「立派に熟しているものは、甘酸っぱいです」
7話です。
今年は随分豊作な山葡萄をアーロンに差し入れ、マッケンを厩舎に連れていく。
警備隊は当然のように頑丈なので、山葡萄もそのまま食べられる。冒険者も当然のように食べる。
こいつらは(おれもだが)料理というものをしない人種だ。できはするのだ、一応。だが毒のある山葡萄でさえそのまま食べてしまう。野人を否定できない。
重い荷を分割し、後で使用人に任せる。
まずは食糧だ、建物の裏門から入ってすぐの厨房に声を張り上げた。
厨房には入れてもらえない。料理長(と言っても館の料理人は一人だ)は拘る人なのだ。
その料理長に訊くところ、山の幸はあまり仕入れの量を変えずにいいらしい。
元から山の恵みは領主様と、兵や使用人へのたまの褒美として用いられる。そこに貴族様が加わるだけで、さして消費は変わらないそうな。
もちろんあればあるだけ騎士たちにも振り分けられるから、困ることはないらしい。
そのように兄さんに伝えることにしよう。
兄さん、自分で来ればいいのに……。
館の調度品なんかには興味があるくせに、変なところで小心者だから館に入るのが緊張するという。おかげで仕事が増えるのだから、溜息の一つも吐きたくなる。
ついでに料理長にも山葡萄を差し入れる。たまにレシピを教えてもらうと、フェンドラ家にも美味を持ち込めるからウィンウィンだ。
残りの荷の薪は使用人に任せて外に置いたまま、館の執政様に代金の話を付ける。
執政様は多分村で一番厳しい方なので、正直未だに苦手だ。
昔から子どもにも、むしろ子どもほど言葉使いなどを厳しく躾ける人だった。
もう老齢だが背筋がシャンとして、眼光が衰えない。ノーディストの目付け役で、根は村人を深く想ってくれる優しい人だ。慕われてはいるが、好きと得意は別である。
だがお金の話でも特に緊張することはない。父さんから交渉全部を任されてはいるが、我が家と領主様の館には暗黙の了解もある。
薪に関しては特に金額のやり取りはしないのだ。適正な代金は受け取るが、細かくはどんぶり勘定だ。
薪を卸して対価に村の営みの恵みを融通してもらうこともあるし、その逆もある。
持ちつ持たれつがイヴィラル家の方針だ。村では大抵の家がそうだろう。
そんなわけで薪もあればあるだけ良いということで確認し、執政様の部屋を後にした。
領主様より書類仕事が多い方なので、長居は迷惑になる。決して苦手だからではない。
ちなみに流石に老いたお体に毒のある山葡萄は渡せなかった。遠回しに遠慮されてしまった。説教になりそうな流れだったから逃げ出した部分は、ある。
残った山葡萄は馬番のドフィや使用人たちに配った。思ったより多く持ってきていたようだ。
館の使用人たちには毒抜きも忘れず伝える。
するとお返しか、庭の農園のクランベリーが食べ頃だから持って行けと皆に口を揃えて教えられた。
もう熟したものもあり、旬より早く今年は甘く実ったそうだ。
こういうやり取りが、村での助け合いの生き方そのものだ。
領主様の館は、よく手入れされている。
使用人は少ないが、領主様の綺麗好きの趣味もあるのだろう。
広い庭は花の咲くころは特に美しい。冬でも枝葉が揃えられ、見事と言う他ない。
隣で警備兵が暑苦しく訓練するので、せめて庭くらい華を添えたいのかもわからない。
そんな館の庭は、秋の今頃は葉の色も実の色も、花もまだ咲く彩りの絶頂だった。
広い庭の農園からクランベリーをのんびり探す。
やっとその一角を見つけると、確かに黒々と赤く輝く実が大粒に生っている。
どれほど頂戴していこうか。
しゃがみこんで沢山生ったベリーの、柔らかく熟した一つを手に取る。
