跪いて愛を乞う
無事?!差し替えました。
お楽しみ頂けましたら幸いです。
「…すまないっ!マリア…!っ!」
嗚咽を堪えながらお父様が私の前で跪く。
「この、不甲斐ない父を赦しておくれ…」
両手に額づき、年甲斐もなく涙をぼたぼたとこぼすお父様に片膝をついた騎士の姿勢でしゃがみ込み、視線を合わせる。
「お父様、そんなに泣いてしまっては、目が溶けてしまいますわ」
包まれていた両手を引き抜き、逆に父の両頬を優しく包む。しゃらりと、肩から掛けていた飾帯に着けていた小さいころから集めてきた「お父様褒章」が音を立てるが、服や帯が乱れるのもかまわずに、父を抱えあげて立ち上がらせる。好んで着ている軍服だが、こういう時にこそ、ドレスでなくて良かったと、マリアはいつも思うのだ。
昨今の世論の風潮では、女性も凛として、おろおろと助けを待っているだけではダメだ!等ともてはやされているが、マリアに言わせてみれば、それならまず、全員ドレスを脱いで軍服を纏うべきだし、纏わせるべきだと思うのだ。
そうでもしなければ、ご令嬢というのは、鉄の檻もかくや!という布の建造物に収容されているに等しいのだから。助けたい人を助けるには、まずはマリアのように軍服でも纏って、身軽に動けなければいけないのだ。
自由な両手で、父の肩を包み込み、ソファへと促して歩かせつつ、何度も深く頷いた。
軍服、やっぱり最高だな、と。
とはいえ、先ほど父がもたらした報せは、そんなマリアの軍服天国な日々に終わりを告げるものになるかもしれない。
それでも、涙をこぼし続けている父に、軍服を着られなくなるかもしれない嫁入りは嫌だとか、残念だなどと、追い討ちをかけてし感想を漏らしてしまうわけにはいかない。微かな望みに掛けて、父からもたらされた、衝撃のお見合い話について、必死にフォローする。
「何も、この世の終わりだというわけではないのですから。このように、自由に軍服を着させていただいているだけではなく、お父様からたくさんの褒章をいただいてきたのは、こういうときにお父様の力となるためだったのですよ、きっと」
ソファへ座らせた父の前に改めて跪き、いつの間にか自分より小さくなってしまった父の肩を、強くがっしりと掴んだ。
「お、お嬢様…!」
「素敵っ!!」
「だ、抱きしめられたい…!」
背後でメイドたちが小声できゃーきゃーと悲鳴をあげているが、いつものようにその声援に応えてウインクなどを飛ばしている状況ではないので、涙を呑んであきらめる。
ああ…美人のセリナがピンクに頬を染める姿を。
童顔で可愛らしいジュリアーナが、目に涙を浮かべて倒れそうになりながら、でも必死で意識を保とうとする姿を。
大人っぽい黒髪のクール美女に見えるロザリアが、身もだえて倒れそうになるのを、公爵家のメイドというプライドだけで必死にこらえ、平静を保とうと震える姿を。
いつもなら!しっかりと!堪能できる!はずなのに!
