2 駅前で伝えられたこと(2)
電車でほんの二駅移動した京急川崎駅の近くがバイト先だそうで、多摩川を渡るとすぐに着いた。
狭い幅のホームに降り立ち、階段を使って一階に下った。二人で改札を出ると小さなスクランブル交差点があった。それを挟んだ向かいにあるパチンコ屋の明かりがまぶしかった。気づけばもう夕方近くだった。
新台入荷という文字と、何かのアニメのキャラクタが大きく描かれた宣伝が電光掲示板に流れている。信号を待つ人が大勢いて、誰の目にも広告が映っているにもかかわらず、しかし誰の感情にも届いていないようだ。ただ信号が変わるのを待っている。
信号が青になる直前から通勤客の流れがうねりだし、多くは改札に入っていく。外に出ようとする僕らは完全に群衆に逆流しながら抜けようとしていた。うまく避けながら逆流していると、少し前を行く彼女が突然流れを遮るように止まった。そして振り向いてから言った。
「あのさ、ちょっとだけ変なこと、お願いしてもいいかな?」
サラリーマンが立ち止まっている彼女と僕を避けながら舌打ちして、小声で「邪魔なんだよ」と悪態をついて去った。
その声は彼女には聞こえないまま、彼女は言った。
「ここでキスしてくれない?」
なぜか彼女の言葉だけはイヤフォンを通したように、直接クリアな声で僕の耳に届いた。
言葉の出てくる唇がスローモーションで、映像でその部分だけ切り取られたようで、そのまま心の中に記録されるようだった。
宇宙を支配する時間はこんなにも簡単に、彼女のたった一言で二人だけの為に止まることがあるのかと驚いた。
先程まで聞こえていた雑踏は、水中で聞く外の音のようにごうごうしながら遠くになった。
突拍子もない事を言うので訊き返すと彼女は笑って
「冗談よ」
と返してきた。
そういう冗談を言うタイプではなかったはずだが、今の彼女を詳しく知っている訳でもないので、ただの気まぐれだろうと気にしないようにした。
彼女の顔を見るとふざけている風でもなく、案外真面目な表情をしていた。
彼女に目的地があるのかわからないまま、どこに行くでもなく銀柳街を並んで歩きながら最近起きた事をお互い独り言の様につぶやき、相づちを打っていた。
そのうちに手頃なチェーン店のカフェを見つけて入った。
二階席へ上がる前に入り口でホットコーヒーを注文する。
彼女はレーズンバターサンドを手に取り「私これ、好きなんだよね」と言いながら、彼女もコーヒーを注文した。
らせん階段を上りきって着いたフロアは混雑していたが、ちょうどテーブル席が空いていたのでそちらに行こうとすると
「外を見下ろせる方がいい」
と彼女が言い、慣れた手つきで他から椅子を持ってきた。
窓に沿った一人席が二人席になった。窓際に彼女が座り、僕は通路にはみ出た椅子に座った。
通る人の迷惑になりそうで気になったが、彼女はお構いなしだった。
「こうやって上から、頭を空っぽにして人の流れを見るのは確かにちょっといいよな。どこからこんなに人が来て、どこに行くんだろうって。このほとんどの人と関わる事もないんだろうなって。下にいる人と違う時間を感じられて」
彼女も外を見下ろしながら言った。
「ここ、前にも来たことあるんだ。前の彼氏と」
彼女はコップを左手で持ち上げ、クリームも砂糖も入れないまま一口すすった。




