第10話 お使い完了です!
「……あれ?」
自然と雅人の口からその言葉が出た。
ほんの少し前と比べて明らかに周囲の状況が違う。ほんの少し前まで夕日に染まった空の中にいたはずだが、今は人気の無い薄暗い路地。ほんの少し前まで箒が作った高速の世界にいたはずが、今は静止した空間で寝転がっている。ほんの少し前まで美冴と一緒にビルの外壁に激突しようとしていたのに、今は……。
「美冴ちゃん!」
慌てて半身を起こし美冴を呼ぶ。
「にゃー」
返ってきた声はどう考えても美冴の声ではない。それこそ人の声でもないのだが、返事をされたような気がした雅人は振り返った。
そこには自動販売機の上で丸くなっている白猫の姿があった。
(返事された時点で猫だとは思ったけど、この猫どこかで見たような……)
記憶を辿ろうとし始めた雅人だが、横から響いた娘の唸り声に我に返る。
「美冴……ちゃん?」
振り返った先にいたのは、屑篭に肩まではまった体を引き抜こうともがいている黒服の娘。
「お〜い、ダイジョブか、美冴ちゃ〜ん」
「ん? んーんー? んっんーん!」
「いや、何言ってるかわからないから……」
やれやれと溜息をつきつつ立ち上がると彼女の元に歩み寄り、彼女を覆う屑篭に手をかける。
「んー! んー!」
引っ張ってみるが美冴の悲鳴らしき唸り声が響くだけで抜ける様子も無い。
「世話が焼ける娘じゃのぉ……」
白猫は自動販売機の上からひらりと飛び降りると、溜息混じりの声を上げながら二人の元に寄ってきた。
「……喋った?」
老婆の声。猫が? まさか。でも、美冴は唸るだけで言葉にならない。自分の口から言葉が出たわけでもない。他に誰かがいるわけでもない。
混乱する雅人は黙って猫の様子を窺う。
「んー。んーんー」
「やれやれ、約束の刻限になっても来んと思うたら、あんな所で飛び回りおって……。叉樹のお嬢もこの子にお使いをさせるとは、無茶な事をするわい」
(この猫、やっぱり喋ってる……)
呆然と見ている雅人の目の前で白猫が愚痴る。
「ん? んー。んんんー?」
声に気が付いたのか、美冴は屑篭に入ったままの頭を白猫に向けた。
「いや、何言ってるかわからんから……」
彼女の唸り声に白猫は一言抗議しつつ屑篭に前足をかける。
「せーの」
どういう手を使ったのか。猫が合図とともに屑篭を引くと、先程までの悪戦苦闘が嘘のように屑篭が外れた。
「ああ! やっぱり絹さん! 会いたかったんですよー!」
白猫を見ると美冴は満面の笑顔で挨拶する。
「は?」
彼女の言葉に間の抜けた声を上げたのは雅人。
「美冴や。いったい何をしておったんじゃ」
美冴の前に座り文句を言う白猫。
絹さん情報その一。小柄で猫背。猫としては小柄だ。猫だから当然猫背だ。
「うぅ、ごめんなさい。途中で地図を無くしちゃいまして」
白猫に頭を下げる美冴。
絹さん情報その二。白髪で品が良い。白い毛並みを白髪と言ってよいのかわからないが確かに白い。品が良いのか悪いのか判断が難しいが、今のところ悪くは無いようだ。
「まぁ、忙しいからと配達を頼んだ私も悪かったとは思うがのぉ……」
こんな事になるとは、と溜息をつく白猫。
絹情報その三。多忙の老婆。今の言葉からして忙しいらしい。歳はとっていそうだし、声や話し方は女性。
「……って、絹さん猫やったんかい!」
雅人の叫びに驚き、会話を止める美冴と絹。
しばしの沈黙。それを破ったのは雅人の携帯電話のメール着信音。
メールタイトル『大漁だ!』雅人の父、和夫と老婦人五人の集合写真。
「いやはや、とんだ騒ぎだったなぁ」
雅人は自宅のキッチンで溜息をつきつつティーポットを盆に乗せる。
絹さん探索騒動から一週間。織部家はいつもと変わらない平凡な空間に戻っていた。
結局、美冴は白猫の絹に無事リウマチの薬を渡すことができた。
ちなみに、箒の暴走でビルに激突しそうになった時、二人を助けてくれたのは絹さん。
彼女の職業は死神で、猫の姿は世を忍ぶ仮の姿。死神である彼女は死ぬ予定になっていない雅人と美冴を発見し保護したのだそうだ。唐突でありえないような話だが、魔女の人探し……というか猫探し、もとい死神探しに手を貸した雅人にしてみれば、疑う気も失せる話。
絹さんに余計な仕事を増やしたと叱られたのも一緒に思い出し、苦笑いしつつ父の自室をノックする。
「父さん、お茶入ったよー」
「ああ、ありがと」
部屋の中から父の返事を受けて中に入る。
雅人の父、和夫は息子を見ることも無く真剣な顔で瓶の中を覗き込んでいる。
「ボトルシップ、順調そうだね」
「いやはや、油断大敵。完成まで気を抜くわけにはいかないのだよ……エル・ブラウンだね。良い香りだ」
鼻をひくつかせて紅茶の銘柄を告げる和夫に対し、雅人は首を横に振る。
「残念、ハズレ。キャメルの一ダース税込み三百円のパック」
「安ッ! ……まあ、あれだ。ボトルシップ完成という隠し味があれば大抵の紅茶は美味しくいただける。もうすぐ終わるから、そこに置いといてくれ」
言われるままテーブルにティーセットを置いた雅人は、視線を上げた途端動きを止める。
「……父さん」
「何かね?」
上げた視線そのままで呼びかける雅人。和夫もまた視線を外す事無く問い返す。
「えーっと……とりあえず、ご愁傷様」
「……何が?」
さすがに奇妙に思って和夫が顔を上げる。
織部親子の視線の先、外から見覚えのあるシルエットが部屋の窓めがけて突っ込んでくるところだった。
(今度は寸胴鍋か……)
飛行体の頭部を見ながら雅人は内心ぼやくのだった。
ちょっとグダグダ感があるかな、と思いつつ魔女美冴のお使い一回目完了です。この話の続きですが、少しお休みをいただいてからという事で……ご了承下さい。
なお『おいでませ音楽堂』の連載を再開しようと思っておりますので、お暇な方は読んでいただけると幸いです。