3 僕の知らない彼女(4)
少しついて行って見てみようかと思い立ち、人混みを掻き分けて行く。
彼女の姿は冬には目立つ格好だからすぐに見つかった。
僕は人波に紛れ込みながら彼女を見失わない距離でついて行った。
どこかの飲食店にでも入るのかと思っていると、どんどんと道を抜けていき、いつしか人通りも少なくなってきた。
あまり近付きすぎないようにしようにも、人が全然いないのでここで諦めて戻ることにした。
よく周りを見てみるといつの間にかホテル街に入り込んでいた。
妙に思っていると、彼女はそのまま真っ直ぐに進んでいった。そちらはいわゆる風俗街のあたりで、特殊浴場の建ち並ぶエリアだった。
気づけば雨も強くなり、道路ではねるしぶきは霧のようになり、彼女の姿はどこかへ消えてしまった。
いつまでもそこにいるわけにもいかないので、雨を避けられる建物の軒下を上手く伝って駅へ戻った。
ますます雨は強く打ち付けた。
駅のホームに出ると先程の彼女の後ろ姿が目に浮かんだ。
別にさみしそうな後ろ姿でもなければ、僕の安直な想像の場所に出入りしているかどうかもわからない。
あのあたりにも普通の店や会社はあるのだし。
強くなる一方の雨を眺めていると、線路越しに見える向かいのビルの壁にある電光掲示板がまぶしく光っていた。
なぜか季節外れの南国の楽園の映像を流していた。照らし出された僕の顔はどんな顔をしていたのだろうか。
電車に乗り、今日の出来事を振り返ろうとしたが上手く思い出せず、考えが定まらなかった。
頭の中でずっとピントがぼけていて、雨の彼女の後ろ姿にもピントが合わなかった。
『連れ回してごめん。つまらなかったでしょう?』
その言葉が浮かんでは消えた。
何度かそうしているうちに、どこか記憶の底で彼女に触れた気がした。
子供の頃から今日までの空白、あの時から知らなかったもうひとつの人生に触れた気がした。
まだ僕らが幼かった頃、彼女はよく日に焼けていた。
よく弟を連れていた。
よく遅くまで外で遊んでいた。
今思えば帰りづらかったのだろうか。
公園の街灯の明かりが点くまで弟と一緒にいる姿をよく見かけた。
お気に入りと言っていつも同じ服を着ていた。
あれは本当にお気に入りだったのだろうか。
子供の頃には気づけなかった細かい事に今更ながら気づき始めた。
自分以外の人生はみな、見えているようで見えておらず、気にかけているようで気にかけていない。
それは生きていくための知恵なのだろう。気にしても仕方がないことは、考えなくていいように出来ている。
子供の頃はそれでも仕方ないが、気づいた者にはやるべき事があるのではないか。
僕は彼女にキスが出来るほど立派な人間ではなかった。だからなんだか泣けてきた。
電車は橋を渡り川を越える。
手のひらを見つめる。いつも見ている手だ。
彼女の手を握り「力になる」と伝える機会は何度もあったはずだが、そうしたとしても何も変わらないのだろう。
彼女の夜と僕の夜は、地球と火星の夜だ。
煌めく街の明かりは、取り囲む遥かに広大な暗闇に囲まれて浮かんでいる星々の明かりだ。
彼女は暗闇の中に生きているのだろうか。あの背中を見送った街頭で。
いや、そもそも誰だって暗闇の中にいて、ただそこから見える明かりを見て「自分もそこにいる」と錯覚しているのだ。
電車は火星人を運んだ。
元居た場所に連れ戻すように。
でも元居た場所に戻る方法を僕は知らなかった。




