口八丁の問答なんて、意味はない。
82話です。
意気込んで屋敷を出たものの、まだ日は何かの陰にすら差し掛かっていない。
ワドルたちは夜には戻ると言っていたが、まだ帰っていないだろう。ただ宿で待って手持ち無沙汰になるのもなんだ。故郷に手紙を書くにしても、紙すら持っていない。
カントーリ氏から済ませておくよう言われた要件は、すぐには達成が難しそうだ。
となると今の内に済ましておきたいことは。
『腹ごなし!』
あまり空腹を感じている訳ではないが、今後どう動くか決まりきっていない以上、先に小腹を満たしておくのもいいかもしれない。
案内の礼もあるし、また色々聞きにフィオナのところに顔を出しておくか。
『本当は花街の方のお店に行ってみたいだけだったりして』
なわけあるか。
昨日の出来事が思い出されるが、あれは不覚をとった上に相手が中身も見知ってそれなり見た目も良いラトだからだ。
『でもフィオナちゃんも可愛いよね』
確かに、はっきりした顔立ちの割にパーツは柔らかい印象ではある。年齢を勘違いしたように、美人というよりは可愛らしく見えるタイプだ。
しかし昨夜、明け透けなハニートラップにかかっておいてなんだが。
「そういう目で見るつもりはない。なんていうか、失礼だろ」
今通っている道も親切に案内してくれた友人だ。
いくら花街の出身でもそういう生業でもない。不審なおれにも最後には気後れなく付き合ってくれた相手だ、尊重すべきだろう。
『ま、好きにしなよ。なんだかんだ言ってもご主人も盛りの年頃でしょ』
ならまずお前をどうにかしてやろうか。
腹の中の魔力を用い、ミドリをゴリゴリと削る。
きゃー、と悲鳴が上がりつつ、忘れない内にフィオナの店へと歩みを進めた。
ミドリとはお互いに虚勢を張っても意味がない関係。
相変わらず街の魔力達が不快だが、自分の内側に意識を向けていれば僅かながら気にしないでいられる。ミドリも本心からおれを揶揄っているのは分かるが、その辺りも考慮している部分もある。
何だか、街に出てから、色んな人に助けられてばかりだ。
故郷の森では助けも必要なかっただけなのか、おれ自身が弱くなったのだろうかと錯覚してしまう。
『たぶん、メイラも喜んでるよ』
だとすれば、やっぱりこれは、良い変化なのだろうな。
ミドリの魔力か、歩いているからか。体の内側の熱が、ほのかに心地よかった。
「入ってもいいか?」
期待した人物の印象とは真逆の無骨なスイングドアを開け、入店してから放った一声だった。
薄暗い店内、カウンターの奥には先程会ったばかりの店主がいた。
「おう。早かったな」
顎で指し示されたカウンターに座る。
何かを言う前に店主は手を動かし始め、おれの前に成果物を差し出した。
明らかにエールである。
「夜は陽があるから、少しだけなら」
「なら、サービスは一杯だけだ」
付き合えよと、店主も自分の分を注いだ。開店前だろうに、大した根性だ。もしくは都会の飲み屋なんて、こんなもんかもしれない。
「フィオナは?」
「ガキどもの飯作ってる」
「しばらく邪魔してていいか?」
「客を断る理由がねぇな」
営業時間じゃないだろう、なんて無粋なことは言わないものだ。最低限のマナーは冒険者に習った。
老いた店主が杯を持ち上げ、俺の手元を見てまた顎で促す。さて、何だろうな。
「フィオナの益々の幸運に、とか?」
言ってみると、店主は無精髭を撫でてニヤリと笑った。
「若いのに気が利くな。一杯と言わず、飲め」
「なら酒はご馳走になる、あんまり飲まないけど。飯は払わせてくれ」
二人でジョッキを合わせ、大きく煽る。
初対面で何をそんなに気に入られたのだろう、店主からは機嫌が良さそうな気色を感じる。そんなに飲みたかったのだろうか。
「小僧、名は?」
「イリーベルト。ノーディストから来た」
「道理でな。その辺の冒険者よりマシな目してら」
「おれは冒険者じゃないぞ」
「似たもんだろ。辺境の冒険者は良い飲み方をする」
まぁ、金遣いは荒いのだから、店としては利もあるのだろう。決して上品な客ではないだろうが。
ゴクリとエールを煽ると、美味いとは感じない液体が喉を通り、腹がカァッと熱くなる。
「そいつは?」
店主がまた顎で指す。おれが立てかけた剣に向けてだ。
「自衛用。街中じゃ持ち歩かないもんなのか?」
ついでに気になっていた疑問をぶつける。いや、答えは分かっているのだが、後押しが欲しいというか。
「全くいねぇわけではねぇ。衛兵なり、イキった冒険者なり、イカれた一部の奴らくれぇだ」
「そこに田舎の善良な村民も加えといてくれ」
「噂にゃ聞いてるがガキが剣持つくらいヤベェのか、ノーディストは?」
店主がしげしげと剣を眺める。自慢じゃないが、師匠の黒金には雰囲気がある。曰く五百年は使い古したはずだが、手入れのお陰で錆や溢れもない。
