水死体令嬢 ~川底で目覚めた私は何かに導かれてダンスホールを目指す~
ゴンゴゴーン。
鈍い音、がする。
ボコボコボコ。
泡が、弾ける、ような音もする。
あれ?
ここは、どこだろう。
うす暗い場所、足下には泥。
上を見る。
光がカーテンのように差し込んでいた。
ボコボコボコ。
水の中?
魚、いる。
鱒、かな?
高い上の方で動いているのは……、船の底?
なんだろうここ、どうしてこんな所に、私はいるのだろう。
頭が、よく、動かない、感じ。
ええと……。
わたしは誰だっけ?
ええと……。
王立貴族学園、の、二年、C組……。
一瞬、教室の中で皆が春の光の中、笑いさざめいている光景が浮かぶ。
たのしく、くらしていた。
かな?
なまえは……、ええと……。
ヴァネッサ、名付けてくれたのはおばあちゃま、幸せな結婚をしたお姫様にちなんだ名前、幸せにおなりと微笑んで抱きしめてくれたおばあちゃま。
家は……。 ロワイエ家、王家に仕える。
執事と侍女の家系、男爵位……。
ボコボコボコボコ。
なんで、水の中にいるのだろう。
――行かなきゃ。
不意に心の中に強く、行かないと、という意思が浮かび上がった。
――はやく、行かなきゃ、遅れてしまうわ。
どこに?
――することがある。
なにを?
――わからないけどっ。
私は体を動かそうとする。
なんだか凄くゆっくりとしか動かない。
夢の中のような感じ。
前に踏み出す。
ドロが舞い上がる。
あれ、手がふとっちょの人みたいになってる。
ゆびが芋虫みたい。
なんだろう。
ああ、でも行かないと。
足を動かす、ゆっくりゆっくり。
ドロを湧き上がらせながら、ゆっくりゆっくり。
川鱒が驚いてぴゅーと逃げる。
おどろかせちゃって、ごめんね。
ゴンゴゴーン。
上を見る。
あれは船が接岸する音、なのか。
港?
海?
でも鱒。
川港?
ヒューム川?
ゆっくりゆっくり体をうごかす。
だんだんと、水面が、近くなる。
ボコボコボコ。
あっちの方が、傾斜が、ゆるい。
あるくあるく。
水面、から、顔が出た。
サラサラと川の音。
空は薄暗く、遠くが赤い。
夕暮れ?
川岸、に出た。
体が半分、水から出た。
もうちょっと、もうちょっと。
風も温度も感じない。
目も良く見えない。
あ、すこし見えるようになった。
水が落ちたから。
じゃぶりじゃぶりと岸へ上がる。
土手がある。
土の階段を、上る。
土手道に、出た。
王都の外れ、川港近く。
街の魔法灯が、つきはじめる。
もうすぐ夜。
いそがないと。
ごぼりと鼻と口から水がでる。
淑女として恥ずかしい。
ああ、私は息もしていない。
土手から見える。
光輝くようなドーム。
あれは王立ダンスホール。
勢をこらした水晶の宮殿。
私が、目指す、場所。
ブチュリブチュリと足下から、音がする。
靴が水浸しだったから。
走りたい。
せめてスタスタ歩きたい。
でもゆっくりゆっくりとしか動けない。
土手道を下りてダンスホールにつながる道に出た。
通りかかった人が、私を見て悲鳴をあげた。
気にしない、歩く歩く。
王都の街に入る。
ショーウインドウに私の姿、写る。
丸い、丸い。
ああ、ぶくぶく太った人みたいになってるなあ。
みっともないなあ。
でも、なんか、感情が湧かない。
すっぽりと色々な物が抜け落ちた感じ。
ただひたすら、あそこへ行かなくちゃという気持ちだけが強くあって、その他はあいまい。
歩こう歩こう。
「と、止まれーっ!! 止まれーっ!!」
衛兵さんが三人、尖った槍を私に向けて叫んでいる。
怖がっているね。
こわくないよ。
だいじょうぶだよ。
「隊長!! ゾンビですかっ!! 噛まれると感染!」
「う、狼狽えるなっ!! 馬鹿もんっ!」
あるく、衛兵さん、さがる。
あるく、衛兵さんさがる。
たちどまる。
「イ、イツモ、アリガ、トウ、ネ」
ああ、声が出しにくい。
「ああっ、あああああっ!! ロワイエ、ロワイエのお嬢さんですかっ!! あああっ!!」
何時も朝に挨拶をする気の良い衛兵さんがいたんだ。
挨拶をしたのに、いつものように笑顔で返事をしてくれなかった。
ええと、ハンスさん、だ。
槍がブルブル震えてハンスさんはボロボロと涙を流した。
