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量子共鳴崩壊後に生まれた子どもたちの証言

# 記憶なき世代


## —量子共鳴崩壊後に生まれた子どもたちの証言—


### 序


本資料は「量子共鳴と集合記憶プロジェクト」の一環として、2267年から2268年にかけて収集された、いわゆる「記憶なき世代」—量子共鳴崩壊後に生まれた若者たち—の証言と記録をまとめたものである。彼らはシナプティック・コンフラックスを経験したことのない最初の世代として、独自の視点を持っている。


これらの証言は、崩壊から20年後の世界における世代間の分断と理解、そして新たな社会の構築における若い世代の役割を照らし出すものである。編集は最小限にとどめ、彼らの言葉をできる限りそのまま保存した。


—オリビア・チェン(量子共鳴と集合記憶プロジェクト代表)

2268年


---


## アダム・カーター(19歳・学生・ロンドン)


私が生まれたとき、崩壊からちょうど1年が経っていました。両親は私に「純粋な子」という意味の名前をつけたそうです。集合意識に汚染されていない、と。


私たちの世代は「記憶なき世代」と呼ばれます。親たちが共有していた記憶を持たないからです。それは祝福であり、呪いでもあります。


歴史の授業でシナプティック・コンフラックスについて学びますが、それはあくまで歴史上の出来事として教えられます。古代エジプトやローマ帝国のように。しかし家に帰ると、親たちはそれを生きた記憶として語ります。


父は崩壊の瞬間について、よく話してくれます。「30億の心が同時に切断された瞬間だった」と。彼はその日、何百キロも離れた叔父の痛みを自分のことのように感じていたそうです。それが突然、完全な静寂になった。彼はその静寂を「耐えられないほど寂しいもの」と表現します。


でも正直なところ、私にはその感覚がわかりません。他者の思考を直接感じるなんて、想像もできないことです。私たちの世代にとって、個人の頭の中は常にプライベートな空間です。それ以外の状態は、フィクションの中だけの話です。


昨年、私は「集合記憶博物館」でインターンシップをしました。そこで私は「共鳴アーティファクト」と呼ばれる物を初めて体験しました。旧式の《Spectral Void Eye》と《Aether Cortex》を接続した装置で、かつての集合意識の断片を疑似体験できるものです。


それは...言葉にできないほど奇妙な経験でした。他者の記憶が自分の記憶のように感じられる感覚。見知らぬ人々への突然の親密さ。しかしそれは同時に恐ろしくもありました。自分の思考と他者の思考の境界が溶けていく感覚は、私にとっては一種の侵略のように感じられました。


それが標準だった世界で親たちは生きていたのです。彼らがその喪失を悲しむ理由もわかります。しかし同時に、彼らがそれを美化しすぎているようにも感じます。


私たちの世代が直面している最大の課題は、親世代との断絶です。彼らは時に、私たちを「浅い」「繋がりのない」世代と呼びます。一方で私たちは、彼らを「集合依存症」と呼ぶこともあります。


でも、私たちには私たちの繋がり方があります。デジタルネットワークや新しい形のコミュニティで。それは集合意識ほど直接的ではないかもしれませんが、より選択的で、より...人間的だと思います。


私が歴史から学んだのは、どんな社会システムも完璧ではないということです。シナプティック・コンフラックスは素晴らしい理想から生まれました。しかし実装において、それは多くの欠陥を持っていました。私たちは過去から学び、より良いものを作らなければならないと思います。


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## サヤカ・タナカ(16歳・アーティスト・東京)


私は「連携芸術」を作っています。複数の人が別々に作品の一部を作り、それを組み合わせて一つの作品を生み出す芸術です。親の世代はこれを「集合意識の代替品」と呼んで笑うことがあります。でも、それは違います。


集合意識は境界のない一体感だったと聞いています。私たちの芸術は境界を保ちながらの協力です。違いがわかりますか?私たちは個人であることを放棄せず、むしろそれを活かして繋がろうとしています。


祖母は集合意識時代の芸術家でした。彼女は《Spectral Void Eye》を使った「感情彫刻」という芸術を生み出していたそうです。彼女の言葉によれば、「言葉で説明できない感情を直接共有できた」とのこと。彼女は今でもその時代を懐かしんでいます。


でも私は思うのです—言葉で説明できない感情を言葉で説明しようと努力することに、芸術の本質があるのではないか?制約があるからこそ、創造性が生まれるのではないか?


