1
最初からヒロインえらいこっちゃで登場です。
ざんねん。
ここは異世界、なんと緑の野菜ジュースそっくりなお酒が有るの。
野菜ジュースを買ったはずなんだけど誰かが間違えたみたい。
その味は甘くてフルーティー、一口飲めばやめられない。
ルージュ王国の王宮から少し北東へ、ちょうど皇居と上野公園くらい離れた王都の外れに重厚で長い歴史を感じさせる石造りの古城がひっそりと建っていた。
王都とは言っても人口はやっと5万人に達するかどうか、郊外のここはすでに深い森に包まれつつある。
ピカッ ゴロゴロと雷鳴の轟く中、ふっふっふと怪しい含み笑いが尖塔の最上階に有る部屋から聞こえてくる。
ドーナツ型の部屋の中心にある丸い柱、外壁と同じ重厚な石壁には思わず「鏡よ鏡」と問いかけてしまいそうないわくありげな長円形の鏡が掛けられてあり、そのまえで一人の女が金属をそのまま磨き上げた鏡面に自分の姿を映しながら笑っているのだ。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだ~れ?」
まるであの有名な御伽噺の出だしのようだけど、違うのはふっふっふと悪人笑いをしているのが世界で2番目に美しい継母の王妃ではなくて未婚の女性、白い肌は雪のよう、以下省略……つまり一番美しいと鏡が認めた白雪姫を表した表現がそっくり当てはまる美しいこの城の令嬢だったことだ。
この鏡に映る怪しい笑い声を響かせている美女、それが私カナリー・チョコット本人で、なんと公爵令嬢だったりする。
美しい容貌に文句がつけようが無いはずなのだが、男たちの評価はよくなかった。
パリコレクションの花道を歩くのがふさわしいプロポーションに問題が有るという。
そう、この世界の美女の条件はおっぱいが大きいことで顔は二の次なのだ。
ちなみに美男の条件は立派なひげと筋肉……やだっ。
平安美人のかぐや姫を現代に連れてくると眉毛点々細目のっぺりシモブクレなのと同じですらりとしすぎた私は……。
せっかくこんなに……残念、くっ。
片手に持った緑の液体が波打つグラスを一気に飲み干していきなり窓から身を乗り出し誰もいない眼下に向かって叫ぶ。
「おぉロメオ、あなたはどうしてロメオなの?」
どうしたんだろ、観客がだ~れもいない、とへんな無敵モードに入ってる私は不満に思った。
でも楽しいんだからいいよね、でも、でも……。
頭の片隅に押しやられた理性は警告を発し続けるが、うぃっと、失礼さん、おやもうジュースがない。
空になったボトルの横にグラスを置き、鏡よ鏡……これ、さっきもしてなかったかな?
しかしそんなことがしたくなるほど童話や悲劇の舞台にそっくりなのよ、ここは。
シェークスピアやグリム童話なんて世界の名作を知っている私には不思議なことに平成日本で生きていたというリアルすぎる記憶がある。
多分あの日本という異世界から転生したのだろう、よくわからないけど、たぶん。
記憶にあるファンタジーの世界と違ってここは剣がもっとも物を言う野蛮な世界。
魔法も有るってみんなが言うけど私は信じていない。
だってさぁ、王家に伝わる魔道具の雷鳴の杖ってどう見ても銃だし、公爵家に伝わる秘密の魔法ってタロット占いの親戚なんだよ?
秘伝の魔道具って言われてるけど、その未来が分かるカードについていた取り扱い説明書見て笑っちゃった。
ほとんどのページに予言が外れたときの言い訳の仕方が並んでるんだよ?
魔法なんてないよね~。
ほんとにカードで未来が分かれば我が家が没落なんてしないから。
それにここはファンタジーの世界と違ってドラゴンをはじめとして魔獣なんていない。
とっても残念、でもないか、悪魔や魔族なんていたら怖いもの。
コホン、一体誰に説明してるんだろう?
