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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ワールドチャンプ

作者: TakWATARU

私は今、1位を走っていた。


十月、日本グランプリ

日本晴れ、秋空の下。

予選で0.003秒差で、惜しくも二番グリッド、

ポールポジションは、いつも争っていたあいつのマシンが止まってある。

ライバルとのポイント差は、15ポイント差。


第二戦、第三戦は落とし、第四戦モナコGP念願の4連勝!

モナコマイスターとも呼ばれるようになった。

去年まで落とし続けていたワールドチャンピオンまでもう少し、

今年もチーム一丸となって戦ってきた、今年のシャシーとエンジンは素晴らしい。

だがしかし、私は不運にもジンクスがある毎年日本GPは勝てないのだ。


鈴鹿サーキットは、5.807kmコーナーの数は18

ホームストレートから1コーナー2コーナー、連続右コーナー。

S字から逆バンク、左・右・左・右と矢継ぎ早に中速コーナーが連続している。

デグナー、短い直線を挟んだ2連続の角張った右コーナー立体交差によりコースが左回りに変わる。

ヘアピン、上り坂の右から急減速して、コース中で最もスピードが落ちる左ヘアピンを回り込む。

200R、下りの緩やかな右カーブが続く。

スプーン、コース西端の折り返しとなる左複合コーナー出口は下りで、続く西ストレートに向けて上りとなる。(名称はコーナーの形が食器のスプーンに似ていることから)

西ストレート、コース最長の1,200mほぼ直線。(コース中の最高速を記録する)

130R、西ストレートからわずかに減速して飛び込む左の超高速コーナー。(度胸試しの名物コーナーとして知られている)

シケイン、130R通過後のスピードに乗った状態から急減速する右・左のシケイン。(1989年F1日本GPにおけるセナ・プロストの接触など、数々のドラマが演じられた)

最終コーナー、メインストレートに向けて加速する緩い右コーナー。

決勝は、24台のマシン53ラップ走る。


『鈴鹿サーキットは、神の手で作られたコース』

『鈴鹿のコースは夢のようだ。とくに最初のセクターがすばらしい。ここをドライブするのは、すごくワクワクする』

鈴鹿サーキットは、素晴らしいコースだといえる。


バージョン8と9を持ち込んだ。

そう、鈴鹿スペシャルだ!

ガソリンも、シャシーも鈴鹿スペシャル。

予選タイヤを履く。


予選

Q1

(20台すべてのマシンが参加します。

Q1は18分間あり、その時間の間であれば何周でも走ることができます。

その中からタイムの速かった上位15台が次のQ2へ進むことができます。

16~24位のマシンは、Q1での順位で決勝をスタートします。)


私は二分後マシンに乗り込み一回目のアタックにでた、

まずまずのタイムを出した。


七分間のインターバルをはさみ、

Q2

(上位10台が次のQ3へ進むことができます。

11~15位のマシンは、Q2での順位で決勝をスタートします。)


Q2はチームメイトが好タイムをマークした。


八分間のインターバルをはさみ、

Q3

(このQ3の順位で決勝をスタートします。)