「ゆ、行方不明のロワイエ家のお嬢さんかっ!」
「は、はいっ、な、なんて姿に、可愛らしいお方だったのにっ!」
「とりあえず静観!! 大神殿へ、ビアンカ様をお呼びしてこいっ!!」
なんだか、衛兵さん、困ってるけど、ごめんね、いかないと。
私は歩く、衛兵さんたちは下がる。
ゆっくりゆっくり歩いていると、王立貴族学園の門の前にきた。
校舎を眺めていると、なんだか胸が締め付けられるような気持ちが、不意に湧いた。
――ああ、そうか、もう学園には通えないんだ、さびしいな。
しばらく眺めていたが行かなくちゃという気持ちがまた湧いてきたので歩き始める。
歩く、歩く、前方では衛兵さんが槍を突きつけながら後ろ歩きをしていた。
野次馬も集まってきた。
「どうして王都に魔物が?」
「アンデッドだってよお」
「衛兵はなんで退治しないんだ?」
「王立貴族学園の生徒らしいぞ」
「殺されたの? 胸の辺りに傷があって服に血がにじんでるぞ」
「聖女さま待ちみたいだぞ」
「可哀想よ、早く昇天させてあげて」
私は殺されたのかな?
誰に?
わからない。
野次馬の向こうにダンスホールが見えて来た。
明るく光輝いている。
沢山の水晶を使って作られた透明な宮殿だ。
「おい、今日はあれだろ」
「卒業記念ダンスパーティをやってるんじゃないか?」
ああ、そうか。
卒業記念ダンスパーティの日だったんだ。
あの人が卒業してしまうんだ。
もう学園では会うことが出来ないんだね。
そうなんだなあ。
さびしくなるね。
衛兵と野次馬さんが二つにわかれた。
その先に聖女さまがいらっしゃった。
ビアンカさま、今日もお綺麗ですね。
「ビアンカさま、ご足労ありがとうございます」
「いいのよ」
「あれはゾンビですか?」
「ちがうわ、レブナントだわ」
「どう違うのですか」
「レブナントに凶暴性はありません、生前の知能が少し残っています。何か心残りがあるのかしらね」
衛兵の隊長さんはふり返りダンスホールを見た。
「殺害犯に復讐に来たのでしょうか?」
「さあ?」
ビアンカさまは少し不思議な手振りをした。
光の輪のような物が私を通り抜けた気がした。
「魂はもう昇天しているわね、何かの心残りが魔力で体を動かしているわ」
「対策は?」
私の魂はもう無いようだ。
なんだろう、心残り、思い出せない。
ただただダンスホールへ行く事だけを思って私は歩く。
「力業で破壊も出来るけど……、心残りを残すとゴーストになりかねないわね」
「しかし、このままダンスホールに行かせるのは……、王家の方々も来ている大事なお祝いの行事が台無しになります」
「……。聖女ビアンカの名のもとにこのまま静観を許可します」
「し、しかしっ! それではっ」
「良いのよ隊長さん、どこかの馬鹿が馬鹿な事をした結果だからどうなるか見るべきだわ。きっと王子と侯爵令嬢には……」
「聖女さまっ!」
王子……、侯爵令嬢……。
なんとなく胸の奥がチクチクする。
だれ、だったかなあ。
なまえが、思い出せないなあ。
何が、あったのかなあ。
ダンスホールが近づいてきた。
衛兵さんが増えて私をぐるりと囲むようにして歩いている。
聖女さまも一緒に歩いている。
ハンスさんがホールのドアを開けてくれた。
どうしてそんなに悲しそうな顔なの。
いつもニコニコしているあなたが好きだったよ。
泣いてはだめよ。
エントランスをあるくあるく。
先生があわてふためいて聖女さまに問いただしている。
すごい身振り手振り、どうしてそんなに困っているの。
「どういう事ですかっ!! いったいどういうおつもりですかっ!! 卒業生にとっては一生に一度のっ!!」
「おだまりなさい、誰かが不当な事をしました、愚かな行いには当然の報いが訪れます」
「そ、それでも、無関係な生徒や、無関係な父兄が、それに王様だっているんですよっ!」
「全ての責任は、この聖女ビアンカが取ります」
先生が凄い奇声を上げて、わたしになぐりかかってきた。
ハンスさんと聖女さまが取り押さえた。
「駄目だーっ!! こんな酷い事はだめだーっ!! 醜聞がっ!! 学園の名声がっ!!」
先生、先生、泣いちゃだめだよ。
何があったの?