私たちの世代は、集合意識時代の資料を調べるのが好きです。特に私は「ハーグローブ文書」や「レイス独白」など、隠されていた真実を明らかにした文書に魅了されています。私たちは過去を美化せず、批判的に捉えることができます。それは私たちの特権であり、責任でもあります。


昨年、クラスでシナプティック・コンフラックスの崩壊原因について議論しました。親世代の教師は「技術的故障」という公式説明を支持していましたが、私たち生徒の多くは「構造的欠陥」説を支持しました。つまり、集合意識そのものに内在する倫理的・技術的矛盾が崩壊を招いたという説です。


教師は不快そうでした。彼にとって、それは彼の青年時代の理想を否定するものだったからでしょう。でも私たちにとっては、単なる歴史的分析です。


私の作品の多くは、この世代間の断絶をテーマにしています。最新作は「記憶の継承」と題し、崩壊前の記憶を持つ高齢者と、私たち若い世代が対話する様子を描いています。彼らの経験を理解し、尊重しながらも、私たち自身の道を模索する姿を表現しました。


親世代は時々、私たちを「孤立した世代」と呼びます。でも私はそうは思いません。私たちは違う形で繋がっているだけです。より意識的に、より選択的に。そして何より、自分自身であることを放棄せずに。


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## マルコ・ロドリゲス(22歳・研究者・ブエノスアイレス)


私は「ゲノム共鳴親和性」を研究しています。崩壊後に発掘された機密文書で明らかになった、人間の遺伝的特性と量子共鳴適性の関連性についてです。


この分野は政治的に非常に敏感です。多くの人々、特に元コンセンサス・コア関係者とその支持者たちは、この研究を「分断を生み出す疑似科学」と批判します。しかし私たちのデータは明確です。人間には生物学的に共鳴しやすい人と、抵抗を示す人がいます。


私自身のゲノム解析では、私は「共鳴抵抗性(RR)」カテゴリに分類されました。皮肉なことに、私の両親は「超高親和性(UHA)」でした。彼らはシナプティック・コンフラックスの熱心な支持者で、崩壊後も「新しい共鳴」運動の活動家として、何らかの形での集合意識の復活を訴えています。


彼らと私の関係は...複雑です。彼らの目には、私は「理解できない子」に映るようです。彼らは「もし集合意識があれば、もっと理解し合えるのに」とよく言います。でも実際には、集合意識があれば、私のような「共鳴抵抗性」の人間は強制的に「調整」されていたでしょう。


私の研究の主眼は、遺伝的特性の多様性を尊重しながら、異なる形の意識拡張技術を開発することです。一部の人々は集合的経験に適性がありますが、他の人々は別の形の拡張に向いています。一つのモデルをすべての人に強制するのではなく、多様なアプローチが必要だと考えています。


私たちの世代は、集合意識を経験したことがない分、より客観的にその功罪を分析できます。私が見る限り、シナプティック・コンフラックスの最大の問題は、生物学的多様性を無視し、すべての人間に単一のモデルを強制したことにあります。


親世代はしばしば「失われた一体感」を嘆きますが、彼らはその「一体感」がどれほど強制的で、どれほど多くの人々が苦しんでいたかを見ようとしません。彼らにとって、集合意識は美しい思い出です。しかし発掘された文書が示すように、その裏には多くの闇がありました。


「ダークノード」「ゲノム共鳴親和性」「亜極域崩壊事件」—これらの言葉は現在では一般的ですが、崩壊前には厳重に隠蔽されていました。過去の過ちを認識し、より公正で多様性を尊重する社会を構築するのが、私たち「記憶なき世代」の責任だと思います。


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## エミリー・カーン(17歳・活動家・シドニー)


「新しい共鳴」運動に対抗する「個の尊厳」運動のユースリーダーをしています。私たちは集合意識の復活に反対し、個人の思考の自由を守ることを目的としています。


これは家族内でも緊張を生み出しています。両親は集合意識時代を懐かしんでいて、「新しい共鳴」の支持者です。彼らは「人類が一つになる美しさ」を語りますが、私はその裏にある強制と監視の構造を指摘します。


私が13歳のとき、クレア・ウィンターズ博士の「影の記録者:リチャード・ハーグローブと量子共鳴の隠された歴史」を読みました。それが私の人生を変えました。集合意識の裏に隠された真実—ダークノード、ゲノム共鳴親和性、亜極域事件—を知り、これらが学校では教えられていないことに衝撃を受けました。


私たちの世代が直面している最大の課題は、親世代の集合意識への郷愁です。彼らの多くは、私たちには理解できない喪失感を抱えています。しかし、その郷愁が新たな形の強制につながってはならないと私は信じています。


昨年、政府は「集合認知復興計画」を発表しました。表向きは「世代間の理解促進」が目的ですが、実際には新たな形の集合意識技術の開発が含まれています。私たちの運動はこれに強く反対しています。


