食事
いきなりだが、食事とは良い物である、と私は考える。
何も栄養補給のためだけではない。
体の栄養だけを考えるならそれこそカプセルと点滴だけで済ませることだって不可能ではないだろう。
だが、そんな事をやっていては心が死ぬ。
現代社会の中で社会人として働くことにすら何一つ価値を見いだせないこんな私ではあるが、食事は非常に大事な物である、と断言しよう。
何故か。
食事とは、何も栄養を食物から補給するためだけの存在ではない。
美味しい食事をとることで心は満たされ、日々の活力に直結する。
思い浮かべてほしい。
自分の大好きな物が毎朝食卓に並んでいて、それを食べられる日々を。
それが多少値の張る刺身や若干高級なステーキでも構わない。
「食べ飽きる」くらい頻繁に、毎朝それを食べられる日々を思い浮かべてみてほしいのだ。
……自分の好物が毎日食べられる。そう考えただけで、楽しくなってこないだろうか?
いや、毎日でなくても良い。
三四日に一回でも、貴方の好物が好きなだけ食べられるのだ。
……多少の贅沢でも、やってみたくならないだろうか?
少しでもやってみたい、と感じたならば、一度やってみるべきである、と私は思う。
朝の一食だけであっても、好きな物を食べられるというのは適当な物を出されてそれを食べる時よりも明らかに食べる喜びが違う。
思うままに自分の好物を食べることができるというのは、非常に幸せな事だからだ。
少なくとも、私にとっては非常に大事な事だ。
自ら働き、家族を持っている人からすると、これはただの贅沢だ、と考えるかもしれない。
だが、少し待ってほしい。
自分の手元にあるその金は、一体誰が稼いでいる物なのか。
自分ではないのか?
なぜ自分で稼いだ金を、全て家族のためだけに回さなければいけないのだ?
ほんの一握りでも、自分のために使えないのか?
貴方は家族のために金を供給するためだけに存在しているロボットではないだろう?
それとも、家族にお金を供給するロボットという役割だけを果たし、自分の心を殺して生きることが幸せなのか?
確かに、生活のためには必要かもしれない。
だが、そのために自分の食事すら削り、ひたすら節約するのか?
その生活で満足していると言うなら私は止めはしない。
今営んでいる生活が幸せな物である以上、私の言葉など不要なのだから。
余計な戯言と聞き流してくれていい。
しかし、もしその生活に少しでも不満があるのなら、私の言葉を考えてみてほしい。
己の好きな物すら満足に食べられない生活が永久に続いていくのが耐えられないというのなら、勝手に好きな物を購入して食べたってかまわないではないか。
貴方は人間であって、心がある。
家族に金を供給するだけのロボットではないのだから。
好きな物を食べる権利くらいはあるだろう。
食事とは単なる栄養補給だけでは無く、心の栄養でもあるのだ。
その食事すら管理されている人間が幸福であるとは思えない。
己の好きな物を思いっきり食べる、そんな贅沢をしても構わないではないか。
少なくとも、私はそう考える。
好きな物を選んで食べる行為、物によっては贅沢な事かもしれない。
しかし、金を稼いできている立場である以上、少しだけでもそのような事をしても構わないのではないだろうか。
食事とは心の栄養である。
忘れないでほしい。
単なる栄養補給だけでは、決して心は満たされないという事を。
お読みいただきありがとうございます。
食事を節約して~、とかよく聞きますけど、それに対して思った事を書いてみました。