第1話 自宅でサプライズエンカウント・その1
何がどうしてこうなったんだろう。
「おはようハニー、さっそくだけどちょっとこの人とお見合いしてね。後は若い二人でごゆっくりっ」
「……は?」
(今度は何を持ってきたかと思えば、犬猫じゃなくて人って……というか誰がハニー?)
今何時だと思ってる、とか朝の六時なんだけど、とか見合いしろって何、とか。
寝起きでぼんやりした思考でも文句は色々と浮かぶらしい。でも折角浮かんだ文句も、置いてけぼりにされた青年の目を見た瞬間音にするのを諦める。
「え――……っと……」
困惑と期待と諦観が混じったような、例えるなら迷子の子供や捨てられた動物のような。
見ているだけで不思議とどうにかしてやりたくなる、そんな目の青年にたじろぐ。
(もしお母さんがいれば、元いた所に戻してきなさいとか言うのかなぁ)
少しズレた事を思いながら、その存在に何故か胸がざわめいた。ゆらゆら揺れる瞳にこれが母性本能だろうか、と思いながらその腕を掴んで目を見開く。
細い。うらやましい――とかいう以前に細すぎる。何だこれ鳥ガラか。
私の行動と視線にぎょっとしたように半歩身を引いた青年にゆっくりと口を開く。躊躇いはなかった。
――――まさかこの若さで母性が目覚めるとは思わなかったけど。
「えっと――――ごはん、食べますか?」
「……………………」
いや途方にくれた目をされても。
きょろ、と見まわす青年は助けを求める人物を探しているらしい。残念、ここ一帯に私以外の人はいない。例外もいるにはいるけど、たった今目の前から颯爽と消えたばかりだ。
(だってこんな朝っぱらから連れ回されてるんだし、きっと食べてないよね?)
それにあの幼なじみが私以外の人の世話を焼く姿は想像できない。だってアレは私至上主義だ。はた迷惑な事ながら。
「…………ご迷惑、でなければ」
諦めたのか、困ったようにぎこちなく頷くのを確認して見知らぬ青年を中に引っ張る。その行動だけなら恥女と言われても仕方ないかもしれないけど、これは拉致じゃなくて保護だ。犯罪の匂いはないと主張したい。
柱時計を見ると6時32分。常識的に考えても客が来る時間じゃないなと自分の格好を見下ろす。
ウサギ柄のピンクパジャマ、頭もボサボサ、どこをどう見ても寝起き姿。花盛り(一応)の乙女が人様、それも家族でもない人に見せる姿かといえば絶対に違う。
「……。…………」
「………………」
「……(今更だけどへるぷみー)」
今この状況を一言で表すなら“気まずい”、それに限る。
何が悲しくて見知らぬ異性に、それもだらしない姿を見られるというハプニング。現在進行形のそれはもうイベントですらない。いや朝食をふるまうというのはイベントかもしれないけど、でもそれも寝起き姿という時点で恋愛要素は皆無だ。
幼馴染の最初の目的――――「見合いしろ」と言われても、この場合恋が芽生えるフラグは根元からポッキリ折れているに違いない。あれ、つまり災い転じて福となすってこの事?
(あー……ベーコンエッグでいっかぁ。朝だし)
もう見られてるしどうしようもないと格好に関しては諦めた。うん、だってしょうがない。
冷蔵庫を開けながらこういうのを干物女的思考っていうんだろうなぁとしみじみ思う。第一印象が大事という言葉を、まさか身を持って知るはめになるとは思わなかった。
これで芽生えるのは良くて友情フラグだろうな、とじゅうじゅう美味しそうな音と匂いを奏でるフライパンを手に考える。友達は欲しいけどこんなんで芽生える友情ってどうなんだろう。
(それにしても……)
幼なじみが置いていった青年は大人しく座っている。
年季の入った木椅子よりも豪奢なフカフカソファが似合うだろう黒髪の美形。部屋を見回すでもなく沈黙しているその姿は、最初の目の印象のせいか子犬にしか見えない。
(でも年上の人を子犬扱いって、結構失礼すぎるかな)
椅子の申し訳なさに差し出したはずのクッションは脇に置かれている。