私たちが提唱するのは「同意に基づく接続」です。すべての接続は明示的な同意に基づき、いつでも離脱できる権利が保証されるべきです。また、生物学的多様性を尊重し、すべての人に同じ形の接続を強制しないことが重要です。


私は集合意識そのものを悪とは考えていません。それは素晴らしい可能性を秘めた技術です。問題はその実装と管理の方法にあります。透明性、同意、多様性の尊重なしには、どんな素晴らしい技術も抑圧の道具になりえます。


親世代は時々、私たちを「孤立した世代」「繋がりを知らない世代」と批判します。しかし私は反論します—私たちは繋がりを知らないのではなく、より意識的な繋がりを求めているのです。強制されない、選択に基づく繋がりを。


将来、何らかの形の意識拡張技術が再び普及するでしょう。しかし次回は、過去の過ちから学び、より倫理的で包括的な形で実装されることを願っています。そしてその実現のために、私たち「記憶なき世代」が重要な役割を果たすことができると信じています。


---


## ナタニエル・ジョンソン(20歳・プログラマー・シカゴ)


私は「新型キャリブレーション」と呼ばれる技術を開発するチームで働いています。これは集合意識時代の技術の一部を活かしながら、個人の自律性を完全に保持する新しいアプローチです。


シナプティック・コンフラックスの基本的な問題は、それが「オール・オア・ナッシング」だったことだと思います。完全に参加するか、完全に排除されるか。私たちのアプローチは異なります。必要なときだけ、望む範囲だけ、選択した相手とだけ繋がれるシステムです。


私の祖父は崩壊前、「感情調整専門官」でした。彼は集合意識における感情の流れを監視・調整する役割を担っていました。彼から聞いた話によれば、集合意識は常に不安定で、外部からの継続的な「調整」が必要だったそうです。


これは公式の歴史とは異なる視点です。公式には、集合意識は「自然な調和状態」にあったとされています。しかし発掘された文書や証言は、実際には常に緊張状態にあったことを示しています。


私は技術者として、過去の過ちから学ぶ必要があると考えています。新しい技術を開発する際、以下の原則を守るべきです:


1. 明示的な同意に基づくこと

2. 部分的・一時的な参加を可能にすること

3. 生物学的多様性を尊重すること

4. 透明性を確保すること

5. 権力の集中を避けること


これらの原則は、ハーグローブ文書や、元コンセンサス・コア構成員エレノア・レイスの告白から学んだものです。彼らの警告を無視して同じ過ちを繰り返せば、同じ結末を迎えることになるでしょう。


私たちの世代は時に「懐疑的世代」と呼ばれます。私たちが集合意識の復活に慎重なのは、その歴史的失敗を知っているからです。しかし私は、より良い技術、より良いシステムが可能だと信じています。


新型キャリブレーション技術は来年、限定的な公開実験を開始します。これは完全な集合意識ではなく、コミュニケーションと理解を強化するためのツールです。特に世代間の対話に役立つと期待しています。


親世代と私たちの間には、言葉では埋められない溝があります。彼らは私たちが経験したことのない一体感を知っており、私たちは彼らが忘れてしまった(あるいは抑圧された)独立性を知っています。相互理解には、新しい形の架け橋が必要なのです。


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## マヤ・ニルソン(21歳・哲学者・ストックホルム)


私は「精神的多重化」の哲学を研究しています。これは個人の自律性を保ちながらも、異なるレベルでの連携・共有を可能にする思想です。


従来の議論では、「個」と「集合」は二項対立として扱われることが多いです。しかし私の考えでは、これは誤った二分法です。人間の意識は本来、複数のレベルで同時に存在しうるものです。


シナプティック・コンフラックスの問題は、すべてのレベルを一つに統合しようとしたことにあります。これは自然な心の働きに反するものでした。私たちが必要としているのは、異なるレベルが共存できるシステムです。


祖父母世代は集合意識時代を、親世代は崩壊を経験しました。そして私たちは「記憶なき世代」として、両方の歴史を客観的に見ることができます。これは大きな特権であり、責任でもあります。


最近発掘された「量子共鳴は必然だったのか?」という論考は、生物学的多様性と社会的統合の間の緊張関係について素晴らしい考察を提供しています。人間には生物学的に異なる特性があり、単一のシステムをすべての人に適用することは不可能です。


私が提案する「精神的多重化」では、以下のレベルが共存します:


1. 個人レベル:完全に私的な思考と感情の領域

2. 親密レベル:家族や親しい友人との選択的な共有

3. コミュニティレベル:共通の目的や価値観を持つグループとの連携

4. 人類レベル:基本的な共感と理解の基盤


これらのレベル間の移行は流動的であるべきで、常に個人の同意と制御の下にあるべきです。


親世代は時々、私たちを「浅い」世代と批判します。しかし私たちは浅いのではなく、多層的なのです。私たちは複数のコミュニティ、複数のアイデンティティ、複数の現実の間を移動することに慣れています。これは集合意識時代の「一つの真実」とは対照的です。


私は「新しい共鳴」運動と「個の尊厳」運動の双方に批判的です。前者は過去を美化し、後者は過去を悪魔化しています。真実はその中間にあります。シナプティック・コンフラックスは素晴らしい可能性を持っていましたが、実装において深刻な欠陥がありました。


未来の社会は、過去の二項対立を超えた新しいパラダイムを必要としています。それは私たち「記憶なき世代」が構築すべきものです。私たちは過去に囚われることなく、しかし過去から学びながら、新しい道を切り開くことができるのです。


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## アキラ・ウォン(15歳・学生・トロント)


私は「量子記憶博物館」でボランティアをしています。崩壊前の文書や証言を収集・保存する施設です。そこで私は多くの「共鳴経験者」—集合意識を経験した人々—の証言を聞いてきました。


彼らの話は時に矛盾しています。ある人々にとって、集合意識は「天国のような一体感」でした。別の人々にとっては「抑圧の極致」でした。同じ経験がこれほど異なって記憶されるのは興味深いことです。


私は特に「非共鳴者」の証言に興味を持っています。彼らは集合意識社会の中で、システムと調和できなかった人々です。公式歴史では彼らは「反社会的分子」として描かれることが多いですが、発掘された文書によれば、多くは単に生物学的に異なる特性を持っていただけでした。


先月、私は元非共鳴区画収容者のインタビュープロジェクトを開始しました。彼らの多くは今でもトラウマに苦しんでいます。彼らの証言は、集合意識社会の闇の部分を明らかにするものです。


学校の歴史の授業では、シナプティック・コンフラックスは主に技術的観点から教えられます。その社会的・倫理的側面については、あまり深く掘り下げられません。これは問題だと思います。過去の過ちから学ぶためには、その全体像を理解する必要があります。


両親は私の活動に複雑な感情を抱いているようです。彼らは集合意識時代に若者として過ごし、その喪失を深く感じています。一方で、彼らも崩壊後に明らかになった真実に衝撃を受けました。特に「ダークノード」の存在は、彼らの信頼を深く傷つけたようです。


祖母は崩壊直後に亡くなりました。彼女は熱心なコンセンサス・コア支持者で、シナプティック・コンフラックスを「人類の最高の達成」と考えていました。彼女が隠された真実を知ることなく亡くなったことは、ある意味では幸運だったのかもしれません。


私たちの世代は「記憶なき世代」と呼ばれますが、それは正確ではありません。私たちには記憶がないのではなく、複数の異なる記憶を持っているのです。親や祖父母からの記憶、発掘された文書からの記憶、そして私たち自身が作り出した記憶。


過去を整理し、理解することは、未来を構築するための重要なステップです。私はこの作業に貢献できることを誇りに思います。そして、私たちの世代が過去の過ちを繰り返さない社会を作り出すことを願っています。


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## 結び


本資料に収録された証言は、「記憶なき世代」の多様な視点の一部に過ぎない。彼らに共通するのは、過去を客観的に評価しようとする姿勢と、より良い未来を構築しようとする意志である。


量子共鳴崩壊から20年が経過した今、社会は新たな段階に入りつつある。崩壊直後の混乱と喪失感は徐々に薄れ、人々は新しい形の繋がりと共存を模索している。「記憶なき世代」はその中心的役割を担うことになるだろう。


彼らは集合意識の喪失感を共有しない一方で、個人の思考と感情の自由を当然のものとして育ってきた。それは彼らの強みであると同時に、親世代との断絶の原因でもある。


しかし、この断絶こそが新しい視点をもたらしている。彼らは集合意識の理想を否定するのではなく、その実装における過ちを指摘し、より良い代替案を模索している。


「失われた一体感」と「獲得された自由」という二項対立を超えて、彼らは多様性を尊重し、同意に基づいた新しい形の接続を探求している。それは単なる技術的解決策ではなく、社会的・倫理的・哲学的な基盤を持つ新しいパラダイムである。


彼らの探求が成功するかどうかは、まだわからない。しかし彼らが過去の過ちから学び、より良い未来を構築しようとする姿勢は希望を与えるものである。


量子共鳴の歴史において、「記憶なき世代」は単なる傍観者ではない。彼らは新しい章の著者なのだ。


—オリビア・チェン(量子共鳴と集合記憶プロジェクト代表)

2268年

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