今日ばかりは、さすがに真剣に父を助けてあげなければいけないだろう。18歳で婚約破棄されて、19歳でバツイチ、20にした再婚で、三年子供も出来ないままに結婚生活を続けたと思ったら、23歳で没一となった一つ年下の美人な皇太子。
これだけケチがついてしまった状態では、さすがに誰も次の妃へと立候補しないいわくつきの物件。
そのお見合い話が、傍目から見ても軍服姿で、皇太子に嫁ぐ気など、毛頭なさそうなマリアにまで回ってきてしまったのだから。手塩にかけて育て、蝶よ花よ、本人が望むなら軍服令嬢でもいい!むしろ、嫁に出したくないから!と12歳の時から従者の真似事をさせて、最終的に、特別製の軍服を着せて連れまわし、政治経済も語らせて、一人で生きて生きていけるようにという本人の希望を汲んで育ててきた掌中の珠を、ついに妃候補としてお茶会に送り込まなければいけない、そう取り乱している父は落ち着かせて眠らせないと、下手をしたら倒れてしまうかもしれない。
父一人、子一人、だけではなく、公爵家には、魔法を万能に使えるスーパー執事や、優秀なメイド達、執事見習いや従者に騎士見習い、とたくさんのお抱えの人がいるので、厳密には父一人、子一人では全然ないのだが、気持ちとして!父一人、子一人支えあって生きてきた二人を引き裂くお茶会なんて、父の心には大きなダメージとなってしまうだろう。
「ああ、マリア!!マリア!!!!!」
王家からの美しく荘厳な手紙に書かれていた、顔合わせのお茶会の日程を伝えに来ただけなのに、もう嫁いで永劫に会えないかのように嘆く父の深い深い愛を受け止めて感謝しながら、マリアは父をしっかりと抱きしめた。
「父上、そんなに嘆かなくとも、皇太子にも好みもありましょう」
「だが!!美人のお前を見たら皇太子といえど!」
「軍服を着た令嬢など!と、歯牙にもかけられないかもしれません!」
「お前が断るならまだしも、お前を断るなど…!正気の沙汰じゃない!不遇で、女運のない、皇太子などに!大切なお前を会わせるだけでも…!」
混乱して勧めたいのか、断らせたいのかに何を言っているのかすらもう分かっていなさそうな父に、不敬だと伝えるべきか、それとも、冷静に諫めるべきか、悩みつつもとにかく父上を落ち着かせて、お見合いの当日までは、表面上、平穏な日々を過ごす。
いよいよ、お見合い当日。
顔合わせのお茶会だというのに、参加者がマリアだけだった時には、父上をなだめたのは、時期尚早だったな、とマリアは反省した。これでは、候補のお茶会とは名ばかりの、本格的な囲い込み作戦だろう。ため息を呑み込みながらも、皇太子の向かいの椅子に腰掛ける。
王族専門のガーデンに用意された庭に、特別に誂えたという特設のお茶会会場は、傾国を謳われる皇太子が座ると映えるように計算されつくしているようで。光を発しているかのように麗しい、緩く編み込まれた銀の長髪と、澄んだ紺碧の瞳が、ガーデンの黄緑の芝生と、太陽が上りきって暑くなる前の、雲一つない初夏の爽やかな空色の前で、咲き誇る白と、赤とピンクの薔薇の花花に映える、というよりは、完全に薔薇を引き立て役として、光輝いていた。
噂に聞いていたとはいえ、かくあるものか。マリアはひっそりと驚嘆した。なるべく夜会などでも壁の花どころか、壁の警備と混じって気配を消していたが、それでも、噂が耳に入るほどの美貌だ。多少ちらと壁から、見かけた時には、噂の、ぐらいで済んでいたが、間近で見ると、威力がすごい。
今は、緊張しているのか、頬を引き締めてじっと前を見ているが、笑顔を見てしまったら、膝から崩れ落ちて、もう一度その笑顔を見せてもらうためには、金でも銀でも財宝でも積んでしまういそうだ。実際そんな人が山といるというのも頷ける。
今日は、いつもの侍女三人組が張り切って純白のドレスを用意してくれたものの、ドレス姿の自分が滑稽になるぐらいだ。これなら、いつもの軍服姿で、呆れられ、さっさとお役御免被ればよかった。椅子に座るだけでも、ドレス姿だと、自分のがさつさが際だつ気がして、この美貌の前では居たたまれない。
