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短編集つめこみ  作者: に*か
The boy under a tree
3/6

**

***

「おじちゃん今年もいるー?」

「いるよ。でもほら、見てごらん、こんなにたくさんの甘夏やはっさくが―――」

「うん。バケツどこ?」

 ニコニコと笑顔を浮かべる私。幼い私。小学校二年生ぐらいだろうか。私は毎年、おじさんの家に遊びに行っていた。今では、ほとんど、というか全く行かなくなってしまった。

「庭の端の水道の脇にあるよ。でもほら、収穫の時期だし、一緒にとろう―――」

「さんきゅー! おじちゃんっ! よっしゃあセミの幼虫よってこんかーい!」

 あ、まぁ、そう…だな、子供だしな。涙目のおじさん。

すごく、懐かしいな。楽しかったな。

 私は虫が大好きで。セミの声ももちろん好きで。今みたいにいらつくこともなくて。いつだって、いつの時間だってずっと聴いていられる自信があった。

 いつだったか、昆虫図鑑を買ってもらったっけ。それはお姉ちゃんと共有扱いで、私はそれが不満で 自分のモノにしたくて一日中眺めていた。さすがにトイレにも一緒に持って行った時はお母さんに怒られたっけ。

 匂いがうつったらどうするの! 

今思えば、すごい母だったな。(その頃、私は極端に匂いに敏感で、消臭剤などは使っていなかった。 今でも匂いには敏感だが、その頃はもっとひどかったのである)

 その頃の母は強くて、絶対で、逆らえなくて。とにかく大きかった。途方もなく大きかった。

今は、今は―――――。


 今考えるとその頃の悩みなんて、ほんのミジンコぐらいのものに感じる。私がもう少し大人になった時、今の私の悩みもミジンコになるのかな。全然、想像できないけれど。

 あぁ、でも実際のミジンコになってしまったら、私はやっぱり悲鳴をあげて遠ざけてしまうだろう。必死に逃げるだろう。間違いなく。絶対的に。

 結局は、悩みが悩みのままでも私は現実逃避をするし、ミジンコになったとしてもあまり変わらないような気がした。

 なんて、考えてみたり。


 昔の私がそう、たとえば小学二年生のときのセミが大好きな、二学年上のお兄ちゃんたちと裏山で秘密基地を作った頃の私が、今の私と会ったとしよう。

 セミに道を阻まれて止まってしまう私に。通りたい道の先でカラスがゴミを食らっていて、前へ進めなくなってしまった私に。

 どう、思うだろう。何を感じるだろう。

 こんな私に会って。いったい、何を、

 昆虫図鑑を広げて虫のおもしろさを、私に見せつけるかな。虫を実際に取ってきて、私の前に突き出して、躍起になって理解してもらうために、努力するのかな。

 どうだろう。どっちもありそう。だけど、たぶん、小さい頃の私は――――。

 私が、私だと分からないと思う。私があなただと、けして思わないと思う。私が、その頃の私、小学二年生の私の未来の姿だとは、絶対に思わないと思う。

 だから、悲しくなる。


『アサギマダラを見つけたよ』

 山の近くに住んでいる私は、学校の校外学習でその山に登った後、そんな作文を残した。

 アサギマダラとは蝶の一種で、大きさは五、六センチほど。翅脈(しみゃく)(羽に見られる脈)は黒で、その内は白。より正確に言うと半透明の水色。とにかく、とても、綺麗な蝶だ。

 そしてもう一つ、アサギマダラは長距離の渡りを行う。なので、人々はアサギマダラの羽にマーキングをした。遠い外国からでも渡ってくるというのだから驚きだ。幼心に、私はとても感動した。

 だってそうでしょう? 

 人間よりはるかに弱そうに見える蝶が、自分よりはるかに脆そうにみえる蝶が、自分より多くの景色を見て、たくさんの生物に出会って、雨にも降られて、それでも無事にここに渡ってきたとしたら。自分の前に現れてくれたとしたら。   

 そんな話を低学年で好奇心旺盛の子供にしたら、目を輝かせないわけがない。感動しないわけがない。感激しないわけがない! 憧れないはずがない!! 誰もが蝶になりたいと考えるだろう。蝶になって、アサギマダラになって、空を飛んで旅する様子を想像するだろう!

 それを聞いてから、私はマークがついたアサギマダラを絶対に捕ると意気込んでいたのを覚えている。もちろんのごとく、前夜はあまり眠れなくて。虫にわくわくして。虫にドキドキして。私は確かに、 絶対的に、虫が好きだった。大好きだった。


 実際、マークのついたアサギマダラを捕れたかというと、たぶん私は捕れなかった。本当のところはよく覚えていないのだけれど。捕れなかったと思う。

 捕れていたら、嬉しさで絶対に忘れなかっただろうし、捕れなかったら、それもまた、悔しさで忘れなかっただろう。だから、いまいち覚えていないこの状況は私にとって、とても腑に落ちないところがある。


 私は数年前に、その作文を読み返した時、最初は字の汚さに笑ったが、それは次第に悲しみへと変化していった。

 この子は知っていて、私は理解できなくなってしまったもの。

 過去の自分は持っていて、今の私は持っていないもの。

 過去に好きだった、私は確かにその思いを持っていた。それに、過去の自分はその思いを大切にしていた。

 だから、作文に書かれた文章は、私の心の中で虚しく響く。悲しく響く。

私は――――― すごく、とっても惨めだった。


 今日ふんずけてしまったセミ。命はもう失われていたけれど、そんなことは関係ない。私は死後のセミを無残にも踏みつぶしたのだ。そして私は、あろうことかその場から―――― 逃げ去った。

 相棒である自転車すらもほっぽりだして。無我夢中で、無様に悲鳴を上げながら。

こんな私を過去の自分は―――――。

 悲しかった。哀しかった。私はとても、惨めだった。


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