先生はうずくまって、子供のように声を上げておうおうと泣き始めた。
ハンスさんがドアを開けてくれた。
音楽がわあっと聞こえて来た。
ダンスパーティ。
王立貴族学園では、夏と冬にダンスパーティが開かれる。
特に冬のダンスパーティは卒業記念ダンスパーティで盛大だ。
男の子も、女の子も、着飾って気になる異性とパートナーになって踊って騒ぐ。
夏のダンスパーティは楽しかったなあ。
あの人がキスをしてくれて、抱きしめてくれて。
幸せだったなあ。
私はダンスホールに足を踏み入れた。
水に濡れた制服で。
足下はローファー。
みっともないなあ。
ドレスが着たかったなあ。
――でも、いかないと、あの人の元へ。
悲鳴。
絶叫が上がった。
あるく。
音楽が止まった。
どこ?
あの人はどこ?
沢山の人。
みんな恐怖の色を浮かべているね。
どうしてだろう。
どこかなあ。
どこかなあ。
メランジュが現れた。
すごく怒ってる。
本当に仲の良いお友達だったのに、どうして怒ってるの?
そんなに怒らないで。
「どうして!! あなたは川に沈めたのにっ!! どうして戻ってくるのっ!!」
川に?
不意に光景が頭に浮かぶ。
メランジュが嗤っていた。
毒々しい表情で嗤っている。
ヤクザ者が二人。
夜の川港。
ナイフ。
激痛。
メランジュは顔をゆがめて嗤いながら泣く。
私を糾弾し、責めていた。
死んじゃえ死んじゃえと絶叫していた。
――どうして? 親友なのに。どうして?
人々の群れが別れ、あの人が見えた。
私を見つけて、目を見開き、顔をゆがめた。
「ヴァネッサ!!」
ああ、そうか、私は王子様に会いたかったんだ。
会って一言だけ、言いたい事があったんだ。
そうだったんだ。
「オウジサマ、サヨナラ。メランジュトシアワセニナッテネ」
言い終わるとガクンと膝の力が抜けて、私は床に崩れ落ちた。
そうか、さよならが言いたかったんだ。
メランジュと仲良くしてね。
あの子は良い子だから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
Side:聖女ビアンカ
ヴァネッサ嬢は床に崩れ落ち動かなくなった。
思いを果たして死骸に戻ったのだろう。
「メランジュ!! 貴様あっ!!」
マティアス王子が剣を抜いた。
私はメランジュ嬢の前に結界を張る。
剣が結界に激突して砕け散った。
「貴様が、貴様が、ヴァネッサを殺したんだなっ!!」
「ええそうよっ!! 侍女なんかにあなたを盗られるのは嫌だったのよっ!! あなたが悪いのよっ!!」
兵士達が王子とメランジュ嬢を引き離した。
メランジュ嬢が号泣している。
「ヴァネッサ、ヴァネッサー!!」
マティアス王子は死骸に取りすがって泣いた。
私はため息をついた。
身分違いの恋にマティアス王子とヴァネッサ嬢が燃え上がり、嫉妬した婚約者のメランジュ嬢が恋敵を殺害した。
ように一見見えるが、ちがう。
マティアス王子はどちらにも良い顔をして、二人を弄んでいた。
メランジュ嬢を一方的に責める事はできない。
本当に下らない事件だ。
王府の裁定は迅速に決まった。
メランジュ嬢は幽閉、父のガスパール・クレイトン侯爵は宰相から失脚した。
怒りの収まらないマティアス王子は軍を率いてクレイトン家に宣戦布告した。
戦争は五年続き、両軍の豪傑を何人も失ったあと、曖昧に終結した。
クレイトン家は侯爵から伯爵に降爵され、領地の半分を失った。
王となったマティアスは一度だけメランジュと幽閉先の塔で面会し、その後一度も会うことはなかったが、メランジュはお腹が膨らみ、子供を産んだ。
あまりの愚物ぶりに諸侯が怒り、反乱によりマティアス王は殺された。
アップルトン王朝は一度滅び、新しい王が立った。
メランジュの子、フレデリクであった。
血だけは繋がったのである。
(了)