緊張しているらしい皇太子と、居たたまれない自分では、最初の挨拶以来、どちらも口を開かないまま、お茶だけが減っていく。
お互いに甘いものは苦手なのか、お洒落なティートレーにちょこんと乗っているケーキやお菓子の類は少しも減らない。
紅茶と珈琲を最初に問われたが、遠方から高額な取引で手に入れているという珈琲が選択肢に入っているとは、さすが、王城でのお茶会だと、感服した。それでも、さすがに嫁ぐ気持ちなど欠片もない自分がそんな稀少品を飲むのも気が引けて、紅茶を選択したのだが、こちらも香り高く、心が落ち着くよい味だ。
「私は、面白味も何もない男ですから、席を立ってもらってかまいませんから」
頬に落ち掛かった髪の毛を耳の後ろにかけながら、ただでさえ長いまつげを伏せ気味に皇太子が自虐的な笑みを浮かべる。
いや、さすがに、この状況で帰るって。
婚約をこちら側からお断り、って明確にするのも不敬じゃないのかな。
不敬ですから、と父上を諫めた言葉に自分の首が締まるのを感じる。不敬だよねぇ。さすがに、本当に結婚する気はこれっぽっちもないにせよ。
返答を引き延ばすように、ゆっくりともう一度紅茶をすする。
あ、白い蝶々。
綺麗だなぁ。
現実逃避的に目の前を横切った蝶を、左から、右へと目線で追う。
キラリ。
薔薇の植え込みの背後で、何かが光った気配に、さっと警戒を示して立ち上がる。
右手で、自分のドレスの右側の隠しスリットへと手を伸ばし、腿につけていたホルスターからナイフを引き抜く。
引き抜いた勢いのまま、皇太子の左側を執拗に狙うナイフを二度、三度はじき返し、さっと皇太子を影に庇う。
黒ずくめの男が一人。
一対、一。なら、多少、分が悪いが、なんとか倒せるだろう。
皇太子を庇いながら、となると、ハンディだが。
でも、実際は一対、四。
いつもの侍女たちが、さっとメイド服から各々ナイフを取り出し、皇太子を庇う私の前へと飛び込んでくる。
豊満な胸の谷間からナイフを取り出したセリナが私のフォローをするように皇太子の右側に移動する。
腰の大きなリボンから二本のナイフを取り出したジュリアーナが、相手のナイフを完全に封じ込める。
その隙に、私と同じく腿からナイフを出したはずのロザリアが、敵の背後へと回り込み、脛椎へとナイフの柄をたたき込む。
あっという間に敵を制圧した三人にお礼をいいながら、再度スリットに手を入れて、ロープを取り出すと、手早く悪漢を縛り上げる。
「あなたは!」
自分も戦う気だったのか、帯剣していた剣を鞘から抜いていた立ち上がっていた皇太子が慌てたように近づいてくる。
「ダメです!こちらに近寄らないように」
さっきまで襲ってきていた悪漢に、昏倒しているとはいえ、近づいてくるとは。
己がこの国唯一の皇位継承者だという自覚がないのだろうか。
慌てて、ロザリアに敵を引き渡しに行くよう、手振りで指示を出すと、少しでも悪漢から引き離そうと皇太子の方へと向かう。
歩み寄る私の前で、崩れ落ちるように頭を垂れる皇太子の姿に顔面が蒼白になる。
気をつけていたつもりだが、まだ周りに潜んでいた敵がいるのか。
飛び道具か。
回りを警戒しながら、合わせて膝をつく私の前で、更に頭を下げて足に頬を擦り寄せる勢いで跪く皇太子。
「あなたは!運命の人だ!」
「はっ?」
低い声が漏れたのは、許してほしい。
倒れたのかと心配した高貴な相手が、自分の足に、口づけを落としているのだ。
声も低くもなる。
「結婚してください」
「いや、今、内部犯の犯行が疑われる暗殺者が城内に侵入していたんですよ?!」
「大丈夫だ。そなたが結婚してくれたら万事解決する」
「しませんよね?!」
今までの皇太子の不憫な婚約と結婚の破綻を指折り数える。
婚約を破棄され、嫁に逃げられ、再婚すれば、没一に。
「四人目ですよ?!」
「そうだな。でもそなたは、強い」
それは、そんじょそこらの令嬢よりは強いだろうけど。
「謹んで、お断りさせていただきます」
だけど、そんな理由の結婚はイヤだ。
不敬とかもうそんなことにかまっていられない。王族の希望は命令だ。
公の場で口にされたら、私に拒否権はない。
ここは、この場で!可及的速やかに!お断り申し上げないと!!
