12 三浦海岸のイブ(3)
「人生の苦悩かなにかで、良心の呵責がどうとか理由を並べられて。大人ってわかったように子供たちのことを語りたがるから、それっぽいことを並べ立てて。
「人が死ぬのはいつだってドラマチックだからね。ドラマチックにして、話を大きく盛り上げるのに私のような仕事に従事する人間はちょうど良いかもね」
風が吹いて、少し明るいアイさんの髪が彼女の横顔に張り付く。
彼女はそれを全く気にもせず、凜とした表情のままだった。
「でも現実は違うわ。私は明日も生きている。この仕事は好きでやっているわけではない。かといって嫌いでもないわ。きっと、こんな曖昧な立場が世の中には必要なのよ」
前を行く高良さんがこちらに振り向き手を振った。僕らは手を振り返した。
「ところで私のこと『アイ』って呼んでもらっていますけど、どういう意味か想像がつきますか?」
「アイ・・・いや、想像つきません。アイドルのアイとか?愛情のアイとか?」
彼女は微笑みながら首を振った。
「小文字のアルファベットのアイっていう意味です。数学に詳しいならなにかピンとくるんじゃないでしょうか?」
「ああ、もしかしてイマジナリーナンバー、つまり虚数でしょうか?」
アイさんは大きく頷いた。
「高校を中退しても、そのぐらいは知っていたってことね。虚数なの。どうも気になるんです、あの考え方というか、存在というか。数学の中でしか存在できないくせに、実際の生活にも大きく影響している。
「本当は存在していなくて、でもいることにすればなにかと都合がいい。私の存在ってそんな感じだなって。まあ、誰かのために生きているわけではなくて、今は自分のために生きているけどね」
高良さんだけでなくアイさんもまた誠実な人だった。
立派で知的な人だった。息苦しい世間を恨むでもなく、軽やかに生きていた。
いや、そんな言葉で簡単に語れないぐらい本当は複雑で重くて苦しい人生かも知れないが、それを感じさせなかった。
僕と同じぐらいの年齢なのにこんなにも大人だった。
「アイさんはその・・・」
と僕はなにかを言いかけたが、上手く言葉として伝えられそうになかった。だから
「・・・もったいないです」
とだけ伝えた。
彼女はにこりとして「ありがとう」と言い、嬉しそうにくるっと身を翻して、コートとワンピースをはためかせてみせた。
明るいライム色は灰色の景色の中で輝いて、彼女からは心地よい香りがした。
彼女は可憐だ。
どうしてこんなに麗しい人が幸せになれないのだろうと納得できなかった。
それは高良さんもそうだ。
それは勝手に彼女等のことを不幸せな人間と決めつけている裏返しであり、僕の思考を恨んだが、やはりそうとしか思えなかった。