一回目私は、あまりいいタイムを出せなかった

チームメイトとライバルがポールポジションを争っていた。

そして残り五分ラストチャンス私は、エンジンに火を入れアクセルを踏み、コースに出た。

それを見ていたかのように、私のマシンの後を影のように後を追ってきた。

ミスは許されない、今のところ私は三番手ポールポジションはチームメイト二番手にライバル、

何としてでもフロントローいや、ポールポジションにつきたいそう思いアタックラップに入った。

そしてコントロールラインを通過し暫定ポールを獲得したが、

後を追ってきていたライバルのマシンがわずかに上回っていた。

その差僅か、0.003秒

ピットに戻ると、ピットクルー達は喜んでいたが私は、喜べる気分ではなかった。

するとそこに妻と息子がやってきた、息子を抱きかかえ妻と息子に言った。

「明日も頑張るよ…」私は疲れ切っていた。


夜ホテルに戻り部屋のバルコニーで一人、暗いサーキットを眺め椅子に座っていた。

部屋のチャイムが鳴った、ドアの覗き穴を覗くとチームメイトが立っていた。

チームメイトと二人、バルコニーで話した。

彼は、来年チームを去るか迷っていた、

F1伝統の名門チームから、猛烈なアプローチを受けていたのだ。

そのことを知った私は、少し羨ましいと思った。

私も少し憧れはあったからだ、だが日本メーカのエンジンも好きなのだ。


午後8時チームメイトは部屋に戻り、私はベッドに入った。

午前4時目が覚めた、テレビをつけ天気予報が流れていた。

お天気キャスター「今日は、全国的に晴れるでしょう」

私はシャワーを浴び私服に着替えて用意をし、サーキットに向かった。

5時過ぎ着いた、朝焼けのまだ観客がいないコースを見つた。

いつもは、緊張や不安でいっぱいだが今日は違っていた。

続々とドライバー達がやってきた。

モーターホームに行きレーシングスーツに着替えた。

スタート時間まで、まだ時間はある。

午後15時スタート予定。

午前11時過ぎ私は、チームが用意してくれていたケータリングを食べた。

午後12時過ぎご飯を食べ終え、チームミーティングをした。

そしてFIAの部屋に行き、各チームのドライバー達とドライバーズミーティングをおこなった。

午後13時半モーターホームに戻り、私はエンジニア達と話した。

ピットガレージに向かい、チームメイトとレース戦略を話した。

午後14時過ぎ、マシンの最終チェックを終えていた。

午後14時半、世界の国旗がたなびきカラフルな観客席は盛り上がりを見せている。

私は緊張しながら、マシンに乗り込みエンジンに火を入れた。

レコノサンスラップに出た、走ってみてマシンに異常なし。

スターティンググリッドについた。

予選で0.003秒差で、惜しくも二番グリッド、

ポールポジションは、いつも争っていたあいつのマシンが止まってある。

ライバルとは、元々一緒のチームで走っていた。

ライバルは私の右、ポールポジションにいた。

これから決勝が始まる、私たちはものすごく緊張していた。

私とチームメイトのセッティングはダウンフォースを少し減らし、コーナーではスピードをあまり出しないが、ストレートでは早い。

タイヤは、固めのBタイヤをチョイスした。

ライバルのマシンはダウンフォースを多くしている。

タイヤは、同じくBタイヤ。

他のマシンは、軟らかめのCタイヤをチョイスしている。

午後14時50分フォーメーションラップが始まる。

ダミーグリッドに並ぶ。

観客席の大観衆と、アスファルトの路面温度は上昇している。

各マシンエンジン始動、1位から順に一列でウィービング走行しタイヤを温める。

1周しホームストレートのグリッドにつき、じっとスタートの時を待つ。

私は、外側のグリッドなので1コーナーで先にでて逃げる考えだ。


十月秋晴れ、鈴鹿燃ゆる。


グリーンフラッグが振られ、各マシンエキゾーストノートが高鳴り響く。

シグナルが、赤から青に変わった。

実況「コース上には24台のマシンが並んでいる、グリーンフラッグが振られた

今スタートさー誰が第1コーナーに飛び込むか。」

私は、好スタートを切った、ライバルはホイールスピン気味で少し出遅れた。

チームメイトはエンジンが止まっていただが、すぐにエンジンがかっかたが順位は3番手から11番手まで落ちた。

スタート直後後方では2台が接触リタイヤとなったが赤旗にはならなかった。

セーフティーカーが入り、各マシン1列でゆっくりとしたローリングスピードでレースが進んだ。

5周目グリーンフラッグが振られレースは再スタート。

私は、2位のライバルを一気に突き放そうとしたがしかし、ライバルも負けてはいなかった。

私のテイルにぴったりと後をついてくる。

2位と3位は、3秒以上離れていた。

6周目130R私は、通過スピード286キロ出した。

予選では、293キロで走った。

実況「いやですねーずっと後ろに張り付いてますから」

解説「そうですねー」

実況「西ストレートから、高速コーナー130R」

ここでのスピードは、私のほうが早い。

7周目私は、西ストレートを289キロで通過。

130Rにさしかかったその時、リアが流れマシン制御不能になり300キロ近いスピードでウォールに激突した。

実況「おおーとここで、クラッシュ!まさか!まさか!クラッシュ!破片が飛び散っている。」

解説「赤旗ですね…」

私のマシンは大破ホイールがロットごとはじけ飛び、ノーズは粉々にリアウイングも吹っ飛び一枚はコース上に舞った。

私は、目の前が真っ暗になった。

皆心配している。

すぐさま何人もの救急隊が来た。

レースは、赤旗各マシンピットに戻った。

実況「そして、横たわったまま今レーシングスーツを緩められています。さっきぴくっと動いたかのように見えたのですが、大丈夫なのでしょうか。」

解説「ええ、動いたかのように見えたのですが。」

私は、救急隊による応急処置が施された。

するとそこに、ドクターヘリがやってきて病院に緊急搬送された。


午後14時20分集中治療室で手術された、2時間30分以上の賢明な処置を施されたが息絶えた。

実況「ここで、皆さんに非常に残念なニュースを伝えないといけません。先ほど亡くなったというニュースが入ってまいりました。」

解説「我々もモータースポーツ、こう言う事も受け入れてなければいけない…こう言う事実からですね、モータースポーツは続いていくんですね…」

私の速報が世界各地に流れ、悲しみで包まれた。


そして十一月四日、最終戦オーストラリアGP

予選トップポールポジションは、チームメイト。

ライバルは2番手。

フォーメーションラップが始まり、グリッドについたがライバルのマシンはピットガレージにマシンを止めた。

私の、ワールドチャンピオンが決まった。

チームメイトは見事ポールトゥーウィンで幕を閉じた。

私たちはコンストラクターズとドライバーズチャンピオンとなった。

この作品を読んでいただき、ありがとうございます。

この作品は、私のデビュー作です。

これから書いていくので、よろしくお願いします。



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