流石に鋼の内訳までは分からないが。
そんな見るからに立派な剣を子どもが持ってるのだから、当然だろう。
「村に魔物が出ることもあるけど、大抵は警備隊や冒険者が何とかするからそこまでは。むしろデュニオの方が今はどうなんだ?」
夜な夜な現れる、凶器を持つ人間がいるだろう。
その話題を出してみると、店主はまた大きくジョッキを煽った。苦々しい表情は、エールの味だけじゃなさそうだ。
「ガキと肴にしたい話じゃねぇな」
店主がチラリと壁を、確かフィオナの家があった方角を向く。
「知った奴も死んだ。最悪だ」
それだけ言って店主は残りを飲み干した。お前も次の杯に行けとその目が語るが、おれの方にはまだ少しだけ残っている。
身近で死に触れたばかりだから、余計なことまで言ってしまいそうだ。
「そんな時分に剣を持った不審な男が娘に近付いてるのは、思うところはないのか?」
フィオナにも全く同じ疑問をぶつけたが。
田舎者には、どうしても街の人間は「大勢」に感じる。
見知った安心できる……危害を加えない人間だけではない。どこに害意があるか分からないし、実際に魔力は混沌として気持ち悪い。
それなのに、衛兵でも冒険者でもない、イかれた一部の奴かも知れないおれをどう見ているのか。
街の人間が他人に向ける信用というのが、おれにはあやふやで疑問だった。
店主は少し言い淀むと、先に自分のジョッキを満たしてから口を開いた。
「……それ聞いてどうすんだ」
思わぬ言葉を返され、今度はおれが即答できなかった。
……確かに、聞いてどうするのだろう。
危険だと言われれば消えるのか。そりゃ、迷惑なら去ってもいいが。安全だと断言されても、それを言わせてどうするのか。
口八丁の問答なんて、意味はない。
「……いや、そうだな、すまん」
酒が回ったのかもしれない。もしくは、慣れない環境で頭が変になっているのだろうか。
おれも店主に杯を差し出す。
『ご主人、ぼく分かるよ、何でか』
店主が次を注いでる間に、ミドリの声が響く。
『不安なんだよ。初めて出来た友達に、ご主人は自分が対等なのか、これでいいのかって』
恥ずかしくも、ミドリの言葉は飲み下した冷たい熱さと共にじわじわと腑に落ちた。
声をかけてくれた優しい女。対してこちらは、不審な点ばかりある田舎の年下。負目はないのかと、おれでいいのかと。
ああ、自覚すれば全く、人間関係が下手くそだな、おれは。
悩む間に、店主がゴトリとエールを置いた。
そのまま自分の杯に持ち替えてさぁ飲むぞと、さっきまでの空気を払拭しようとしている。おれはそこに待ったをかけた。
「違う、訂正させてくれ、というより思い付いた」
まだ掘り返すのかとその目が語るが、言っておかなければならない。
「フィオナには、感謝してるんだ。デュニオに来て少し参ってたんだが、声をかけられて正直助かった。だから……信用してくれるなら、力になれることがあればいいと思ってる。それだけだ」
聞いてどうする、の言葉と同じく、言ってどうする、という言葉だ。
ただ、目の前の人物に……というより自分に弁明するために口にせずにはいられなかった。
店主は顎髭を撫でながら、ジョッキを置いた。液面が溢れかけるが、気にする様子もなく語る。
「あのな、そもそもお前を疑っても、詮索したいワケでもねぇ」
溜息を一つ吐き、剣の方をチラリと見て、店主は続ける。
「郷じゃどうだか知らねぇが、そりゃ剣なんてぶら下げてりゃ怪しいのは間違いねぇよ」
「だったら何で」
「だが、それで見損なうほどお前を知らねぇ」
店主が眉根を寄せ、おれを睨む。
「その辺の気のいいバカでも、善人ってことはねぇ。性根は悪いが真っ当に生きる奴もいる。不自由なく暮らすクソ野郎もいりゃ、死にかけのガキもいる。確かに街もピリついてるが、怪しい程度のつまんねぇこと気にしちゃキリがねぇ」
そこで浮かべた渋面は、続く言葉を躊躇っているようだ。
おれの態度への不満というより、これは。
「……それにとびきりのバカが自分で気に入ってんなら、俺からすりゃそれ以上どうこう言う理由はねぇよ」
「……ここの看板娘、変な男に騙されないようにな」
「安心しろ、見る目だけはあんだ、あのバカは。ほら、わざわざ酒場でシケた話すんな。しょうもねぇ話でもしてみろよ」
そう言って店主は顔を隠すくらい、大きくジョッキを傾けた。悩みなど酒で流してしまえと言わんばかりの飲みっぷりだ。
『ただの親バカじゃん』
いや、むしろ放任じゃなかろうか。
要するに娘が連れて来た人間なら大丈夫と言っているわけだ、この無精髭は。
実際に魔力が障るからこその疑念だが、事実、気にしすぎではあるんだろう。
何だか気楽に生きろと言われてるみたいで、肩の荷が少し降りた気がした。
娘が楽しそうに友達を紹介してきたからるんるんな親父と、女友達の親にたじたじの陰キャの図。




