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お嬢様と従者、その自由な生き方を。  作者: 田中正義
3章 朝焼け写し、空色巡る。
84/85

おれなら殴るだろう。

84話です。

「一瞬だけ、感情というか理性を揺さぶるというか、怖い思いをするだけだ」


「おう。ホントに、あり得ないくらいゾッとするだけだ。こりゃ今晩は深酒しねぇと寝られねぇな」


 あっはっはっと、今日一で機嫌が良さそうに店主が笑う。先ほどまで生まれたての子犬のようにガタガタ震えていたのが嘘みたいだ。

 フィオナはどうしようかと悩み、所在なく手を行ったり来たりさせている。


 ふと、村のチビ共が肝試しと称して不入の森に足を踏み入れたがるのを思い出した。勿論、森番として見つけ次第チビ共が入れる極々浅層で追い出すので、恐ろしさの度合いも精々だが。

 森に満ちる恐ろしさを夏の川辺の涼やかさに喩えると、今回のは氷柱が心臓を突き刺して破裂するようなものだ。初めてならば尚更、怖気付くのは当たり前である。


『言っとくけど、鈍い鈍くないはあるけど森を避暑地に思うのはご主人くらいだからね』


 俗世の魔力の揺らぎ(わずらわしさ)を覆い隠すのは同じだろう。


 やがて決心が決まったのか、フィオナがぐっと拳を握り込む。


「や、やる!せっかくだし!本当に大丈夫だよね?」


『最悪、よっぽどトラウマになりそうなら優しーい方に変えてあげればいいしね』


「少なくともトラウマになることはない。一過性だ。雷に打たれるよりはマシ」


「それは大体そうでしょ……」


 そうだよな、うん。雷には勝てなかったからな。

 ヒクヒクと顔を強張らせ、それ以上を喋らずにフィオナが手を差し出す。おれが指先を向けると、一際ビクンと体が跳ねた。その様子がおかしかったので、何度か指を振るとその度にフィオナは蜂に刺されたように身を躍らせた。


「もう!やるなら心の準備があるの!」


 痺れを切らしてフィオナが涙目で叫ぶ。

 だが、焦らしているのはおれではなく名実共に畜生である。

 促すと、やっと指先に店主にやったのと同等の魔力が顕れた。


 今度こそは先と同様に光が歪むものだから、フィオナもヒッと息を吸ってより身を強張らせ、構える。


「いくぞ」


「う、うん」


 こちらからすればポワンと、実際にはゾワリだとかドロリだとかの擬音が相応しい勢いで、靄が進む。

 おれも自身で受ける訳じゃないから他人事だが、やはり懐かしく、落ち着く気配だ。

 もっとも、そんな呑気なことを思っているのはおれくらいなもので、店主は先に触れた感触を思い出してか少し顔が強張り、迎えるフィオナも完全に腰が引けていた。


 やがて妙な緊張感を保ったまま靄がフィオナの指先に触れ、ぶわりと弾ける。


「ヒッ……!!」


 フィオナは一瞬大きく身と結んだ髪を捩らせたかと思うと、余韻に囚われたかのようにそのまま固まってしまった。


『あれ、思ったより平気?』


 店主みたいに逃げ出すことはないみたいだな。威力の調整でもしたのか。


『んーん、おんなじ』


 だとすると、思いの外フィオナの胆力がすごいのだろう。

 と、観察していると、隣に座ったままだったフィオナがぴくぴくと震え出した。


「ぁ……っ!」


 次いで、緩慢な動きで靄に触れた手が下がる。

 だらんと、全身から力が抜けてしまった様子だ。伸びていた背筋だけをそのまま維持した状態。というより、爪先から頭の先までが緊張して、それ以外の末端まで意識が向いていないようだ。


 それきり動かないままなのでどうしたものかと店主と顔を見合わせると、不意にフィオナの方から、じゅわじゅわと水音が聞こえてきた。

 まさかと思いフィオナを見ると、その焦点の合わない目に涙が浮かんでいる。……当然、涙が零れた音ではない。

 しょわああ、と小雨が激しく吹き付けるような音と、ぼたぼたと嫌な予感が床に伝わる音が続く。


「ぁ……ぁ……」


 手足を動かすこともできず、わなわなと震える唇から声が漏れている。声が漏れているというか、声も漏れているというか……。

 酒が入っていたからかひどく鈍くなった感覚の中に、芳ばしい匂いが混ざり始めた。

 フィオナは心ここにあらずと、それを止められないでいる。当然、おれ達にも止める術はない。

 どうすべきかと焦りがむしろ思考に空白を生むと、そのスペースを埋めるように、今日出会った美しい少女の姿や、本当にそれと言ったかもわからない言葉や、横を歩いて髪から伝わった匂いが思い出された。このままフィオナのことを考えると、あらぬところまで至りそうで、よくない。

 しかし目と気を逸らしても水音が聞こえ、より強く実態を想像してしまう。フィオナの方を向いても、より直接的な姿のどこを見ればいいのやらだ。

 もしかするとおれの足元まで伝ってきているかもしれないが、直接確かめるのはフィオナの恥を暴くようで気が引けた。よしんば届いていたとして、この結果を引き起こしたおれが避けるのも、違う気がする。

