10 元彼と決別するとき(1)
とにかく高良さんに会って謝りたかった。
何をどう謝りたいのか心の整理はついていなかったが、そうしたい衝動があった。
研究室に夕方までいた後、さすがに一度下宿に帰れと真吾にすすめて、一緒に川崎まで出てきた。
チェーン店のカツ丼屋で卵とじのカツ丼とソースカツ丼をそれぞれ頼んで食べた後に別れた。
僕は京急川崎駅に向かった。先日の夜は彼女の跡をつけるようなまねをして申し訳なかったなと、あの雨の夜を思い出しながら駅の向こう側へ行ってみた。
先日駅のホームから見た大きな液晶画面は、駅から少し離れた所にある寺のビルに備えられている。
そこを越えて、大師線の踏み切りに面した鳩ばかりいる公園まで来てみた。
ここまで来たなら歩いて六郷橋を渡って帰ってみるかと考えていると、遠巻きにもめている男女が目に入ってきた。
白い外国車の側で揉めていた。
嘘みたいな話だが、よく見てみると高良さんに見えた。
すっかり周りは暗くなっていたため自信はなかったがそう見えた。
相手の男が誰かは判別がつかないし、僕の知らない人物のようだった。話に聞いていた元彼かもしれない。
高良さんらしき影が道を急ぎ、男が後ろからついていく。
僕は気になり跡をつけた。
しきりに男は女の腕を掴もうとして、女はそれを払いのけて道を急いだ。
高良さんにしろそうでないにしろ、物々しさがあるので放っておけずしばらく追いかけた。
特殊浴場の一帯に入り込むと、一軒の店の前で二人が止まった。
そして大きな声でお互いを責め立てているので、こちらまで会話が聞こえてきた。
ビルに響き渡り聞き取りづらかったが、「こんなところに出入りして、こんな仕事止めろ」とか「勘違いしないでよ」とか聞こえてきた。
「勘違いじゃないだろ。オレに嘘つくんじゃねえ」と言った男が、女をぶつのが見えた。
強い視線で男をにらみつけるその顔は、やはり高良さんだった。
彼女はその店の中に消えていった。
元彼と思わしき男の前には、背広を着た強面の客引きがおり、元彼はばつが悪そうにその場を離れた。
こちらに向かって歩いてくるのが見え、僕は全身が震えて頭に血が昇るのがわかった。
全身の皮膚の表面を怒りが這っていくようだった。
関わってはいけないと思っても止められなかった。
二、三メートルの距離になったときに思わず
「お前なにやってんだ」
と凄んだ。自分でも信じられない行動だった。
自分の内側にいる冷静な自分とすれ違って、凶暴な自分が現れた感覚だった。
こんな度胸があったのかと、冷静な自分が驚いていた。
僕よりも一回り大きいその男は
「はあ?なんだてめえ。関係ねえだろう」
と僕を押して突き飛ばした。
少しよろめいた僕は、さらに頭に血が昇ってこちらも手が出そうになった。
しかし男の姿の向こうに背広の男が見えたので、急に冷静になってとどまった。
その男は先程の白い車のある方へ向かって行った。
その姿を目で追いかけていると、ようやく動悸が収まった。
先程見かけたのは間違いなく高良さんだ。
手を挙げられて、あのままで今夜を過ごすのはあまりに辛そうだった。
余計なお世話だとしても僕の心が心配していた。
だから僕は店が見える街角で、彼女が出てくるのを待つことにした。
待っている時間で頭に色々なことがよぎった。
元彼と思わしき男が、彼女が体を売っていると勘違いして手を挙げた。彼女は勘違いだと言っていた。
でもこうして店に入ってしまえば、事実がどうなのかは外からはさっぱりわからない。
改めて疑問がふつふつと再燃してくる。
あの男が正しい可能性も残る。
高良さんは本当に、本当に事実を言っているのだろうか?
息を吐くように嘘をついてはいないのだろうか?




