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3 僕の知らない彼女(1)

歩いて病院へ行く間に話を聞いた。


彼女の父はこの何年か入院している。家には母と弟がいて、生計は母の仕事と彼女のバイトで成り立っている。


生活の苦しさは感じさせない話し方だったが、実のところ大変なのだろう。


長い間そうしているとそういう話し方が上手になることもあるだろう。


「ここの信号で曲がると、ほら見えてきた」


これまで入ったことのない、かなり大きな大学病院なので彼女の父親の病状の深刻さが伝わってきた。


容体自体は安定しているので、呼び出しが来ることは普通は無いらしかった。


病院はいくつかの棟に分かれており、とても古そうな建物と、真新しい建物との混在だった。


その中で彼女は迷わず古そうな建物の方へ行き、入ると受付で何か話していた。


状況のわからない僕は少し離れたところから様子をうかがっていた。


彼女はまず担当医に会うために、ひやりとした床を歩き出した。


「一緒に行くと邪魔になりそうだから、このロビーで待ってるよ」


と僕は提案したが、


「一緒についてきて」


と言われたので一緒に行くことにした。


関係者ならそういうするものなのか、病院の常識を知らないので言われたとおりにした。


診察室の前の長椅子に座って十分ぐらい待った。どういう病気か訊きそびれたし、そもそもそういうことを訊いてもよいのか知れず、僕はただ黙って付き合っていた。


今日は数分ごとに彼女の知らない一面に遭遇し、引いてはやってくる波のように、惹かれたり嫌になったりを繰り返す。


「・・・それではこの後父の病室に寄って行きますので。ご丁寧に、遅くまでありがとうございました」


診察室から出てきた彼女は、一緒に出てきた五十代ぐらいの男性に挨拶をしていた。


医者だろうから白衣をまとっているものとイメージしていたのだが、なぜか医者はグレーのスーツを着ていた。


医者がこちらに一瞥したとき、何か言われたらどう返せばいいのだろうかと少し戸惑ったが、特に何も訊かれることはなかった。


立って挨拶をすべきか迷っていると、医者は彼女に向けて言った。


「まあ、また週明けにでも一度、お母様ともお会いして話ができれば。長く入院なさっていますから、次の段階としても検討してみてもよいと思いますよ」


と残して去って行った。


その後ろ姿を見送る彼女が、ほとんど九十度近くお辞儀をして二、三回深呼吸をしたぐらい経ってから顔を上げた。


彼女の振る舞いは、とても大人びて見えた。


自分のことが幼くてつまらない存在に思えた。


しばらくそのままであったが、僕に振り返って言った。


「お待たせしてごめん。これから病室に寄ってから帰ろうと思うけど、いい?」


「いいよ、全然いいよ。病室の前で待っておくから」


「病室は隣の病棟の五階だから、ここの三階に上がって、連絡通路で隣に移るね」


消毒液の匂いなのか、いわゆる病院の匂いは視界から色を奪い、モノクロームにしてしまう気がする。


子供の頃から苦手な匂いだ。誰もがそうかもしれない。二人の足音がやけに響いた。


階段を上るとき、先を行く彼女の手が目の前にあり、触れそうなぐらい近いところにあった。


手を伸ばせば何か勇気づける事ができるのだろうか。変に思われるだけだろうか。


小さな体に詰まっている何かが手を介してこちらになだれ込んでくることを想像した。


受け止めるだけの関係でもなければ覚悟もないので、その手は見た目より遠いと気づいた。


それなのに、こんな時にも目の前にある彼女のほっそりとした長い脚がやたらと目についた。


右足の内ももには少し大きなほくろがあった。


そんなことを知っても何にもならないが、知ってしまった。のぞき込んでいるようにならないように、なるべく並んで階段を上がった。

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