 何となく、おれ自身は直接触れていないのに、感触か思考か、温さと冷たさを感じるようだった。


『あ〜あ、やっちゃった』


 楽しげなのは、ミドリだけである。


『百歩譲ってぼくが畜生なら、ご主人はとんだ鬼畜だね』


 何も言うまい。


 店主もおれも何も言えず、目も合わせず、フィオナの意識が戻るまで地獄のような時間を過ごすのだった。




「……お、お嫁にいけない……っ!こんなのって、ないッ!」


 しばらくしてフィオナの目に焦点が戻り、もぞもぞと居住まいを気にしたかと思えば、さっきまでは零れるだけだった涙をぼろぼろと滝のように流しての訴えである。


「……着替えて来い。床はやっといてやる」


「〜〜っ!お父さんも!!最低!!リーブも!!ぅ〜〜っ!」


 身を裂くような、喉を絞るような叫びが響く。

 地団駄を踏もうとし、その足元がどうなってるのかを思い出し、内股に足が擦り合わせられる。

 代わりに、ダンッ、とカウンターに拳が降りた。衝撃に浮かせていた足もやっぱり地に着き、ぴしゃりとほんの少しだけ音が散る。その音にまたフィオナはビクリと震え、もっと大きく泣き出した。


「まぁ、別に仕方ないと思うぞ。本体は大人や魔物でさえ近付かないような強力な精霊なんだから」


「そういう問題じゃ、ない!」


「ごもっともで」


「いいから、まずは着替えて来い」


「こんなので外出れるわけないでしょ!?お父さん服出して!」


「ごもっともで」


 店主がそそくさと奥に消える。

 フィオナが突っ伏して見てないことをいいことに、似合わないウィンクしながら去って行った。

 頼まれごとではあるが、逃げやがった。


『まぁやったのご主人じゃん?』


 否定はしないが、お前も共犯なのは間違いないからな。


 啜り泣き、カウンターに突っ伏したままのフィオナを見やる。

 完全に酔いが覚めた。

 何と言葉をかければいいのやら。逆に、妙齢の女性が小水を垂らした場面で、四つ年下の男に何と言われようか。というか、漏らさせた本人である。

 ここで慰めの言葉なんかかけようものなら、誰のせいだって話だ。おれなら殴るだろう。


『肩でも抱いてキスすれば?』


 腹の中は魔力で存分に捻り上げておいた。


「リーブ」


「はい」


「おねがい、忘れて」


「嘘は吐かない主義なんだ」


「もう!そこは融通効かせてよ!」


「真摯に答える場面だと思ったからこそだ。本当に、今のは勇者の技でも弾く強力な精霊の力だから、仕方ない」


「そんなの知らないもん!」


「というか、すまん。そもそもおれ達が悪かった。頼まれたって、人に向けるようなものじゃなかった」


「でも、頼んだのは私だけど……っ!こんな、拾った子に……っ!」


 フィオナが横目でチラリとこちらを睨む。

 まだ涙が浮いていて、さっきまで血の気が引いていた顔も今では真っ赤になっていた。


 こんな場面なのに、やっぱり艶を帯びたフィオナはきれいだなと、昨夜の続きが反応しそうになった。

 何か言葉をかけたくなるが、その中にどれほど雄の下卑た判断が混ざっているとも分からない。こちらから迂闊なことは言えないのだった。

 目を逸らし、文句を受け入れるだけの置物に徹する。


「害はないって」


「怪我させるようなのではなかった」


「トラウマにならないって」


「これ自体は一過性のはずだったんだが……」


「こんななるって聞いてない!」


「すまん、こっちも予想外だった」


「お嫁にいけない!」


「フィオナは美人だから大丈夫だ」


「おしっこ漏らしたのに!?この歳で!」


「絶対秘密にするから」


「じゃあリーブがもらってくれるの!?おしっこ漏らしたのに!」


「それは……」


 考える。降って湧いた決断に、こんな簡単に身の振り方も変わるのかと、ブン殴られた気分だ。

 正直にいうと、フィオナが凌辱される姿に興奮しかけたおれもいる。まさか自分にこんな変態性があったなんて思いたくもないが、きっと、昨夜のことがあったせいと、酔いのせいだろう。

 昔クロエがお漏らしして泣きつかれた時とは状況が違うのもある。


「ほら!」


「ちが、今のは考えてたんだ!」


「じゃあどうなの?」


「真面目に、フィオナは魅力的だと思ってる。かわいいし、優しいし、家族思いだ。全然、こんなことじゃ非にならない」


「結局、どっち?」


「……だからこそ、即答できない。おれ自身がそういう責任を取れるような人間じゃない」


「じゃあ、リーブがちゃんと大人になったらもらってくれるの?責任とってくれる?」


「……何かしら、償いたいとは思ってる。そういう形になるのかは、分からない」


「そっか。じゃ、今は何でも言うこと聞いてくれる?」


「もちろん、叶えられることなら」


 そこでおれも逸らしていた目を向けると、フィオナは未だ瞳と(かんばせ)など濡らしながらも、口角を上げてこちらを見ていた。

 その目には、揶揄いの光が宿っている。


「そっかそっか。リーブはしばらく私の言うこと聞くんだね?」


「あの、フィオナ?」


「なんか吹っ切れちゃった。開き直ったもん勝ちだよね」


「いや、まぁ、大丈夫ならいんだが」


「大丈夫じゃないよ!でもまぁ、友達にはお客さんでもっとすごいの(・・・・・・・)もいるって聞いたことあるし、これは仕方ないことだし、うん。大丈夫じゃないけど」


 その場から動けないので、動かせる拳を握り締め、何を考えているのか諦観を混ぜた表情でフィオナが語る。


「リーブ、とりあえずお願い(命令)


「はい」


「外出てて」


「はい」

黄金色の君。

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