「そもそも、私の理想は、公爵家に嫁入りしてくれる、もとい、婿入りしてくれる、私より年上で包容力がある男性でして!」
ドレスだからとか、王城だからとかぶっていた猫をひっぺがして本音をぶつける。
ここまでだだ漏れにしたら、さすがに引き下がってくれるだろう。
「ふうーん」
仕方ないよとか、あきらめるよ、なんて言葉の代わりに意味深な笑みを向けられる。下から見上げてくる傾国の美貌の暴力に後ろに下がれば、流れるようにエスコート、というより、詰め寄られて、先ほどまで座っていた椅子に座らされる。
「ねぇ?あなたの、侍女、三人ともすごーく強いね?」
両手を椅子の背に突かれ、腕の中に閉じこめられるように椅子の上に座らされた私を、皇太子のご尊顔が、とてもよい笑顔で上からのぞき込んでくる。
察しろよ、という圧がひどい。
私はどうにか辛くも嫁入りを拒否できたとしても、侍女三人は、王族が本気を出したら王城に召し上げられるだろう。しかも、三人全員美人さんだ!
皇太子と並んで遜色もない。
三年結婚して没一になった時に子供ができなかったから、子種に問題あるとか、ナルシストで勃たないなんて下卑た噂されていたのだが、三人を侍らしてお手つきにするぞという脅しをかけてくるあたり、その辺は問題ないらしい。
それは、困る。
あの三人は、私が手塩に掛けて育ててきた猛者だ。
しかも!目の保養!
何より、三人共、私をとてもとても大事に思ってくれているので、無理に引き離されて、お手をつけられたら、自害しかねない。本気で。
それは、心底困る。
正直、自分の嫁入りするより痛いところを突いてくる。
私の迷いを読みとったのか、にんまりと皇太子の笑みが深まってくる。
「殿下」
「ジュリアンって呼んで」
沈黙の末に、ちらりと、セリナとジュリアーナの方に視線を向けられて、呼ぶように促される。
「ジュリアン、様」
「そう。いいね。これから、そう呼んで」
疑問系ではなく、断定。
これは、もう、逆らえない奴だ。
それでも、あがけるものなら、最後まであがきたい。
「先ほどの、襲撃犯のことなのですが」
「そう。困っちゃうよね。ほんと」
砕けて内情を話されるということは、それだけ泥沼に足を踏み入れるということだが、背に腹は変えられない。
「内分犯が考えられます」
「だろうね」
すんなりと首肯されて、それぐらい察してくれない皇太子では困るという思いと、慣れている感じに今までの一連の女難も、関係しているのを知っているのかと、複雑な気持ちになる。
それでも、流されては皇太子妃一直線だと、覚悟を決める。
「その犯人を私が捕まえてみせます。なので、ジュリアン様のお嫁さんは、年下の可愛らしい女性を選ばれては」
「そなたがいいと、さっき言っただろう?」
「いや、でも、私はそもそも嫁き遅れですし」
「かまわない。年齢差は一歳だし、そなたはまだまだ体力もありそうだ。五年ほど頑張れば、5人は子を望めるのではないか?」
「計算が!どう考えてもおかしいです!子供は十月十日腹の中にいるものですよ!!」
「そうだな」
「いやいや!そうだな!ではなく!それは!あの、その、三人ぐらいが望ましいかと!」
「奇遇だな。私も王子二人と姫一人を希望している」
「いや、子供は授かりものですから、そもそも…」
「そうだな、何はともあれ、二人が健やかで、喜びも悲しみも分かちあえ、王国のさらなる発展を望みながら、ともに助け合い、尊敬しあい、愛し合えればよいのではないか」
「いえ、だから、私は支え合う気もなければ、愛し合いもしていないので、謹んでお断」
「私はそなたを愛せる。私が妻に求めることは、ただ一つだ。自衛できること。しかもそなたには三人も手練れの侍女がいる。子供ができても安心だろう」
皇太子の望むものを知って、今までの境遇を慮ると、絆されそうになる。否、それもこの皇太子の手管だろう!ここで絆されたら皇太子妃一直線だ!そんな未来は望んでいないし、勤めあげられる自信もない。
