正直、舐められていた。
9話です。
朝早くから薪を拾う。
昼には館に森の恵みを治める。
午後は森で一人か、ウンディーネの里でクロエやバカ共と過ごす。たまにクロエやニックとチビ共の面倒を見る。
村の周囲の魔物は、騎士団と警備隊と冒険者のおかげで抑えつつあるらしい。
そんな日々がいくらか続いた。
数日前の邂逅と疑問はどこかに置いておく。
貴族様と関わることなんて、そうあるものでもない。
いたって平和な日常だった。
そう、日常だった。
まさか、また日常の外から非日常顔を出してくるなんて、考えだにしないじゃないか。
次のきっかけもまた向こうからで、おれにとっては唐突に訪れた。
拾い終えた薪を背負って家に向かうと、森の陰を抜けた日溜り、即ち森の入り口に二頭の馬が並んでいた。
それぞれ人が乗っている。
月毛の立派な馬には、銀の鎧の騎士とマントを羽織った小柄な人物が。
村でよく見るような栗色の馬には、見知った顔が乗っていた。警備隊のパーシーだ。
木立の隙間からその姿が見えたが、何やら話し込んでいる。
出て行ってもいいものか。
騎士と警備兵が並んでるからには、厄介ごとの匂いしかしない。
少し悩むが、森で何かあったのなら結局は森番ウチの仕事だ。
声をかけて何事もないならそれに越したことはないと、森の陰から身を引きずり出せば
「イル!」
激しく聞き覚えのある、冷たくも可憐な声が、聞き馴染みが一つしかない名を呼んだ。
話し込んでいた二人はマントの人物をぎょっとした顔で振り返る。
そのフードを取る前に、マントに隠れた人物が誰なのか分かってしまった。
そしてその人物の身分に呼ばれたからには、応えねばならない。
「はい、イリーベルトでございます。プリュネステル様、ここには不入の森しかございませんが、如何いたしましたか?」
マントの内に、きっとあどけない笑顔を浮かべているであろう声色が告げる。
「森の視察よ。来ちゃった」
来ちゃいましたか。
マントのフードを下ろして現れたのは、やはり先日も見た姿であった。
紫の影を透かす長い髪と、端正な顔。そして朝焼け色の瞳である。
「「イル?」」
騎士とパーシーが同時に首を稼げた。
「ええ、イルよ。森の案内役なの」
剣を持つ二人はおれを見て、なぜお前がという顔をしている。
同じ疑問を、おれも持っている。
プリュネステル様は頬を緩めて笑っているだけなので、二人に説明を寄越せと念を込めて目線を送った。
パーシーが訥々と言葉を紡ぐ。
「ええと、リーブ。お前、お嬢様をご存知なのか?いや、さっき応えてらっしゃったもんな。あー、森番を探してたんだが……」
慣れない敬語が混ざりながら(ところどころ何故かおれにも敬語を向けながら)しどろもどろに語ってみせる。
要約すると、プリュネステル様が森に行ってみたいと仰せになった、ということだ。
それでそのまま入るか森番を探すかを相談していたらしい。
だが、
「プリュネステル様、不入の森は貴族様が入るには、危険かと……」
「あら、そうなの?」
「え?」
「え?」
「少々確認させてください」
今度はおれがぎょっとして二人を見る。
今度は騎士が、そのガラついた声を初めて聞かせてくれた。
「この森は魔物もおらず、特に森番の者がいれば子供でも歩けると聞いたんだが……現にイリーベルトと言ったか。お前も一人のようだが」
パーシーを見るが、違うのかと問う顔をしている。
これは、なるほど。
「森には猪も熊も狼もいますし、当然人の道がある訳でもありません。魔物は滅多にいませんが、泉や山を越えてくる個体が絶対いないとは言い切れません。森番が仕掛けた罠もありますし、おれが一人でも無事なのは、おれが森番だからです。森は木も大きく光の差さないところもありますから、迷う危険も充分にあります。大人でも、無事に出れる保証はありません」
我が家は代々、優秀に森の番をし過ぎていたようだ。
正直、舐められていた。危ないところであった。
おれだって昔は森で何度死にかけているか分からないくらいだ。
森番抜きで初めて森に入る貴族様なんて、怪我でもされたら我が家の手落ち以外の何者でもない。
警備隊までこの調子とは、父さんにも言っておく必要がありそうだ。
騎士とパーシーは弾かれるように顔を見合わせた。
交わすのは大人が真剣にものを考えるときの眼差しだ。
前に村のガキ共のかけっこに金を賭けてた冒険者も同じ目をしていた。
自分たちがどんな可能性に足を踏み入れかけていたのか、正しく理解し考え直しているのだろう。
だが、お嬢様だけはおれに声をかけたまま変わらず、笑っていた。
「ねぇ、イル」
「はい」
「イルは、一人でも森を歩けるの?」
「そうですね」
「私、イルが働くこの森を、見てみたい」
「左様でございますか」
「案内、してくれる?」
「親父が兄貴の方が間違いはないのですが……」
騎士が口を挟む。
「先に森番の家を訪ねたが、森番の主人はおらなかったのだ。奥方に訊けば、お前も含め誰かはすぐ戻るから捕まえて連れて行くと良いと言う。そこで森の前にいれば、森番が来たのだ」
なるほど。母。おい、母。母さんも森には入れるだろう。
「イル、ダメ?」
ダメではないが。
少し考える。
安全に案内できるかと言われれば、できる。
普段から気をつける事と変わらないし、熊は避けて、狼は人が多ければ襲いもしない。万一にも剣を持つ人間もいる。
なまじ貴族様に形だけでも視察と言われているのが、断りづらい。
「……わかりました。森の中では、たとえ誰でもおれの指示に従っていただきます。視察はより安全な浅層だけです。それでもよろしいですか?」
「うん。イルが守ってくれるんでしょう?」
「もちろん、身の安全はお約束します」
約束は守る。嘘は吐かない。
だから何かあったら、騎士とパーシーにも無茶してもらおう。
薪だけ置きに家に寄らせてもらい、ついでに母さんに文句を言っておいたが流された。
万一のことも考え、納屋から普段は持たない薬草や毒消の類も出して背負い鞄に詰める。
そもそも森の何を視察するのか
兄さんの罠を見せて綺麗なキノコでも拾えばいいのか。
納屋を閉めながらどこに行こうか考える。
するとプリュネステル様が馬から降り、しずしずと歩み寄ってきた。
何やら神妙な表情をしている。
「ねぇ、イル」
「はい」
二人には聞かれたくないのか、そっとおれの耳を呼ぶ仕草をした。
耳を近づけると、プリュネステル様は微かな清風のような声で囁いてきた。
「私、山葡萄が食べてみたいの」
耳を離して顔を見ると、真剣だ。
あんまりで、少し笑いそうになる。
「山葡萄でございますか?」
「そう、山葡萄。あの後ね、お屋敷の人といっぱい話したの。そしたら、門番が山葡萄を食べていたわ。訊いたら森番から貰ったって。それで、もしかしてイルのことじゃないかしらって、気になったの。ねぇ、イル。私も、山葡萄を食べてみたいわ」
アーロン。
今度、山葡萄よりも刺激的なお土産を持っていってやろう。
たった今、そう決めた。
「オラ!!!走れ!!!!街でおもちゃ買ってやっから!!!!そこだ!!!!!刺せ!!!!」
「頼むぜ……金貨……金貨かかってんだ……日頃祈らねぇ分まとめて頼むぜ神様……!!」
「(……今なら魔法使ってもバレないか?)ッ!!おい、引っ張んな!!!集中出来ねぇだろ!!」