そこは私の精神衛生上、座るなり凭れるなり踏むなり好きに使って欲しかった。……うん、今度イス買い替えよう。客がこないからって不精してはダメというのがよくわかった。
火から降ろした卵の黄身がプルプル揺れる。うまい具合に焼けた、と同時に問題が一つ。
何も言わずに焼いたけど、黄身が半熟という私好みの火加減で良かっただろうか。好みを聞けばよかった、と今更な事を思いながら差し出した皿は「ありがとう」と受け取られる。可か不可かわからない。
でも素直にお礼を言えるって素晴らしいと思う。これがあの幼なじみなら「さすが私の嫁ね、朝からアリアの手料理食べれるなんて幸せ!」と抱きついてくるところだ。そして確実に皿と中身が空を飛ぶ。
あのぶっとび具合を矯正する方法ってないだろうか、というのが長年の悩みだ。そして解消される事はないだろうと自覚している悩みでもある。つまり報われない。
「えーっと。ミラから聞いてるか知りませんが、私はアリア・カナトリア。ミラがその、(現在進行形で)ご迷惑をかけていると思いますが――――10年ほどアレの幼なじみやってます」
「初めまして、レギュラス・ジルフォードです。レグスと呼んでください。ミラにはお世話になっています」
「これはご丁寧にどうも……」
綺麗なお辞儀とその礼儀正しさ。あの奇天烈人にしては随分まともな知り合いがいたものだ、と感心したのは仕方ない。その奇想天外さに煮え湯を飲まされてきた身としては、その関係者というだけで悲しくも警戒する癖がついている。
ガシャン、とタイミングよく飛び出てきたきつね色に思考を切り変えた。とりあえずバターとジャムでいいかな。
「えぇとレグスさんはミラとお知り合いのようですが、知り合った経緯をお聞きしても? まさかミラにこんなまともな知り合いがいたとは思わなくって」
「……一月前、私の家に突然おしかけてきたのがきっかけですが」
「それはまた何とも衝撃的な感じのきっかけといいますか」
「はい。初対面で、まさか家人を全員打ちのめして会いに来るとは思いもしませんでした」
「…………」
相変わらず私の幼なじみ様は突飛な行動力をお持ちだった。打ちのめされた方々ごめんなさい。そして何やってんだあいつは!
項垂れる私をよそに「その時持ちかけられた賭けに私が負けまして」とさらりと続ける彼に怒りや不満などの感情は見当たらない。
よっぽど懐が深いのかと首を傾げた瞬間、賭けという言葉に思い浮かぶ定番の光景に青ざめた。
「まさか――――身ぐるみ剥がされたりとかしてませんよね!?」
「は? いえ……財産ではなく自分の身を賭けました。だから私は今ここにいるのですが」
ミラの勝負運はそれだけで暴力だと思う。長年隣で見てきた私が言うんだから間違いない。というか賭け事の結果が見合いって……あぁでもミラなら確実に提案する。というかその清々しい笑顔が簡単に目に浮かんだ。
無邪気なようでいて害の塊なそれを振り払ってレグスの目を見つめる。最初の迷子の色はなくなったけど、感情がない目はガラスのような錯覚すら抱きかねない。
そんな目をまっすぐ見て口を開く。
「あのですね、何さりげなく自分を売ってるんですか。バナナじゃないんだから叩き売っちゃダメですよ、もし何かあったらどうするんですか?」
(もしそれがミラじゃなくて悪い人だったら今頃どうなっていたやら……。危機感ないのこの人?)
「大丈夫ですよ」と声音だけはのほほんと言った青年にどこがだとつっこみたい。
美形なんだから危機感持って行動しないとどうなるかわからないだろうに。月1でやって来る行商が言うには、「王都には男の人でも春を売るような場所がある」のだとか。賭けごとをするなとは言わないけど、もし悪い人に負けてそんな所に売られでもしたらどうするんだ。
まあ、おしかけて家の人を打ちのめして賭けを提案するという突飛な行動をする人物なんてミラ以外にはいないだろうけど。いっそあの幼馴染なら北にいるという魔王すら簡単に倒せるに違いない。
ふと視線を感じて顔をあげると、不思議そうな目とかち合った。何だろう。
「あの?」
「いえ、バナナ扱いされたのは初めてだったもので。面白い考えですね」