我が家よりクロエのところに土産で持って行ってもいいかも知れない。
領主様の館に入る機会がある家は多くない。森番のような特殊な立場か、村の農業にせよ他の分野の仕事にせよ、館に足を運ぶのはそのまとめ役くらいだ。
だから庭の農園の作物も、料理長が気紛れに使うか使用人が持って行くくらいだ。
どれだけ採って行っても文句は言われない。
しかしふと気付いたが、どうしてベリーを持ち運ぼう。
代金を入れるポーチは嫌だ、手に持つのも量が量だ。
さてどうしたものかとベリーを口に放ると、舌を刺す酸味とほどよい甘みに名案が閃いた。
ロバの背に、使っていない袋が括られていたはずだ。
もう一つベリーを摘んで立ち上がり振り向くと
「ここの植物はあなたが育てているの?」
紫の瞳がおれを捕らえていた。
「いいえ、違います」
声をかけてきたのは、少女であった。
朝焼けの瞳をした、紫がかった長い髪。見るからに平民ではない、白いドレスを着ている。
同い年くらいだろうか。涼やかな目元と薄い唇が、どこか儚く大人びた印象に見せていた。
きっと、昨日の騎士団の行進で見た朝焼けの瞳は、この少女だ。
「庭師ではないの?」
「森番の家の者です」
冷たく澄んだガラスのような、氷の天使のように可憐な声がおれを刺す。
これ、絶対平民が安易に関わってはいけない状況じゃないだろうか。
「森番?」
「北西の森を管理する役です」
「そうなんだ。あなたのお名前は?」
「イリーベルト・イヴィラルと申します」
「イリーベルトね」
名前を唱え、少女は微笑んだ。
笑うと、可愛いより綺麗に寄った印象が、年相応のあどけなさを覗かせた。
余所見も出来ないが周囲に供も見えないこの少女、明らかにこの出で立ちは貴族様だろう。
必死に絞り出す敬語は、執政様にこれほどまで最大限の感謝を伝えたくなったことはない。
そういえばアーロンが姫とか言ってた気がする。姫ってなんだよ。
名前を訊きたいところだが、仮に貴族様ならこちらから話しかけるのは無礼だろうか。間違えたら刑罰も当然ありうる。やり過ごすしかない。
「庭師ではないなら、なにをしていたの?」
少女はおれと周囲を見渡し、結局おれに焦点を当てた。
「ベリーを採っておりました」
「庭師ではないのに、領主の庭のベリーをとっていいの?」
「法に厳しければ、よくはありません。しかし領主様はお優しい方で、庭の作物については使用人に任せております。その使用人から許可をもらったので、庭師でなくてもベリーを摘もうとしております」
「そうなんだ。不思議なお屋敷なのね」
そこで少女は、少し考える素振りをとった。
頬に白く小さい手を当て、おれを真っ直ぐに見つめる。
「そのベリーはどうするの?」
「ええと、食べます」
「美味しいの?」
「立派に熟しているものは、甘酸っぱいです」
「あなたが使用人に許可をもらってベリーを食べるなら、領主に許可を貰っていれば私も食べていいよね」
なるほど。これはチャンスではないだろうか。
「おれは領主様ではないので分かりかねますが。もし貴族様であれば、許可は不要かと思われますが、やめておいたほうがよろしいかと」
「あら、どうして?」
「地から直に生えたままのものです、生のままは貴族様が食べられるには相応しくないかと。恐れ入りますが、貴族様でいらっしゃいますか?」
「そうよ。あ、いけない、名乗ってなかったわ」
少女は平民のおれにも、ドレスの端を摘んで見せた。
「プリュネステル・シェルシェント。シェルシェント伯爵の末の娘よ。えーと、視察、おしのびの視察で来たの」
貴族との会話は難しめの恋愛ADVに似ている。
ミスったら、処刑ルート。