転生
よろしくお願いします!
薄暗いオフィスの中に、カタカタとタイピング音が響いている。その周囲には誰もおらず、一人で仕事をこなしていることが窺えた。カチリと時計の針が一時を指す。
死んだような目でパソコンを打っているのは俺こと
烏丸 玲、しがないサラリーマンだ。以前から進めていた企画が行き詰まったため、こんな遅くまで残業をするはめになっている。
今ここに俺しかいないのはこの職場がブラック企業だからではない。というかちゃんと有給は取れるし福利厚生もしっかりしている会社だ。他の社員はもうすでに帰り、家のパソコンで仕事をしていることだろう。そうじゃなかったら許さん。俺が会社で仕事をしているのは、ひとえに家のパソコンがぶっ壊れたからだ。
元から安物なのは分かっていたが、買ってから一ヶ月で壊れるとは思っていなかった。今日中に終わらせる必要がある仕事だったがギリギリ終わらせることができた。これで後は帰るだけだ。
もう五日家に帰っていないのでやっとゆっくり休めると思うと俄然帰るのが楽しみになってきた。え?家に帰んなくて心配する人はいないのかって?馬鹿野郎!こちとら彼女いない歴=年齢だぞ!だからどれだけ居残ろうがなんの問題も無いのだ。早く家で風呂に入りたい。
「〜〜〜♪」
鼻歌を歌いながら荷物をまとめ、オフィスを出て帰路に着く。お疲れ様と挨拶をする相手もいないので気楽だ。
深夜だからか人っこ一人いない道を歩く。早朝とか深夜の道路を歩いていると気分がいい。数分も歩いていると段々眠たくなってきた。栄養ドリンクが切れたか?しかしお腹が減ったし風呂の前にご飯を食べたいな......適当に惣菜でも買って帰ろう。
お腹が鳴ったのを聞いてそう決め、近所の24時間営業のコンビニに入る。弁当コーナーで数分迷い、結局定番の焼肉弁当を購入した。眠たげな店員のやるきのない挨拶を聞いて店を出た俺はすぐ横にあるアパートに向かった。
そこまで大きなアパートではないが、防音性などもしっかりとしているし会社にも近いので独り身の俺にとっては良い物件だったと思う。
俺の部屋は二階なので階段を登る必要がある。やっと家に着くと思い気が抜けていたのか、暗いのでよく足元が見えなかったのか、俺は二階の目前で足を滑らせた。
「あ」
咄嗟に出たのはそんな一言だ。人間急に事が起こると反応できないものだな。浮遊感が身体を襲い、二階が遠のいていく。落ちていく景色がスローモーションで見えた。
普段から運動もしていない上に仕事ばかりで固まった体が受け身なんてとれるはずもなく。落ちた衝撃を最後に俺は意識を失った。
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暗い.......何も見えない。俺はどうなったんだ?意識はあるのに身体が動かせない。身体が存在しないみたいだ。
意識があるということは俺は生きているのだろうか。あの後誰かが俺に気づいて救急車を呼んでくれたのなら良いが、もし植物状態とかだったらいやだな。
思考はできるけど身体が動かせないなんてまさにその典型じゃないか!?ど、ど、どうしよう!
あ、いや待てよ?植物状態って意識はあるもんなのか?........うーん分からん。俺の少ない知識じゃこの状況を判断するのは無理そうだ。目が覚めるまで待とう。
.............全っ然目が覚める気配がない!以来手も足も変わらず動かすことはできないし目も見えない。
しかも真っ暗闇で頭がおかしくなりそうだ。
はあ....やっぱり俺は死んだのかな。ここは死後の世界とか?