「……そっちですか、というかそれは皮肉ですか?」
「違いますよ、本心です。心配してくださったんでしょう? ありがとうございます」
「どういたしまして……?」
本人は至って真面目に礼を言ってるんだろうけど、その様子に何だかなぁと脱力する。
(……悪い人じゃないみたいだけど、どこかズレてるというか。それに最初から今までずーっと無表情だから、よくできた人形みたい)
アリアはその声色や目で彼の感情を読みとっているが、もし何も知らない人からすれば無愛想な人だと思われるに違いない。せっかく綺麗な顔してるんだからもっと感情を表に出せばいいのに。
もったいない、と思いながら視線をテーブルに戻す。トースト、ベーコンエッグ、ヨーグルト。質素というかもう手抜きの域だ。自分から食事に誘っておいてこれって一体。
「……もし足りないなら、果物でよければ後でもいできますけど」
「果物は好きですよ。好物は甘い物なので」
「それは良かった。私も好きなんです、甘過ぎる物は無理ですけど。あと苦いものとかも苦手ですね』
「苦手なもの……私は人肉ですね。あれだけは無理です」
心底嫌そうな声音に、へぇそうなんですかと頷きそうになって止まる。
ちょっと待て。今、奇妙な単語が聞こえたような。
「人肉?」
「はい」
「いや人肉って食べ物のカテゴリに入りませんよね。むしろ食べる機会がないですよね!?」
「あぁ。…………一部の肉、が嫌いです。それ以外は基本として何でも食べます」
(その妙な間は一体……)
本人は相変わらずの無表情。きっと空気を和ませようとしたんだろう、うん、そうに違いない。
冗談でも本気でも笑えないけど。だってブラックすぎる。
(悪い人じゃない、とは思うんだけどなぁ……)
「アリアさんは、一人で牧場を運営なさっているんですよね。ミラから聞きました」
「えっ? えぇ、まあ。そうしないと生活できないので」
じっと見てくる視線に頷く。
生活できないのは金銭面ではなく食事面、と言いかけてやめた。お金も大事だけどね。
「その若さで自分の生活を支えるなんて素晴らしいと思います。……私とは逆ですね」
「いや、私の場合はなしくずしというかどうしようもなかったというか、そんな立派なものじゃないですし」
伏せられた目に戸惑って説明もしどろもどろになる。繊細か豪胆なのか量りかねていたが、実はネガティブな方だったらしい。つまり繊細? でも繊細な人は賭けに自分の身を出さないだろう。謎だ。
アリアはミラに、この自宅がある高台から出る事を全面的に禁止されている。理由を尋ねると「危ないから」「私以外にアリアが会うのが許せない」としか言わないので初めこそ不満だったものの、でもその目が縋るように揺れているのに気づいて諦めてから早数年。
悲しい事に、世間的には立派な引きこもりだと自分で思う。
行商も月1でしかやってこない、つまり買い物すら満足に出来ない状態で生活していく手段は自家栽培しかない。それも年をとるごとに出来る事や種類も色々と増えて、それが今ではなしくずしの牧場状態。 うん、まぁいいけどね。動物可愛いし。
「私は今まで何かを生み出す事も支える事もしませんでした。魔王として、ただその椅子に座っていただけです」
飛んでいた意識が急に引き戻される。というかまたしても奇妙な単語が聞こえたような。
「―――まおう?」
魔王ってあれ、北の大陸で世界征服を掲げてる魔物の王様? と呟けばこくんと頷かれた。
その動作がちょっと可愛いと思った自分にうちひしがれる。年上に対して子犬とか可愛いとか、私はとうとうおかしくなったらしい。
(さすがミラの知り合いだわ。性格はともかく肩書がまともじゃない……)
ものすごい事をカミングアウトしてくれた彼をまじまじと眺める。まともな人だと思っていたらまさかの元・魔王様。――――見えない。こんな細いのに。
いっそドッキリだと言われた方が納得できるかもしれない。ミラなら倒せるだろうと思った相手が、まさか見合い相手として本人に連れてこられるとは思わなかった。
(…………ん?)
