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剣を使える者の誰もが冷たい汗を背中に垂らす中、一人の観客が喜びに打ち震え、もう一人がその隣でシクシク痛くなる胃を手で押さえていた。
喜んでいるのが隣の大男グリズリー伯爵、蒼い顔をしているのが我ブラックウイット男爵。
グリズリー伯爵は北の蛮族、力だけで貴族になった成り上がり、とても国王が主催する舞踏会に出られるような気品さは欠片もないがいろいろな理由で北の小国を代表してここにいた。
それにはいろいろ理由があるが、最も大きいものは居並ぶ国々に対して”俺らを舐めんじゃねーぞ”と威圧すること。
北国ノワールはまず歴史が浅い。
北の果てゆえに産業に乏しい。
そこの王族がどんなに取り繕うとも文化的にも財政的にも劣るからには格下に見られるのはしかたがない。
ならばいっそ野蛮であっても決して舐められない者を王家の名代として出そう。
それがこいつ、グリズリー伯爵。
一言で恐ろしいとしか表せない大男である。
一対一で魔人と闘い破った戦士としてよりも、初めてノワールの王宮に上がった時、すれ違っただけで女官たちが失神させてしまったという噂の猛獣として有名である。
我、ブラックウイット男爵はそのうわさが事実なのを役に立たなくなった女官たちの代わりにおもらしの跡を片付けさせられたので知っている。
そしてなぜかその事件以来グリズリ-の担当をすべて押し付けられて結構長い付き合いになる。
もう落ちて心配する髪の毛もない。
それがこのたびブラックウイット男爵が開き直れた時に使節団への随行を命じられた。
我はあれの御守りをしながら実質的に正使としての役目を務めねばならなくなった。
はっきり言って……終わった。
遺書も書いた……。
その風向きが変わったのはここへついて初日のことである。
出された食事が ”上品すぎて” まずいと駄々をこねたグリズリーが兵士たちの食堂へ繰り出したのだ。
そこでグリズリー曰く ”女神さまとの運命の出会い” があった。
あの一瞬は何度思い出しても恐ろしい。
いきなり見知らぬ女性に求婚したのだ。
理屈の通じぬ蛮族というものはとことん恐ろしい。
彼ら蛮族は求婚するのに女性が既婚者であろうが恋人がいようが相手の都合に一切斟酌する必要を認めない。
ただ当人が気に入ったかどうかだけ。
しかもいきなり手を見知らぬ男に舐められて声を上げてはいけないって無理だろう。
まあグリズリーに舐められたのであれば恐ろしさで声が出ないというのは十分以上にあり得る。
しかしあいつの顔を叩かないと拒否したことにならないってハードル高すぎるだろう。
我はあの時両国間の開戦を覚悟した。
彼女の身分が低いはずはない。
彼女を連れ去ることを押しとどめることは不可能だ。
しかし彼女の右フックはきれいに決まった。
女が手を上げた時、男は避けてはならない。
それが男側が譲る唯一の掟だが、さほどスピードも力も入ったように見えないパンチはグリズリーのあごに当たり奴は白目をむいてひっくり返った。
冗談かと思ったがマジだった。
愉快だ。
目立たぬように宿舎へ奴を運んだり、相手に対して詫びを入れたりそれは大変だったのだがそんなことはどうでもいい。
兎に角その時以来グリズリーはおとなしくなった。
窓から星を見上げてため息をついたり。
キモ。
そんな奴を出席せねばならない舞踏会に連れ出したのだが……失敗した。
病気だとしておけばよかった……実際に頭のだが。
奴はまず男たちの乱舞で体をゆすり始めた。
まずいと思ったが上品な調べが流れ出してすぐにおとなしくなった。
そこで連れ出せばよかった。
次に始まったのは男女の剣舞。
どちらも手に持つのは真剣、しかも男は剣に魔力を乗せている。
当たれば死ぬ。
並の鎧では切り裂かれる。
彼女の持つ剣も相当な業物らしいがあれでは打ち合わせた瞬間に切り落とされる。
男は明らかに必殺。
リズミカルな剣戟に技を繰り出す順序にあらかじめ打ち合わせがあるのかと思うが時に入るフェイントが、いや殺気がとても芝居だとは思えない。
しかし女は余裕をもって躱し、決して刃を合わせずに剣の腹を当てて払いのけている。
久しぶりに武人の血が騒ぎ始めたがすぐに隣の燃え上がる気配で水を掛けられる。
矛盾するようだが。
我は胃を抑えながら神に祈った。
こいつが何もしませんように。
とても止めるなんて不可能です。
剣舞は男が演出として光の柱に包まれて倒れ、終わった。
全員で回復魔法をかけただけなのだがそれで魔王を倒したということなのだろう。
また始まる妙なる調べ、それに耳を貸そうともせずグリズリーは舞い終わった男女が退場した扉に向かって進みだした。
おぉ、神よ!




