9 エッセンシャルワーカー(3)
バキッという音がしてなにかが壊れたようだった。よく足下を見てみると、棒付きのキャンディーが割れて落ちていた。
「高良は看護師になりたいんだろ」
と真吾が確認する。
「前に自ら貧困に向かおうとする人について話しただろ。社会的な存在意義や正義感で、自分で儲からない仕事に就こうとする人がいるって。世の中には二つのタイプの人がいる。どこでも働ける人とそこでしか働けない人だ。
「そこでしか働けない人はどうやっても行き着くところ、スキルや収入の上限が低くなる。今は商売をするにしてもネットワークを使えば世界を相手に出来る。それが出来ればどこでも働ける人にもなれる。いわゆるボーダーレスだ。国境や色々な垣根を越えていける。でもそれはエッセンシャルワーカーには無理だ。物理的にそこでしか出来ない仕事だから」
それを言われて、先程から僕の内側に引っかかっていた何かが抵抗し、小刻みに震え上がってきた。そして思わず反論した。
「そういう、そこでしか働けない人たちのおかげで、お前の生活が成り立っているんだろ。この研究室だってお前が散々散らかしたのを誰かが掃除してるんだよ。昼に食べに行けば誰かが食事を提供してくれる」
「まあ、変に色々触られたくないから、掃除の人には入ってもらわないようにしてるけどな」
と真吾が減らず口をたたく。
「高良さんは看護師になるという大切な目標を持ってるんだ。それをそこでしか働けない人とかいって、侮蔑して欲しくないね」
弁の立たない僕にとっての、それが精一杯の反論だった。
真吾は僕の話をたいして真剣にとらえておらず、いつものように作業に戻った。
子供として相手をされているようで悔しくなった。
真吾はこの半年取り組んでいる、組み立て中のロボットに触れた。
「おれ、年明けてしばらくしたら、この大学やめるから」
「え?」
突然の話で耳を疑った。
「時期的には変なタイミングだけど別の大学に編入する」
「どこに?」
「UCB」
「UCB?どこだよそれ」
「カリフォルニア大学のバークレー校」
「はあ?」
あまりに話のスケールが突拍子もなく、思わずそう声が漏れた。
真吾はあたかも当然なように続ける。それは事務的に物事を伝えるようであったし、ある種の蹴りをつけるようでもあった。
「もともとここにいるのは、親の仕事の関係とか事情がかみ合わない状態だったから、それで選んだだけだからな。状況が変わって、ようやく本来の希望に沿って動き始めたというところだな」
「・・・そうか。おめでとう」
とひとこと言ったものの、その先が続かなかった。
ただ、なんとなく心から漏れてくる言葉があった。
「・・・それでどこでも働ける人、と言っていたのか?」
僕は涙目だった。
「おれは自分の偏差値いっぱいでどうにかここに入った。でも他に行く余裕なんてなかった。おれには確かにここしかないんだ。高良さんよりは選択肢があるかも知れない。それでもここでしか働けない種類の人間だ」
大きく採られた窓から差し込む陽光が徐々に明るさを増す。
床に反射して真吾のシルエットを浮かび上がらせていた。
彼は立ち上がり、ロボットから少し距離を取って全体を見渡した。