少し前の、彼とミラの出会いについての会話を思い出す。
彼の家=北の大陸の果てにあるという鉄壁の高レベルダンジョン、アステリオン城。
彼の家人=アステリオン城内の高レベル魔物。それを全員倒して魔王に会いに行った。
――――常々チートだと思っていた幼馴染はまさかの勇者だったらしい。勇者だからチートなのか、チートだから勇者なのか。どっちでもいいけどミラの奇天烈が折り紙つきだという事だけはよくわかった。
(それにしても)
じい、と彼の目を覗きこめばそらされる。疑っていると思ったらしいその態度に苦笑した。これで魔物というなら随分人間臭い魔物だと思う。
まあ普通なら疑う場面だろうけど、でも本当なんだろうなーと心中で呟く。
だってミラは冗談や嘘の類は大が何個つくかわからないほど嫌いだし、そんな彼女が――――本気かどうかわからないにしても――――私の見合い相手として選んだ人だ、そんな事を言う筈がないと思う私は全面的にあの幼馴染を信頼しているらしい。悲しいやら嬉しいやら複雑すぎて本人には絶対に言えないけど。
もし言ったらあの台風娘は喜色満面でとんでもない事をしでかしてくれるに違いない。
だから、私が言えるのはただ一言。
「そうですか」
「それだけ……ですか?」
「いや、それ以外に何を言えと」
確かに悪逆非道冷酷無比と噂の魔王、もとい元魔王様の行動が普通の人間並に人間臭いことには驚いたけど。迷子の目をするとは思わなかったけど。
「貴女こそもう少し人を疑った方が良いのでは……」と呟く彼をにっこり笑顔で黙殺する。危機感ない人にだけは言われたくない。
……ミラなら魔王を城から引きずり出しても不思議じゃない、とは流石に魔王本人に言えないし。
不満そうな雰囲気の彼に続きを促す。刺さる視線は知らんぷり。うん、空気読んだだけ。私悪くない。
「……。そんな私を、ミラは外の世界へ誘ってくれました。それまでの私の目的は世界征服のみ、でもミラのお陰でそれ以外の目的が出来たんです。――――今は牧場主を目指しています」
「それはまた、思いきった決断で……むしろ(世界にとって)英断と言うべき?」
「そう言ってくださると嬉しいです」
(いやほめてない。否定もしないけどっ)
ゆるりと細められた目のおかげか、それまでの「人形のような」というイメージがようやく崩れた。満面の笑みには遠いが、やっぱりこの人は表情があった方が断然いい。でも。
(ダメだ、わけわかんない)
すっかり冷めた朝食を眺めて思う。何をどうすれば世界征服<牧場主。
いや世界の平和からすれば随分ありがたいジョブチェンジだと思うよ? でも意味や経過が意味不明すぎる。例えるならあれだ、エリート街道まっしぐらな好青年が気づけばオカマになってました的な、父親が仕事から帰ってきたら母親になってました的な――――あぁだめだ混乱してる、例えが例えになってない。いやなってるか? あれ?
深く息を吸って、吐きだす。落ち着け私。例え彼らの脳内がぶっとんでいたとしても、私みたいな普通の凡人に理解できる訳がないんだ。よし納得! 脳内会議終了!
ぐるぐる思考の私を眺める元・魔王様は無表情ながらも若干不思議そうだった。私からすれば貴方達の生体のほうが不思議すぎるんですが。今ならその脳みそがピンクとか言われても納得できる。
「とりあえず食べませんか。すっかり冷めましたし」
「はい。いただきます」
「いただきます。コーヒーに砂糖は入れますか?」
シンプルな味付けだから口に合わなくはないだろう、とチラ見する。
…………すぐに後悔した。
(手抜き朝ごはんを綺麗なマナーで食べられると心苦しいものがあるんですが……っ!!)
その光景を見ないように砂糖入れを手にすると「五つお願いします」 うん?
「五つ?」「五つで」……五つも角砂糖入ったコーヒーは飲み物じゃなくて食べ物だと思いますが。
言われた数をかき混ぜるとジャリジャリジャリ――――やっぱり溶けなかった。無理だ。
諦めて差し出すと「ありがとう」と言われる。しっかりした教育を受けたんだろうと思って、ふと首を傾げた。
(教育ママさん監修の元育てられました、みたいな? あれこの場合の教育ママって魔物なのか? いやそんな魔物社会ってどうよ?)
極甘じゃりじゃりコーヒーを飲む彼はよく躾られた子犬にしか見えない。
これが先月まで世界を恐怖に陥れていた元凶――――……?
(ありえない……ていうかそんな要素がどこにあると?)
しっかり手を合わせていただきますをした、悪逆非道という噂が嘘のように礼儀正しい――――さらに甘党で人肉嫌いな元魔王様。若干ネガティブな要素はあるけど、それはまあ普通の範疇だろう。おそらく。
(これからどうしよう……ていうか夢なのかなこれ)
目の前でヨーグルトに砂糖を大量投入している元魔王様。
今はいないけど、奇天烈で突飛な行動ばかりの幼なじみ兼勇者。
そしてその二人以外と交流のない自分。一番平凡、むしろ何の特徴もないモブ。
どんなだ。
まぁなるようにしかならないか、と流しこんだぬるいコーヒーの苦さにぼんやりしていた思考が完全に覚める。やっと覚醒した頭で思ったのは、やっぱりこれは夢じゃないんだということ。
そして。
「先程の話の続きなのですが、私の目的の為にもここに置いてはいただけませんか?」
「ゴホッ!!」
……現実は甘くないという事にコーヒーも驚いたらしい。