第7話 高みの見物です!
「うーん、なかなか見つかりませんねぇ」
歩道橋の中腹。その欄干にもたれながら眼下を行き交う人混みを見下ろす二人のうち一人。黒稜院美冴はどこからともなく出してきたオペラグラス越しに眺めつつ、溜息混じりに呟いた。
「まあね。この雑踏の中から一人見つけるってんだから、そうそう簡単にはいかないさ」
彼女の隣にいた織部雅人はそう答えながら手にした携帯電話の画面を美冴に向ける。
雅人の父、織部和夫から送られてきた九つ目の画像。和夫を中央にして老婦人が左右に一人ずつ。
仲の良さそうな笑顔の画像に添付されてきたコメントは『見ろ、両手に花だ!』だ。
(父さん、趣旨が変わってないか?)
「あら、お二人とも可愛い♪」
オペラグラス越しに電話の液晶画面を眺めた美冴の反応に、雅人はすぐさま『ハズレ』だとメール返信。
「それにしても、この短時間でこれだけお婆ちゃんとのツーショット写真。それどころかスリーショット写真まで撮るとは、敵ながら天晴れですね、おじ様」
「いや、父さん敵じゃないから。どのみちハズレだから」
ツッコミはするが、雅人も内心父親の手際の良さに呆れ……感心していた。もしかして父はマダムキラーなのか?
「そうですけど。こう、なんだか負けていられないじゃないですか。私達も頑張って探さないとですよ!」
ここにも趣旨を間違え始めている者が一名。
(勝負じゃないってのに……)
とりあえず、やる気を出してくれているようなので良しとしておく。
「しっかし、家を持たないぐらい仕事が忙しくて小柄で猫背で白髪で品の良さそうなお婆さん。おまけに名前も絹じゃなくて白とか絹とか呼ばれているって……絹さんっていったい何者なんだ?」
携帯電話から雑踏へ視線を戻した雅人が疑問を口にする。
「うちの先生のお客様です」
雑踏を眺めていた美冴は雅人に向き直ると自慢げに即答。
「なるほど。わかりやすい答えだ。なーんお役にも立たないけど」
「ひどいですよぉ。雅人さんがお絹さんの事をきいてくるから、私なりにちゃんと考えて簡潔明瞭にお答えしたのにー」
「簡潔明瞭過ぎ! キミに聞いた僕が悪かったから、美冴ちゃんも絹さんを探そうな」
雅人に促され再び人混みに向き直った美冴。
「ん? ……お? ……ああ!」
人混みの一点で表情を変えた美冴は、あたふたとオペラグラスを構え直す。
「え? 絹さん見つかった?」
雅人の問いかけに彼女は視線を外さずに頷いてみせる。
美冴の視線の先を辿っていく。そこにいたのはスーツ姿のサラリーマン、腕組んで歩くカップル、買い物籠持ったおばちゃん、出前のお兄さん、野良猫、そして……。
(いた!)
交差点に向かって歩く小柄で猫背で白髪の老婆の姿。品が良いかどうかは遠目にはわからないが、絹さん情報に特徴は一致している。
「うわ。こりゃ、いそいで追いかけないと見失うぞ」
言うが早いか歩道橋を降りようとする雅人を美冴が呼び止める。
「待ってください、雅人さん。急いで追いかけるにはもってこいの方法がありますから」
自信ありげに言う彼女の言葉に雅人は嫌な予感を覚えた。
「それて、ひょっとして……」
尋ねつつ振り返った雅人。その質問が終わる前に答えが彼の視界に入った。
どこから出したのか。どこに隠し持っていたのか。彼女の手には箒が一本。
「魔女は空を飛ぶものですから」
美冴のその言葉は、雅人の予想通りの答えであり、聞きたくなかった答えでもあった。
「却下だ、却下!」
「えー! 便利なのにー!」
「馬鹿言わない。こんな往来の中で飛ぼうっての? あとあと面倒だし頼むから目立つ真似はしないでくれ」
「でも、手っ取り早くていいと思うんですけどなー」
「美冴ちゃんの箒は目立つだけじゃなく危険でもあるんだよ。下手したら絹さん跳ね飛ばしかねないから。絹さんに会った瞬間、永遠のお別れになっちゃうから。うちの窓とドアを吹き飛ばしたの忘れたわけじゃないだろう?」
「でも、それは桶が……」
「窓の時は、ね。ドアの時は?」
雅人のその問いに美冴は不服そうな顔で黙る。彼女の機嫌を損ねた事は雅人も少なからず悔やんだが、今は彼女の目的を達成させる事を優先させる。
「ほら、急いで絹さんを追うよ」
「はーい」
歩道橋の階段を駆け下りた二人は絹らしき老婆のいた交差点に向かって通りを進む。
人混みと呼ぶには物足りない人数だが、それでも足早に通り抜けるには邪魔になってくる。急ぎたくても思うように進めない少々もどかしい歩調で交差点に辿り着いたものの、当然ながら老婆の姿はそこには無かった。
「確か、こっちの横断歩道渡ったよな」
「えーっと、こっちの横断歩道渡りましたよね」
交差点で立ち止まった二人が指差したのはそれぞれ別々の道。しばしの沈黙。
「こっちだって」
「こっちですよ」
改めて二人して横断歩道を指差して言う。双方、譲る気無し。
だが、ここまで絹さんらしき人物に接近しておいて小競り合いをしている場合ではない。
「あの歩きなら、そう遠くまでは行ってないだろ。美冴ちゃんはそっち、僕はこっちだ」
お互いが指し示した横断歩道を渡って絹を探す。彼の提案に美冴はすぐさま頷いた。
「それじゃあ、お先に」
美冴が指し示した横断歩道は歩行者用信号機の青ランプが点滅を始めている。それを見た彼女は慌てた足取りで道を渡っていく。
数秒の後に信号は変わり、今度は雅人が渡る番だ。彼もまた信号が青に変わると同時に急ぎ足で渡り始めた。
ところで、これを読んで下さっている方に質問ですが、絹さんの……いえ、独り言です。お気になさらず。