キャラメルポップコーン
甘い香りがふと鼻孔をくすぐった。
瞬間、ぼくは訓練された警察犬のようにハッと顔をあげる。
注意深く、慎重に、あたりを見渡す――見つけた。
ショッピングモールの一画にぽつんとたたずむ、すこし寂れた黄色に身を包んだワゴン。その大半を占めるガラス張りの箱のなかで山をなすそれは、子供たちの――そしてもちろんぼくにとっても――宝の山だ。
そう、それは、ポップコーン――否、キャラメルポップコーンである。
思わず緩んだ頬を整えながら、姿勢を正す。もう一度、あたりを見渡す。行き交うひとびとはそこに一輪の花が咲いていることなど露知らず、お気に入りの服に身を包み、買ったばかりの紙袋を手にしている。あるものは家族と談笑し、またあるものは恋人と語りあっている。
そんななか、ぼくは足を忍ばせ目的物を目指す。足どりとは裏腹に、胸の鼓動はその高鳴りを増すばかりだ。列の最後尾に体を滑り込ますと、その香りはよりいっそう強まった。
値段を確認すると、たしか、四、五〇〇円だったと思う。
正直なところ、安くはないだろう。
そもそもキャラメルポップコーンというのは、決して特別なものではないからだ。
どこにでもあるポップコーン――さらにいえばそれはトウモロコシだ――に、どこにでもあるキャラメルをからめたもの。それがキャラメルポップコーンだ。
市販で買おうとすると、コンビニのプライベートブランド商品ならば一〇〇円ほどで売っているだろう。スーパーに行けば、大きめの袋に入ったものが二〇〇円くらいで買えるのではないだろうか。
だがぼくは、それらを買ったことはない。
なぜか。
それは、ぼくが惹かれるキャラメルポップコーンというものは、どこにでもある普通のキャラメルポップコーンではなく、そこにしかない特別なキャラメルポップコーンだからだ。
映画館に行ったとき、遊園地に行ったとき、そしてショッピングモールに行ったとき。そんな特別な場所で売っているキャラメルポップコーンに、ぼくは、幼少の記憶を重ね、特別な思いを抱いているのかもしれない。
「少々お時間をいただきますがよろしいですか?」
見れば、店員さんが前方の女性に、そう断りを入れていた。
なるほど、どうやら予想以上の売れ行きに、生産が追いついていないようだ。だがそのおかげで、ぼくはキャラメルポップコーンが生成される過程を目にすることができた。
といっても、作り方はいたってシンプルだ。
まず、銀色の器をひっくり返し、中身を空にする。次にカップですくったトウモロコシの粒を入れ、すぐさまキャラメルソースを投入する。それで終わり。
そして待つこと数十秒、カパンカパンと器の蓋が上下する音とともに、銀の器から、まるで魔法のようにポップコーンがあふれでてくる。
「わー、すごーい!」
まるでぼくの心の声を代弁するように、歓声をあげる子供たち。微笑ましくなる。
「お待たせいたしました」
そしていざ、購入のとき。
「Lひとつ」
ためらわずに、しかしどこか気恥ずかしさを覚えながら、ぼくは大きいサイズを選ぶ。
手渡されたものを見れば、親切にも容器はビニール袋に入れられていた。そしてビニール袋のなかにもおまけでひとすくい。枡に入った冷酒を想像する。
しばられていた袋の口を解くと、ほのかに熱をともなった甘い香りが顔に直撃する。それを避けることなく、思う存分に息を吸い込む。体が幸福感に包まれる。
おもむろに手を入れ、一粒をとりだす。
残念ながらそれは、キャラメル成分の低いキャラメルポップコーンだった。しかし、がっかりすることはない。このランダム性もまた、キャラメルポップコーンの楽しみなのだ。このあとにぼくを待ち受けるであろう甘さに、ぼくの胸は膨らむばかりだ。。
そして、ふたつめ――また、口元が緩んだ。
なにをいうわけでもない。
ただぼくは無言で、きみと出会えた奇跡に感謝する。
少女的で、しかしどこか蠱惑的な茶色のドレスに身を包んだきみを、まじまじと眺めてみる。
紙ヒコーキを飛ばすように、わざとらしく、口に放り投げてみる。
噛むと、その食感は驚くほど軽い。
広がる甘さは優しく、鼻を抜ける香ばしさはどこか懐かしい。
さて、次はなんだろう。
夢見る少年が伸ばすその手は、きっと甘い夢の欠片を、手にすることができただろう。