまる言葉はつくられていない。
だから、腹減った。
トビーとしてはカナリーの影に入り込んで任務を遂行しようと今朝さっそく小鳥の影からカナリーの影に乗り移ったのだがいけなかった。
トビーは食べ物の影を味わうことができる。
酒の影で酔うこともできる。
だが基本は宿った相手の放出する霊力を食べて自分を維持しているのだ。
だから食べなかった魔力で影になる。
カナリーに憑りついたものの全く霊力が漏れ出してこない。
それどころか、かけている眼鏡がトビーを含む周囲の魔力と霊力を吸うのだ。
普通ならさっさと別の人物、キャシーなどに乗り換えるところ、近くにハンゾーがいるのでそれもできない。
どう見ても平凡そうに見えるがあの夜魔を一撃で屠った手練れである。
今のところ気づかれていないと思うが、それにも不安がある。
それでトビーは餓死寸前の消滅の危機にあった。
足元でトビーがそんなことになっているのを知らず、朝食はすぐに終わった。
ポトフもラタティーユも鉢から掻き込んで終わり。
優雅な貴族の食事とは程遠かった。
3人が一斉に立ち上がって食器を片づけだしてやっとトビーはキャシーの影に移ることができた。
それでやっと物事を考えることができるようになる。
キャシーがちらっと言っていたがカナリーは教師料として一般的な男爵家に相当するくらいの収入が有るはずだった。
これはチャコール子爵が部下を使って調査したので間違いのない事実。
トビーはカナリーを殺す前に幸せにせねばならない。
カナリーの貧しい生活は許しがたいことだった。
そっか~ハンゾー、結婚するんだ~。
うらやましすぎる。
はっきり言って私もモテる、お子様にだけ、ザンネン。
お祝いに何をあげたらいいかな~。
予算は……。
うん、がんばろう。
そんなことを考えながら、朝の挨拶をするためにハンゾーとキャシーを従えて広間に移動して頭を下げて待つ。
相手は弟だけど、尊い公爵様なのだ。
入ってくる足音が二つ。
椅子が引かれて人が座る気配を感じて10数える。
「おはようございます」
「うむ、おはよう」
それでやっと顔をあげて……吹き出しそうになった。
なに、それ。
正装に身を包んだ公爵様の顔に立派なヒゲが……。
学芸会で白雪姫に出てくる小人役の小学生みたい……ぷっ。
「静かにっ!」
なによ、ベンのくせに偉そうに。
でも我慢して真面目な顔をした。
左手で抓っているお尻、痣になっちゃうかも。
「本日トーシュ公爵様とビリジアン伯爵家ご息女ルルベットさまのご婚約が正式に結ばれることになりました」
お~、おめでと!
ルルベットちゃんもトーシュと同い年。
私のかわいい教え子の一人なのだ。
「それとカナリー様にもよき話がありますが、今夜の発表とさせていただきます。お楽しみに」
「カナリー、非常にいい話だ。相手は特上のヒゲと筋肉だよ」
お~、ついに私にも春が~……ってなるわけないでしょ。
どこの筋肉ヒゲ達磨よ、私はあなたたちの美的感覚は全く信用してないから。
同じひげ男なら……。
貴族は家長の決めた縁談は断れない。
一応断る方法はあるんだけどね。
ま、とにかく相手がだれか聞いてからどんよりしよう。
キャシーの足元でトビーは喜んでいた。
カナリーが幸せになるなら相手がカーンでないほうがいい。
カーンにはカナリーを殺せという命令は出ていないのだ。
もし仕損じた場合、戦いになる。
カーンはカナリーを守らないといけないのだから。
カナリー以外はみんなめでたいと思っていた。
トーシュちゃんのはもちろん付け髭です。