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10 元彼と決別するとき(6)

「わかってるから・・・。それでも私にはそれしかないの。それではだめなの?私はいけないことをしているの?」


彼女は目を潤ませていた。それに反して口や喉は信じられないくらい乾いていたようだった。彼女はかすれた声を絞り出した。


「なりたい仕事をしちゃだめなの?私は夢を追いかけてはいけないの?」


彼女が先に地下街の方へ向かったので僕も追いかけた。


途中の小上がりには、世界一短いエスカレーターがあり、二人で乗った。


「私の人助けの努力って、広い世界の中でこのエレベーター程度かもね。あってもなくてもだれも困らないし」


僕の耳はその消えそうな言葉を拾って罪を感じた。


底のみえないほどの深い罪を。


定規一本を盗み取る罪と、正義と言い張って愛おしい人を追い詰める罪と、どっちがどのぐらい重い罪なのだろうか。


言い過ぎた。そう伝えたかったが喉がカラカラで張り付いて声が出なかった。


このエレベーターは短くてもそれでも世界一だ。小さいことにかけては。


他のエレベーターはなにも気にされることもない。でもここのエレベーターはオンリーワンだ。


なにであれひとつだけというのは立派なことだ。


なにであれ君の人生の主役は君なんだから。


でもその言葉を喉から絞り出すにはあまりに乾いており、彼女に伝えることが出来なかった。


 二人で無言のまま電車に乗り、気まずい雰囲気のまま自宅の最寄り駅に着いた。


改札を出て、駅前の広場で別れ際に彼女が言った。



「正直、私が本当にこの職に就きたいのか自分でもよくわからなくなる時がある。やりがいはある、それ以上に苦労がある。何年か経てば、絶対に止めとけば良かったって思うだろうなって。


「まだ看護師になっていない今でも、他の人にこの仕事は薦められない。なのに離れられない。勇気がないから?それとも使命感があるから?確かにあなたが言うように、不幸になりたいから?幸せを選ぶのは楽をしていると感じるから?」


手に持つお弁当の袋を強く握り締めた。


「永井くんや横川くんが作るロボットがいつか介護や看護を助けるかも知れない。ロボットはきっと、痴呆の入ったお年寄りに毎日同じ話をされても気にしないし、丁寧に優しく見守ってくれると思う。


「私は職業体験を通して、そういう相手をしていてどうしても辛くなるときがあった。ずっと付き添い、常にその人のことを気にかけ続けるのは人間には難しく、むしろロボットの方がずっと上手くやるかもしれない。看護される側にとっても、ロボットに置き換わった方がよっぽどいいのかもしれない。


「でも人に直接関わって、感謝されて、それに生きがいを感じるのは人として純粋な欲求じゃない?私はそういう人でありたいの」


彼女に向けた僕の甘い告白はすっかりどこかに発散して、跡形もなく消えてしまった。


でも彼女がどういう形であれ、元彼のことを忘れて夜を迎えられそうな点だけは少し安心できた。


「高良さん、さっきは色々言ってしまってごめん。理屈では何とでも言えてしまうから、エッセンシャルワーカーのことを悪く言うのは簡単だ。僕の想像が及ばない沢山の苦労や喜びがあるんだろう。だからとにかく、高良さんが目指すものを応援するから。本当にごめん」


それを聞いて少し頷いた彼女は、今夜は笑顔で


「さよなら、おやすみなさい」


と言ってくれた。


僕は彼女と元彼のことが頭から離れず、数日はずっとあること無いことを考え込んでしまった。

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