「更に、そなたは、私の美貌に左右されない。自分の意見をはっきりといえるところも好ましい」
段々と詰め寄ってくる顔から少しでも距離を取ろうと身体をそらしてくいく。
「何より、そなたは美しい」
「いや!あなたに言われても!!」
ぐいと反っていた顔を反射的に近づけると、皇太子が今までとは違う、心底うれしそうな笑顔でほほえんでくる。
「どうか、結婚を前提に、悪い奴らを一網打尽にして、私と愛を育まないか?」
囁くような声で、唇に、吐息が吹きかけられる。
あと、ほんの僅かで、触れそうなその距離に。
ぐいっと野太い指が割り入ってくる。
「マリア!!パパは反対だ!!」
「ジュリアン、私も反対だ」
お父様と、国王陛下の乱入に、すっと頭が冷える。そうだ。あの美貌の笑みに流されてはいけない。
自分の美貌に私が流されないと言っておきながら、流す気満々じゃないか。
「マリアは婿を取るんだろう?!!」
「ジュリアン!公爵家には婿をとらねばならん」
「うちのかわいいマリアを嫁にとろうなどと!」
「とらんといっておろう!」
「私が王位継承権を返上して公爵家に婿入りしてもいいのですよ。叔父上も壮健ですし」
「ならん!!おまえを公爵家に婿入りさせる気はない!」
愛妻を亡くして、子供一人という父親同士は似るようで、国勢に関係なく、子供はやらないの一点張りになってきた二人を眺めていると、戻ってきたロザリアにぐっと椅子ごと後ろに引き離される。
皇太子との間には、セリナとジュリアーナも立ちふさがり、もう美貌は目に入らない。
安心させるように、後ろの父を振り返り、首に腕を回す。
「お父様、大丈夫ですよ、ちゃんと犯人を捕まえたら、皇太子殿下は、別の方を探して幸せになりますから」
「まりあー!!!!!」
涙と鼻水でぼろぼろのお父様の顔を、セリナの胸元から差し出されたハンケチでそっと拭う。セリナの何でもでてくる胸元は本当にけしからん!とおもいながら、自分のストンとした胸に目をやり、今度からもっと胸筋を鍛えるメニューを取り込もうかと思案する。
「戦神と名高いお父様の娘ですもの。、私も、皇太子妃より、お父様の跡取りとして、戦女神になりたいのですよ」
「まりあーーーー!!」
戦神とは思えないほどの泣きじゃくりようで力強く抱き返してくるお父様をそっと押しやる。お父様の本気でこられたら、つぶれる。
私はパワーヒッターではないのだ。
そっと下がった私をぐいっと後ろに引き寄せる、細くて長い白魚のような手。
振り返らなくても、誰の手か、分かる。
傾国の美女は、手まで麗しいのか。
剣を握るマリアの手よりも余程、芳しい香りがしそうだ。
「私は、奥さんが戦乙女でもぜんぜんかまわないよ」
白眼でたおやかな手を睨み付けていると、くるりと器用に身体の向きを変えられ、先ほど距離を取ったばかりの美貌が眼前を覆い尽くす。体幹には自信があったのに。無念だ。
明日からもっとトレーニングを増やさないと。
「殿下、殿下が」
「ジュリアン、だろう?」
「殿下が!かまわなくても!公爵である父も、陛下も!反対なのですから」
「父上は、もう納得されたよ」
「えっ!」
驚いて殿下の後ろを覗けば、地面にしょんぼりと座り込んでいる国王陛下の姿。
「な、何を陛下に!」
「簡単だよ、これ以上反対されるなら、嫌いになりますよ?と」
秘密だよ、みたいににっこりと人差し指を口元にあてて小首を傾げられても困る。
そんな反対の押し切り方をする皇太子がいるだろうか。いや、いない。いや、いた。
「そ、それでも、私は、公爵家の跡取りで」
「うん、それも陛下も納得されたよ。そなたがそのまま公爵家の跡取りとして爵位を継承したらよい。そして、私たちの間に生まれた子で、望むものがいたら、公爵家を継ぐし、私達のように子が一人であれば、公爵家を廃して王家と統合すればよい」
「そんな!!バカな!」