ん?なんだろう人の声が聞こえる.....でもやっぱりなにもできない。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
「〜〜〜〜〜!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
ぼんやりとしか聞こえないが、近づいてきているのか段々はっきりと聞こえるようになってきた。
「ここはどこなのよ!?さっきまで教室にいたのに!」
「お、落ち着いて真理ちゃん。私もなんでこんなことになったのか......」
「胡桃の言う通りだぜ真理。俺も胡桃も何がどうしてこうなったのか分からねえんだ」
「うん。僕も敦のいう通りだと思うよ」
声を聞くかぎり男が二人に女が二人だな。名前も含めての推測だけど。
ていうか誰なんだ?今俺がもし植物状態ならこんな誘拐されたみたいな会話が聞こえるはずがない。もしあるとすれば俺も誘拐されたとかだが.....こんなおっさん捕まえてどうするってんだよ。俺はおっさんと呼ばれるほどの年齢ではないと思っているが他人から見たら十分おっさんだ。身代金目的だとしてももっと裕福そうな人間を狙うだろう。てことは夢か......。
と一人で悲しいことを考えているうちに彼らの話は進んでいく。
「ようこそ、神宮寺 雄太さん。そして友人の皆様」
そこに新しい声が割って入った。
「だ、誰だお前は!?」
男の一人が新しい声の主に問う。俺からしたらお前らも誰だ?なんだけどな。
「私はテトラニクスの女神、フェルリーナと申す者です。此度は急な召喚に応えてくださり誠にありがとうございました」
「女神だと.....?ふざけるなよ!本当は何者なんだ!」
「そうよ!ここはどこ!?早く家に帰してよ!」
「ふむ.......信じてはくれないようですね。ならば—これでどうでしょうか」
女神を名乗る女性がそう言って指を鳴らす。
「「「「っ!?」」」」
俺は目が見えていないので何が起こっているのか分からないが、彼らにとって驚くべきことが起きたらしく息を呑む気配がした。何があったのか酷く気になることではあるが、どうにもならないので諦めて会話を聞くことに集中する。
「貴女は本当に女神なんですか.......?」
「ええ。その通りですよ、神宮寺さん」
「ならなんで女神様が私達をこんなところに連れてきたのよ!」
勝気そうな女の声が響く。確かにもっともな質問ではある。
「.......突然ですが、ここにいる皆さんには私が治める世界テスラニクスへ行き世界を救っていただきたいのです」
「せ、世界を!?」
「......どういうことですか?」
またまた先程と同じ男が女神に問いかける。
「今、テスラニクスは魔王の出現による魔物の活性化によって未曾有の危機に陥っています。それを打破すべく勇者......これは神宮寺さんのことですが貴方を神の使いとして派遣する必要があるのです」
「魔王?魔物?いったい何を言っているんですか?」
「雄太くん....多分ファンタジーな世界の女神さまなんじゃないかな......」
「ファンタジーって胡桃が良く読んでるような?そんなことあるわけ.......」
「いいえ。園崎さんの言う通り、テスラニクスは貴方方の世界で言うところの異世界ですから。生態系が違うのもその影響です」
魔王に勇者ねえ.....大人になってこんな夢を見るなんて俺って厨二病だったのか?微妙にショックなんだが。
「ちょっと良いですか?貴方が女神ならなぜ自分でその問題を解決しないんでしょうか」
お、それは俺も気になっていたところだ。夢と分かっていても気になるものは気になるのだよ。どんな設定をしているのか、本を読んでいても俺はかなり気にするほうだった。
「私もできることなら自分でどうにかしたいとは思っています。しかし、神である私が現世に関与するとペナルティによって世界の管理ができなくなってしまうのです。今まで平和に暮らしてきた貴方達にこんなことを頼むのは大変心苦しいのですが......どうか!お願いします!」
なるほど、ペナルティねえ。そりゃしょうがないかもな、どんなペナルティが分からないからどうとも言えないけれど。少なくともよほど状況が悪いと見える。
「........少し考える時間をください」
うん、英断じゃないか?あーでも...肝心の情報がまだ聞けてないと思うんだけどな。そう考えるとまだ聞いておくべきことはあると思う。ま、俺は口出しできないので思うだけだが。
待つ事十数分。体感なので実際には分からないが恐らくそれくらいだと思われる。考える時間が少ないように思えるが、彼らはどうするのだろうか。
「決めました。困っている人達がいるんですよね?なら見捨てるわけにはいかない!」
「雄太くんがそう言うなら.....」
「俺はもちろん雄太に着いていくぜ!」
「し、しょうがないわね!雄太がそう言ってるしいいわよ!」
マジかよ。なんて青臭い発想だ。物語の中なら美談かもしれないが現実じゃただの痛いヤツだぞ?てか雄太って男どんだけ信頼されてんだよ。
「ありがとうございます!それではテスラニクスについてと説明をさせていただきます。重要なのは—」
返答を聞いて女神の声に喜色が交じる。了承されたことを確認し、女神は異世界に関する説明を始めた。
長かったのでここからの話を要約すると
・異世界に行くことでなんらかのスキルを獲得できる。
・最初はアゼスト王国というところに召喚される。
・魔王は一人ではない。
などなどかなり設定が凝っている夢だ。スキルについてはその人の素質が影響するとかしないとか。
それからも少し話は続き、いよいよ召喚される時間が来たようだ。
「では、準備はよろしいですか?どうか、テスラニクスを救ってください。よろしくお願いします!」
「任せてください!女神さまの期待に応えて見せます!」
キュイイーンと音がして女神以外の気配が消える。テスラニクスとやらに召喚されていったのだろう。
俺もそろそろ夢から目覚めたいんだが、どうすればいいんだ......あ?段々、意識が薄れて—
「ふぅ.....。これで大丈夫ですかね....」
俺が最後に聞いたのは、女神の憂鬱のこもったその一言だけだった。
当分は毎日投稿します!