どうも最近独り言を言う癖が付いちゃったみたいだ、やだやだ。
「ふふふ、はぁ~っ。ストレスたまりすぎてたかな」
思いっきりバカやって騒いだらすっとした。
でも鏡に映る目じりに滲んだくやし涙の痕がのこってる。
来週から始まるお祭りと王宮でのパーティー、貴族の子女で私だけが参加できないのだ。
てやんで、べらぼうめっ。
私って転生前は関西人です、ごめん。
あ、そうそう、舞踏会に行けないのは白雪姫じゃなくてシンデレラだったっけ、あははははぁ。
この雷の中、誰もいない塔の中でどんなに騒いでも誰にも聞かれることはない。
外に向かって叫んでも同じだ。
もし誰かにこんなところを見られていたら……死んじゃうかもしれない……。
私が恥かしくってじゃなくて、見てた人は不敬罪で捕まえられて死刑……。
やぁね、冗談ですよぅ、最高位の貴族令嬢だといってもそんな力は有りません。
この身分制度で凝り固まった世界で公爵という地位は貴族の最高峰、上は王族しかいない。
だから、贅沢し放題、わがまま言い放題の生活を送ってきたかというと、それが全く違うのだった。
チョコット家は臣下で最高位の公爵なんだけど、今の王家の始祖に王権を平和裏に譲った前王朝の末裔ということで爵位だけ最高位にされて飾られているのにすぎない。
この城と隣の小さな村以外に領土もないし、家臣も執事のベン・ケイ、料理長のロー・サンジン、庭師のハンゾー・テイラーと3人だけ。
日中は近所の村から何人か小母さんたちが掃除とか手伝いに来てくれるけど、夜はこの広いお城に公爵様と私、そして家臣たちの5人だけで住んでいる。
公爵様と尊称で呼んでいるけど今年で9才になったばかりの弟、名はトーシュ・チョコット。
はい、私を含めてここに居るのは全員独身です。
収入源となる領土がないので5代くらい前まではある程度の見栄を張るだけの手当は王宮から支給されていたらしいんだけど、その手当が時代とともにだんだん少なくなってきて今に至る。
初代のころは監視のためにたくさん付けられていた家臣も今は先の王国時代から仕えてくれている者だけ……。
私もお小遣いのため、貴族の子弟に家庭教師をして働いているのだ。
きつい先生スタイルが似合いすぎて天職だなんて言われてるけど……。
他のご令嬢方が華麗に夜会でドレスのすそなどをワルツに合わせて翻しているときにこんなところで一人芝居なんて、腹立つなぁっ、もぅ!
ガンッ!
うぅ、痛~。
鏡をグーで思いっきりパンチしてしまったぜぃ。
?
鏡が奥へずれてる。
?
向こうに空間が。
?
隠し部屋だ。
置いてあった燭台を手に中を照らすとそこは直径2メートル位の円形の小部屋になっていた。
奥に置かれているのは真紅の材質の分からない女性用の鎧一式とその下に着る服、そして同じ真紅の鞘に収まった一振りの剣。
この武具にはどっかで見覚えがあるのよね。
そだっ! 王宮の正面大広間に飾られてある黒壁の戦いの絵、その中心に描かれている名も無き聖戦士さまが身につけてた。
剣を抜いてみた。
両刃の剣身は細身だがやや長い。
赤い皮がまかれたグリップはそのためか両手でも握れる長さが有る。
波のように揺らめく刃紋はロウソクの光を受けてきらめく。
そこそこ重量が有るのにバランスがいいためか重さを感じさせない。
いいね、これ!
レジェンド級だぜぃ!
最強だぜぃ!
ふっふっふ、笑いが止らない。
これがあれば天下がとれる、不遇だった18年を吹き飛ばせる。
私は無敵だっ。
「ふっふっふ、笑って人斬るカナリーちゃん、えぃっ! なんちゃって」
開け放った窓に向かって両手に持った剣を真っ直ぐ振り下ろす。
剣は銀の弧を描き……?……??
今何か飛んでった気がす……気のせいねっ!、はっはっは。
やり直しっ!