「バカじゃないね。そもそも、公爵家など、何代か前の王弟が興した家なのだから、必要がなくなれば王家に戻ったとで何の触りがあるものか」
「いや、でも、ほら、他の公爵家と侯爵家との兼ね合い、とか?」
ひねりだした理屈も、美貌の笑みで一蹴される。
「そなたは、今回の一連の犯人を捕まえてくれるのであろう?」
「え、それは、まぁお約束しましたし」
新しいお嫁さん候補を迎えてもらうためにも、犯人を捕まえて身辺を整理することに異論はない。
だが、皇太子の満面の笑みに、嫌な予感を感じる。
「では、そなたの望み通りに、戦乙女とならねばならぬだろうよ。今回のことはね、何年も前から、私が皇位を継ぐことにより、迎合する国が増えることを警戒している帝国や、逆に美貌目当てに迫ってきたくせに袖にされて憤慨している公国など諸外国の者が手を組んで、私の最初の婚約者の父上である侯爵を唆しておこしているのだよ」
告げられた言葉に、絶句する。
「いや、あの、殿下」
「ジュリアン」
「いや、そうではなく」
「ジュリアン」
「ジュリアン様は、すべてわかっている、のです、か?」
「そうだね」
「えっと、侯爵が抱き込まれていることも?」
「そうだね。自分の娘が、私の美貌に嫉妬して、対抗してきたのを叩き潰した結果、引きこもったことを逆恨みしているようで、そこを体よく狙われたみたいだね」
「いや、みたいだねって、そんな他人事みたいに!」
「いや、私を国王にしたくないだけだからね。もうしばらく、父上が壮健な間は、私と、私の妻となる人と、子供が狙われるだけだから」
「だけだからじゃなくて!それは立派な内憂外患じゃないですか!」
「まぁこちらも手をこまねいていただけではなく、味方となる国を増やしたり、何かと手は打っているんだけどね」
「国もですけど!不運で不憫なだけかと思っていたら、立派に害されているじゃないですか!皇太子妃様が!」
「グレイスには申し訳ないことをしたけど、彼女が自分で自衛できると手を挙げたことだからね」
亡くなった元皇太子妃の事情を知り、絶句する。
「その前のメアリーの時はまだ、そこまではっきりとしていなかったけど、ビビアンが引きこもったことは知っていたからね。婚姻したものの、安寧を求めて、実家に帰ると言われて、引き止めなかっただけで」
「では、私も安寧を求め」
「自ら、戦乙女となるべく、手を挙げているそなたが?」
女子は戦場に立てない、公爵家を継げないという不文律を曲げてやろうという、美貌の皇太子の提案に息をのめば、うっそりと微笑まれる。
「皇太子妃、というのも、やめようか。どちらかといえば、そなたに守られるのは、私と、私たちの子供と、この国なのだから」
私から目を離し、皇太子の鋭い紺碧の瞳が、父公爵の真剣な眼差しを射抜く。
「将来は、王配と成そう」
娘の願いである、生涯軍服を脱がなくて良いことが確約され、父上は陥落した。もちろん、そんな状況で孤立無援の戦いを繰り広げる気はなく、マリアもすぐに白旗をあげることとなった。
ラクテ王国の旗印として、軍服の美女が三人のメイド服の配下と戦場を掛け巡り、戦乙女として名を馳せたと同時に、傾国の美貌を擁する王が、敗戦国にはその美貌で無理難題を通し、友好国からは、その笑み一つで有利な外交政策を引き出し、王国史上最も栄える時代を築いたのは、その、ちょっと先の話。
「お母様が、今日も我々を守ってくれているね」
戦場から帰参するマリアを城郭から二人の王子を従え、末の姫を抱き上げて見守るジュリアンの言葉に、
「私も、お母様みたいに、戦女神になって、戦神のおじいさま跡を継ぎます!」
と、宣言した娘をマリアが立派な旗印として育て上げるのも、もう少しだけ未来の話。
どうしてこうなった…とラブコメは大体、書き終えると頭を抱えてます。
少しでも笑顔になって読み終えて頂けたら幸いです。
長らくお待たせしました。感想コメント激励など、活動報告でも、感想でも、一言いただいたら喜びます&励みになります!