今度は片手に持ってポーズを決める。
「今宵の……え? 続きはなんだっけ……どうでもいいや」
「視界をすべて深紅に染め上げ、世界のすべてをこの手に……」
なんちゃって。ふっふっふ、邪悪な含み笑いをしながら剣を鞘に戻した。
私は剣なんて振り回したこと無いです、はい。
名剣だと思いますが、判別付きませんです、はい。
一応包丁は使えますけど、剣で戦いなんて絶対無理です、はい。
なんて3回自分自身にうなづいてから剣を元に戻して鏡を閉める。
私怖がりだし、あはははは。
剣なんて怖いものは無かった、うん。
寝るっ!
同時刻、王都の北、300メートルほど上空、浮かぶ禍々しいものを取り囲んで浮かぶ7つの人影があった。
王国を妖魔から守る影たちの精鋭、その中でも苛烈な闘い方で他からも怖れられる黒い牙の面々。
黒い牙と聞いて虫歯治せよと思ったあなた、夜道には気をつけましょう。
裏の世界のみで知られ怖れられる彼ら、今日はそんな彼らがあせりの色を濃くしていた。
目立たぬ忍び装束に身を包んだ彼らは印を結び念を送って球形の結界を張りその邪悪なものを封じようとしている。
「くそっ! こやつ手ごわい! 増援はまだかっ!」
「なぜこれほど夜魔が大きくなるまで放置しておいたのだ! 目は何をしてたのだ!」
「集中せよ、結界がくずれるぞ!」
「ひびが入った、退避!」
囲みを解きいったん下がった彼らの一人にその邪悪さしか感じさせない不定形の生命体は触手のようなものを伸ばしかけた。
「ひっ!」
夜魔の触手が取り込もうとした人影が短く悲鳴を発する。
目前にせまった夜魔にではない。
何か、何かとてつもなく恐ろしいものが彼の傍らを通り過ぎ、それが訓練と実戦で鍛え抜かれた彼の本能に悲鳴を上げさせたのだ。
不覚にも恐怖に閉じてしまったまぶたを彼は意志の力でやっとこじ開けたとき、恐ろしい気配は消えて真っ二つになって落下する夜魔だけがあった。
夜魔は地上に落ちる前に闇に解け消え去る。
「何が起きた?」
「今のはなんだ?」
戸惑いうろたえる影たちの中にあってカーン・ウーただ一人だけが今の出来事をある程度把握していた。
思念波による斬撃だと?
なんと正確で強力な……。
あの方向に有るのはチョコット家の城ぐらいのものか、調べねばならぬ。
彼はそれが飛来した方向を正確に見極めていた。
朝、私は夜明と同時に起き出して身支度をする。
今日も塔の上から見れば絶景、いい天気。
いつものようにひとりで服を着て軽くお化粧して……手伝ってくれる侍女なんていないから。
昨日有名なベジタリアンって地方特産の緑色で透明な甘い野菜ジュースを仕事先のビリジアン伯爵様からいただいて、みんなで飲んで、それから……えっと覚えてない、なにか重大なことがあったような気がする。
えっ? ビリジアン? ベジタリアン?
分からない。
ま、いっか。
ふぅ、今日も鏡に映るのは、やはり飾り気の無い地味なチョコレート色のドレスの女。
長い髪をダサく結って小さなつばのある帽子をかぶり三角眼鏡をかけた姿はヒステリックな小母さんにしか見えない。
しかしこれでもまだ独身です、若いです。
やだやだ。
私がしているのは王子様や王女様を含む貴族の子供たちに礼儀作法を含むお勉強を教える仕事、つまり教育係なので華やかなドレスをひらひらさせるわけにはいかないのですよ。
と、いうわけで年中ほぼ同じような格好でうろうろしているのだ。
しくしく……かわいいドレス着たいよ~。
いけないいけない、最近鏡に向かって話しかけてるような独り言が多くなってるような気がする。
前かがみになりそうな背筋をピシッと伸ばして、私はいつもと同じ代わり映えの無い平和な世界が待つはずの自室のドアを開けた。




